10.
翌日、ロゼットは目の下にクマを作っていた。
昨晩の報告を終え、エセルの私室から出てきたキートたちは、恐る恐る尋ねる。
「結局、どんなおしおきを?」
「……一晩中、本の読み聞かせとかゲームの相手」
「なんでそこだけ子供なんだ、神様」
「伯爵に取りついたままでさ。なんかもう、いろんな意味で拷問だったよ」
一晩中、大の男を相手に子供の遊び。精神的にも辛いものがあった。げんなりしながら、エセルの私室に入ろうとする。不意に頭をかるく小突かれた。三回。キートたちが順に小突いたのだ。
「おまえな。一人で抱え込みすぎ。そーゆーのは気遣いっていわねーからな」
「気づかなくってごめんね。ロッツの言動をそのまま受けちゃいけないってのを忘れてたよ」
「いいたいことをスパッといやーいいんだよ。若いうちは」
三人に頭をかき回されたり、膝を蹴られたりとかまわれた後、ロゼットは扉を開けた。後ろ手に戸を閉め、挨拶を口にする。
「……おはよう」
「ああ」
エセルは頬杖をついて、けだるげに手紙を読んでいた。眠たそうにあくびをする。
「昨日のことだけど」
「さっき聞いた」
「自分では覚えてないの?」
「記憶が飛んでるからな」
乗っ取られたエセルは不機嫌だった。
「……の。ごめん」
「なんだ、殊勝に」
「クレイオ逃して。殺すかと思ったから」
「恩ある師の孫だからな。焦るだろうな」
あてこするような物言いだったが、今回はロゼットも言い返さなかった。気まり悪そうにする。
「捕まえようと思えばいつでも捕まえられる。今すぐにでもな。どうにでもなる」
責める気はないようで、エセルは詰問することはなかった。
「ねえ、伯爵」
「貴様にかけた術なら解かないぞ」
いいたいことを先回りされ、ロゼットは口ごもった。
「命を保証する契約だったろう。術を解いたら違反になる」
意趣返しといわんばかりに、エセルは意地悪くいった。
「それに、大量に魔力を消費して、他に術がほとんど使えないのは幸いだ。魔法なんて、人にはいらない能力だからな」
「いつまでつづけるんだよ、この膨大なムダ」
「さあ。私が生きている限りは、一生か」
不意に、エセルはロゼットの足元を指差した。忽然と、ロゼットが失くしたはずの荷物が現れる。
「旅に出るなら、行け。あの男なら、まだ近くにいる」
言葉を証明するように、庭で情けない悲鳴が上がった。クレイオだ。槍も現れたが、ロゼットは動かなかった。エセルは怪訝にする。
「行かないのか?」
「行けっていうなら行くけど」
「旅に出たいといっていたのは、おまえだろう」
「……助けた相手が、自分の家で死んだら目覚め悪いだろうと思ったんだよ」
エセルは目を丸くした。
「最初から、旅先で野垂れ死ぬつもりだったのか?」
「まさか。世界のどこかになら、延命の方法があるかもしれないなって期待もしていたさ」
ロゼットの言い分に、エセルは渋面を作った。
「僕自身が嫌だったんだよ。あの島で、お互いがめでたしめでたしで終わったのは、いい思い出だ。嫌な後日談がついていたなんて知って、君まで幻滅したんじゃ、僕もやりきれない。物語はハッピーエンドがいいよね」
「おまえは……本当に素直は十番目だな」
まったく悪びれていない発言に、エセルは呆れた。呆れてはいたが、目に、声に、冷たさはなかった。
どうして急に旅に出たいなどと突拍子で無謀なことを言い出したのか、旅の理由を尋ねたとき、生意気な口を叩いて逆上をあおるようなことをしてきたのか、気がついた。
庭でまたクレイオの悲鳴が上がる。エセルは屋外に出た。クレイオはエセルの叔父に、不審者め、ともっともなことをいわれていた。
「不審者じゃないですよう。知り合いを迎えにもどってきただけで。ただ、表から堂々とは迎えに来られない身だったので、裏口からこっそり入ってきていた次第で――」
「それのどこが不審者でないのだ!」
もっとな主張をしながら、エセルの叔父はステッキでクレイオをつっつきまわす。クレイオは逃げ惑い、ロゼットの姿に気が付いた。ぱっと顔を輝かす。
「よかった、無事だったんですね、ロゼット! 後から来ないから、どうしたかと心配していました」
「君、だれだっけ?」
さすがに怒っていないわけではなかったので、ロゼットは冷たい態度を取った。
「ここを調べるために、僕をダシに使いやがって。騙されたみたいで気分悪い」
「あああああ、やっぱり怒ってます? 違いますよ、たしかにそのためもありましたけど、貴女のことを心配もしていたんですよ! 黙っていてすみません、ごめんなさい。これも仕事で。これもやらないと、研究の資金を提供してもらえないんです。許してくださいいいい!」
クレイオがまくしたてると、エセルの叔父が過剰に反応した。クレイオの首根っこをつかまえ、顎先に杖を当てる。
「由緒正しき当家を、マスカード家を調べていただと? 貴様、どこのスパイだ。吐け! 不審者め!」
「叔父上、それをおはなしください。その男は、一応、私の客です。乱暴はよしていただきましょう」
「ならん。当家に対する無礼を漫然と許しては、当家の格が下がる!」
「それの処遇を決めるのは、私の仕事です。おはなしを」
エセルがなおも澄ましていうと、叔父は閉じた唇を震わせた。我慢ならないというように。クレイオをはなし、エセルをねめつける。
「まだ自分の立場が分かっていないとは驚きだ、エセル君。領地の管理権も城塞も軍隊も奪われた身で、まだそんなセリフが吐けるとはね」
「お引き取りを」
エドロットたちが強制退去も辞さない姿勢を見せた。叔父は鼻を鳴らす。
「ふん、強気だな。しかし、その強気がいつまでもつかな? 見ていろ、今におまえを当主の座から引きずり下ろし、私の前にひざまづかせてやる」
怒気を孕ませていった。が、なぜか急にふっと表情をゆるめた。なれなれしく肩に手をおき、ささやきかけるようにいう。
「楽しみだよ。君が私に泣きすがる姿を見るのが。早めに降参するなら、手荒なことはしない。君の苦しみつづける姿を見るのも忍びないからね。私にすべてを委ねたまえ」
脂肪ののった白い指が、肩から首筋を這った。
はたで見ていた全員が、ぽかんとした。
予想していた態度と、なにかちがう。激しくちがう。
「君を手に入れるためなら、私はどんな手も使う。覚悟しておきたまえよ」
エセルの端正な容貌をながめ、叔父はうっとりとしていた。
「……なんか、どっかで見たような状況なような」
「師団長たちが、伯爵に忠誠心突き抜けちゃったパターンと似てない?」
「まさか領地ぶんどったのも、かわいさ余って憎さ百倍みたいな?」
三人はぞわっとしたが、エセルはそれ以上だったようだ。おもむろに、近くに立てかけてあったシャベルをつかむ。そして叔父の頭をどついた。
「伯爵、落ち着けええええ!」
「そういうのは俺らがやるから!」
「本心ではないと思うので手加減してあげてください!」
「おそろしい話を聞きたいか? 私はこれに対して魅了の術をかけた覚えはない」
全員が凍りついた。
エセルはザクッと、勢いよくシャベルを地面に突き立てた。
「――全員招集しろ。戦争だ。全面戦争だ。殲滅戦だ。私に喧嘩を売った愚か者どもに豚のような悲鳴を上げさせてやる」
「なんかキャラ変わってる―――――っ!!」
部下たちは互いに互いに身を寄せ合い、ガタガタとふるえた。戦って欲しいと望んでいたことも忘れ、主人を懸命になだめはじめる。
「……あっさり完全復活したな」
「はは、けっこう物騒な王子様ですよねえ」
笑うクレイオの脳天に、自身の荷物が直撃した。だれのしわざかはいうまでもない。クレイオはくわばらくわばら、と震えた。
「伯爵、本当にいいの? このままこいつ、逃がしちゃって」
ロゼットが大声でたずねると、エセルが憮然と振り返った。
「どうならしていいんだ」
「殺す以外ならどうとでも」
「どうとでも?」
「……いいよ。でも、罰の半分は、僕が請け負う」
「いやいやいや、ロゼット。それは私一人が受けますから」
「曲がりなりにも、君を連れてきたのは僕だ。連帯責任だろ」
ロゼットは渋々といった態度ながらも、あくまでクレイオをかばって動かない。エセルは小さく溜息を吐くと、ロゼットの襟首を捕まえた。
「では、バルフォア殿。ペナルティとして、頼りになる大事な弟弟子は人質としてお預かりします」
「へ?」
「下手な報告はしないようにお願いしますよ」
クレイオは目をぱちくりさせた。口も悪く素行も悪く性格も曲がっており、おいておけば確実にトラブルメーカーになる弟弟子をわざわざ人質にとった相手に、ぽかんと口を開ける。
「じゃじゃ馬も。これでいいな? お望み通り、連帯責任だ」
ロゼットは抵抗はしなかった。みぶるいして手を払った後は、エセルのそばにいる。不承不承というように口をとがらせている割に、おとなしい。
「クレイオ、エセル・エヴァンジェリンはいたいけな子供を人質にとる悪い魔法使いだって報告してやれー」
「ほおおおお。悪い魔法使いらしく、おまえをカエルにでも変えてやろうか」
「毎晩耳元でゲロゲロ鳴いてやる」
「寝ている間にうっかり誤って仕方なく潰してもかまわないな?」
二人は遠慮も会釈もなくやっぱり仲悪くにらみ合う。ロゼットの天邪鬼さをよく知っているクレイオが、くっと笑った。
「ロゼット、情けない兄弟子は、やっぱり今回も置いていくことにします。すみませんねー」
「ハイハイ。最初から期待してないからいいよ」
「ええ。実家にはいつでもどうぞ。家族にはいっておきますから。それじゃ」
そーれーでーはー、とクレイオは大きく手をふって去って行った。姿が見えなくなると、ロゼットは腰に手をあて、溜息を吐く。
「やれやれ。うるさいやつがようやくいなくなった」
「邪険にしたりかばったり。忙しいな。むこうは別に自分に恩返しをして欲しいなんて思っていないだろうに」
呆れまじりにいわれ、ロゼットは口をとがらせた。
「分かってるよ。半分は僕の勝手な思い入れだ。……中身は全然だけど、手とか背中とか背格好とか、師匠と似てるんだもん。だからどうしても」
「……十一番目はデレか」
「何か言った?」
「いやべつに」
エセルは館へと踵を返した。ロゼットも軽やかに身をひるがえす。
五人のにぎやかな話し声が、薔薇の庭の奥、館の中に消えた。




