2.
むかしむかしのことです。
この島には、神さまと、神さまに仕える一族がいました。
神さまに仕える一族の名まえは、エヴァンジェリン。
エヴァンジェリンは神さまと血を交わらせていたので、魔法を使う力をもっていました。そして、島の人びとにさまざまな予言や奇跡を起こしてみせました。
島の人びとは、神さまと同じくらい、エヴァンジェリンをあがめていました。
けれども、エヴァンジェリンは次第に、自分たちのために魔法を使うようになりました。じゃまな人には呪いをかけ、人の宝物を横取りしたりしました。
島の人びとは泣きました。エヴァンジェリンを倒したいと思いますが、彼らには魔法があって、とてもかないません。
そのとき、三人の勇気ある人が現れました。三人は、神さまに祈りました。エヴァンジェリンを倒す力をお与えください、と。
神さまはその願いを聞き届けました。そして、バラを一枝、彼らに授けました。魔法のバラです。
三人がバラを茎と、蕾と、花に分けて受け取ると、彼らはふしぎな力を持ちました。
三人のうちの一人、ラヴァグルートは茎を食べ、だれにも負けない優れた身体を。
三人のうちの一人、セレスティアルは蕾を食べ、どんな傷も病を癒す力を。
三人のうちの一人、アヌシュカは花を食べ、人をまどわせる力を。
こうして三人は、エヴァンジェリンを倒し、立派な国を作りました――
* * * * *
「――というのが、この島の住人ならだれもが知ってる、この島の建国話。そんなわけで、僕は妙な力を持ってる」
ロゼットは砦の城壁の上で、逆立ちをして見せた。片手をはなし、左腕だけで立つ。
「ラヴァグルート一族は、総じて人間ばなれした身体を持つ。僕の場合は、武術の師匠について武芸を習ったから、さらにね」
「なーるほどねー……」
ロゼットの話しに耳を傾けていたオレンジ頭の男――キートは遠眼鏡を取り出し、乱戦真っ最中の人の群れに目をむけた。
「だから、ラヴァグルートの王サマたちはあんなに厄介なわけね」
巨大なメイスが一閃し、人の群れをなぎ倒した。なぎ倒された人びとの中心に、全身を鉄鎧で身を固めた男が立っている。男は鎧の重さも、メイスの重さも感じさせない動きで、ずんずんと敵陣へと踏み込んでいった。
鉄兜に刻まれているのは、王家の紋章である赤いバラ。ラヴァグルート王だ。
戦場には、他にも同じ兜をかぶった兵士がいた。王子たちだ。王と同じく、人をなぎ倒し、跳ね飛ばし、小さな竜巻を巻き起こしていた。
「戦力に差があるのに、なんでわざわざ野戦をしかけてきたのか謎だったけど、ようやく分かったわ。勝てるって過信持つわけだ」
キートはぽりぽりと頬をかいた。マスカード伯側としては、ある程度実力を見せ付けたあとは、戦うことをせず、交渉によって無血開城を迫る予定だった。ところが、ラヴァグルート側は応じず、戦いをしかけてきたのだ。
「骨の髄まで筋肉の王サマだから。同じ一族として恥ずかしいよ」
ロゼットは城壁に頬杖をつき、長くため息を吐いた。キートも同じく頬杖をつき、ラヴァグルート王の戦いぶりを観察した。
「……でもさー」
「何?」
「でもさー……あのさー……あれはないだろ、あれは。おとぎ話の中の怪物か、ありゃ? 人間じゃないだろ」
ラヴァグルート王は、片手で人間を投げ飛ばしていた。キートは非現実的な光景から目をそらし、同じく隣でそっと目をそむけた金髪の男――エドロットと額を付き合わせた。
「ここは夢の世界だよな。夢の世界。幻。神さまだとか、魔法だとか、そんなの嘘だよな」
「当たり前だろ。そんなの伯爵だけで十分。この島の住人は全員夢見がちなんだ、きっと」
キートとエドロットは、よし、と深くうなずいた。二人にしてみれば夢の世界の住人であるロゼットは、腰に手を当ててあきれる。
「なんで君ら疑ってんの? 大陸の人間って、夢見がちだね。魔法が存在しないなんてさ、そんなの夢だよ」
「だれが夢見がちだ! 夢はそっちだろ!」
「夢の世界の住人に現実見ろとかいわれたくねーよ!」
激しい抗議に、ロゼットはますます呆れた。そばで聞いていた彼らの主人――エセルが話に割って入る。
「大陸では、こんな世界はありえない。魔法はおとぎ話、そしておとぎ話はおとぎ話、現実には決してないありえないこと」
「そうなの?」
「口には気をつけろ。さっきの話を本気で話そうものなら、頭の働きが弱い子供に見られるぞ」
エセルはふっと鼻で笑った。文明の進みの遅さを笑っているようだった。ロゼットは片眉を上げたが、争うことはしなかった。両手を組んで、腕の筋肉を伸ばす。
「さて、と。準備体操終了。行ってくる」
「よく行く気になるな、あれ見て」
「たいした相手じゃないよ、キート。見た目はハデだけど、動きに隙がありすぎ。あいつが一振りしいる間に、僕は槍を三度刺せる」
ロゼットは槍の切っ先を、ラヴァグルート王に向けた。刃が太陽の光に燦然とかがやいた。
「マスカード伯、君らは出撃しないの? こんなところに突っ立って傍観を決め込んでるけど。それとも、あんな野蛮な戦いには参加できないほどお上品? 吹っ飛ばされてる君らの部下は、気の毒だね」
ロゼットが肩をすくめると、エセルは腕を組み、冷ややかに返した。
「率直な意見をどうもありがとう、ロゼット・ラヴァグルート。だが、もう少し礼儀をわきまえてするべきじゃないか?」
「おかしいな。僕、目上の人に礼儀正しいって、よく言われるんだけど」
「言い直そう。自分の立場をわきまえた方がいいんじゃないか?」
「充分にわきまえてるよ、僕は。そのセリフ、そっくりそのままお返しするよ」
挑戦的な緑の目と、どこまでも冷ややかな青い目が交錯した。キートとエドロットがうわあ、と手を上げる。
「相性悪そうだな、あの二人」
「だな。これじゃ敵か味方かわかんねえよ」
取引の成立した仲だが、二人の関係は穏和と程遠い。
「あ、ねえ――ええっと」
「ロッツ。普段は男として生活してるっていっただろ? 簡単な名前なんだから覚えてよ、ヤナル」
「ごめん、ロッツ。これ、持ってきなよ。きっと役に立つから」
黒髪の男――ヤナルが布袋をロゼットの手のひらに置いた。中に黄色がかった粉末が入っていた。
「何これ」
「催涙剤。どんなに強くても、薬の作用には勝てないだろ?」
「ふうん。君が作ったの?」
「本当は俺、医者なんだ。今回だけ無理いって兵士になってる。これでも弓には自信あるんだけど、実際に人を相手にすると、どうもうまくいかなくて」
自分より小さいが勇ましいロゼットに、ヤナルは恥ずかしそうに頭をかいた。
「一応もらっとくよ。使わないと思うけど」
ロゼットは腰のベルトに袋をくくりつけると、城壁に立った。下から吹いてくる風が、髪をあおる。
ラヴァグルート王の勢いは衰えていない。しかし、ラヴァグルート兵たちはそうは行かない。王の側をはなれ、散り散りになっていく。空いた空間はマスカード伯の兵に埋められていった。
いくら善戦しようとも、ラヴァグルート王は怪物ではなく、人間だ。先の見えた戦いだった。
「そろそろ出撃しないと、終わっちゃうね」
鉤のついた縄をにぎる。
「さて、お祭りだ!」
壁の角に金具をひっかけると、ロゼットは勢いよく壁を蹴った。