5.
この日は、気分が最悪だった。
ふとした瞬間に、槍を取り上げたときのロゼットの顔がよぎる。
訪問先の主人と話していても、散歩していても、夜のパーティーの時でも、頭のすみにあって消えない。苛々した。
(私は悪くない。正しいことをした。これでいい)
思い出すたび、三回そう唱える。
挙句「無責任に甘やかす頓馬な部下たちが悪い」と逆ギレまでして、何度も平静を取り戻した。
「伯爵、もう帰らねえ?」
テラスで夜風に当たっていると、エドロットが近寄って来た。
エセルは懐中時計を開いた。パーティーが始まって、一時間弱。背後の広間は、宴たけなわで盛り上がっている。
「まだ早い」
「帰ったほうがいいと思うけど。ずっとご機嫌ナナメじゃん」
エドロットは肩をすくめた。
「今にまた何かしないかって、俺は冷や冷やしてるんだけど」
「別に。いつも通りだ」
言い張ると、エドロットはいつも通りでないという例を挙げはじめた。
「道すがら、密猟者を伯爵様自ら捕縛なさるのはいつも通りなワケ?」
「結構なことだろう。領主の模範だ」
「普段なら、あんな小物、俺らに任せるくせに。
八つ当たりできる相手が欲しかったんじゃないの?」
「なぜそう思う」
「言葉責めがいつもより過激だった。
『貴様の脳みそは五歳児か? さっきからその場しのぎの嘘をつらつらつらつら。いい加減そのお粗末な口を閉じろ。聞くに堪えん。耳が腐る』――以下省略。
密猟者のヒト、泣いちゃってたじゃん」
「事実を言っただけだ」
エセルは澄ました顔で、グラスを傾けた。
「二つ目。この屋敷に着いてから、主人の孫息子をガン無視」
「無視も何も。私はそもそも話しかけられていない」
「いや、話しかけられてただろ。思いっきり」
エドロットは力強く否定した。
「新しく買った馬車の話とか、競馬で儲けた話とか、別荘買う話とか……主に自慢話を、というか、自慢話ばかりを延々と!」
「ああ、何か一方的に話していたな」
エセルは思い出すように、軽く上を見やる。
「こちらが口を挟む暇もなく話し続けるから。
私の後ろの壁に向かって話しているのだと思っていた」
「んなわけあるか! それじゃ、ただの変人だろ!」
「私は変人だと思っていた」
ミもフタもなく言い切る。
「返事をしなかったのが問題か?
今から『偏執的なまでに経済回転に貢献して素晴らしいですね』と褒めてくる」
「遠回しに浪費家ってけなしてるだろ、それ」
「理解できたら、心から称賛するつもりだ」
「結局バカにするのかよ!」
広間へ戻ろうとするエセルを、エドロットは全力で止めた。
「三つ目。さっき新婚夫婦に挨拶した後、ぼそっと一言。『もって三ヶ月』」
「新郎の飽きっぽさは有名だからな」
「思っても、言わない分別はあるでしょーが。いつもは」
エドロットははあ、とため息を吐いた。
「今のところキレッキレなのは言葉だけだけどさ。
そのうち手が出て、誰かにヘドでも吐かせないか心配だよ、俺は」
「どこかの誰かと一緒にするな」
広間に、新しい料理が運ばれたらしい。香ばしい匂いがただよってきた。
(……アレは、いいかげん何か食べたのか?)
ふと、ロゼットのことが頭に浮かんだ。
今日も食べていなかったなら、明日こそは食べさせた方がいいだろう。
――無理矢理にでも。
そしてその役はたぶん、自分になるのだろう。
「……」
エセルはなんだかもう、現状に嫌気がさしてきた。
別にそれは、記憶修正が思うように進まないのが重荷なだけだ。
アレに無視されたり避けられたりするのが嫌だとか、そういうことではない。断じてない。
「庭、きれいだなー」
唐突に、エドロットが呟いた。
テラスの前方には花壇がある。
秋で花は少ないが、葉色の美しい植物がバランスよく植えられていた。
中でも目を引くのは、夫人が昼に自慢していたダリアだ。色とりどりの大輪がみごとに花開いている。
「なあ伯爵。花、分けてもらって帰らね? で、ロゼットちゃんに渡すの」
「おまえは本当に見境がないな」
「違うって。俺じゃなくて、伯爵が渡すんだよ」
「なぜ私が?」
「仲良くしたいんだろ?」
エセルの眉間にシワが刻まれた。
「元々嫌われている。今さらだ」
「ショックなくせに。普段みたいに嫌われるのは関心のある証拠だけど、無視されるのは関心ゼロ、だもんな」
エセルは無言で、空のグラスを部下に押し付けた。
やれやれと嘆息して、エドロットは広間へ消える。
それを待っていたように、背後から声を掛けられた。
「その花、お好きでいらっしゃるの?」
大窓から、女性が半身をテラスへ出していた。
「植物全般に興味があるだけですよ」
「園芸がご趣味?」
「ええ」
実際は、趣味というより魔法の修練の一環だ。
大地に流れる気の流れを引きこみ、整え、巡らせる。
土地全体のコントロールを庭園で試しているのだ。
「そういえば、マスカード伯のお屋敷には、見事な薔薇園があるのだとか」
「薔薇の園にたたずむ伯爵様……まるで夢のよう」
「お姿だけでなくご趣味も優雅で。まさに紳士の模範ですわね」
一人、二人、と女性が増える。
気づけば大窓に連なり、きゃあきゃあと盛り上がり始める。
黙って立っていれば、エセルは憂愁の貴公子だった。
「強さもまた、紳士の条件ですよ」
盛り上がる声に、一人の青年が割って入った。
「領地と領民、そしてか弱い女性を守るのが男の本分ですから」
その言を証明するように、たくましい体つきの青年だった。
肩幅はエセルの一・五倍ありそうだ。
厚い胸板を見せつけるように、軽く背をそらす。
「暑いな。飲みすぎたかな」
わざとらしくいって、青年は上着を脱いだ。
まくった袖からは、太い腕がのぞく。
エセルは早くもうんざりした。
おそらくこの青年には、この場に集まっている令嬢の中に、お目当てがいるのだろう。
一切興味のない話だ。ぷいと顔を背ける。
ところが青年は、それを侮辱と受け取ったらしい。
テラスへ出てきて、じろじろ眺めまわしてきた。
「噂通りの美男子ですね。まるで女性のよう」
不躾に、青年に腕を掴まれる。
「こんな細腕では、庭いじりが精いっぱいでしょうね」
エセルは眉をしかめた。
息が酒臭い。
「確かに花と戯れているのがお似合いで――」
「貴殿は泥にまみれているのがお似合いでしょうね」
眉一つ動かさずにいって、エセルは拳を青年のみぞおちへめりこませた。
相手は身体をくの字に折り、地面に崩れ落ちる。
ゲホッ、と芝生の上にヘドがまき散らされた。
「あーっ! 伯爵」
騒ぎに気づいて、エドロットが駆け寄ってきた。天を仰ぐ。
「ほら。だからいわんこっちゃない」
「酒が過ぎていたようだから、抜く手伝いをしてやっただけだ。帰るぞ」
「え、ちょ、まだ――」
部下の都合など、知ったことではない。
エセルは主人への挨拶もそこそこに、さっさと会場を出た。
馬車に乗ったところで、エドロットが追いついてくる。
その手には、数本のダリアが握られていた。
「やっぱロゼットちゃんにいるかなと思って」
エセルの怒りが、ついに突き抜けた。
「おい」
地の底から響く声で言い、エドロットの胸倉を掴む。
「アレに妙な真似をしたら湖に沈める」
凍てつく碧眼に見据えられ、エドロットはぽかんとした。
数秒後、肩を震わせはじめる。
「……妙なマネ、ね。たしかに妙だよな」
口元を押さえ、笑いを堪えながら言う。
「伯爵からだってことにして、渡そうと思ってたんだけど」
エセルは狐につままれた顔になった。
胸倉をつかむ手から力が抜ける。
「やっぱやめとくわ。伯爵が渡すのがスジだもんな」
エドロットは主人に花束を押しつけ、さっさと扉を閉めた。
遠慮のない大笑いが起きる。
「俺にまで八つ当たりって、どんだけ余裕ないんだよ!
俺がロゼットちゃんロゼットちゃんって構ってんの、そーなに気に食わなかったんだ!?」
女好きの部下は、馬車をバンバン叩きながら笑い転げた。
「気づいてからかってたんだけど――ひッ、ひひッ、そこまで!?」
エセルはまた怒りが沸点に達した。
勢いよく扉を開ける。
ついにエドロットは、腹を抱えてうずくまっていた。
「どれだけ笑ってるんだ、おまえは!」
エセルは怒鳴ったが、自由な部下は平然と釈明をはじめた。
「ロッツはさ、俺が『ロゼットちゃん』って呼ぶと、呆れた顔するんだよ。
俺が女を口説いてるときと同じ『またか』って顔」
「……」
「だからしつこく本名で呼んでみてたってワケ。
印象に残ってるのがそれって、ひどいよな」
エドロットは立ち上がり、服に付いた土ぼこりを払った。
「ともかく、キートに続き、俺のことも多少は思い出してくれてるみたいだぜ。
――伯爵はまだだけど」
にやにや笑う。
マジメな話をしたと思った次の瞬間、これだ。
「おまえな――」
「じゃ、出発しまーす」
エセルがもう一回締め上げてやろうとした時には、扉は閉められていた。
彼の部下たちは逃げ足が速いのだ。
御者台から忍び笑いが漏れるたび、エセルは馬車の壁を蹴りつけた。
帰宅すると、よい子なロゼットはもう夢の中だった。
キートから「一日、ただの美少女だった」と報告を受ける。
エセルは二日目も、客室で夜を明かした。




