15.
朝陽に照らされた城壁には、ところどころにキズや修繕の痕があった。
過去の戦禍による痕だ。城壁にのこる雨だれは、戦死者の涙にも見える。
西門のそばに、花が何本かおちていた。
花はすでに枯れ、色あせ、しおれていたが、気まぐれに摘んで捨てた花にはみえない。
ロゼットは不自然な場所に落とされた花を一瞥し、城壁に沿って走りつづけた。
昨日うっかり天に召されかけた身体は、すっかり元どおりだった。
日課をしても差し支えない。キートとエドロットのまえを難なく走れる。
「ってかさー、結局、どう、すんだろうな、明日のっ、裁判」
キートが石を飛びこえながら、口火を切る。
走っているため、言葉には妙な抑揚がついた。
「魔法使いは見つけたけど、さ。ラベットにかかってる魔法は、解けてねえし」
「伯爵、解いてないの?」
ロゼットは肩越しにふりかえった。
キートが身体のまえで、ないない、と手をふっている。
「どうするのかってきいたら、さあ、って」
「たのもしいお返事だことで」
エセルのやる気のない回答に、エドロットが天をあおいだ。
「まあ、でも、むりに解くと、廃人になるらしいから。やりたくないのは当たり前だよな」
「ヨランド先生に頼んで、ラベットはまだ証言能力不十分ってことにして、すこしのあいだ、判決を引きのばすか」
「でも、引き延ばしても、なあ」
キートはむずかしい顔をした。
ラベットにかかっている魔法を解こうと思ったら、カークかマリアのどちらかを説得しなければならない。
「俺、自信ねえわ」
「説得より買収を検討するな」
キートもエドロットも、説得に関してサジを投げていた。
「おまけに、ラベットの魔法が解けたとしても」
エドロットが急にペースを落とした。
城の正門に、見覚えのある馬車が止まっていた。判事の馬車だ。
そして、降りてくる判事を、メリナがわざわざ出迎えている。
「あのバスケット判事じゃな。正しい判決が期待できない」
メリナは差し入れですわと、判事にパンや果物を盛ったバスケットを手渡していた。
受け取る判事の顔はしまりがなく、メリナの表情は期待に満ちている。
ロゼットたちは、木陰からバスケットの中身をおおいに邪推した。
「なんかいい方法ねえかなー」
「いい方法っていうかさ。大陸には、その人のやったこと全部わかる鏡だとか、投げれば正しいか正しくないかわかる石とか、ないの?」
「ねえよ」
辺境の島は、時として、大陸の文明をかるがると凌駕していた。
「エヴァンジェリンの神殿にはあったのに。神殿の人にいって、貸してもらう?」
「判事官と弁護士にぶっ壊されるっつーの」
全判事官と弁護士を失業に追いやるおそろしい道具だ。
仮に大陸で発明されたとしても、世にでる前に、不特定多数によって葬り去られることだろう。
「ん? あれ? クレイオさんじゃねえ?」
キートが坂を上ってくる細長い人影を指さした。
おはようございますー、と緊張感のない挨拶を周囲にふりまきつつ、クレイオが正門へとやってくる。
正門をくぐろうとしたとき、意外なことが起こった。
同じく正門をくぐろうとしていた判事が、先をゆずったのだ。それも恐縮しながら。
「クレイオさん、判事と知り合いかなんか?」
「意外とすごい人?」
「さあ……なんか裏工作してたけど」
キートとエドロットに背を押され、ロゼットはしかたなく、クレイオの後を追いかけた。
呼び留めると、クレイオはいつもの三割増しうざったく――ではなく、元気はつらつと挨拶してきた。
「おはようございますロゼットー! きいてくださいよ、すごいんですよ!
昨日、あなたが飲ませてくれたドリンクのおかげで、もろもろの身体の不調が、一発で治ったんです!
筋肉痛は消えたし、肌はぴちぴちになるし、肩は上がるし、最高ですよ、あのドリンク!」
ヨランド家特製ドリンクのブレンドのことだ。
白目をむいて気絶するほどのまずさだったはずだが、良薬口に苦し。抜群に効いたらしい。
「ありがとうございました、ロゼット。あとで伯にもお礼いわないと!」
「悔しがられることまちがいないからやめとけ」
ロゼットは元気すぎるクレイオに、早くもげんなりとしていた。
が、相手はかまわずかまってくる。背をかがめ、いきおいよく顔をのぞきこんできた。
「ところでロゼット、昨日、なんかありました?」
「何かって?」
「いやー、これが。昨日、一時、ヘンな動きしたもので。何かあったかなと」
クレイオはふところから、魔力探知機だというコンパスをとりだした。
「ああ……僕が死にかけたせいかな。魔法が解けかけてさ」
「え! ロゼット、昨日死んでいたんですか!」
「時と場所と内容を考えて発言しろ」
ロゼットは人目を避けるため、クレイオを居館へ蹴りこみ、自室へと急き立てた。
万能ドリンクでも、やはり失言癖は治らなかったらしい。
「でも、まだ生きているということは、伯がまた魔法をかけ直したんですか?」
「そうだけど」
クレイオはあふれる感動の雄たけびをこらえてか、口を引き結んだ。
思いあまって、奇跡の産物と化しているロゼットのからだに頬ずりする。
もちろんすぐさま、掌打、蹴り、投げの連続技を食らうはめになったが。
「本当に魔法大好きだよね。何がそんなにいいの?」
「はは。ロゼットは、生まれたときから魔法に苦しめられてきたから、全然ですよね。
私は小さいころ、乳母が寝るときに楽しいおとぎ話をきかせてくれたもので。魔法に夢と希望を感じてしまうんですよ。
貧乏な主人公が魔神に出会ってお金持ちになったり、魔法使いが冒険の手助けをしてくれたり。ピンチを助けてくれる万能のヒーローがいるなんて、すっごくステキじゃないですか?」
「いても、君のとこには絶対きてくれないよ」
ロゼットはどこまでも辛辣だったが、夢見る三十路男はへこたれない。
「いいんですよ。それでも。夢があるだけ幸せです。どんな危機に陥っても、夢があればあきらめなんてない。
何もかもを失った時、絶望から人を救うものは、夢であり、奇跡であり、希望であり、信仰であり、神である――なんてね。
ロゼットも、そうは思いません?」
「この世に夢も希望も救いありはしないさ。夢を夢見ることから始まるよ。神すら、存在しているがゆえに絶望してる。
希望や奇跡の象徴を神だと定義するなら、僕の神はもう死んでいるし」
ロゼットは壁に立てかけていた、師の形見の槍をふった。
声は深海のように、暗くつめたい。
「伯は、ちがうんですか? エセル=エヴァンジェリン殿はあなたのヒーローにはならない?」
「どうして」
「呪いを解いてくれた上に、おおがかりな魔法を使って助けてくれているなんて。まさにピンチを助けてくれる万能のヒーローじゃないですか」
「あいつねえ……」
ロゼットは頬の古傷をなぞった。
「どんな最強のヒーローだって、動かなかったら意味がない」
「はい?」
「師匠以上のヒーローはいないっていったの」
「はいはい。あいかわらず、おじい様大好きなんですから」
ノックがあった。エセルだ。一汗かいた様子のロゼットをにらむ。
「昨日、朝一番に顔を出せといったはずだが」
「君、朝起きるの遅いんだもん。だたへさえ寝起き悪いのに、むりに起こしたら、不機嫌決定だし。そんなに急ぎの用だった?」
「……調子がいいなら、いい」
エセルはいろいろ言いたそうだったが、飲みこんだ。ため息だけ吐く。
ロゼットは変な顔をした。
「いいってなんだよ。用は? 体調は万全だから、もうなんだってできるよ」
「明日、裁判ですよね。どうにかなりそうです?」
クレイオの気づかいを、エセルはあからさまに迷惑そうにした。
「そうか。おまえのしわざか」
「何がです?」
「さっき判事と会ったが、急に、私にこびへつらうような挨拶をしてきた」
ロゼットもクレイオを追いかけた目的を思い出し、となりをにらんだ。
いたずらがバレた子供のように、クレイオは、いやあ、と頭をかく。
「勝手にやったことですので、お気になさらず」
「あの判事に、君が裏から手をまわしたのか。いったい君は、そうまでして伯爵に何をさせたいんだよ」
クレイオは部屋の外に人のけはいがないことを確認し、咳ばらいを一つした。
「前にもいった通り、私は出資者つきで、魔法について研究しています。
なぜかといえば、魔法は存在し、放っておくことはできないものだからです。悪さをすることもある。それを止める存在を必要としているんです」
「魔法使いを止める魔法使いを?」
クレイオはうなずき、エセルの顔色をうかがった。
「伯は魔法を使うことの責任をよくご自覚しておいでです。ぜひ、ご協力いただきたいのですが」
「代わりの魔法使いを紹介してやる」
エセルはにべもなかった。
「代わり、ですか。それはそれで、ありがたいですね」
「代わりって、伯爵、まさか」
ロゼットの懸念はあたった。
「昨日、おまえを殺しかけた子供だ」
「マリアを売る気?」
「あの子供は、自分の意志で魔法を扱えていない。一人で野放しにしておくのは危険だ」
エセルのいうとおりだった。
マリアが今、ラベットに魔法をかけているのは、悪い魔法使いをこらしめるためだというが、その動機はあやふやなものだ。
カークが魔法を解くな、といえば、たとえ自分の意に反していても、それに従ってしまっている。
「君がなんとかしてやれよ。同じ魔法使いだろ。得体のしれないやつらに引き渡すなんて」
「ロゼット、私たち、べつに魔法使いを悪いようにはしませんよ。とくに、子供とあれば。年長者にあずけて、よい魔法の使い手となるよう育ててもらいます」
「君らのいう、いい、が本当にいいかどうかは、どうやって証明してくれるんだ?」
ロゼットは唾を吐きかけるようにいった。
「そのマリアさんという魔法使いは、伯のいい方からすると、おひとりなんですよね?」
「カークってやつと一緒にいるよ」
「まったく血のつながりのない、他人といるんだ。たぶん両親や家族、同胞というのはいないだろうな」
「では、なおのこと私たちと来ていただいた方が、マリアさんにとってもいいでしょう。同じ魔法使いという仲間ができた方が、心強い」
「マリアは仲間といるより、カークといたいっていうよ」
昨日、マリアは何度もカークをかばっていた。カークと似ているといわれることを喜んでいた。
マリアはカークのことを、本当の家族のように慕っているのだ。
ロゼットはめずらしく感傷的な反論をつらねた。
しかし、エセルの方は冷然としていた。きっぱりいい放つ。
「魔法の初歩は、自分の感情を制御し、統御すること。自分の意思なく魔法を使うのは、愚の骨頂。最後は、使う魔法に自分が使われる」
クレイオが逡巡ののち、遠慮がちに口をひらく。
「それは、あなたの経験上の教訓ですか?」
「魔法の初歩の、補足です。どうして守らなければならないかということの」
「もし、過去を後悔なさっているのでしたら、なおさら私たちに協力していただけませんか。
おそらくは、あなたのお母上、ミセス=アイリス=マスカードも、人助けをなさっていたようですから」
「母は島を救うこと以外に、興味はありませんでした」
「最終的には、島を救うために関係していたために、したことかもしれませんが。
まえにお邪魔した館の画廊には、大変、興味深いものがまじっていました。よくない魔法のかかった品や、やっかいな因縁のあるものが、偶然にしてはおおすぎるほどにあった。
ミセス=マスカードが、積極的に引き取っていらしたからでは?」
エセルは油断ならないものを見る目で、クレイオをにらみつけた。
ロゼットは、メイドが画廊の模様替えをしていた時、エセルが注意していたことを思い出した。
「だから君、勝手に動かすなっていったの?」
「あなたのお母さまは、たびたび、お姿を消されていたことがおありになったのでは?
ここからはなれた地方の話なんですけれどね、ある日、銀髪碧眼の女神のごとくうつくしい女性があらわれて、村をすくったという話があるんですよ。
どうでしょう?」
クレイオは身を乗り出した。
「持たざる者へのほどこしは、富める者のつとめ――貴族と同じです。魔法の脅威から、人々を守る手伝いをしていただけませんか。あなたは近年まれにみる魔法の使い手だ」
「どうも話がずれてきていますね。私があなたにお伝えしたいことはただ一つ。
マリアという子供の魔法使いが、ラベットという男に偽の記憶を与え、人生を狂わせ、私をふくめる大勢をふりまわしているということです。
悪い魔法使いを取り締まる役を自称するのなら、まずは目のまえの仕事を片付けるのが先でしょう」
「もちろん、その仕事も片づけます。ですが」
「買いかぶっていただいて、光栄ですが。あいにくと、今や私は、これを維持するので精一杯ですので」
エセルはロゼットを指さし、一言一言、いいきかせるようにいった。
「今後、魔法で何かをする気もありません。放っておいていただきたい」
ようやくクレイオも説得の言葉をのみこんだ。エセルに背をむけられても、もう、だまってうなだれる。
ところが、今度はロゼットがだまっていなかった。
「逃げるなよ」
細い肩をいからせ、あざやかに燃え立つ緑の目で、エセルをにらみつける。
「こいつらをマリアにけしかけて終わらせようなんて。売られた喧嘩ぐらい買え、この女男」
「どうとでもいえ。決着をつけるのに、おまえの納得がいるわけでもない」
「クレイオたちのことにしたって。聞いていれば、いつまでもうじうじうじうじ、回りくどい言い訳してさ。
魔法を使いたくないのは、本当は、ただ怖いんだろ? 自分の中に、確かな正義がないから。正義だと思ってしていたことが、じつは許しがたいことだったって気づいて、幻滅することに怯えてるんだろ?
逃げる口実に僕を使うな」
エセルの表情はゆらがない。
さすが感情の制御は完璧じゃないか、とロゼットは心の中で毒づいた。
「いつまで過去を悔やんでいるつもりだよ。君がまだグダグダ悩むなら、僕が君を裁いてやる。
君は無罪だ。君が少数を犠牲に、島を救ったことは正しい。バラの枝を大きく育てるために、よぶんな枝を切るように、あれは必要な犠牲だったんだ。
君は、自分の魔法を――奇跡をもっと信じろ。奇跡を起こしたくても、奇跡を起こせない人間が、世の中にどれだけいると思ってる」
それでもエセルが眉一つうごかさないので、ロゼットは無性に腹が立った。
なんとなく、エセルにつっかかるカークの気持ちがわかった。なんとしても、この鉄面皮をひっぺがしてやりたくなる。
「どうしてもこの先、魔法を使わず生きていきたいっていうのなら、僕にかけている魔法も解けよ。それが道理ってもんだ」
エセルが動かないので、ロゼットは槍の穂先を自分で自分にむけた。
「魔法をつかいたくない君にとっちゃ、僕も本当はいらない枝みたいなもんさ」
「ロゼット、やめなさい!」
クレイオが取りあげるより先に、エセルが穂の根元をつかんで、切っ先をずらした。
はっと、ロゼットは笑いをもらす。
「卑怯者」
「それは貴様だろう。私に自分の魔法を信じろだなんて、貴様がいえた義理か。この死にたがり。自分で自分の先をつぶすようなことばかりして、まともに生きていくことから逃げているくせに」
「今さら、まともがわかれば苦労はしないさ」
思いのほか強い力で引かれ、ロゼットはあっさり槍をうばわれた。
「起こした奇跡をむだにする人間が目のまえにいて、何を信じろと?
私がいくらおまえを魔法で救い、生きのびさせたところで、本当の意味で救いはしない。
結局、魔法なんてあってもなくても同じだ。人を幸せにも不幸にもしない。無用の長物だ。人に幻想を抱かせる分、道端の石ころよりタチが悪い」
ロゼットは唇をわななかせた。本当はまだ何かいいたいのに、言葉が出ない。
くやしまぎれにエセルを押しのけ、ドアの取っ手に手をかける。
「どこへいく」
「不毛な会話より、有益な会話をしにいくんだよ。これを返しがてら、カークとマリアの説得をね」
ロゼットはマリアから借りたハンカチをひらひらさせた。
「クレイオ!」
「はいっ!」
「自分から魔法を解いたら、マリアのしたこと、不問にして、なおかつ存在をだまっててくれるよね」
「え、あ、それは」
「もちろんだよね。わかった」
ロゼットはクレイオの鼻面に扉を叩きつけ、部屋を出た。
目じりを袖でぬぐう。
何が悲しいのかは、自分でも分からなかった。




