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冬が終わるまで  作者: なつる
十二月
10/17

 後期の中間テストも終わり、明日からは冬休みが始まる。

 クリスマスイブの今日は午前で授業も終わりだ。ホームルームでどこか浮き足立つ学生たちを見ていると、クリスマスも冬休みも関係なく、四季の移ろいにさえ疎くなった五嶋でも何となく心浮き立つものを感じる。

 その学生たちも、おのおの帰路に着いた。彼らは彼らなりに、イブの午後を思い思いに過ごすのだろう。


 ふと──しのぶのことを思い出す。今日のホームルームでもいつもと変わらず、聞いているのかいないのかわからない顔で、どんよりとした雪空を見つめていた。

 忌引が終わり、学校に戻ってきたしのぶは、以前となんら変わりない笑顔であった。

 心配する諏訪や春賀をよそに、いつもどおりの男を小バカにしたような態度で、自信たっぷりに振舞う小悪魔ぶりには、心配する余地など何処にもないように見える。


 が、それはあくまで表面上の話だ。

 いくら気丈に振舞っていたとしても、肉親を突然失ってしまった心の傷は深い。関係を修復しようと思い立った矢先のことだからなおさらだ。

 母親のことを完全に吹っ切るには、まだ時間がかかるだろう。

 それでも、五嶋はしのぶの芯の強さを信じていた。

 彼女くらいの知恵と度胸の持ち主なら、きっと一人で立ち上がれる──


 昼飯を食べ終わって、気だるい雰囲気に紫煙を燻らせていると、人がいなくなり、校内が静まり返っているのがよくわかる。イブを学校で過ごしたい物好きな学生などいるはずもない。

 今日は諏訪もとっくに帰って、この部屋に一人取り残された気分になる。

 それでも重い腰を上げて、たまっている仕事にイヤイヤながら手をつけた。これを終わらせなければ、正月を迎えられないのだ。

 いつもこき使っている諏訪も、いなければいないで案外仕事に没頭できる。

 気がつけば時計は十八時を回り、定時といわれる時間は過ぎた。ちょうどキリのいいところで一段落つけたということもあり、今日はもう帰ることにした。

 家に帰ったところで、シャンパンを飲むわけでもケーキを食べるわけでもないが、熱い風呂に入ってビールの一本でもあおるくらいの幸せは感じたい。四十手前の独身男にはふさわしいクリスマスイブだ。


 学校の敷地内の外れに教職員用の官舎はある。古めかしい官舎の一階の端の部屋が五嶋の住処だ。

 歩いて五分の距離だが、官舎につく頃には降りしきる雪が頭と肩に積もっていた。それを軽くはらい、かじかむ手でポケットから鍵を取り出す。ドアに差し込もうとして、五嶋は気づいた。


 ドアがわずかに開いている──

 面倒なことになった。この聖なる夜に、サンタクロースならぬドロボウに入られるとは……

 まだ中に犯人がいるかもしれない──が、万が一鉢合わせしたら、そのときはそのときだ。五嶋は静かにドアを開けて中に入った。


 見慣れない靴が一足、きちんと並べておいてあった。それだけではない、いつもは散乱している五嶋の靴もきれいに整理されている。

 意外だった。ドロボウならこんな几帳面なことをするはずがない。

 そう思っていると、何事もなかったかのような暢気な声が五嶋を出迎えた。


「あ、先生お帰り」

 不法侵入の犯人は片手にフライドチキンを、片手にシャンパングラスを持って現れた。


「渡部……」

 呆れて物も言えない。

 あまりにも堂々として、一つも悪びれていない。しかもフライドチキンに噛み付きながら、既に一杯引っ掛けている様子だ。


「先生遅いから先に始めてたよ」

 約束した覚えなど毛頭ないし、家に来るなんて一言も聞いていない。

 大体、担任の家のドアをこじ開けて入り込んだ上に、勝手に飲み始めているとは一体どういう了見なのか。

「寒いから早く中入ってよ」

 まるで自分の家のような物言いだ。

 コートを脱ぎ、他人の家に上がるような感覚でリビングのドアを開けると、いつもの冷え切った空気とはちがう暖かい空気が身体を包んだ。

 テーブルの上には色とりどりの料理が並べられ、中央にあのドンペリが鎮座している。


「寂しい独身男のために、一緒にクリスマスを祝ってあげようってんだから、感謝してよね」

 勝手な言い分だが……無下に断る理由もないだろう。

 暖かい部屋に美味そうな料理と酒、そして出迎えてくれる人──それだけで心まで温かくなったのも確かだった。


「何一人で先に飲んでるんだ? オレにもくれよ」

「高いんだから、心して飲んでよ」

「どうせ男に貢がせたものだろ」

「あ、わかった?」


 ネクタイを外しながらテーブルの前に腰を下ろすと、しのぶが自分で持ってきたものだろうか、家にはないはずのシャンパングラスを渡され、黄金色の液体が注がれた。


「じゃ、乾杯」

「メリークリスマス」


 グラスを軽く合わせると、シャンパンを一気に飲み干した。空きっ腹だったせいか、胃が燃えるように熱い。


「一気にいくねぇ。駆けつけ一杯じゃないんだからさ、もっと味わって飲みなよ」

「ドロボウに入られたかと思って、肝を冷やしたんだぞ。気付けの一杯だよ」

「だって、先生帰ってくるまで外で待つのイヤだったんだもん」

「それだけの理由で、他人の家をピッキングして開けるな」

「いいじゃん別にぃ。盗られるようなものなんてないでしょ」


 そう言われると妙に納得してしまうのが悲しいところだ。

 料理に手をつけると、これもなかなかに美味かった。ほとんどは買ってきたものらしいが、しのぶが唯一自分で作ったというサラダも、下手なお世辞を言う必要がないほどだ。

「おいしいでしょ」

 サラダをおかわりして食べる五嶋の横顔を嬉しそうに眺めながら、しのぶは言った。

「腹減ってるから何でも美味いんだよ」

「ちょっとは素直に褒めてよね」

 しのぶの頬が桜色に染まっている。酔いが回っているのか、いつも以上に饒舌だ。

 気がつけば、シャンパンの瓶が空になっていた。お互いに酒には強いようで、飲むペースが速い。五嶋は中身に乏しい冷蔵庫の中から缶ビールを出してきて、しのぶと開けた。


 それにしても──しのぶがいるだけで、この部屋がいつもより明るくなったように感じる。これが若さというものか。いつもが鬱々としているわけではないが、男やもめの生活にはない眩しいほどの華やかさが彼女にはある。

 美味い酒に美味い料理、そして話が弾む相手がいる──こんなクリスマスも悪くない。自分の話にケラケラと笑い声を上げる彼女を見て、五嶋は思った。


 料理をあらかた食べたところで、しのぶはケーキを取り出した。二人で食べきるのにちょうどいいサイズのショートケーキだ。

 クリスマスにケーキを食べるなんて、何年ぶりのことだろうか。

「やっぱ、クリスマスはケーキだよねー」

 小さな子どものように嬉々として、しのぶはケーキを二つに切っている。五嶋は彼女が今日ここに来た理由がわかったような気がした。


 しのぶもまた、クリスマスを一緒に祝う相手がいないのだ。

 ただ一緒に騒ぐだけの男なら、すぐに捕まえられる。

 けれど、世界が煌びやかに彩られるこの聖夜に、家族がいない寂しさを、大事な人を失ってしまった悲しみをわかってくれるのは、彼女にはきっと五嶋しかいなかったのだろう。


「美味いな、これ」

 酒飲みの五嶋でもそう言えるほど、確かにおいしいケーキだった。

「でしょ? 並んで買った甲斐あったわ」


 しのぶも小さい頃は、両親とともに和やかなクリスマスを過ごしていたのだろう。

 ケーキを口いっぱいに頬張って、唇の端についた生クリームをペロッとなめるその仕草を見てると、家族みんなが幸せだった頃のしのぶが目に浮かぶようだった。


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