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いばらの冠  作者: サモト
いばらの冠
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5.

 大広間は明るかった。何基も燭台が用意されているせいもあったが、大陸から持ちこまれたシャンデリアが、煌々と広間を照らしているせいだった。あまりの明るさに、ロゼットは眼を見張った。


「真鍮だけじゃなくてガラスも使ってるから、明るいだろ」

「目が痛い」


 ガラスは蝋燭の光を乱反射して、床に光を撒き散らしていた。ラヴァグルートの貴族たちはそろってシャンデリアを見上げ、ほう、とため息をついている。ロゼットが片目を眇めると、キートが笑った。


「伯爵は?」

「あそこみたい」


 ヤナルが指差した先に、貴族たちに何重にも取り巻かれているエセルがいた。ロゼットは不審そうにする。愛想よく、笑顔で人びとに応じるマスカード伯の姿は見慣れないもので、とても珍しかったからだ。


「猫、何枚ぐらいかぶってるのかな、あれ」

「ロッツ、あれが伯爵の普通だよ。――入りこめるかな」


 ヤナルは分厚い人垣に途方に暮れた。宴の開始時間になると、乾杯のために人垣が一旦くずれたが、乾杯が終わると元通りになった。


「護衛のしようがないな」


 ヤナルとキートはなんとか人の輪へ入りこんだが、ロゼットは護衛をすることをあきらめた。あれだけの人に囲まれていれば、もし敵がいてもうかつには近づけまい。


 仕事を怠けているわけではない理由を得ると、ロゼットは料理に舌鼓を打ちはじめた。美味だった。王族だったが、ロゼットは宴に出た経験が数えるほどしかない。内心がっつきたい衝動に駆られつつも、あくまで優雅に上品に、料理を口に運んだ。


「おや……ロゼット王女?」


 貴族の一人が、ロゼットの姿につぶやいた。だが、ロゼットは他人のフリをした。調理済みの内臓が詰まったパイを頬張りつづける。聞こえなかったのだと思ったらしい、貴族は真正面に立った。


「君、名前は?」

「ロッツといいます。伯爵の護衛を務めております。以後お見知りおきを」


 流れるような動作で礼をすると、貴族はあごをしゃくって感心した。


「ほう、さすがは帝国の兵だ。まだ若いのに、洗練されているじゃないか」


 ロゼットはほくそ笑む。師のおかげで、猫をかぶるのは完璧だった。もともと師は、大陸の人間だったのだ。祖国の作法を知らないわけではないが、帝国の作法の方がなじんでいる。帝国の人間を装うのは難しいことではなかった。


「お褒めに預かり光栄です。綺麗な指輪をしていらっしゃいますね。帝国でもそんな豪華な指輪をはめていらっしゃる方は、なかなかおりません」

「そうかね?」

「さぞかし身分の高い方でいらっしゃるのでしょう? こんな場でも堂々と構えていらっしゃって。僕はこういう場に慣れていないので、緊張しっぱなしです」


 ロゼットははにかんで、歩くより転がった方がよさそうな体を一瞥した。でっぷりと太って、だれより存在感がある体型だ。服も装飾品も豪華すぎて、悪趣味の域に突入しており、無視するほうが難しい。


 しかし、ロゼットの社交辞令は貴族の自尊心をすこぶる満足させたようだった。満足げな笑みを返される。


「君は若いながら、人を見る目があるじゃないか。ロッツといったね。覚えておこう」

「光栄です。僕がいうのもなんなのですが、僕たちのためにこんな宴を開いてくださって、ありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いします」


 上機嫌の貴族を見送って、ロゼットはくすくすと笑った。まったく気づかなかったようだ。いたずらが成功したようで楽しい。思わず、作法も忘れて大きなソーセージにかぶりつく。


 その後も、ロゼットは数人に名前を聞かれた。だが、ロッツと名乗るとあっさり納得された。いつもと違い、髪も服もきちんと整えているせいもあるのだろうが、王宮にいることが少なかったので、皆しっかりと顔を記憶していないようだ。


 ロゼットは笑いに自嘲を混じらせた。所詮、ロゼット・ラヴァグルートの存在は、その程度のものだったのだと。


「ふん、ずいぶんと上品にふるまっているじゃないか。つけ焼刃にしては」


 刺々しい口調に顔を上げると、エセルがいた。わざわざ人の輪を抜けてきたらしかった。


「なかなか洗練されているな。褒めてやる」


 エセルはぶどう酒の注がれた杯を差し出してきた。だが、単純な褒賞でないことは、エセルの意地の悪い表情で分かった。飲めるかどうか試している。


「ありがとう」


 アルコールの弱い麦酒は飲めども、ぶどうが育たない土地柄ゆえに、ロゼットは数えるほどしかぶどう酒を飲んだことがない。グラスに口をつけると、慣れない風味と強いアルコールが舌の上に広がった。

 しかし、顔色一つ変えずに飲み干し、ロゼットは杯を突き返した。エセルはつまらなさそうな顔をした。


「貴族さんたちの相手はもういいの?」

「駄犬の相手は飽きた」

「地が出てるよ。おっさんたちの相手に飽きたなら、お嬢さん方のお相手をしてこれば? みなさんお待ちかねみたいだし」


 生活習慣に差はあるが、美醜の基準は同じようだ。ラヴァグルートの女性たちは、新たな城主に熱っぽい視線を送っていた。もし、視線に熱量が持たせられるのなら、今頃、見目麗しい伯爵様は焼き殺されていたことだろう。


「……あいにくと、相手は足りてる」


 エセルは壁にもたれ、銀の杯に口をつけた。ロゼットはおや、と口からフォークを離す。普段は愛想のいい伯爵様とは思えない、ぶっきらぼうな発言だった。


「相手って、君、部屋に女を連れこんだことないよね?」

「最近はな」

「でも、砦に来る女の人にも興味なさそうだったよね」

「そうか?」


 エセルは不自然なくらい、こちらと目を合わそうとしない。ロゼットは確信を得て、口の端を持ち上げた。


「――ひょっとして伯爵、女の人は苦手?」

「だれがそんなことを、いついった」

「苦手なんだ?」


 ロゼットはにやにやと意地悪く笑いながら、エセルに迫った。嫌がらせに身体を押しつける。何のマネだと冷たく返された。男装が似合っている上に、凹凸のなさすぎる身体をしていては、効果が無いようだった。


 だが、ロゼットは諦めなかった。それならそれで、他の方法がある。


「ご主人さま、今夜は僕をかわいがってくれるよね?」

「死ぬほどか?」


 さらにくっついてくるロゼットに、エセルが青筋を立てた。

 途端、黄色い悲鳴が上がった。エセルがぎょっとして横をむくと、ラヴァグルートのお嬢さまたちが大騒ぎしていた。やだ、そういうことなの、と落胆し、残念がっている。

 しかしながら、みなどこか楽しそうだった。はしゃぎながら、広間へ散っていく。


「貴様……」

「ここにいる女性全員と踊ってきなよ。そしたら、女嫌いの疑惑を払拭してあげる」

「いい気になるな。貴様なんぞ、殺そうと思えばいつでも殺せる。反撃したとしても、困るのは貴様だ。呪いが解けなくなるんだからな」


 エセルは上着の襟元を掴み、ロゼットを壁に押し付けた。


「いいかげん立場をわきまえろ、野蛮人。それとも、上下の区別もつかないほど愚鈍か? だれからも相手にされていなかった王の子供のくせに、プライドだけは一人前だな」

「君も口だけは威勢がいいね」


 エセルの手にさらに力がこもった。しかし、おもむろに緩められた。同時に、エセルが嘲るように笑う。


「なるほど、分かった。おまえのその批判的で生意気な態度は、劣等感の裏返しか」

「なんだって?」

「図星か」

「だれが!」


 否定すると、エセルはさらに嘲笑した。


「むきになるということは、そうなんだろう? 思えば、哀れだな。おまえは孤独だ。だれにも気づかれず、だれにも愛されず、だれにも心を許せない。戦うことしか知らないで、人にすがる術も持たない」

「僕が信じているのは、僕と槍だけだ。だれかに助けてもらうなんて、冗談じゃない」

「そうか? お師匠様には従順で、まるで犬のようだったくせに」


 ロゼットの頬に朱が差した。直接目にしたような物言いに動揺し、次に不審を覚えた。


「まさか……私の記憶を“見た”の?」


 いつも挑発的で攻撃的な緑色の瞳が、弱々しくゆれる。心の殻を無理矢理はぎ取られて、少年として暮らすロッツではなく、無力な王女のロゼットが不安げに顔を出す。


 銀の髪の魔法使いは、応えない。冷然とロゼットを見下ろしていた。沈黙が肯定を示していた。


 パン、と小気味のいい音が響いた。

 広間の人々が驚いて、二人に注意をむけた。


「――殺してやる!」

「やれるものなら、やってみろ」


 胸倉を掴もうとしたロゼットの腹に、エセルの蹴りがまともに入った。


「あの時、『いばらの冠』のおかげで殺されなかったことをありがたく思うんだな」


 エセルは床にうずくまるロゼットに背を向け、人の輪の中にもどっていった。その後を、やりとりに注目していた人々がついていく。広間の隅には、ロゼットだけが残された。


「くっそ……殴っとけばよかった」


 奥歯を噛み締めて立ち上がろうとすると、目の前に、手が差し出された。


 普段剣を扱っているのだろう、手の皮が厚い。顔を上げると、三十半ばの男が立っていた。鉄棒でも仕込んであるかのように、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、身をかがめている。


「大丈夫か、ロゼット王女」

「よく間違われるけど、人違いだ」


 男はロゼットの額に手を伸ばした。指が前髪をかき分ける。温かい指先が、そっといばらの紋様に触れた。


「……君、だれ?」

「ウィリアム。ウィリアム・モリス。ラヴァグルート王の近衛兵を務めていた」


 ロゼットは怪訝そうにしてみせた。なんの用だと言葉でなく問いかけると、男がいった。


「ロビュスタ様の使いで来た」

「お母様の?」

「貴女のことが心配だから、連れてきて欲しいと」


 ウィリアムは辛抱強く手を差しのべている。周りを心配するように、視線を動かした。


 ロゼットの心が震えた。歓喜に。


「一緒に来てくれないか?」

「……もちろん」


 ロゼットは男の手をつかみ、立ち上がった。

 新緑色の目が鮮やかさを取りもどし、静かに燃えていた。

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