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冬が終わるまで  作者: なつる
十一月
7/17

「そう言えば、この間、珍しくしのぶさんが遊びに誘ってくれたんですよ」


 今日も今日とて、教官室で競馬新聞を読み耽っている五嶋に向かって、諏訪は忙しなく働きながら言った。

 諏訪の話では、諏訪の彼女である結城春賀としのぶは学校では仲がよいが、校外で一緒に遊ぶようなことは今までほとんどなかったらしい。それが先日、二人ともに夕食に招待されたと言う。


「三人で鍋したんですよ。しのぶさんて一人暮らししてるだけあって、料理うまいんですね。パッと見は料理なんかしなそうな感じなんですけど」

「鍋ねぇ……うらやましい限りだ」

「今度は先生も誘おうって言ってましたよ。一人で鍋をつつく可哀想な独身男を励まそうって」

 雑誌越しに諏訪をジロリと睨む。諏訪は慌てて顔の前で手を振った。


「僕が言ったんじゃないですよ。しのぶさんが言ったんです」

「ったく、あいつめ……」

「今日は女二人でカラオケだそうです。なんか最近、しのぶさん変わってきたんですよね……」

 意味ありげな諏訪の視線を受けても、五嶋は気づかないふりをした。


「……先生、しのぶさんと何かあったんですか?」

「何かって……何だ?」

「とぼけないでくださいよ。この間、しのぶさんがここに来た時から、あの日からしのぶさんの様子がなんかちょっとちがうんですよね」

「何もないよ」

「そうかなぁ……」


 諏訪は首を捻ったが、五嶋は内心でほくそえんでいた。

 確かに、少しずつではあるがしのぶは確実に変化している。

 授業中の態度は相変わらずだが、心なしかすっきりとした顔つきになって、五嶋と目が合えば意味ありげな笑顔を見せるようになっていた。

 諏訪の話からすると、毎夜の男遊びの生活にも変化が現れているようだ。

 そのことは後日、しのぶの口から直接聞くことができた。


「最近はね、春賀と諏訪くんの邪魔をする小姑になってんの」

 そう言って、ソファに腰掛けたしのぶはコーヒーを啜った。

「なんだ、もうババアになったのか」

「あの二人見てるとおもしろいんだもん。もうすぐ卒業だし、そしたらあの二人とも会えなくなっちゃうなと思ってさ、今のうちに色々けしかけとこうと思って」

「他人より自分のことを心配しろ」

「大丈夫。私はちゃんといい男を捕まえますから」

「選びたい放題だもんな」

「みんな別れたわよ」

「ほう!」

 茶化して大げさに驚いてみせたが、しのぶは意外に神妙な面持ちだった。


「何だか急に面倒くさくなっちゃって……一緒にいてもつまんないことも多かったしさ、キレイさっぱり清算したの」

「そうか」


 五嶋はそれ以上、褒めも笑いもしなかった。

 夜の七時を過ぎ、五嶋が帰り支度を始めた頃になってから、しのぶが一人教官室にやってきたのは、自分にそれを話したかったからだろう。

 が、それ以上に、男関係を清算したものの夜になって人恋しさが募って、誰か頼れる人間にそばにいてほしかったのではないだろうか。

 こっちの都合も聞かずにいきなり入ってきて、勝手にコーヒーを淹れてソファに居座ったしのぶの背中を見ていると、何となくそう思えてくる。


「実はさ……この間の週末、実家に帰ってきた」

「……それで?」

「思いっきり、ケンカしてきちゃった」

 そう言いながらも、しのぶの口調はどこか楽しそうだった。

「我ながら、しょーもないことでケンカしてるなあって思うけどさ。私とママは、ケンカ腰でしか会話できないのかもね」

 似た者同士の母と娘だ。そう簡単に長いこと抱えてきたわだかまりは解消されないのだろう。


「でも……ちゃんとママの顔、見れたよ」

「上出来だよ」

「そう? そう言ってもらえたら、少し気が楽になったよ。先生のおかげだね」

 しのぶは振り返って、彼女らしくない柔らかな笑顔を見せた。


「先生ってさ、学生の相談なんか乗らない人だと思ってた」

「まあ仕事だからな。宮仕えの苦しいところだよ」

「またそんなこと言っちゃってさ。先生って案外照れ屋さんなんだね」

「そうかぁ?」

「……思ってたよりもずっとイイ人だね」

 しのぶにそこまで言われると、なんだか背中がむずがゆくなってくる。


「お前……どうしたんだ? そんなに持ち上げても何も出ないぞ?」

「先生に貢いでもらおうなんて思ってないから安心して。公務員の安月給じゃたかが知れてるでしょ」

 それでこそしのぶだ。毒のない彼女はワサビのない寿司のようでなんだか物足りない。


「じゃあお前が貢いでくれよ。最近じゃビールも高くて発泡酒ばっかりでな、たまには高い酒も飲みたいよ」

「ドンペリとか?」

「いいねぇ。もっとも、オレの給料じゃ買えないけどな」

「またまた……独り者なんだから貯めこんでるんでしょ」

「競馬やパチンコでスッちまうんだよな、これが」

「教職者にあるまじき生活ねぇ」


 しのぶのコーヒーが空になっているのを確かめて、五嶋は立ち上がりロッカーからコートを取り出した。帰る意思の表れだ。

 しのぶはわずかに表情を曇らせて、それを見ていた。


「……帰るの?」

「もう八時だぞ。腹減ったんだよ」


 そう言って座るしのぶの頭を軽く叩くと、彼女もあきらめたように立ち上がって帰り支度を始めた。

 連れだって外に出ると、凛とした夜の冷気がむき出しの頬を突き刺してきた。


「今夜は冷えるなあ」

「透明な空……」

 しのぶの詩的な言葉に夜空を見上げると、冷え込む夜特有の澄み切った空に星がくっきりと瞬いていた。

 空を見上げるしのぶの横顔はどこかあどけなく、いつもは年齢以上に大人っぽい彼女を不思議と幼く見せる。

 校門を出ればすぐにしのぶのアパートだ。送っていくというほどの距離でもない。五嶋の住む官舎のほうが遠いくらいだ。


「寒いからな、風邪引かないようにしろよ」

「ね、先生、ご飯うちで食べてかない?」

 そう言って笑うしのぶがどこまで本気かわからないが、それだけ彼女が人恋しく思っている証拠だろう。

「バーカ、そんなことできるわけないだろ。仮にも学生と教師だぞ」

「そっか、そうだよね……んじゃ」


 五嶋が正論を唱えたのが気に入らなかったのか、しのぶはろくに挨拶もせず背を向けた。


「渡部」

 呼び止めると、しのぶはアパートの階段を登る足を止め、五嶋を見下ろした。

「……今度教官室に来るときは、食い物の一つでも持って来いよ。腹がふくれりゃもっと遅くまで仕事できるからな」

「じゃあ、ドンペリとキャビアでも差し入れしてあげるわ」


 唇の端に笑みを浮かべるその顔には、さっきのあどけなさの欠片も見当たらなかった。


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