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冬が終わるまで  作者: なつる
十月
2/17

 数日後。

 五嶋は夜の繁華街に一人佇んでいた。別に呑みに来たわけではない。遠くの都市で行われた学会の帰りなのだ。

 ネオンがきらめく駅前の盛り場は、いつ来ても賑やかだ。ここまで来たからにはいつもの店に──と足を運びたくなるが、あいにく今日は車がある。駅から遠い自宅まで、こんな時間ではバスもろくに走っていないし、タクシーなど高くて問題外。仕方なく帰りは車で帰ろうと、朝から近くの駐車場に停めておいたのだ。

 時計は既に二十二時を回り、家路につこうとしている人影もちらほら見える。北国の早い冬の訪れを予感させるように、コートの襟を立てて足早に去っていく。


 オレもとっとと家に帰って、ひとっ風呂浴びてからビールでも飲むか──そう心に決めて一歩踏み出そうとしたその時、通りの向こうに見覚えのある人影を見つけた。


 派手な顔に似合わない、古風な長い黒髪。長身のスレンダーボディをファーで彩られた黒のコートで包んで、堂々とタバコをくわえている。

 その向かいで、顔のいい男が何やら彼女に対して怒鳴り散らしていた。五嶋の知らない顔だ。


 彼女──渡部しのぶは男からの怒号も何処吹く風と、そっぽを向いてタバコをふかしている。

 諍いの原因が何かは全くわからないが、二人がケンカしていることは確かだ。周囲は見て見ぬふりをしつつも、気になるのか振り返ったりささやきあっている。

 急に、男がしのぶの胸倉をつかんだ。それでも彼女は平然として、男の顔をじっと見据えている。


「……てめえッ!」


 激昂した男が振りかざした拳を──五嶋は無意識のうちにつかんでいた。知らず知らずのうちに足が動いていたようだ。


「せ、先生?」

 突然現れた担任の姿に、しのぶが目を丸くする。

「何だよ、テメエは! ジャマなんだよ!」

「あー……この子が何かいたしましたかね?」

 五嶋のトボけた口調が、男の怒りに油を注いだようだ。


「うるせえッ! お前がしのぶの新しい男か!」

 否定する間もなく、しのぶが抱きついてきた。

「そう。この人、見た目はただのオッサンだけど、あんたとちがってスゴイの」

「スゴイって……何が?」

「先生は黙ってて」

 何だかよくわからないうちに、男と別れる口実に仕立て上げられたようだ。迷惑以外の何物でもないというのに。

「だからさぁ、いい加減あきらめてよ。しつこいっつーの」

 勝手な言い分だ。細かいことはわからないが、何だか相手の男が気の毒になってくる。

「オレは……オレは……絶対に別れないぞ!」

 涙目になった男が、しのぶめがけて突進する。


 次の瞬間、しのぶのピンヒールブーツが男の股間に炸裂していた。鮮やかに決まったその蹴りに周囲があっと息を飲み、男たちが皆一様に顔をしかめる。

 苦悶の表情を浮かべ、股間を抑えながら跪いてしまう彼を、しのぶは勝ち誇ったように見下げた。


「あんた下手クソ過ぎるの。この××××が」


 男なら耳を塞ぎたくなるような捨てゼリフを吐いて、しのぶは五嶋の腕をつかんで引っ張り、その場から逃げ出した。

 騒ぎの輪が見えなくなるところまで引っ張られてから、しのぶはようやく手を離して五嶋を解放した。


「おいおい……オレを別れ話のダシに使うなよ」

「だって、絶妙のタイミングで現れてくれるんだもん。使わない手はないでしょ?」

「あんな別れ方して……本当に良かったのか?」

「いいのいいの。ちょっと優しくしてやったらつけあがっちゃってさ、人のこと束縛しようとするんだもん。ウザイから早く切りたかったの」

「……割り込むんじゃなかったな」

「でも助かったよ。先生、ありがと」


 そう言って微笑む柔らかな表情は、ついさっきまでの豪快な悪女っぷりを忘れさせる。

 しのぶは何気なく、手に持っていたタバコをまた口にくわえた。そしてふと、五嶋と目が合う。


「あ」

 ヤバイ──と彼女が思ったのかどうかはわからないが、バツ悪そうに歪めた顔を笑って、五嶋は携帯灰皿を差し出した。

「お前、確か二十歳過ぎてたよな?」

「うん……まあ」

「なら後はしまっとけ。オレは時間外に仕事はしない主義なんだよ」

 しのぶはタバコの火を消しながら、五嶋をいぶかしむように見つめている。

 が、すぐに気を取り直すと、五嶋の姿を上から下まで眺めた。


「そう言えば……先生、こんなとこで何してたの?」

「出張だったんだよ。今戻ってきたとこなんだ」

「じゃ、これから帰るの? 車なら家まで送ってよ」

 ここで断ったら……彼女のことだ、学校で何を吹聴されるかわからない。

「しょうがないな」

「やったぁ」

 しのぶは五嶋の片腕にしがみ付くように腕を絡ませてきた。深い意味というよりは、五嶋の気が変わって逃げられないように、だろうか。


「タクシー代高いぞ?」

「ケチくさいこと言わないの。かわいい学生が困ってるんだから、タダで送ってくれたっていいじゃない」

「じゃあ……カラダで返してもらおうか」

「いいわよ。何なら、今すぐそこのホテルに入ってもいいけど?」


 そう言ってしのぶはニヤリと笑う。

 五嶋は舌を巻いた。もとより本気ではないことをわかった上での切り返しであろうが、こういう冗談が通じないのはやはりやりづらい……が、それ以上におもしろい。

 二人、腕を組んで連れ立って歩く姿を学校の関係者に見られたら──という不安も少しは頭をよぎったが、何とかなるという変な自信が五嶋にはある。

 駐車場に留めてあった五嶋の古臭いセダンの前に到着すると、鍵を開けるや否や、しのぶはあっという間にドアを開けて助手席に滑り込んだ。もう梃子でも動かない姿勢である。


「早くエンジンかけてよ。寒い」

 五嶋はもったいつけたようにゆっくりと運転席に座り、キーをいれてセルをまわした。

 とはいってもすぐには暖まらず、コートの下は恐らく薄着であろうしのぶは、両腕で自分の体を抱きかかえるようにしてブルブルと震えている。

 腕を組んできたのは、身体の温もりを求めてきたからかもしれない。

 五嶋は自分の着ていたコートを脱いで、しのぶに向かって放り投げた。


「着とけ」

「先生、寒くないの?」

「お前とは鍛え方がちがうんだよ」

 全く寒くないといえば、それは嘘だった。もう十月も末、この北国では雪もちらつく季節だ。スーツのジャケットだけではやはり寒い。

 それでも、ここに来るまでの間にしのぶが身体を寄せていた部分が、ほんのり暖かく感じたのは気のせいだろうか。

 しのぶはそれ以上の遠慮をせずに、五嶋のコートを前にかけた。


 車を走らせると、しのぶは窓ガラスに頭を持たれかけ、外をぼんやりと見つめたまま動かなかった。授業中と同じ、わずかに憂いを湛えたその横顔は、次元を超越したところで物事を思想する菩薩像のようにも見える。

 信号で止まっている間、そんなことを考えていると、見つめられていることに気づいたのか、しのぶが振り向いて笑いかけてきた。


「どしたの? 私の顔に何かついてる?」

「よだれのあと」

「そんなものついてないよ」

 信号が青に変わって、アクセルを踏み込むと、今度はしのぶが話し掛けてきた。


「……先生って、彼女いないの?」

「いるように見えるか?」

「見えない」

「だろうな。ま、実際いないんだからしょうがないけど」

「ずっと独身決め込むつもり?」

「んなこたあない。いい女がいれば結婚するさ」

「ふーん……」

 興味があるのかないのか、ただ聞いただけなのか。そう言ったきりしのぶは黙り込んだ。


「お前はどうなんだ?」

「どうって?」

「本命の彼氏が別にいるんだろ?」

「本命ねぇ……」

 思わせぶりな口調だ。

「なんだ、いないのか?」

 そう問い掛けると、しのぶは意味深にクスクス笑い出した。

「彼氏はいるけど、本命はいないかな」

「どういう意味だ?」

「本当に好きな男って、いないかも」

 五嶋はますます混乱した。


「向こうから『付き合って』って言われたら、断らずに付き合ってる。だから彼氏は何人もいるよ。だけど、本当に相手のことが好きかどうか、考えたことない」

「考えてから付き合うのが普通だろ」

「だって、断るの面倒だし、向こうが私のこと好きって言ってくれるなら、それでいいのかなって思ってさ」

「自分から『この男と付き合いたい』って思ったことないのか?」

 しのぶはしばらく考えた。

「……ないね。でも、これはこれで結構楽しいし、今日みたいに揉めることもあるけど、そんなに不都合してないよ」

「そうか」


 拍子抜けするほどあっさりした返事をして、五嶋はその話題を終えた──が、それに納得していないのはしのぶのほうだ。

 急に話を打ち切ったことが不満なのか、運転中の五嶋の横顔に噛み付いてきた。


「……それで終わり? もっと何か言うことあるんじゃないの?」

「何か言って欲しいのか?」

「そうじゃないけどさ、担任として言うべきことがあるでしょうが」

「だから時間外は仕事はしない主義だって言っただろ。今ここで、お前のモラルを問いただすほど教育熱心じゃないの」

「あ、担任がそんなこと言っていいわけ? 私がこの先グレちゃったりしたら、どう責任とるつもり?」

「もう手遅れだろ」

「ひどーい。先生がそんな人だとは思わなかった」

「オレは最初からこうだ。どうしても何か言って欲しいって言うなら、時間外料金払ってもらうぞ」

「どうしてもって……もういいよ」

 ふてくされたように、しのぶは口を尖がらせて顔を背けた。やけに子供っぽい、彼女らしくない表情がフロントガラスに映る。


 しばらくの静寂。

 低いノイズだけが車内に満ちている。


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