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冬が終わるまで  作者: なつる
十月
1/17

1 【挿絵あり】

 卒業まであと半年。


 電気工学科五年のクラス全員、進路も就職も何とか決まった。残りの授業は適度に出席していれば、何事もなく卒業できる。

 担任の五嶋が教室に入った瞬間から、教室全体に緊張感の欠落した気だるい空気が蔓延していた。ダレきった学生の私服姿にもそれが表れている。朝一番の授業からしてこんな状態なので、三時間目も過ぎれば半数以上は寝ているだろう。


「起立、礼」

 級長・諏訪の規律正しい声にも、学生たちはのろのろと立ち上がり、ため息のような礼をして、ドサッと重たい腰を下ろす。


「出席とるぞー」


 学生に負けず劣らず気が抜けるような声で、五嶋は出席をとり始めた。

 五嶋は准教授であるが、北陵工業高等専門学校一の変わり者と評されている。

 無精ひげに適当に撫で付けた頭。ヨレヨレのワイシャツに申し訳程度にぶら下がっているネクタイ。足元は素足にサンダルだ。

 ボーっとした顔で宙を見上げ、中で何を考えているのか全くわからないその姿は、どこか世離れした仙人のようでもあるが、その実世俗の垢にべったりとまみれ、酒もタバコもギャンブルもしっかり嗜む。教官室でくわえタバコで週刊誌のグラビアを眺めているその姿は、とても真っ当な教師とは言えない。

 三十六歳。男としてはまだまだこれからという年齢にもかかわらず、覇気の全く感じられない仕事ぶりには、不惑を前に早くも冴えない中年の哀愁が漂っている──と学生の間で噂されているのは五嶋も承知の上だ。


 三年次より五嶋が担任を勤める、この電気工学科五年は全部で三十三人。うち二人が女子だ。

 三十二人目までは全員の返事が返ってきた。が、五嶋の目は既に、窓側最後列のたった一つ空いた席を捉えている。


「渡部」

 返事がないことは誰もがわかっていた。

「渡部しのぶ、いないかー」

 五嶋は出席簿の渡部しのぶの欄にバツを一つ加えた。その前には、欠席を示すバツが既にいくつか並んでいる。


「渡部、今日も休みか」

 何処からともなく、非難めいた声が上がった。

「あいつ、よくサボるよな。そのくせ成績いいから腹立つんだよ」

 級友たちは本人がいないことをいいことに、次々と渡部しのぶのウワサ話を始める。

「見るたびにちがう男連れてるぜ」

「派手に遊んでそうだよな」

 下卑たウワサ話が尽きないところが、渡部しのぶという女子学生を如実に物語っている。


 教室内に渦巻く喧騒を打ち破ったのは、結城春賀の出した、教科書で机を打つ音だった。

 一瞬、教室内が静まり返る。彼女は眼鏡の奥の円らな瞳で、自分に注目する男子学生たちをひと睨みした。普段はおとなしい彼女の明らかに苛立った雰囲気に圧倒されたのか、男子学生たちはそれ以上、鳴りをひそめてしまった。

 渡部しのぶと結城春賀、全く正反対の二人だが、このクラスにたった二人だけの女子として繋がりは深いようだ。

 五嶋はというと、何事もなかったのかのように黒板に向いて授業を始めだした。

 渡部しのぶのサボリは今に始まったことではないし、今すぐ単位を落とすというわけでもない。まだ猶予はある。




 

 このクラスには抜きんでた成績優秀者が三人いる。級長の諏訪要、副級長でもう一人の女子の結城春賀、そして渡部しのぶだ。三人とも既に有名国立大への編入を決めている。


 渡部しのぶはとかく要領が良い学生だった。

 授業は休みがち、だけどギリギリのところで出席日数は足りている。授業中もいつも窓の外を眺めていて、教科書を見ることもノートを取ることもないのだが、なぜかテストではいつも上位に食い込んでいる。

 彼女の飲酒や喫煙も、学生の間ではもはや周知の事実だが、現場を抑えた教師は誰一人いない。欠席や問題行動が多いわりに成績が良いので、面と向かって怒ることができない教師たちは彼女を疎んでいる。

 容姿端麗で、派手な男付き合いもよく引き合いに出される。

 毎夜繁華街に現れては、男と一緒に大騒ぎしているともっぱらのウワサだ。学校一の美人との評判でありながら、派手な顔と性格のおかげで逸話には困らない彼女を、級友たちはやっかみ半分にあれこれとウワサする。


 渡部しのぶのような色々な意味で「頭のいい」学生は、五嶋は嫌いではない。

 書類上「優秀な学生」であるしのぶに、今更生活態度を改めるよう注意するのは野暮というものだ。そもそも、不精者である自分に注意できる資格はない。

 彼女の要領のよさがあれば、この先卒業までに何か問題が起こっても上手く切り抜けるだろう。

 しかしながら──やはり担任としては、放蕩生活を続ける彼女が気がかりであることはまちがいない。



挿絵(By みてみん)

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