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いばらの冠  作者: サモト
忌み枝
43/53

12.

 診察室の窓から、キートが庭にいるのがみえた。

 ヨランド家の子供たちと、木を見あげている。

 遊んでいるうちに、挟まってしまったのだろう、木の枝のあいだにボールがあった。


「ちょっとどいて」


 ロゼットは窓から庭にでた。

 助走をつけて、木の幹を駆けあがるようにして枝にのぼり、さらに高い枝にとびうつる。

 あっという間に目的の枝に達すると、ボールを地上に落とした。


「さすが。猫みてえだな」


 身軽にとびおりたロゼットに、キートだけでなく子供たちも惜しみない拍手をした。ボールを手に、また遊びだす。


「今日はまた、城に行くんだよね?」

「おう。伯爵呼ばねえと」


 いっているうちに、本人が来た。

 行くぞ、と乱暴にうながしてくる。


 今日は、ラベットに魔法をかけている人物を調べる。

 魔法にかかわらなければいけないということが、エセルの神経を逆立てているようだった。


 が、ロゼットはあえて声をかける。


「伯爵、不機嫌ついでに聞きたいんだけどさ」

「なぜ不機嫌ついでに聞くんだ」

「だって、今ならこれ以上悪くなりようがないだろ? 君から見て、僕の姿はどう見える?」


 エセルは質問の意図をはかりかね、柳眉をひそめた。

 相手にすることを、めんどうくさそうにする。


「魔法使いであるあなたの目から見て、私はふつうの人間と大差ないように見える?」


 ロゼットが言葉づかいを素にもどすと、エセルは態度をあらためた。視線を右上にやる。


「……多少は」

「違和感がある?」


 エセルの歯切れは悪い。

 本当のところ、多少どころではないにちがいない。


「ふつうの人間にはわからない。大丈夫だ」

「勘のいい人間なら? 何かふつうとちがうって気づく? たとえば私を化け物や幽霊のように感じたり、する?」


「何かあったのか」

「いやべつに。ちょっと気になっただけ。行こう」


 心配そうにするエセルに、ロゼットは少年のようにいたずらっぽく笑った。

 ポケットのなかのペンダントをもてあそびながら、城のある丘をのぼる。


 城に入ると、エセルが唐突に立ちどまった。額を押さえ、ため息まじりにキートに命じる。


「井戸に行ってこい」

「井戸? なんでまた」

「なんとなくだ。――たぶん、どこぞのだれかが仕事を放り出して遊んでいる」


 キートは半笑いになった。エドロットのことだろう。


「今日は一段と勘が冴えていらっしゃるよーで」

「ちがったら、一人でそのままヤナルのところに来い。先にいっている」

「ごケンソンを。伯爵のそーゆー直感はあたるじゃん」


 キートはこわいこわいと肩をすくめながら、井戸の方向へ消えていった。

 エセルはにがい顔をしている。ラベットのいる部屋にむかってはいるが、足取りは重い。


「まだ何かありそうなの?」

「何かわからないが、嫌な予感がする。というか、今日は一日嫌な予感しかしない」

「ご愁傷様」


 エセルに代わって、ロゼットが扉を開けた。


 果たして、エセルの予感はあたった。

 ラベットのいる部屋のまえで、ヤナルがもめていた。相手はモンクリフ家の次男坊、カークだ。

 ラベットのことについて、いいあっていた。


「今、彼は治療中です。面会できる状態ではありませんので、お引き取りください」

「庭を散歩させてたじゃねえか。ラベットは俺のダチだ。会ってなぜ悪い?」


 扉をまもるヤナルに、カークが突っかかる。


「ラベットさんに薬を売っていたのは、あなたでしょう?

 麻薬と完全に手を切るには、麻薬のことを思い出さないようにすることも大事です。あなたに会えば、ラベットさんはまた麻薬が欲しくなるかもしれない」


「俺が渡していたのは、麻薬じゃない。薬だよ。ラベットは病気の痛みをやわらげるのに使っていたんだ」


「病気はもう治っています。常用したために、中毒になったんです。彼の状態を見れば、薬が毒になっているのがわかるはずだ」


「いや、ラベットにはまだ薬だよ。あいつは世界一愛していた母親が死んでからというもの、暗闇にいるようなものなのさ。薬を使っている間は、少なくともそれを忘れられる。あの薬がなかったら、ラベットは死んでる」


「それが、友達のすることなのか」


 ヤナルは語気を強めると、カークはあわれむようにした。


「ヤナル、おまえには、わからないだろうな。弱さに逃げこむ人間の気持ちが。何がまともとか、何がただしいとか、何がしあわせとか、さっぱりわからず死んでいく人間がいるってことを」


 ゆるやかに波打つ髪の奥から、ヘビのようにカークはヤナルをねめつけた。


「本当のところ、ラベットは母親を愛しているが、母親に愛されたことはない。


 ラベットの母親はひどい大酒呑みで、嫌なことがあるとラベットに八つあたりしていた。

 そのくせ、他にラベットをかわいがるやつがいると、そいつを殴って遠ざけるんだ。身勝手だろ?


 それでも、ラベットが母親を愛しているのは、たまに機嫌のいい時は、母親が自分にやさしいから。


 他人から見りゃあ、暴力をふるっている母親の方が本当の姿なのに、ラベットにしてみりゃあ、つかの間のやさしい母親の方が本当だったんだ。


 ラベットは母親という主人に手綱をにぎられた、あわれな犬だよ。主人にいわれるがままに働き、搾取され、ゴミのように扱われながら生きてきた。


 でもやつは幸せだ。愛する母親のためなんだから。


 そんなラベット君にも、一度だけ、母親に反抗したことがある。好きな子ができて、その子と駆け落ちしようとしたんだな。


 だけど、そのことが母親にばれ、恋人を殺されそうになった。とめようとしたはずみで、ラベットは母親を階段から突き落としちまった。


 さあ、そっからはさらに地獄だ。絶対的な支配者を自分で殺してしまったラベットは、正気をたもてなかった。酒と薬におぼれ、夢の世界に生きることをえらんだ。


 さあヤナル、おまえなら、どうやってケリをつけてやる? 時間もあんまりねえぞ。薬のために借金をかさねすぎて、ラベットはヤバいやつらにも追われてる。お先もまっくらだ。


 甘美な夢の中で、ゆるやかに死をむかえる方が、まだ救いがあると思わねえか?」


 いたぶるように、カークはヤナルにささやく。


「ラベットの母親だって、本当はかわいそうなものさ。彼女自身、そうやって育てられてきたんだから。

 ラベットにしたことは、自分もされてきたことだ。何もおかしいことじゃないと、信じ切っていた。

 だれが彼女を責められる? この世はおまえが思っているような救いには満ちてない。

 俺がラベットに薬を売るのは、俺なりのやさしささ」


 ヤナルが言葉をつまらせ、微動だにしない。

 エセルたちに追いついてきたキートとエドロットが、話に割って入った。


「ヤーナール、なにのんきに世間話なんかしちゃってんだよ。こんなやつと話すな。友達を犬だのゴミだのにたとえるやつなんて、追い返せ」


「そうそう。何が救いだ。相手の弱みにつけこんで、薬を売りつけて搾取しているくせに。おまえはゴミにたかるハエだろ? 偉そうに講釈たれんな」


 二人は力任せにカークの肩を引いた。

 カークの、目の下にくまのできた、にごった目が相手をにらみつける。


「は。出た、伯爵殿の腰巾着二人」

「それで挑発?」

「もっと頭使えよ、カーク坊ちゃん」


 カークは荒っぽく、キートたちの手をふり払った。

 戸口でさわぎを傍観しているエセルに、侮蔑のまじった笑みをむける。


「よお。久しぶり」


 エセルは口一つ、眉一つ動かさなかった。

 どこを見ているのか、アイスブルーの目は無感情で、とらえどころがない。

 おまえはだれだ、と名前を聞きかねないくらいの、どうでもよさそうな態度だった。


 カークの頬がひきつる。


「相変わらず、浮世や俗世のことは一切関係ないって顔してるな。今回は、お気の毒様。世俗の泥をどっぷり浴びせられて、さぞかし嫌気がさしておいでだろうな」


 気の毒がるわりに、カークの口調はおもしろがっていた。

 エセルは何もいわない。

 それどころか、少し首をかしげて、カーク越しに判事官の姿を確認した。


「あなたと警備兵のつき添い付きなら、ラベットと面会はできるな?」

「は、はい。大丈夫ですよ」


 突然、カークの足が勢いよく跳ねあがった。

 眼前まで迫った靴先に、エセルの青い目がわずかに見ひらいた。

 カークは満足げに、口の端をあげた。


「――なんてね。ご領主様に、そんなことしませんよ」

「十分、刑罰の対象だぜ」

「ひでえな。いとこ同士のあいさつってやつさ」


 殺気立つキートたちに、カークが肩をすくめた。ふらつくような動きで、踵をかえす。

 ロゼットの姿に気がつくと、ぎこちなく目をそらした。


「じゃーな、エセル。いつもみたいに、天が味方してくれるといいな」


 カークは早足に去っていく。

 エセルの護衛たちは、その背に敵意の矢をふらせた。


「あー、やだやだ。なんだあの、好きな子にふりむいてもらいがためにいじめる的行動。見苦しいったらねえわ」

「もともとちょっとひねていたけれど、完全にひねちゃってるね」

「いっぺん締めなくていいのかよ、伯爵」

「後でいい」


 後でやる気だったんだ、と護衛たちは少なからず思った。


 今のエセルの最大の関心事は、ラベットだった。正確には、ラベットに魔法をかけた魔法使いだが。

 さっきのカークのふるまいなど気にせず、ラベットのいる部屋にむかう。


「――れ? ロッツ、どこ行くんだよ」

「うん? あいつに用があるからさ」


 ロゼットは、キートにむかって、カークにペンダントを見せた。


「モンクリフ家の召使にあずけとけよ」

「ちょっと確かめたいこともあるんでね。すぐもどるよ」


 敵意むきだしのキートたちとちがい、ロゼットの表情はたのしげだった。かろやかに、廊下に出る。


「さあて、あいつの目には僕がどうみえるか、教えてもらおうじゃないか」


 カークの姿は、もう廊下から消えていた。

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