7.
自室に帰るなり、ロゼットは部屋の鏡を叩き割った。
部屋の隅で手帳をめくっていたクレイオが、びくっと飛び上がる。
「ロ、ロゼットー?」
「何」
不機嫌そのものの返事に、クレイオは肩を縮めた。刺激しないように、へりくだった態度になる。
「報告は終わりました?」
「終わった。部外者は黙ってろって」
「あなたがやると、館を破壊しそうですもんね」
途端、じろりとにらまれ、クレイオはひっとさらにちぢこまった。
「なにかそんなに気に入らないことでもあったんですか?」
「べつに。ただ、気に入らない顔があったから」
「自分の顔、そんなに嫌いなんですか?」
「嫌いだね。吐き気がする」
「そうですかねえ。お母さんに似て、きれいになってきたじゃないですか」
「君って骨もなければ神経もないんじゃないの?」
ロゼットは苛立つどころか殺気立った。骨無しかつ無神経なクレイオは、ようやく失言に気がつく。ロゼットは自分の一族全員を、母親をも憎悪していたのだ。
「目の玉えぐり出してやろうか。そしたら、何も見なくて済む」
「ダメですよ。そんなことしたら、何のために生き残ったのか、分からないじゃないですか」
クレイオは心配そうに手を伸ばしたが、その手は乱暴に振り払われた。クレイオは困った顔で立ちすくむ。
「――聖人にはなれなくても、私は、あの日、あの時、島から旅立つ時、その努力をすればよかったかもしれませんね。あなたを連れて行けばよかった」
「どうして。無理だよ。冠を持っている僕を、あいつらが逃がすわけないじゃないか」
「ええ。でも、すればよかった。そうすれば、今もあなたが苦しむことはなかったのに」
クレイオは苦い顔をした。かがんで、ちらばった鏡の破片を拾う。
「すみません、本当に情けない大人で。私は怖かったんです。十六で死ななければいけない人間と、どうやって向き合っていればいいのか、分からなくて。
だから旅立つ時、おじいさまがあなたより先に逝くであろうことを知っても、ひょっとしたら大丈夫かもしれないなんて、自分に都合のいい希望を持って、あなたたちに背を向けた。
残っても、私にはとうてい、あなたを守ったり、よい人生を教えられる気もしなかった。私自身、おじい様のいうことが納得できていなかったから。
やられたらやり返したいと思うのは人の性。傷つけられ、奪われた尊厳を取り戻したいと思うのは当然でしょう?
あなたが怪我をして帰ってきたとき、それでも許してやれていう祖父に、私は怒りを覚えましたよ。なんて残酷なことを言うのだろうと。一方的に傷つけられ、耐えるだけの人生をどうして強いるのかって。
そんな考えだったから、もしあなたに復讐の是非なんて問われたら、むしろ復讐をそそのかしてしまいそうで。
事実、私が去って、おじい様が死んだ後、あなたがやり返す姿を想像したとき、止める気なんて全く起きませんでした。自業自得だと冷静でした。
でも、やっと今、分かった。復讐される側は自業自得で済むけれど、する側は、それでは済まないのですよね。傷口に敵の血を塗りつけたところで治りはしない」
クレイオは自嘲をこめて、笑った。呆けたようにこちらと見つめているロゼットに、目をほそめる。
「あの世でおじい様に怒られることがあったら、一緒に怒られましょう。私も同罪です」
「ずっと、そんなこと思ってたの? 私は気にしたことなかったのに」
「はは。あなたが気にしてなかったなら、それはそれでいいんですけど。私としてはずっと、心に引っかかっていたものですから」
「全然気にしてなかったよ。ホント。むしろ君がいなくなったときは安心してた。師匠が君について帰るって言いだすんじゃないかってビクビクしてたんだ」
「え。ひょっとして、ロゼットにとって、私って単なる邪魔者?」
「うん。師匠が君の小さい頃の話するの、すごくヤだった」
クレイオは、さいですか、と力なくつぶやいた。
「でも、ありがとう。気にかけてくれて」
「私に気遣われて、人生いよいよ終わりだって気になったりはしません?」
「今は君以上に気遣われたら終わりだって思ってるやつがいるからね」
ロゼットは自分も屈んで、破片をひろった。指を傷つけないように慎重に。落ち着いたロゼットの様子に、クレイオが目元を和ませる。
「ところでロゼット。あとで私をどうこうしてくれてもいいので、怒らないで聞いて欲しいんですけど」
「うわ。なんか聞き覚えのある嫌な前置きが」
三十路男にもじもじしながら上目づかいにされ、ロゼットは背中に悪寒が走った。
「じつは昨晩の変な獣、使い魔かもしれないです」
「使い魔?」
クレイオは恐る恐る筒を差し出した。昨日、クレイオが階段で荷物をぶちまけたとき、話題に出た筒だ。
「これの蓋のあいていない容器が足りないんです。回収し忘れたコレを、だれかが拾って開けてしまったのではないかと……」
ロゼットは怒らなかった。
三秒間だけ。
「あとでどうもこうもしないから今すぐ怒らせろおおおお―――――っ!」




