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冬が終わるまで  作者: なつる
十月
4/17

4 【挿絵あり】

 翌日の放課後。

 しのぶが五嶋の教官室のドアをノックすると、中から気の抜けた返事が返ってきた。ドアを開けると、最初に目に入ったのは級長の諏訪の顔だった。



挿絵(By みてみん)



「諏訪くん?」

「あれ、しのぶさん? 珍しいね、ここに来るなんて」


 端正な顔をほころばせて、諏訪が微笑む。諏訪は毎日ここで、五嶋の秘書よろしく雑務をこなしているのだ。

 天が二物を与えてしまった級長の向こう側で、むさくるしい顔の五嶋は肘掛椅子にどっかりと座り、部屋の片づけを級長に押し付けて、自分は仕事もせず週刊誌を読み漁っていた。


「来たか」

 五嶋がニヤリと笑うので、しのぶも負けじと笑って見せる。

 その二人の間で怪訝な顔をしているのは、事情を知らない諏訪だ。

「何か……あったんですか? しのぶさんもどうしたの?」

 本当のことを言うわけにもいかず、しのぶは笑ってごまかした。

「うん、まあ、ちょっと先生のとこに遊びに来てみただけ。でも大した用事じゃないから」

 そう言って後ろ手にドアを開けようとしたしのぶを五嶋は目で制し、そして諏訪に言った。


「諏訪、今日はもう帰っていいぞ」

 諏訪は仰々しく驚いた。

「え? まだ書類整理終わってませんよ」

「んなもの明日でいいよ。ほら、結城が待ってるんだろ? 早く行ってやれ」

「そんなこと言ったって……」

 諏訪は五嶋と苦笑いを浮かべるしのぶの顔を交互に見比べる。頭の中で、これからこの二人の間で何が行われるのか、必死で考えているのだろう。他の学生ならともかく、しのぶと五嶋という滅多に見ない組み合わせだから、彼が怪しむのも無理はない。


 しばらく考えた後、諏訪はあきらめたように笑った。

「わかりました。僕は帰りますよ」

 それ以上の細かい詮索をすることもなく、諏訪はどこか腰の引けているしのぶを応接セットのソファへと誘った。


「しのぶさん、ごゆっくり」

 最後、そう言って諏訪は片目を瞑って見せた。しのぶにしてみれば、彼が変なカンチガイをしてるのではないかと逆に心配になる。

 諏訪が部屋を出て行くと、ドアがやけに大きな音を立てて閉まった。その後に訪れた静けさが、しのぶの身体を縛り付ける。


「……何を緊張してるんだ?」

 突然、背後から声がしたので、しのぶの心臓は飛び跳ねんばかりに脈打った。

「き、緊張なんか……して……ないわよ」

 上手く回らない口が下手な嘘を露にする。

 自分でも何でこんなに焦っているのかよくわからない。


 いや──本当はわかっている。

 この男の手にかかれば、全てをさらけ出してしまいそうな、そんな危険。

 嘘も、悩みも、本心も、何もかもを喋らされてしまいそうで、怖い。

 五嶋に何かを言いたいような、何も言いたくないような、そんなどっちつかずな気持ちのままでこの部屋に来てしまったことを、今更後悔してももう遅い。

 五嶋は立ち上がり、戸棚からマグカップを取り出すと、しのぶに背を向けて何かを作り始めた。ポットのお湯をカップに注ぐ音が、変な薬品を注いでいるようにも聞こえて恐ろしくさえ感じる。

 真向かいに腰を下ろした五嶋は片方のマグカップを差し出したが、しのぶはすぐに手を出す気にはなれなかった。


「……何か言いたいことがあって、ここに来たんだろ?」

 そう切り出されても、すぐには素直になれない。

「言いたいことなんてないよ」

「じゃあ、何でここに来たんだ?」

「別に。ただの気まぐれよ。今日は何も予定ないし、暇つぶしにでもと思って」


 昨夜のことははっきり覚えている。

 ほんの少し、寂しい気持ちを五嶋に見せてしまったこと。

 夜という時間のせいで、五嶋に揺さぶりを掛けられて弱った心のせいで、魔が差したとしか言いようのないあんな醜態を晒してしまったのだ。そう信じたい。


「そうか……ま、お前は正面切っても正直に喋るようなタマじゃないからな。相当ヒネくれてるよ」

「人を性悪女みたいに言わないでよ」

「性悪でもなんでも、ここまで来た以上は喋ってもらうぞ」


 五嶋の両目がしっかりとしのぶを捕らえた。

 今までずっと、五嶋のことをただのクラスの担任としか見ていなかった。他の教師のように、あれこれ口うるさく言わないありがたい存在であったことは確かだったが、それ以上の何者でもなかった。

 それがどうしたものか。

 気がついたら五嶋のペースに乗せられ、ここにくる羽目となり、そして今窮地に追いやられている。


 しのぶは初めて、五嶋の顔をしっかりと見た気がした。

 普段はダレきった覇気のない顔をしているのに、たった今、自分をじっと見据えているその目には、力を秘めた妖しい光がある。

 しのぶの一挙手一投足を見逃すまいとしてるのか、視線を外そうとしないどころか、瞬きさえしていない。

 背筋が寒くなって、しのぶは狼狽を隠そうと目の前のカップをつかんで口に運んだ。


「そのコーヒーな」

 口をつけようとしたその時、五嶋はあざ笑うかのように言った。

「自白剤が入ってるんだ」

「……自白剤?」

「そう、自白剤。飲んだら最後、全てを話さずにはいられなくなるってやつさ」

「まさか……そんなものが簡単に手に入るわけないじゃん」

「ま、それもそうだな」

「え? 何? 嘘なの?」

「お前の言うとおりだ。そんなアブないものが簡単に手に入るわけがない」

 しのぶは呆れた。全く、冗談にもほどがある。


「あのねぇ、人を脅かすのもいい加減にしてよ!」

「何だ、一瞬でも信じたのか?」

 しのぶは言葉に詰まった。薬が効いて、この口が勝手にあることないこと喋りだして止まらなくなる様を想像したことは確かだ。

 飲む気をなくしてカップを置いたしのぶを、五嶋はまた意味ありげにせせら笑った。


「飲まないのか?」

「先生が変なこと言うから飲む気なくした」

「……怖いんだろ。本当に入ってたら……そう思って怖くなったんだろ。ちがうか?」

「ちがうわよ!」

「そんなに喋ってしまうのが怖いのか? お前、案外小心者だな」

「だからちがうって言ってるでしょ!」

 腹立ち紛れにしのぶはカップを引っつかむと、冷めかかったコーヒーを口に含んだ。


「……飲めばたちまち喉が熱くなり、それから全身が熱を帯びたように熱くなる。やがて脳の神経に作用し、意識が朦朧として、ついにはオレの質問に抗うことができなくなる」

 既にしのぶは味わう暇なく、コーヒーを喉に流し込んだ後だった。


 口の中が変だ。コーヒーの味とはちがう。

 そうこうしているうちに喉が熱くなってきた。まさか……?


 五嶋はただじっと、しのぶを見つめている。微動だにせず、不気味に微笑みながら妖しい光を宿した瞳でしのぶの身体を射抜くように凝視している。


 段々と身体まで熱く感じてきた。


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