9.
判事からの呼出状には、ロゼットの報告どおり、メリナ=モンクリフから先代の相続について異議申し立てがあったと記されていた。
現当主となっているエセル=マスカードは、先代のマスカード伯の嫡子でないうたがいがある。
ついては、もう一度、相続について話しあうため、アイスバーグ城まで赴かれたし、というむねの文面だった。
呼出状がとどいた翌日、ロゼットはふたたびアイスバーグの町へむかうことになった。今度は小姓姿で、エセルの馬をひいてだ。
マスカード家のお家騒動の話は、すでに町に広まっているようだった。
町へ入ると、とおりの両脇に、見物人がはりついていた。
馬上の領主を見ようと、人々が仕事を投げだして寄ってくる。
「馬車にした方がよかったんじゃない?」
「もう話題になっているのは予想している」
エセルは馬を急がせもせず、とおりを悠然とすすむ。
人の目はよけいながく集まったが――ロゼットは世の不平等をなげいた。
あつまった人々は、エセルを見ているうちに、下世話な好奇心を同情に変えていた。
「伯爵様は、なにもお悪くないのにねえ」
というささやきが、方々から聞こえてくる。
見目うるわしい人間にとって、身にかかる不幸は美貌を引き立てるアクセサリーでしかないらしい。
細身のからだが馬にゆられるさまは、風に吹かれるやなぎのよう。
さらさらの銀の髪の下で、青い目はなかば伏せられ、どこか悲しげに見える。
端麗な貌が物憂げにくもるさまは、さながら地に落とされた天人が憂慮するがごとし。
純白の白鳥が狼の餌食になることをかなしむように、領民たちは、このうつくしい青年の身に降りかかった出来事に、わがことのように胸を痛めた。
「おいたわしい」
今のエセルは、領民たちにとって『親戚縁者に裏切られ、あまつさえあらぬ疑いをかけられている薄幸の美青年』だった。
「伯爵、寝るなよー?」
「寝たら、馬、棹立ちにさせて落とすからな」
エセルが頼りなさげなのも、かなしげに伏し目がちなのも、物憂げなのも、すべては、朝早かったので眠い、という怠惰な一言に尽きることを知っているキートとロゼットは、主人を叱咤した。
二人とも、心の中で、詐欺だ、ペテンだ、いかさまだ、と、百回は世のかなしい道理をのろった。
こんなときに使っては、おいたわしいという単語がおいたわしい。
「滅びろ美形!」
「立てよ不細工!」
「妬め三枚目!」
ロゼットとキートは、城で合流したエドロットの両手を思い切りたたいた。
「――れ? 伯爵、何してんだ?」
さっそく何か報告したいことがあったらしい、エドロットは主人の姿を探した。
エセルはエントランスホールにつづく応接間の前で、男とむかいあっていた。メリナの愛人、リリックだ。
執事がどくようにいうと、リリックは仰々しくおどろく。
「これは失礼した。まさかあなたがうわさの伯爵様とは思わず」
見え透いた挑発だったが、リリックの発言には本音も混じっているようだった。
ここまで先代と似ておらず、母親に似た美貌だとは思っていなかったらしい。
臣下の礼には、うわべだけでない、感嘆による丁寧さがあらわれていた。
「こちらのお部屋をお使いになれるのですね。ご無礼を。どうぞ。
私は、あなたを訴えたお方の知人ですが、あなたに責任がないことは百も承知。ご相談があればなんでものりますよ。
私たちは真実を明らかにしたいだけで、あなたを貶めたいわけではないのですから」
リリックはニコニコとまくしたてた。
エセルもつられたように、かるく口の端を上げる。
「あなたは口を閉じていた方が誠実に見えますね」
微笑と暴言を、たいていの人は一度に味わえない。
リリックは女神のようにうつくしい微笑を前に、自分が何をいわれているのか理解できず立ちつくした。
執事が彫像をどけるように、リリックをどける。
「出た。黙れバカの丁寧語」
「寄るなゴミ虫っていう絶対零度の視線が超しびれるぅ~」
「もっとののしって、伯爵様ー!」
キートとエドロットは主人の完全復活をよろこんだ。
呼ばれると、めずらしく忠犬のごとく駆けつける。
「状況はどうだ」
エセルがたずねると、エドロットはぽりぽりと頭をかいた。
「ちっとばかし出しゃばりすぎた。モンクリフ夫人が城内に、伯爵が正統な当主でないってことをいいふらそうとするもんだから、まっこうから全面否定してきた」
きっかけは、かねてからメリナをよく思っていなかった師団長がしびれを切らし、メリナに城からの立ち退きを要求したことだった。
メリナも、黙ってはいない。さっそく、エセルが正統な当主でない疑いがあると反論した。
あわてたのはエドロットだ。エセルの名代と立場を盛り、強引に二人の間に割って入った。きっぱりメリナの言い分を否定し、抗弁したという。
「当のご本人がいないうちに、城内がモンクリフ夫人の旗色に染められちゃ分が悪いだろ?」
「主人の命令無視の臨機応変さがおまえたちの売りなのは十分理解しているから、おどろくに値しない」
「それはそれは。ご期待に沿えず申し訳ございませんね。みんなをたきつけて、一揆をお望みでした?」
エセルが怒らなかったので、エドロットは調子にのった。
「ヤナルの親父さん――ヨランド先生も協力してくれてさ」
部屋には、途中からアルフが入ってきていた。エセルに会釈する。
「判事に直訴してくれて、伯爵の父親って名乗ってる男――ラベットを、こっちでも取り調べられる状況を作ってくれた。すげえ助かったよ」
判事同様、地元の名士であるアルフは、エドロットより地位も信頼もある。うわさが広がっても、領民や使用人たちの動揺がすくなく済んでいるのは、アルフのおかげだろう。
「お手数を」
エセルが右手を差しだすと、アルフもなごやかに応じた。
「私の領分のことだからね。彼には、薬物中毒の疑いがある。証言台に立つ人間の健康を守ることは、医者の役目だろう?」
そういういい分で、判事から身柄を半分あずかっているらしい。今は、ヤナルが城の一室でラベットのめんどうを見ているという。
「中毒の人間は、薬のためなら何でもする。モンクリフ夫人に都合のいいことを、なんだっていうだろう。証言能力はうたがわしいものだ」
「一刻も早く、この不名誉を晴らしたいと思います」
「あの男は、町の東端にある労働者の居住区から連れて来たのではないかと思う。あそこは薬や酒におぼれている者が多い。
よければ、滞在にはわが家を。城では落ち着かないだろう」
エセルはアルフのあたたかな応対を、少しふしぎそうにした。
「私は、モンクリフ家がマスカード家を継ぐことを、こころよく思っていない。彼らは自分の懐のことは慮っても、領民の健康は慮らないからな。できることは協力させていただきますよ、伯」
「痛み入ります」
アルフの案内で、エセルたちは別の一室へ移った。従者が控えるような小部屋に、ヤナルがいた。どうだ、と父親に聞かれ、つかれた顔になる。
「暴れようがすごくて。ベッドに縛りつけています」
「中毒症状はそんなものだ。数日のがまんだ」
患者のいる部屋のドアは、家具でふさがれていた。屈強な警備兵もいる。ときどき、獣のように暴れて、手がつけられないらしい。
今は、苦痛にあえぐ声が聞こえてきていた。公平を保つために、判事官がつきそっていたが、始終聞こえてくる声にげんなりしていた。
「ご覧になられますか?」
「ええ。部下たちに身元を洗わせるのに、見せておかなければなりませんし」
警備兵の警護のもと、一団は部屋に入った。ラベットは四肢をベッドの支柱に固定され、寝かされていた。ささいな傷も気にならないほど苦しいようで、しばられた手足首には血がにじんでいる。
「――記憶にない顔だな」
「そうでしょうとも」
エセルの第一声に、アルフが深々とうなずいた。
「おまえたち、よくおぼえておけよ」
「こんな形相されてちゃ、元の顔がよくわかんねえけど」
キートとエドロットも、ラベットをのぞきこんだ。その間から、ロゼットものぞきこむ。
昨日見たときとは、ラベットは形相が変わっていた。優男風のととのった顔立ちは、みるかげもなかった。
色白の肌は青白くなり、かわいた唇からはよだれが垂れ流れている。ママ、ママ、と幼子のように一心につぶやき、焦点のさだまらない目はぶきみだった。
「これが麻薬中毒のなれはてだ。後遺症もある。甘い夢の代償は高くつくぞ。君たちも、あやしい誘いには十分気をつけるように」
「へーい、ヨランド先生。しっかしまあ、なんでここまでやるかね?」
「遊びはほどほどが一番ってのに。なあ、ロッツ」
「そうかな。今にも昔にも先にも価値を見出せなかったなら、甘い夢を見せてくれる薬にすべてをはらいたくなるってもんさ」
ロゼットは、毛穴の一つ一つもかぞえるように、ラベットをしげしげと観察した。
「案外、本人はこれで幸せなんじゃない?」
「薬物の乱用は、ダメ。ゼッタイ」
ヤナルが早々にロゼットを患者から引きはがした。
アルフが懐中時計をひらき、エセルの方をむく。
「そろそろ判事殿のところへ行かれますか?
よろしければ、同行させてください。伯のご出産やアイリス様のご健康には、私の妻がかかわっている。あなたの出自を疑われることは、わが家の信頼にもかかわります」
「わかりました。では、一緒に。キート、エドロット、おまえたちは男の身元を洗え」
「了解」
ロゼットも当然のようについていこうとしたが、エセルに首根っこをつかまれた。
「おまえはヤナルと留守番していろ」
「なんでだよ」
「聞きこみ途中で、変な遊びおぼえないか心配なんだろ」
「今日のおまえのカッコじゃ、トラブル呼びよせるようなもんだしな」
ロゼットは、もとはエセルの持ち物である服をつまんだ。ロゼットはわかっていなかったが、シャツの綿は最高級品で、地味な黒いベストも、特別な方法を使って深い黒に染められた特製品だ。
今日は小姓のような役割でいるつもりで、これにしたのだが、治安のよくない地域では襲ってくれといっているようなものだった。
キートやエセルたちを見送り、ロゼットはむくれた。
「……城のなか、散歩してくる」
「じゃ、散歩のあとで、これ一緒に食べよう」
ヤナルはパイの皿を指さした。真っ赤なジャムと黄みがかったクリームがとろりと垂れた、魅惑の断面。ロゼットはついうなずいた。
「五時までには、帰ってきてね」
「……くっそ。ヤナルに首輪をつけられた」
「首輪って。弟たちが夕方、時間通りに帰ってくるようにするのは、これが一番だからさ」
とくに目的があったわけではない。前回はゆっくり城内をまわれなかったので、堂々、見てみたかっただけだ。ロゼットはあてもなく歩きまわる。
この城は、城塞らしく、砲台や投石器をそなえていた。庭も野菜や薬草などが植えられて、実用性が濃い。
居館の壁にはバラが這わせてあり、庭師が枝を切っていたが、鑑賞のためというよりは、トゲによって侵入をふせぐ目的が大きそうだった。
ぱち、ぱち、という花ばさみの音を何とはなしに聞いていると、目に光が飛びこんで来た。
二階の部屋のバルコニーから、庭師の仕事をながめている人影があった。
カークだ。手すりからたれた指にペンダントをひっかけており、それが反射したようだった。
ロゼットは目をすがめた。むこうも、ロゼットに気づいた。
途端、カークはびくっと身体をふるわせた。ぎこちなく視線をそらす。顔は青ざめ、手足もこわばっている。
指にひっかけていたペンダントが落ちても、気づきもしない。
「ねえ――」
ロゼットが落としものを指摘しようとすると、カークはすばやく踵を返した。声をかけるなと、態度が語っていた。
「なんなんだ? あいつ」
草むらの上で、目をかたどったペンダントがひかっていた。




