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いばらの冠  作者: サモト
忌み枝
32/53

1.

 あたり一面、バラの花が咲いていた。

 澄んだ水の上に、バラの浮島ができていて、ロゼットはその浮島の一つに立っていた。

 赤に黄色に白、ピンクにオレンジ、紫など、さまざまな色のバラが足元に咲き乱れている。


 ごくまれに、青色をも見つけることができた。

 青いバラはこの世に存在しない。

 あったとするなら、奇跡の産物だ。


 ロゼットはここが現実でないことに気がついた。

 夢幻の世界だ。

 現実にしてはあまりにうつくしく、しずかすぎた。


『やあ、いばら姫』


 一人の青年が、バラの野原に座りこんでいた。

 人間は、ロゼットの他にはこの青年が一人だけ。

 青年はロゼットに背をむけ、手を動かしている。


『こんなところに来るなんてめずらしい。何かむちゃをしでかしたのかな?』


 ロゼットは答えようとしたが、頭がぼうっとして、何も思いだせなかった。

 思考が上滑りして、注意が目の前のことにだけいく。

 青年の手元を気にした。


『よぶんな枝を切っているんだよ。地味で退屈な作業だけれどね、大事なことだ』


 パチ、パチ、とハサミの音がひびく。

 切られた枝は地面に落ちて、光の粒になって消えた。

 ハチににた虫がとびまわって、いそがしげに働いている。


『ずいぶん放っていたからなあ。その間に、管理するやつも減ってしまったし。たいへんだよ』


 青年のかたわらに、釣り鐘型のうすいガラスがあった。

 なかには、咲きかけのちいさな赤いバラが一輪。

 あわく光る液体にみたされて、浮いている。


『足元、気をつけて』


 黒い大きな毛虫のようなものが、うぞうぞと地面を這っていた。

 よく観察すれば、大小あれど、ところどころにいる。


『こんなものでも、僕にはかわいく思えるのだけれど』


 青年の近くには、何本も足のある虫がいた。

 むしゃむしゃとはっぱを食べているのを、青年は手を止めて見守る。

 しかし、虫がバラの入ったガラスに興味を示すと、指先ではじいた。


『とりあえず、このくらいで一区切りにしようかな』


 パチン、と最後の一音がひびいた。

 青年が腰を上げる。

 髪は銀、目はうすい青色。体つきは男にしては細く、容貌は彫像めいたつめたさを感じさせるほど完璧にととのっている。


 ロゼットにとって、それはよく見知った姿だった。


『見えている姿に意味はないよ。ここでは、当人の意志や記憶が姿形を形成する。一番気に入る形に――なんて』


 青年のうすい唇が、ふふっと笑う。


『そうとは限らないけど。だれに見えているの?』


 ロゼットはただにらんだ。

 笑い声が増して、さらに不快感がつのる。


『どうやら、ちょっとしたきっかけでこっちに来てしまったみたいだね。エセルが君にかけた魔法は不安定だ。早く治してもらうんだよ。君は見る人が見れば異様だ』


 不意に、青年の顔がちかづいてきた。

 ロゼットは反射的に身をよじったが、両頬をとらえられた。手足を使って抵抗する。


『そんな過剰に反応しなくても。キスなんてしないよ。王子様のためにとっておくに決まっているじゃないか』


 青年は自分の額を、ロゼットの額にあてた。


『さあ、頭を空っぽにして。深呼吸深呼吸。

 まずは額に意識を集中して。僕と別れがたい気持ちは十二分にわかるけど。今度は意識を自分のうちに集中して――

 うーん、全然ダメだね、集中できていない。やっぱりお別れのあいさつにキスをしてあげるべきかな。

 え? 何? そんなによろこばなくても。 

 しかたない。めざめが悪くなるけど、強制退去』


 全身を鞭ではじかれるような感覚があった。

 ロゼットの意識は空から落とされたように、急速に遠のいた。



*****



 めざめと同時に、手近にあったものをひっつかむ。


「うるさい勝手に入ってくるなーっ!」


 感情のままに投げたのは、洗面用のたらいだった。

 天井にぶつかり、水が盛大に飛び散った。


「……っぶねー。寝てるおまえ起こすの、本当に怖いな」


 エドロットが、かまえた盾の奥から顔をのぞかせた。

 朝日が盾に反射している。

 あたりは明るく、ロゼットのいつもの起床時間はとっくに過ぎていた。


「おーい、起きてっか? おまえが寝過ごすなんて、めずらしい。気ぃ抜けてた?」

「……気より、魂が抜けかけてたかな」

「は?」


 ロゼットは起き上がって、胃のあたりをさすった。

 ベッド脇の小卓の、白い粉が入ったガラスの筒。

 これが夢見と気分の悪さの原因らしい。


「もう、完全に起きたよな? 襲いかかってこないよな?」

「心配ないよ」


 それじゃ、とエドロットはロゼットに短剣を返した。

 弩や鉄鎖、棍棒もベッドの下にもどし、槍も元のようにベッドの脇にたてかける。

 ロゼットは、寝ている間に近づかれると、だれかれ構わず攻撃するという悪癖を持っているので、起こす前に押収したのだろう。


「気持ち悪そうだけど、どうよ? ヤナル先生に診てもらうか?」

「それだけ元気なら、心配ないだろう」


 靴音と水音が同時にした。

 しずくが銀の髪先からたれて、床に点々としみを作る。

 あちゃ、とエドロットは髪をかき上げた。


「ご挨拶だな、ロゼット・ラヴァグルート」


 エセルは洗面器の水をまともに浴び、頬を引きつらせていた。

 が、ロゼットは悪びれもせず挨拶する。


「やあ伯爵。ご機嫌いかが?」

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