12.
診察室の窓から、キートが庭にいるのがみえた。
ヨランド家の子供たちと、木を見あげている。
遊んでいるうちに、挟まってしまったのだろう、木の枝のあいだにボールがあった。
「ちょっとどいて」
ロゼットは窓から庭にでた。
助走をつけて、木の幹を駆けあがるようにして枝にのぼり、さらに高い枝にとびうつる。
あっという間に目的の枝に達すると、ボールを地上に落とした。
「さすが。猫みてえだな」
身軽にとびおりたロゼットに、キートだけでなく子供たちも惜しみない拍手をした。ボールを手に、また遊びだす。
「今日はまた、城に行くんだよね?」
「おう。伯爵呼ばねえと」
いっているうちに、本人が来た。
行くぞ、と乱暴にうながしてくる。
今日は、ラベットに魔法をかけている人物を調べる。
魔法にかかわらなければいけないということが、エセルの神経を逆立てているようだった。
が、ロゼットはあえて声をかける。
「伯爵、不機嫌ついでに聞きたいんだけどさ」
「なぜ不機嫌ついでに聞くんだ」
「だって、今ならこれ以上悪くなりようがないだろ? 君から見て、僕の姿はどう見える?」
エセルは質問の意図をはかりかね、柳眉をひそめた。
相手にすることを、めんどうくさそうにする。
「魔法使いであるあなたの目から見て、私はふつうの人間と大差ないように見える?」
ロゼットが言葉づかいを素にもどすと、エセルは態度をあらためた。視線を右上にやる。
「……多少は」
「違和感がある?」
エセルの歯切れは悪い。
本当のところ、多少どころではないにちがいない。
「ふつうの人間にはわからない。大丈夫だ」
「勘のいい人間なら? 何かふつうとちがうって気づく? たとえば私を化け物や幽霊のように感じたり、する?」
「何かあったのか」
「いやべつに。ちょっと気になっただけ。行こう」
心配そうにするエセルに、ロゼットは少年のようにいたずらっぽく笑った。
ポケットのなかのペンダントをもてあそびながら、城のある丘をのぼる。
城に入ると、エセルが唐突に立ちどまった。額を押さえ、ため息まじりにキートに命じる。
「井戸に行ってこい」
「井戸? なんでまた」
「なんとなくだ。――たぶん、どこぞのだれかが仕事を放り出して遊んでいる」
キートは半笑いになった。エドロットのことだろう。
「今日は一段と勘が冴えていらっしゃるよーで」
「ちがったら、一人でそのままヤナルのところに来い。先にいっている」
「ごケンソンを。伯爵のそーゆー直感はあたるじゃん」
キートはこわいこわいと肩をすくめながら、井戸の方向へ消えていった。
エセルはにがい顔をしている。ラベットのいる部屋にむかってはいるが、足取りは重い。
「まだ何かありそうなの?」
「何かわからないが、嫌な予感がする。というか、今日は一日嫌な予感しかしない」
「ご愁傷様」
エセルに代わって、ロゼットが扉を開けた。
果たして、エセルの予感はあたった。
ラベットのいる部屋のまえで、ヤナルがもめていた。相手はモンクリフ家の次男坊、カークだ。
ラベットのことについて、いいあっていた。
「今、彼は治療中です。面会できる状態ではありませんので、お引き取りください」
「庭を散歩させてたじゃねえか。ラベットは俺のダチだ。会ってなぜ悪い?」
扉をまもるヤナルに、カークが突っかかる。
「ラベットさんに薬を売っていたのは、あなたでしょう?
麻薬と完全に手を切るには、麻薬のことを思い出さないようにすることも大事です。あなたに会えば、ラベットさんはまた麻薬が欲しくなるかもしれない」
「俺が渡していたのは、麻薬じゃない。薬だよ。ラベットは病気の痛みをやわらげるのに使っていたんだ」
「病気はもう治っています。常用したために、中毒になったんです。彼の状態を見れば、薬が毒になっているのがわかるはずだ」
「いや、ラベットにはまだ薬だよ。あいつは世界一愛していた母親が死んでからというもの、暗闇にいるようなものなのさ。薬を使っている間は、少なくともそれを忘れられる。あの薬がなかったら、ラベットは死んでる」
「それが、友達のすることなのか」
ヤナルは語気を強めると、カークはあわれむようにした。
「ヤナル、おまえには、わからないだろうな。弱さに逃げこむ人間の気持ちが。何がまともとか、何がただしいとか、何がしあわせとか、さっぱりわからず死んでいく人間がいるってことを」
ゆるやかに波打つ髪の奥から、ヘビのようにカークはヤナルをねめつけた。
「本当のところ、ラベットは母親を愛しているが、母親に愛されたことはない。
ラベットの母親はひどい大酒呑みで、嫌なことがあるとラベットに八つあたりしていた。
そのくせ、他にラベットをかわいがるやつがいると、そいつを殴って遠ざけるんだ。身勝手だろ?
それでも、ラベットが母親を愛しているのは、たまに機嫌のいい時は、母親が自分にやさしいから。
他人から見りゃあ、暴力をふるっている母親の方が本当の姿なのに、ラベットにしてみりゃあ、つかの間のやさしい母親の方が本当だったんだ。
ラベットは母親という主人に手綱をにぎられた、あわれな犬だよ。主人にいわれるがままに働き、搾取され、ゴミのように扱われながら生きてきた。
でもやつは幸せだ。愛する母親のためなんだから。
そんなラベット君にも、一度だけ、母親に反抗したことがある。好きな子ができて、その子と駆け落ちしようとしたんだな。
だけど、そのことが母親にばれ、恋人を殺されそうになった。とめようとしたはずみで、ラベットは母親を階段から突き落としちまった。
さあ、そっからはさらに地獄だ。絶対的な支配者を自分で殺してしまったラベットは、正気をたもてなかった。酒と薬におぼれ、夢の世界に生きることをえらんだ。
さあヤナル、おまえなら、どうやってケリをつけてやる? 時間もあんまりねえぞ。薬のために借金をかさねすぎて、ラベットはヤバいやつらにも追われてる。お先もまっくらだ。
甘美な夢の中で、ゆるやかに死をむかえる方が、まだ救いがあると思わねえか?」
いたぶるように、カークはヤナルにささやく。
「ラベットの母親だって、本当はかわいそうなものさ。彼女自身、そうやって育てられてきたんだから。
ラベットにしたことは、自分もされてきたことだ。何もおかしいことじゃないと、信じ切っていた。
だれが彼女を責められる? この世はおまえが思っているような救いには満ちてない。
俺がラベットに薬を売るのは、俺なりのやさしささ」
ヤナルが言葉をつまらせ、微動だにしない。
エセルたちに追いついてきたキートとエドロットが、話に割って入った。
「ヤーナール、なにのんきに世間話なんかしちゃってんだよ。こんなやつと話すな。友達を犬だのゴミだのにたとえるやつなんて、追い返せ」
「そうそう。何が救いだ。相手の弱みにつけこんで、薬を売りつけて搾取しているくせに。おまえはゴミにたかるハエだろ? 偉そうに講釈たれんな」
二人は力任せにカークの肩を引いた。
カークの、目の下にくまのできた、にごった目が相手をにらみつける。
「は。出た、伯爵殿の腰巾着二人」
「それで挑発?」
「もっと頭使えよ、カーク坊ちゃん」
カークは荒っぽく、キートたちの手をふり払った。
戸口でさわぎを傍観しているエセルに、侮蔑のまじった笑みをむける。
「よお。久しぶり」
エセルは口一つ、眉一つ動かさなかった。
どこを見ているのか、アイスブルーの目は無感情で、とらえどころがない。
おまえはだれだ、と名前を聞きかねないくらいの、どうでもよさそうな態度だった。
カークの頬がひきつる。
「相変わらず、浮世や俗世のことは一切関係ないって顔してるな。今回は、お気の毒様。世俗の泥をどっぷり浴びせられて、さぞかし嫌気がさしておいでだろうな」
気の毒がるわりに、カークの口調はおもしろがっていた。
エセルは何もいわない。
それどころか、少し首をかしげて、カーク越しに判事官の姿を確認した。
「あなたと警備兵のつき添い付きなら、ラベットと面会はできるな?」
「は、はい。大丈夫ですよ」
突然、カークの足が勢いよく跳ねあがった。
眼前まで迫った靴先に、エセルの青い目がわずかに見ひらいた。
カークは満足げに、口の端をあげた。
「――なんてね。ご領主様に、そんなことしませんよ」
「十分、刑罰の対象だぜ」
「ひでえな。いとこ同士のあいさつってやつさ」
殺気立つキートたちに、カークが肩をすくめた。ふらつくような動きで、踵をかえす。
ロゼットの姿に気がつくと、ぎこちなく目をそらした。
「じゃーな、エセル。いつもみたいに、天が味方してくれるといいな」
カークは早足に去っていく。
エセルの護衛たちは、その背に敵意の矢をふらせた。
「あー、やだやだ。なんだあの、好きな子にふりむいてもらいがためにいじめる的行動。見苦しいったらねえわ」
「もともとちょっとひねていたけれど、完全にひねちゃってるね」
「いっぺん締めなくていいのかよ、伯爵」
「後でいい」
後でやる気だったんだ、と護衛たちは少なからず思った。
今のエセルの最大の関心事は、ラベットだった。正確には、ラベットに魔法をかけた魔法使いだが。
さっきのカークのふるまいなど気にせず、ラベットのいる部屋にむかう。
「――れ? ロッツ、どこ行くんだよ」
「うん? あいつに用があるからさ」
ロゼットは、キートにむかって、カークにペンダントを見せた。
「モンクリフ家の召使にあずけとけよ」
「ちょっと確かめたいこともあるんでね。すぐもどるよ」
敵意むきだしのキートたちとちがい、ロゼットの表情はたのしげだった。かろやかに、廊下に出る。
「さあて、あいつの目には僕がどうみえるか、教えてもらおうじゃないか」
カークの姿は、もう廊下から消えていた。




