6.
白亜の城は、初夏の太陽を照り返してかがやいていた。年月を経ているせいで、外壁に損傷はあるが、みすぼらしさは感じさせなかった。損傷すら威厳を増す道具にすぎない。堂々と、町を睥睨するように建っている。
「これがセレスティアルの城か……。大きいな」
ウィリアムに連れていかれたのは、島の中央部、セレスティアルの国だった。ロゼットの母親のロビュスタは、無事に逃げおおせ、セレスティアルの女王に匿われていた。万が一のことを考えて、ラヴァグルート王が護衛をつけて城から逃げさせていたらしい。
ロゼットは門柱を見上げ、目をほそめた。門柱のてっぺん近くに石版がはまっている。何か刻まれていたようだが、表面が削られて、何があったかは分からなくなっていた。
「あそこ、何があったんだろ?」
「エヴァンジェリンの紋章だ。この城は、元はエヴァンジェリンの城だった。エヴァンジェリンが滅びたときとほとんど変わらない姿で、この城も町も残っている」
へえ、とロゼットは城と町を見回したが、ウィリアムは先を急いでいるようだった。行こう、と城へと促す。
「ロビュスタ様がお待ちかねだ。一度、追いはぎに襲われたせいで、ロビュスタ様は傷を負われた。傷は癒えたが、見知らぬ城に一人では、心細い思いをしていらっしゃることだろう」
「心配しすぎだよ。セレスティアルのお城にいるなら大丈夫だって」
城門をくぐりながら、ロゼットはなおも門柱に注意を払った。門柱は一つの石からできているのか、継ぎ目が見当たらなかった。一体どこにこんな大きい石があったのか、首を傾げてしまう。
さらに奇妙なことには、門柱には変わった文字が刻まれていた。ウィリアムいわく、エヴァンジェリンが使っていた文字らしいが、意味までは分からなかった。
「こっちだ」
広大な庭の端に、王族の住まう居館がある。ウィリアムの後について中へ入ると、白い空間が広がっていた。城内も外壁同様、白を基調として整えられている。床も、壁も、天井も、家具も、どこもかしこも白い。ところどころに、門と同じように文字が刻まれていた。エヴァンジェリンの城だっただけあって、ふしぎな印象を受ける城だった。
「ロビュスタ様、ロゼット王女をお連れいたしました」
南館の二階、日当たりのよさそうな部屋の前で立ち止まり、ウィリアムはドアをノックした。わずかに声が弾んでいる。
だが、ロゼットの心にはなんの感慨も湧かなかった。白木のドアがノックされ、にぶく光る金色のノブが回されても、ただそれだけのことだ。少しも嬉しさはなかった。
ビロード張りの椅子に腰かけた母親を見ても、親しみは湧かない。むしろ、今更なんだという怒りが起こっただけだった。
「ああ……ロゼット。ロゼットなのね」
薄紫色のドレスの裾をさばき、ロビュスタはロゼットに歩み寄ってきた。小造りの顔に浮かぶ微笑は万人を魅了するであろうものだったが、ロゼットは胸が悪くなった。
「……ごめんなさい。さぞかし、私のことを恨んでいるでしょうね」
一歩も動こうとしない娘に、ロビュスタは顔を曇らせた。うつむき、両手を握り合わせる。
「いくら謝っても謝り足りないことは分かってる。どんな償いでもするわ。お願い、もう一度……もう一度、あなたの母親をする権利を与えて」
ロゼットは戸惑うように、悩むように、うつむいた。
だが、頭の中にはもう回答が出ていた。もう一度、などという母親を内心哂う。もう一度も何も、この母親は生まれたときから一度も母親であったことなどない。
ロビュスタには最初、結婚するはずだった恋人がいた。ところがその美貌がラヴァグルート王の目に留まり、無理矢理別れさせられたのだ。王はロビュスタを召し上げ、溺愛したが、ロビュスタは少しも愛さなかった。別れさせるだけでは飽き足らず、王はロビュスタの恋人を殺したからだ。
ロゼットは王へのあてつけのためだけに生まれた。ロビュスタは不義を働き、王の子供ではない子供を生むことで、王へ仕返ししようとしたのだ。それなのに、どうして母親だと思えるだろう。
「王女、貴女がロビュスタ様を恨むのは仕方がない。だが、ロビュスタ様は貴女のことを忘れたことはない。一度だって」
ウィリアムが付け加えるが、自分の生んだ子供のことまで忘れたら、それは人としてまずいんじゃない、とロゼットは一人呆れた。
「ロゼット……」
黙ったままのロゼットに、ロビュスタは落胆に息を吐いた。ウィリアムも、手を中途半端に浮かせた状態で静止する。
それを見計らって、ロゼットは顔を上げた。
「お母様も苦しんでいらっしゃったことは、私も知っています。もう、いいんです。ラヴァグルート王は死にました。お兄さまたちも、お姉さまたちも、兄弟姉妹も全員いなくなりました。私を笑う人は、だれもいません」
ロゼットは槍を壁に立てかけ、ゆっくりとロビュスタに歩み寄った。一歩の距離を残して、立ち止まる。ロビュスタの目に涙が浮かんだ。細い腕が、ロゼットの身体をかき抱く。
「今まで本当にごめんなさい……今度こそ、親子らしく暮らしましょう、ロゼット」
抱きしめる腕に力がこもる。細い金の髪がさらりと、ロゼットの顔にかかった。髪は、頬の古傷をなでながら、サラサラと流れ落ちていく。
母親の身体を、ロゼットはわざとためらいを見せながら抱きしめ返した。母親の身体は温かくやわらかで、香水のいい匂いがした。まぶたを閉じたが、べつに安らぎを覚えたわけではない。視界から憎い相手の姿を抹消したかったからだ。
「ロゼット……私の愛しい子………」
遅すぎるセリフだと、頭の片隅で声がした。
一度ついた憎悪の炎は燃えあがり、全てを焼き尽くすまで燃えつづけるしかないのだから。