7.
「クレイオさんでダメだったとなると、次はどうしようね」
「後一押しっていってたよな?」
「伯爵のことを思い出してもらうしかないんじゃねえの?」
ヤナルたちの視線が、エセルに集まった。
「伯爵のことで、ロッツが一番覚えてることって、なんだろ?」
「……罵倒?」
「じゃじゃ馬、トラブルメーカー、非常識、凶暴、阿呆。色々あるけど、使用頻度が高いのはじゃじゃ馬だよな」
キートは扉に向かってエセルを押した。
「伯爵、いっちょロッツをなじってこいよ。
いつものように『この小娘! ぶん殴るぞ!』っていう気迫で、真心こめてさ」
「……失敗したら、さらに印象悪くなるだけじゃないか?」
エドロットが気楽に口を挟む。
「嫌われているのは今更っていってたじゃん。
大丈夫、俺らがちゃんとアフターフォローするから」
「ちょっと待て。それは私の株が下がって、おまえたちの株が上がる悪循環が完成するだけだろうが!」
エセルは抵抗したが、結局、数の力に負けた。
部屋へ入れられる。
「――昨日は悪かったな。着替えの最中に入って」
相手が食事用ナイフを握ったのを見て、エセルは即座に両手を上げた。
無条件降伏は功を奏し、ロゼットの警戒が緩む。
「じゃ――」
さっそく「じゃじゃ馬」と呼びかけようとして、詰まった。
なにせ今日のロゼットといえば。
服装は、白と紺の清楚なワンピース。
短いながら、横髪は編んでピンで止められている。
座る姿もお行儀良く、まともなレディだった。
「元気そうでなによりだ。では」
とてもじゃじゃ馬とは罵れず、エセルは日和った。
そのまま廊下に引き返す。
「伯爵の意気地なし!」
「罵倒に加えて平手打ちもして、思い出してもらう努力をするのが、本当の優しさってもんだろ!」
キートとエドロットは、主人の意気地のなさを責めた。
「そんな酷いことできるわけないだろう。鬼か!?」
「ご自身が今までなさってきたことですけど!?」
声高に叫ぶ二人。
エセルが本当にそれを実行したら実行したで、非難するのだが。
「魔法を見せるのはどうですか?
俺は、伯爵といえば魔法だと思うんですけど」
「すでに魔法使いとは名乗ったが、警戒されただけだ」
ヤナルの提案に、エセルは首を横に振った。
みな、唸る。
「この中で一番、伯爵が個性強いのになあ……」
「肩書といい、容姿といい、平均から並外れてんのにな」
「ロッツはそこでは記憶してないんだね」
では何で覚えているのか。
考えてみても、すぐに答えは出てこない。
エセルは嘆息して、思考を切り替えた。
「私は会議があるから。
食事が終わったら、ロゼットは部屋に帰しておいてくれ」
「へーい」
軽い返事を背に、広間へ向かう。
地主たちが集まって作物の状況を報告し合う、定例の会議。
今年の天候は安定しており、さして問題はない。
会議はのんびりしたものになり、途中からは世間話に流れていった。
その段になると、エセルはエセルで別のことを考え始めた。
内容はもちろん、自分の何が一番ロゼットの中で印象に残っているということだ。
「……わからん」
会議が終わった広間で、一人立ち尽くす。
空の銀盆を持った執事が通りかかった。
「旦那様、お手紙をお部屋にお運びしておきましたので」
「ああ。分かった」
「港湾組合からのものは、すぐに返信なさった方がよろしいかと」
手紙を改めに、自室へ足を向ける。
ドアの前にエドロットがいるのを見るに、ロゼットは部屋に帰っているらしい。
ドアノブに手をかけて、思い止まった。
「入るぞ」
なぜ自分は自室に入るのに許可を取っているか。
おかしさを感じつつも、エセルは同居人に配慮してノックした。
今度こそ開けようとしたが、その必要はなかった。
「――はい」
一拍おいて、内側からドアが開いた。
エセルは驚いた。
返事をしたのも、ドアを開けたのも、ロゼットだったからだ。
「さっき、執事さんが。手紙」
ロゼットは文机の上を指す。
「手紙」
絶句しているエセルに、ロゼットが繰り返す。
エドロットも瞠目していた。
「――あ、ああ。分かった。ありがとう」
現実を受け止められないまま、エセルは部屋に入った。
ロゼットといえば、特に警戒するでもない。
無防備に背を見せてベッドに進み、そこへ腰かけた。
ヤナルの所から借りてきたのだろう、人体解剖図の本を興味深そうに読みはじめる。
エセルがいても隠れもしないし、怯えもしない。落ち着いている。
「……何かあったのか?」
エセルは小声で、窓際に立っているキートに尋ねた。
「いや。特に何もなかったけど?」
突然の変化に、キートも目を丸くしていた。
迷いつつ、エセルは文机の前へ座る。
手紙と返信用具を持って出るつもりだった。
しかしどうやら、この部屋で仕事をしても問題はなさそうだ。
しばらくして背後をうかがえば、ロゼットはだいぶくつろいでいる。
ベッドに寝そべって、ページを繰っていた。
ついにはウトウトとまぶたまで閉じた――エセルが三歩以内に近づけば、すぐさま起きたが。
「……夕食だが。食べるか?」
料理が満載のトレイを見せると、ロゼットは表情を明るくした。
素直に窓際のテーブルに着く。
これまた予想外の変化だった。
「私のことが、分かるようになったのか?」
「……少し」
記憶はかなりあいまいなようで、ロゼットは頭を傾げている。
「ヤナルの部屋での努力は、ムダじゃなかったのかもな」
「それなら助かるが」
エセルはキートを部屋から下がらせた。
自身が見張役になることにして、テーブルに着く。
「今までは、どうして食べなかったんだ?」
緑色の目が、斜め上をみやる。思い出をたどるように。
「……嫌な感じがしたから」
「嫌な?」
黙って続きを待つ。
長い逡巡の末に、ロゼットがぽつぽつ理由を語りだした。
「お城の中……だと思う。
いっぱいごちそうが並んでいるの。
私は全部、一口だけ料理を食べるの。
食べたくないけど、食べないといけなくて。
それが、すごく嫌な思い出で。頭に残ってる」
説明する少女の顔は、無表情だ。
新緑色の目が暗く沈んでいる。
(一口ずつ。強制で?)
理由を想像しているうちに、エセルの中で点が線になった。
吐き気がした。
(毒見役か)
最初に運んだ食事は、少量ずつが一通り盛られていた。
毒見にふさわしいような量。
それで嫌な記憶が反射で蘇り、その後のすべても拒んだのだろう。
「これは何? 変な匂いがするけど」
「チーズの一種だ。おまえの島にはなかった」
ふうん、とロゼットは食事を再開する。
自分が話したことの意味を、自身では理解できていないようだ。
――分からなくていい、と思った。
記憶が戻れば、いずれ分かってしまうことだけれど。
今だけでも、辛かったことを忘れていて欲しい。
(こうしてみると……普通だな)
食事を楽しんでいるロゼットの姿は、同年代の少女たちと変わらない。
記憶が欠けている分、少し幼い気もした。
素直で、まっさらな――やわらかな心が透けて見える。
皮肉も毒舌も、乱暴さも凶暴さも、生まれつきのものではないのだと思い知らされる。
エセルが嫌う、自分を傷つけたり、消そうとする癖もそうだ。
別に彼女自身が望んで身につけたものではない。
歪んだ環境が彼女をそう形作っただけだ。
(……これを責めるのは筋違いなのかもしれない)
これまでロゼットに腹を立てていた諸々のことが、急に馬鹿らしくなった。
(糸)
ふと、ロゼットの髪に糸くずがついていることに気づく。
無意識に手が伸びた。
「――なに」
途端、ロゼットは食事の手を止め、距離を取る。
エセルはあわてて弁明した。
「違う。髪に糸が」
エセルはついている位置を、自分の頭で指し示した。
その通り、糸くずついていたので、ロゼットの警戒が緩まる。
「ありがとう」
「いや。口で伝えればよかったな」
そう、言えばよかったのだ。
(なのに、なぜ)
どうして自分が取ろうとしたのだろう。
無意識の行動を反芻して、体が少し熱を帯びる。
(……どうかしている)
ロゼットの食事が済むと、エセルはすぐに席を立った。
「では。おやすみ」
トレイを手に、別れの挨拶を口にする。
まだ完全に信用はされていないようなので、もう少し様子を見た方がいいだろう。
三晩目も客室で明かすべく、エセルは早足に部屋を出た。




