7.
セレスティアルでの日々は穏やかに過ぎていった。上等な仕立てのドレスを着て、やわらかな寝台で眠り、豪勢な食事を食べ、母親と共にうつくしい庭園を散歩する。今までロゼットが味わったことのない、真綿にくるまれたような生活が繰り返された。
「ロゼット、見て。黄色い薔薇がたくさん咲いてるわ。ラヴァグルートの城は赤色ばかりだったけれど、黄色もいいわね」
「黄薔薇は、セレスティアルの家紋でしたね」
「あなたの髪は赤みがかってるから、赤い薔薇が似合うけれど、黄色も似合いそうね」
広大な庭園は何人もの庭師によって手入れされている。ロビュスタは近くにいた庭師に小さな薔薇を何輪か切らせると、それをロゼットの髪に飾った。似合うわ、と手を叩き、やさしく微笑する。
「子供がいるってことが、こんなに楽しいことだなんて知らなかった」
庭師はロビュスタのためにも黄色い薔薇を切った。そろいの薔薇を髪に飾り、二人は少しはにかむ。ロビュスタは心の底から、ロゼットはうわべだけ。夢のような生活は、心に燃えるどす黒い炎を隠すことはできても、消すことは出来ない。
「あら――女王陛下だわ」
向こうから、黒いヴェールをかぶった女性が侍従を連れてやってくる。セレスティアルの女王、セレスティアル・ロカ・エカエだ。ロビュスタは恭しく頭を垂れ、ロゼットもそれに倣って頭を下げた。
セレスティアルでは、決まった人間以外、女王の声を直接聞くことは許されない。女王の言葉は、必ず従者を通じて発せられる。二人の前で足を止めた女王は、侍従にささやいた。
「ロビュスタ・ラヴァグルート殿、おかげんはいかがですか?」
「おかげさまで、すっかりよくなりました。陛下のお力のおかげで、斬られた傷も残らないほどです」
ロビュスタは畏敬をこめて礼を述べた。ロゼットも同じように感激しながら、心の中では女王への警戒の念を強めた。女王はつねに頭からヴェールをかぶり、完全に顔を隠して、若いか若くないかも分からない。身体はぴっちりとドレスに覆われ、手には手袋まではめている。直接話すこともできず、正体が不透明だ。気が抜けなかった。
――セレスティアルの女王は、初代のときから変わっていない。
ロゼットの頭を、昔から島でまことしやかにささやかれる噂がよぎった。
素顔も声もさらさない女王。遺体すらも秘され、だれも女王の顔を見たことがない。どんな病も傷も癒す力を持っているのならば、若返ることすらできるのではないかと、島の民はみな噂する。女王の視線を感じると、ロゼットのドレスの裾ををつまむ手に力がこもった。
「ところで、そちらがそなたの娘か?」
「紹介が遅れて申し訳ございません。娘のロゼットです。この子も無事に生き延びておりました。
この子は小さい頃の私にそっくりで。私も昔は不美人で、皆によく冷やかされたものです。でも、きっとこの子も今にうつくしくなると思いますわ」
白い手がロゼットの頭をやさしくなでた。この女にそっくりだなんて冗談じゃないと思ったが、ロゼットは恥ずかしそうにうつむいた。
「ラヴァグルート一族は皆殺しにされたと聞く。運のいいことだ」
「いえ、女王様。この子は『いばらの冠』を被せられておりますから、十六歳までは何があっても死なないのです」
女王の肩がぴくりと動いた。従者の側をはなれ、ロゼットの前にかがむ。女王はロゼットの顔をまじまじと観察していたかと思うと、黒い手袋をはずした。しわのある手が額に伸ばされる。
なぜなのか分からないが、ロゼットは無意識に、その手を避けた。嫌な感じがしたのだ。
嫌悪をこめて女王の指先を見つめていると、ロビュスタがあわてて謝罪した。
「申し訳ございません、この子は人に触れられるのが嫌いで」
女王は手を下ろした。固く閉じられていた唇が、かすかに開いた。
「これが……いか」
「え?」
ロビュスタが聞き返したが、女王は二度はいわなかった。手袋をはめて立ち上がり、踵を返す。
「それでは、また。今度は一緒に晩餐でも」
「はい。ありがとうございます」
去っていく女王に頭を下げ、ロゼットはそのままかがんだ。女王のいた場所に、小さな芽が落ちている。淡い黄緑色をした、植物の芽だ。
芽を摘み上げ、ロゼットは先ほどの女王の言葉を反芻する。
「これが、呪いか……」
「ロゼット?」
「なんでもない」
ロゼットは芽を握りしめ、女王の去っていった方向を見つめた。
いったい、どういう意味なのだろう。
「お母様、少し城下に行ってまいります。お城は息が詰まって」
「まあ、ロゼット。一人で危ないわ。わざわざ行かなくとも、欲しいものがあるなら侍女にお頼みなさい。何がいるの?」
「鍛冶屋です。槍を研ぎに出したくて」
部屋に帰ると、ロゼットは壁に立てかけてあった槍を手にとった。セレスティアルは鉄鉱石が採れる関係で、すぐれた鍛冶屋が多い。普段から入念に手入れをしているが、一度、専門の職人に刃を研いでもらいたかったのだ。
「そんな、槍なんて。ロゼット、あなたはもう戦う必要なんて無いのだから、そんなもの仕舞っておしまいなさいな」
ロビュスタは槍を取り上げようとしたが、ロゼットはかたくなに拒んだ。触れることすら許さず、自分の腕の中に抱く。二人の間の空気が固まると、ウィリアムが仲を取り成した。
「ロビュスタ様、王女はもう立派な兵士ですよ。遊びで槍を持っているわけではありません。以前、稽古をしているところを拝見しましたが、かなりの腕前です」
「まあ、そうなの? でも……」
「王女が持ちたいというのなら、持たせてあげた方がいいでしょう。その槍は、王女の師の形見だそうですから」
「なら……仕方がないわね」
ロビュスタは不本意そうにしながらも、槍を手放させることは諦めた。しかし、一人で出かけることは承知しなかった。ウィリアムを連れて行くように強く勧める。
ロゼットは固辞しかけたが、やめた。あまり距離感を感じさせてはよくない。ただし、ウィリアムと二人っきりになるや否や、開口一番に宣言した。
「ウィリアム。はぐれたら、鐘が四つ鳴るころに城門の前で待ち合わせってことで」
「王女……」
ウィリアムは困り切ったように眉尻を下げた。護衛をする相手は、護衛をされる気がさらさらなかった。
「貴女が私より強いことは、よく分かっている。だが、頼むから、護衛をさせてくれ。ロビュスタ様が心配なさる」
「僕は斬られようが刺されようが殴られようが死なないんだから、心配いらない。無駄な配慮だね」
「自分の身をそんな投げやりに扱うのはよくない。いくら不死身でも、痛いことには変わりがないのだろう?」
「僕の身体だ。どう使おうと、僕の勝手だ。口出しするな」
まだ何かいいたげなウィリアムを無視し、ロゼットは槍を片手に歩き出した。
セレスティアルの城は人工の丘の上に立つ。丘の下は民家の密集する町があり、郊外は畑が広がっている。町中を川が横切り、東の海へと流れていた。
勾配の急な丘を降りていくと、すぐに雑多な店が軒を連ねる大通りに入った。食料品を売る店もあるが、工芸品を売る店も多い。彩色をほどこした木箱や陶器、リボンが巻かれた籠など、日用品に少し手を加えた素朴なものがならべられていた。
鍛冶屋はすぐに見つけられることができたが、ロゼットはセレスティアル王家に出入りしている鍛冶屋を目指した。大事な槍を預けるのだから、信用できる店でなければならなかった。
「王女――」
人を掻き分けながら、ウィリアムが追ってくるのが分かる。だが、ロゼットは振り返らなかった。歩く速度もゆるめない。はぐれようが一向にかまわなかった。
「王女!」
「……」
ロゼットはぐっと拳を握った。ウィリアムの周囲を気にしない叫びに、人びとの視線が集中したからだ。進路を反転させ、ウィリアムにつかつかと迫る。
「ああ、やっと追いつけた」
「ふざけるな! もうちょっと周りを考えて発言しろよ!」
「すまない。焦っていたものだから。ロゼットでいいのだろうか?」
「ロッツ。男装のときは、そう名乗ってる」
「べつにロゼットでもいいだろう? 自分の名前は大事にした方がいい」
「名前なんて、呼ばれたやつが分かればいいんだよ。ロッツにしといて」
ウィリアムは不満そうに眉根を寄せた。
苛々と鬱憤がたまってくるのが自覚できる。どうもテンポが合わない。ロゼットは苛立ちをこらえ、奥歯を噛んだ。
「いいか。ロゼットなんて呼んだら、僕は二度と城に戻らない」
「しかし」
「君の大事なロビュスタ様が悲しむよ?」
「……分かった」
いい名前なのに、とウィリアムはため息を吐いた。ロゼットはようやく納得した、と安堵に胸をなで下ろす。
「……王女はやはり、ロビュスタ様のことが許せないか?」
「……」
ロゼットは無言で進路を改めた。
「王――ロッツ! 待った、悪かった。頼むから、止まってくれ!」
「もう一度したら、僕は本当にラヴァグルートに帰るから」
「分かった。肝に銘じておく。ありがとう。――そういえば、なぜロッツはマスカード伯のそばに? マスカード伯の兵とも親しそうだったが」
「今頃その質問? 遅いよ」
「す、すまない」
そういえば、この近衛兵は生真面目だけが取り得のバカだったな、とロゼットはうっすら思い出した。王に命じられて、真冬の海に飛びこんでいたことがあった。
「マスカード伯がね、僕の『いばらの冠』を取ってくれるんだって。だから、恩返しに彼の仲間になったんだ」
「『いばらの冠』……を? なぜマスカード伯が?」
「知らない。でも、マスカード伯はエヴァンジェリンの紋章の入った指輪を持ってた。嘘じゃないと思う」
にわかには信じられないらしく、ウィリアムは呆然としていた。しばらくしてから、ロゼットの顔に両手を伸ばす。
「外すことが、できるのか」
「うん……ようやく、自由になれるんだ」
ロゼットは穏やかに目を閉じた。硬くざらざらとした手が、頬にあたる。指先が額の紋様をなでてきたが、嫌がることはしなかった。だが、さすがに、抱きしめられると抵抗した。
「ちょ――! やめてよ、気持ち悪い!」
「よかった……」
引き離そうともがいたが、ウィリアムは力を弱めなかった。強く抱きしめてくる。喜びに震えていることが分かるほどに。呼吸すら止めて。
「よかった」
詰めていた息がゆっくりと吐き出されて、つむじにかかった。予想しなかった反応に、ロゼットはただ驚くしかなくなった。ウィリアムの神に感謝を捧げる言葉を、戸惑いながら聞く。
「お母様にはまだいってないから……いうといいんじゃないかな。たぶん、喜ぶと思う、けど」
「喜ぶに決まっている。なぜいってくれなかったんだ」
「いう機会がなかったっていうか……」
心の底から喜ぶウィリアムに、ロゼットはらしくもなく口ごもった。なぜこんなに喜ぶのだろう、と考えて、ロビュスタのためだと気づく。ウィリアムは、二言目にはロビュスタが出てくるのだから。
ロゼットは呆れ、同時に、ロビュスタに怒りを覚えた。嫌っているのは元からだが、喜ぶウィリアムを見ると、憎しみとは違ったものが湧いてきた。
「そうか、だからマスカード伯に協力をしていたのか。分かった、私も協力しよう。何か手伝えることがあるなら、いってくれ。一応、剣の腕は立つほうだ」
「……いいよ。君ぐらいの腕じゃ、僕にしてみれば足手まといと一緒だ」
「王――じゃなかった、ロッツ」
「君じゃお母様の面倒を見てるのが精一杯だ。自分のことは自分でする。心配要らない」
ウィリアムの身体を押しのけると、ロゼットはいつもの通り不敵に笑った。一人でまた歩き出す。
この忌まわしい冠が外れることを、一緒に喜んでもらえることが嬉しい。けれども、それがロビュスタのためだと思うと、空しくなった。悔しくて、胸が痛くて、無性に師のことが恋しくなった。ロゼットは一人、槍を抱きしめて前に進んだ。




