11.
ヨランド家に運びこまれた急患は、やはりクレイオだった。クレイオ=バルフォア。ロゼットの師匠の孫にして、旧友だ。
クレイオは井戸のちかくでうっかり足をすべらせ、後頭部を打ったらしい。脳震盪で気絶していたところを、通りかかったヨランド家のメイドに助けられた。
ケガはたんこぶ一つで、たいしたことはない。一晩ぐっすり寝た翌日は、診察室で、ロゼットのはこんできた朝食にうれしそうに食いついた。
「いやー、倒れたのが、ヤナルさんの実家のちかくでよかったですよ。皆さんにご心配かけてすみませんでしたねえ。ロゼットも、ありがとうございます」
「後悔してるよ。君を一人で行かせるんじゃなかったって」
ロゼットはクレイオの好みにあわせ、紅茶に山と砂糖とミルクをいれた。
「ロゼット、そんなに私のことを――」
「一緒にいたら、気絶した君をこれさいわいと川に放りこんでやったのに。本当、後悔しかない」
「毎度毎度傷口に塩を塗りこむいいぐさが憎たらしいいいい!」
クレイオはベーコンをかみちぎった。甘ったるい紅茶も一気に飲み干す。
手持無沙汰なロゼットは、薬棚に目をむけた。下段に、見覚えのあるビンたちがならんでいた。クレイオの空になったカップを手に、薬棚にちかづく。
「ってか、まだこんな近くにいたんだね。とっくにもっと遠くに行ってると思ったのに」
「このあたりでも調べものしていたので。気になることも聞こえてきましたし」
ロゼットはビンの一つを取ると、カップに中身を少量そそいだ。次は、となりのビン。そしてまたとなりのビンと、五回ほどくり返す。
「気になることって、伯爵のこと?」
「ええ。お家騒動の真っ最中でしょう? 聞いたからには、放っておけないなと」
クレイオは、満たされていく自分のカップをうろんげにした。
ロゼットの手にするビンは、どれもあやしげな色をしている。
少しずつそれを注がれたカップには、混沌とした液体ができあがっていた。
「あの、ロゼット。なんですか、それ」
「大丈夫。全部、ヨランド家特製ドリンクだから。たぶんきっと絶対栄養あるし、身体にイイよ」
「いや、いい色してませんよ!?」
クレイオは最後の一ビンだけでも阻止しようとしたが、無情にもそそぐ者がいた。エセルだ。
診察室に入ってくると、もみあう二人を一瞥したのち、顔色一つ変えずにビンをつかんでかたむけた。
「どうぞ、バルフォア殿。私からのお見舞いの気持ちです」
「トドメのまちがいですよね!?」
「善意だってば」
「善意ってこんなに黒いんですか!?」
エセルもロゼットも、平然とカップを差しだす。
ドブ水のような液体に、クレイオは戦慄した。
「伯のお手伝いができればと思って、アイスバーグに留まっていたんですよう。ちょっとは優しくしてくださいよう」
「手伝い、ねえ」
子供のころより、野犬に追いかけられていれば助け、泥棒と勘ちがいされたときには釈明してやり、足をくじけば背負って帰ってやり、とロゼットはクレイオを数々助けて来た。
これほど頼りにならない大人がいるものか。いや、いない。
「私にだって、多少は頼りにできるコネがあるんですから。裁判で伯を勝たせる自信があります」
ロゼットのつめたい視線にもめげず、クレイオは食い下がる。
が、エセルの視線もやはりつめたい。
「けっこうです。あなたのもとめる見返りにこたえたくない」
「……これまた。はっきりおっしゃいますね。まだ何をして欲しいなんて、お願いもしていないと思うのですが」
エセルは取りつく島もない。クレイオは眉と目じりを下げ、ぽりぽりと頭をかいた。
「私たちは、あなたの敵ではないのですが」
「敵でないというのなら、のぞき見も正々堂々して欲しいものですね」
「申し訳ありません。先日のこと、まだお怒りですか」
「いいえ。つい最近の方のことです。私の庭を飛んでいた青い蝶は、あなたのものですか?」
クレイオはきょとんとして、ああ、と苦い顔をした。
「私ではありませんが、代わりに謝ります。私の報告を見て、私の雇い主があなたのことをもっと知りたくなったのでしょう。よく、気がつかれましたね」
「不愉快です」
「あれからいろいろと調べさせていただいたのですが、伯はすばらしいですね。
一度に複数人を操れることといい、あの島まで無事にたどり着けるよう天候を左右できることといい、使い魔を一言で飼いならせることといい、魔法を探索の術に気がつくことといい、小さな術から大きな術まで、予想以上の魔法使いでいらっしゃる。
私たちには、あなたが必要なのです」
「褒めたつもりか」
エセルは完全な冷笑を浴びせた。ロゼットに終わったら来い、といいのこして、出て行く。
ばたんと閉まった扉に、クレイオはうなった。
「……褒めたんですけど。ダメでした?」
「さすが失言王。伯爵様が魔法嫌いだってこと、忘れたの?」
「今世随一を名乗っても許されるであろう魔法使いなのに?」
「そんな称号は、真っ黒に塗りつぶしたのち、豆粒大に切り刻んで、ゴミ箱にぶちこんで、ゴミ箱ごと燃やして、灰を海にまきたいと思ってるよ」
クレイオは、なんてもったいないと嘆いた。
「なんでそんなに魔法が嫌いなんです?」
「今まで、あの島のためにさんざん悪い魔法使いをやってきたから、もう嫌なんだってさ」
「なるほど。正義感と責任感は人一倍ってことですね。ますます適任。気長に口説くとします」
朝食を食べ終わると、クレイオは荷物から紙とペンを取り出した。
「ラブレター? 殺されるぞ」
「そこまでバカじゃないですよ。ちょっと知り合いに一筆。伯が裁判で負けるようなことがあれば、困るのはこっちです。
どこへともなく去られては、せっかくの逸材を失ってしまう。ちゃんと魔法の使える魔法使いって、今は貴重なんですよ」
「そうなの?」
きき返したものの、ロゼットは自分でそうだろうなと思った。
いまだに魔法ののこる故郷ですら、魔法使いはいなかった。魔法がおとぎ話の存在とされている大陸では、推して知るべしだ。
「昔は、大陸にも、神とそれに仕える魔法使いというのが、各地にいたんですけれどね。ここ二百年ぐらいの間に、ほとんど滅び去ってしまって」
「どうして」
「原因はいろいろですが、ここ二百年、戦争や飢饉や流行り病がおおかったせいでしょう。
大勢の人間がばたばたと亡くなるのを目のあたりにして、人々は信仰を保てなくなった。
神をうたがい、魔法使いたちを詐欺師とののしり、信仰を捨てた。
文明がすすみ、科学という魔法にとって代わるような技術が生まれてきたせいもあって、人々は魔法を実生活から忘れてしまったんです」
一時期は、魔法使い狩りといったことも行われたらしい。そのせいで魔法使いの数は激減した。
生きのこって、血筋をのこした者もいたが、魔法の技術まではのこせなかった。
今の魔法使いは、ほとんどが、街角で占い師をやったり、イカサマ賭博をやれるくらい、というありさまらしい。
「そうだ、クレイオ。このあたりに、伯爵以外に魔法使いがいるって話、聞いたことない?」
クレイオは、ペンを頬にあて、首をかしげた。
「そういう話は聞いたことありませんけど。いるんですか?」
「いるかもっていう話。僕も知らない。目をかがやかせるな」
ロゼットは、身をのりだしてくるクレイオの額に、ぐりぐりとスプーンの柄を押しつけた。
「あと、これって何かわかる? ある人の落としものなんだけど」
ロゼットはカークの落としものである、陶製のペンダントを取り出した。
これにもクレイオの目がかがやく。
「こんなところでお目にかかるとは、めずらしい。『神の目』と呼ばれる、異国の魔除けですよ。邪霊や魔物を近づけないといわれています」
「魔除け? そういうのって、大陸の人ってよくもつもんなの?」
「効果はさておき、気休めにもつ人はいますよ。この地方では、馬の蹄鉄の形をしたお守りを持つことが多いので、めずらしいですね。
十年くらい前に、異国の遺跡の発掘品がエレガダに流れてきたことがあるので、そのころに買われたのかもしれませんね」
「へえ」
ロゼットはペンダントの瞳を見つめた。
青い瞳は、じっと見つめていると、どこかのだれかを思い出させた。
「……効果あるかもなあ」
「ロゼット、そーゆーのわかるんですか?」
「わかるわけないだろ。知り合いの厄病神を思い出しただけだよ」
「なんだ。一度死の淵をさまよった人って、そういう勘が鋭くなって、幽霊が見えるようになったりするって聞いたことがあるので、期待しちゃいましたよ」
「そりゃまあ、今も半分死んでいるようなもんだけどさあ。ないよ」
「そういや、ロゼット、身体、全部治っていないんでしたっけ? 治癒の魔法が得意な魔法使いに、頼んでみましょうか?」
「いいよ、とりあえず、伯爵の魔法でなんとかなってるし――」
クレイオの目がふたたび爛々としはじめた。
ロゼットはしまった、と口を押える。
以前、その話題が出たとき、話半分でクレイオは退場させられた。ロゼットのからだがエセルの魔法でたもたれているということを、知らなかったのだ。
「だれにもいうなよ」
「いいませんよ。そうなんですね。どうりで、これがロゼットに反応するわけです」
クレイオは、ポケットから、方位磁石に似たものを取りだした。
針が水晶になっているところだけが、方位磁石とちがった。
「何それ。針がぐるぐる回っているけど、使いものになるの?」
「魔力感知器とでもいうものですね。魔法使いを探すのにつかっています。針がぐるぐる回っているのは、ロゼットに魔法がかかっているからでしょう。それもおおがかりな魔法が。
いったい、どんな魔法がかかっているんですか?」
「効率悪くて不完全でへったくそな魔法だよ」
ロゼットは、ねえねえっ、と身をのりだしてくる自称学者の顔をおしのけた。
ややしてから、自分の言葉にひっかかりをおぼえ、眉をひそめる。
「……そういえば、あの疫病神、なんか気になることいってたな」
「ええ? 何がですか?」
「なんでもないよ。それより、それ、ちゃんと飲めよ」
ロゼットは話をそらすため、中身が混沌としているカップを指さした。
「僕も飲んだけど、死ななかったから、大丈夫だって」
「飲んだんですか!? これを!?」
「全種類一杯ずつ一晩で飲んだよ。善意で差し出されたら、断れないだろ」
クレイオは、ふてくされている旧友に、ねぎらいの目をむけた。
「あなたって昔から、妙なところで律儀というか、素直というか、かわいいですよね」
「片づけるから、とっとと飲め。たぶんそれは君の悪癖を治すのに最適だ」
「それはそれは。つつしんで頂戴いたします」
クレイオは口にふくんだ瞬間、硬直した。
ロゼットは無言でクレイオの鼻をつまみ、カップの中身をながしこむ。
「失言癖をなくすには、しゃべらないのが一番だろ?」
ロゼットは白目をむいて倒れた友人を、ふたたびベッドに押しこんだ。




