14.
耳元で言いあう声がしていた。
「ごめんなさい、まさか頼まれてやっているとは思わなくて。
……あんまりにも大がかりで、色んな術をかけてあるから、てっきり蘇生術かなにかの実験台にしているのかって」
「誤解が消えたならなによりです」
前者の、消え入りそうな弱々しい声はマリアだろう。
後者の、つっけんどんなみじかい返事はエセルのようだ。淡々として、いつもの三割増し冷たい。
「傷は、治さないんですか? あのままより、治してあげた方が」
「……治癒の魔法は不得手なので」
「そう、だったんですか。それで小さい傷も」
マリアに悪気はない。すなおな彼女は、自分が納得するために、つぶやいているだけだ。
言外に、私でも治せる小さい傷まで、という余裕をただよわせているつもりは、ひとかけらもない。
「……」
が、現在裁判沙汰に巻きこまれるほど世間の荒波にもまれ、純真などというモノはドブをさらわないと出てこないエセルは、言葉の受け取り方がナナメになっている。
空気が一段、冷えた。
「す、すごいですね。魔法でこんなふうに人を生き延びさせることができるなんて。初めてみました」
「信じられないくらい荒っぽいけれど?」
エセルがせっかくのマリアのフォローを台無しにした。
「同時にいくつもの魔法を維持していますよね。大変じゃありませんか? 魔力もすごい使いますし」
「そうですね。手間がかかる上に、効率も悪く、魔力も大量に消費する、ムダの三重奏だと思いますよ。自分でも」
マリアが泣きそうになっているのが、雰囲気で伝わってきた。
キートがみかねて、口をはさむ。
「伯爵ー、その子たぶん思ったこと口にしているだけで悪気ないから、いじめてやんなよ」
「おとなげないのは、僕だけにしとけよ」
ロゼットが起きると、魔法使い二人の緊張がほどけた。
マリアの方は、とくにだった。ロゼットのぶじな姿に、涙目になっている。本当に悪気はなかったのだろう。
「びっくりしたよ。善意不信になりそうだ」
「ごめんなさい! よくない魔法使いだって聞いていたから、すっかり誤解して」
「そこは否定しないけど」
「調子はどうだ」
エセルに聞かれ、ロゼットは手を開いたり握ったりした。裸足にされている足も動かしてみる。体のどこかに痛みがあることはない。どこも正常だ。
変わっている点といえば、手足の甲に血でふしぎな文字が書かれていることくらいだ。エセルの魔法のなごりらしい。
「いいみたい」
「動けるか?」
寝台を降り、床に足をつく。意識のない間に、場所は城の一室に移っていた。
部屋には、ロゼットの他にエセルとキートがおり、マリアにつき添うように、カークもいた。部屋を一周するロゼットを、興味深そうに見ている。
「うん、よさそう」
「お水、飲みますか?」
マリアが楚々とグラスを差しだす横で、カークが自分のポケットから錫製の小さな水筒を取りだした。
「酒のがいいんじゃねえ? まだ顔色悪いし」
ロゼットは水筒に興味をしめしたが、相手はあやしげな薬を扱っている男だ。酒も飲みなれているものとはちがう匂いがしている。
「これはヤバくねえよ。飲めばすぐ身体があったまるぜ」
「水でいい」
エセルはにべもなくグラスをえらんだ。
カークの額に、かすかに血管が浮く。すぐエセルに牙をむけた。
「しかしマジで魔法使いだったとはね。おどろいた。ミセス=アイリス=マスカードも、魔法使いだったのか?」
カークは指先でアイリスの指輪をもてあそんだ。
エセルは何の感情もみせず、しずかにたずねる。
「その指輪、どこで手にいれた?」
「知りたい? 教えてくださいって頼むなら、教えてやってもいいけど?」
エセルは相手にせず、質問を変えた。
「ラベットに、私の父だいう記憶を与えたのは、おまえか」
「……私です」
マリアは口を引きむすんだ。両手を強くにぎりあわせる。
「解け」
「偉そうだこと」
カークの茶々を、エセルは無視した。
「では、私が解く。最悪の場合が、どうなるかわかるな?」
マリアの細い肩がふるえた。
「あの男のやわな頭が壊れる」
ロゼットを誤って殺しかけて泣きそうだったように、マリアは人を傷つけることに慣れていなかった。たちまち迷いをみせる。
「お嬢、解かなくていい。ラベットが壊れたら、それはお嬢のせいじゃなくて、そいつのせいだ」
カークはまっすぐに、憎しみをこめて、エセルをにらみつけていた。
「今まで自分のしてきたことを棚に上げて、よくもまあ、そんな脅しをできるもんだ。
先代の弟や、先代の先妻や子供が死んだのも、おまえら親子のしわざなんだろ? ――姉貴も、死ぬように仕向けたんだろ!?」
相手がすこしも反応を見せないので、カークは殺気立った。つかみかかろうとする。
キートがエセルをかばい、マリアがカークに飛びついた。マリアも一緒になって、エセルをにらんだ。
「も――もし、ラベットさんが死んだから、あなたを本当に悪い魔法使いだとして、ゆ、許さないから!」
「私はべつに、だれの許しも乞うつもりはないんだが」
エセルの視線を受けて、キートが扉を開けた。
カークはいまいましげに舌打ちする。
「じゃあ、エセル。またな」
返事はなかった。マスカード伯は、嫌いな相手はとことん無視らしい。
「あ、ねえ。今度はこれ、忘れてってるけど」
ロゼットは部屋のすみに置いてあった、マリアのかごを取りあげた。
「今度はマリアをおいかけなくちゃいけなくなる」
「ありがとうございます。私たち、よく二人で同じまちがいをしちゃうんです。この間も、食堂に二人そろって帽子をおき忘れて」
マリアは恥ずかしそうに頬を赤くしたが、それだけ仲がいいことが、うれしそうでもあった。
カークがロゼットにむかって、額のあたりを指さす。
「そこも、ふいとけよ」
手の平でこすると、乾いた赤褐色のものがついた。血だ。手足の甲同様、額にも文字があるらしい。
「これ、使ってください」
マリアがハンカチを差し出してくる。
二人のあまりの親切さに、ロゼットは少々面食らった。
「ご親切にドウモ」
「最初におまえに会った時、死人だってかんちがいした理由、もう一つ思いだした」
カークはハンカチをつかむと、ぐいぐいと、乱暴に、削り落とすように血をぬぐってきた。
「目だ。目が死んでた。生気がなくて、うつろで、見えているようで何も見えていない。
世の中すべてがむだで、徒労で、あがいても浮かび上がれないことを知っている。
世にあふれる愛や夢や幸福も、結局は他人事。もはや妬むことすら忘れるくらい、自分からは程遠い」
左目はハンカチに隠れ、右目だけが相手とあった。
カークが笑っていた。おもしろがっているわけではない。同じ穴に落ちた相手をあざけって、あわれんで、いたわって、笑う。
「知ってんだろ?」
「――それ、洗って返すよ」
ロゼットはハンカチをつかんだ。
二人が去ってから、キートが怪訝そうにのぞきこんでくる。
「何いわれてたんだ?」
「べつに。血、取れてる?」
キートは水差しの水ですこしハンカチをぬらすと、額をぬぐってくれた。手足の甲は、自分でぬぐう。
「君がちょうど来てくれていなかったら、今頃あの世で疫病神と再会しているところか」
ロゼットは皆までいわなかった。自ら治癒の魔法が不得意なことを明かしたエセルを、今日は気遣ってやった。
それでも、エセルの苦々しい顔は避けられなかったが。
「そんなに苦手なの? あの子に負けるくらい?」
「人には適性というものがある」
「うーん、たしかに。マリアちゃんは、いかにも癒し系って感じだったけど」
キートは、無表情で尊大でおとなげも思いやりもない狭量な主人をみやった。
当然のように、触れなば切れんというような、するどい眼光がとんできた。
「じゃあ、僕は当分このままか」
「……小さい傷くらいなら」
「本当? じゃ、この胸のあたりの傷痕ってなんとかなる? 雨降るとたまに痛いんだよね」
ロゼットがシャツのボタンをはずしはじめると、エセルの手がそれを阻止した。
「むりだからあきらめろ」
「いや、見てからいってよ」
「見なくてもわかる。あきらめろ」
エセルはかたくなに主張し、シャツのボタンを留めなおした。
心なし、耳が赤い。
キートがいらぬ口出しをする。
「伯爵、さっきのことを思えば、そのくらいで照れなくても――ぎゃんっ!」
「よけいなことはいうな」
足を思い切り踏まれ、キートは悶絶した。
ロゼットはうろんげにする。
「え、何、そういうこと? うわー、裸を意識してる方がやらしいよ。そんなこといったら、ご婦人も診てるヤナルはどうなるんだって話じゃないか」
「ちがう! 診たあとが、治療が問題なんだ」
「治療が? なんで?」
「貴様が私を撲殺するか絞殺するか刺殺するかしかねない」
エセルの表情は本気だった。本気でおびえている。
「……どんな方法なわけ?」
「あの腐れ神が教授してきた方法といったら、どの程度ひどいか予想がつくか?」
「うん、理解した。すごくろくでもなさそうだ」
ひどーい、と天から声が降ってきた気がしたが、二人は空耳と聞きながした。
「でも、我慢するよ? 痛いのはなれているし」
「べつに、痛くはな――いや、痛い。すごく痛い。だから、他の方法がわかるまで、待て」
ロゼットは口をへの字にまげた。
エセルの答えはいいわけめいて、あきらかに不審だ。
「おまえに任せることもない。今日は、あとはもう休んでいろ」
「調子悪くなったらそうするよ」
ロゼットは心配を無視し、宙返りを披露してみせた。




