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いばらの冠  作者: サモト
忌み枝
33/53

2.

 エセルもエドロットも部屋を出ていくと、ロゼットは外の明るさをうらめしげにした。


 いつもなら、朝起きるとまず動きやすい服に着がえ、警備兵の朝の訓練に参加する。

 終わると、部屋にもどって服装をあらため、伯爵殿と朝食という段取りだ。

 しかし、今日は前半を省略せざるをえない。


「へんなことはするもんじゃないな」


 ふたたび小卓に目をやると、ガラスの筒が消えていた。

 エドロットがもっていったらしい。

 ロゼットも中身を知らないといったので、ヤナルに判別してもらうためもち去ったのだろう。


 ロゼットはベッド脇にたれ下がっている紐を引いた。召使いを呼ぶ、呼び鈴とつながっている紐だ。

 ほどなくして、メイドがやってきた。


「とりあえず、新しい洗面器をもらえる?」


 メイドは割れた洗面器に目を見張っていたが、すぐに指示にしたがった。別室からべつの洗面器をはこんでくる。


「着るものも。特別な用はないからいつも通りでいい」


 ロゼットが顔を洗っているあいだに、メイドはクローゼットにかけられた衣装――もとはエセルのもの――の中から、服をみつくろった。

 大陸の服装に慣れていないため、ロゼットの服のみたてはメイドまかせだ。


「終わったら呼ぶから」


 ロゼットは着替えを手伝おうとするメイドの手をことわった。


「あとで片づけお願い。けがに気をつけてね」


 ロゼットは割れた洗面器を指差した。

 メイドはかしこまりました、と頭を下げた。しずしずと退室する。


 割れた洗面器に対し、何があったのかとよけいな詮索はしない。

 召使いの手を借りたがらない客人によけいな関心もむけない。

 ここの使用人たちは主人や客人との距離感をきっちりと――少々かたくななまでに――守る、よくしつけられた召使いたちだった。


「肩こるな、ホント」


 庶民育ちの客人は、ぶつくさいいながら、シャツのそでに腕をとおした。用意された服に着替え、髪をとかす。


 鏡はろくにみない。ロゼットは、肉親ににつつある自分の顔をきらっていた。せっかくとかした髪をみだしてしまいたくなる。


 廊下に出て、掃除用具を手に待っていたメイドに、いで立ちについて意見をもとめる。彼女がよければそれでよし、だ。

 メイドがうなずいたので、ロゼットは主階段を降り、食堂へむかった。


 館内の召使たちは、すでに仕事をはじめていた。

 ロゼットが食堂へ入ると、食卓には一人分の食事が残されているだけだった。

 エセルもすでに食事を終え、ヤナルと何か話をしている。


「おはよ、ロッツ。気持ち悪いみたいって聞いたけど、大丈夫?」

「おはよ、ヤナル。昨晩はさんざん吐いたけど、もう平気」


 いつもより起きるのが遅れたせいで、空腹だった。

 卵のスープも羊肉のソテーも冷めていたが、見ただけでも食欲をそそられる。

 ロゼットはさっそくパンに手を伸ばしたが、無情な一言にさえぎられた。


「下げろ」


 主人の一言で、執事が皿を取りあげた。

 エセルが無言で、ガラスの筒を差しだす。ロゼットの部屋の小卓にあったものだ。

 ヤナルとこれの中身について、話していたところだったらしい。


「これはなんだ」


 ロゼットは片眉をあげた。

 エセルのうすい唇はかたく閉ざされ、怒りの強さを示している。


「……今日の伯爵様は、朝からやけに元気だね」


 怒りに気づいていながら、ロゼットは相手を挑発した。朝食を取りあげられた仕返しだ。


「俺に話をさせてください!」


 ヤナルが即座にエセルの爆発をおさえた。筒をさし示しながら、おちついた口調で問いかける。


「これ、今朝、ロッツの部屋にあったらしいんだけど……ロッツのなの?」

「そうだよ」


「どこで手に入れたの?」

「もらったんだよ。昨晩会ったおっさんに」


「おじさん?」

「眠れなかったから、外を散歩してたら会ったやつなんだけど。

 三十路ちかいなあ? 髪も服もだらっとしてて、歩き方もふらふらしてて、このあたりで見たことない人だった」


 素性をたずねると、この館の関係者というあやふやな返答があった。

 名前を聞いてもはぐらかされ、まっとうに仕事をしているような雰囲気もなく、どうにもあやしい。


 ロゼットが強盗かと不審がっていると、男は妙なことをいった。


「変なやつでさあ。『俺には何もできない。つきまとうな』っていうんだよ」


「何もできないから、つきまとうな? 強盗にしては変だね」


「さらには『何が欲しいんだ?』っていうから、『眠れないからお酒ちょうだい』って答えたんだ。

 そしたら『酒はないから、代わりに』って。その筒を足元に投げてきた」


 ガラスの筒はコルクで栓をしてある。ラベルはなく、なんの薬かはわからない。

 男は、鼻から少量吸うといいという助言だけして、そそくさと立ち去ってしまった。

 ロゼットは自分で、眠り薬かなにかと推察した。


「ちなみに、詰所のやつに怪しい男がうろついてたって報告はしておいたから」


 ヤナルは男の正体にこだわってはいなかった。


「自分から欲しがったわけではないし、何かも知らないし、初めて使ったんだよね」

「そうだけど?」


 ヤナルはほっと表情をゆるめた。

 エセルの許可を得て、ロゼットの前に食事をもどす。


「ロッツ、それ、危ない薬なんだ」

「知ってるよ。吸ってすぐきもち悪くなって、吐きまくったし。意識がふわふわして変になるし。何度吐いたことか」


「最初はね。ところが、何度もくりかえすと、身体がなれてくる。吐くこともなく気持ちよくなるんだ。

 鎮痛剤を精製してつくられる、とても依存性の高い麻薬で、完全に依存するようになると――」

「廃人同様になる」


 二度と使うなと釘を刺すように、エセルが口をはさむ。

 ロゼットは筒をヤナルの方へころがした。


「暇つぶしにしてみたようなものだよ。気持ち悪くなるし、嫌な夢は見るし、最悪。僕にはあわないね」


「ためす前に、俺に聞いてね。もう不死身の身体じゃないんだから、変なキノコとか、魚とか、植物とか、自分で試すのはダメだよ。

 それから、もしあやまって口にいれて、気分が悪くなったら、夜でも何でも、俺を呼ぶこと。いい?」


「ヤナル先生の仰せのままに」


 怒りは解けたらしい、エセルが大きく息を吐いて、立ちあがった。


「食べたらホールにこい。今後について話すことがある」

「君の変態おじさんについて?」

「そんなところだ」


 ロゼットはバターとジャムをたっぷりのせたパンにかぶりつき、ふぁーい、と返事をした。

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