3.
「で。本気でなんか仕事ない?」
滞在しはじめて数日。
ロゼットは足をぶらぶら揺らしながら、退屈そうにたずねた。
「もう暇か」
「館も町もあらかた探索しおわっちゃったし。いつまでも客人待遇だと心身がなまるよ。何か仕事ちょうだい。前にいった通り、早く路銀を稼ぎたいんだ」
エセルは少し考えると、引き出しから手紙を取り出した。
「これを届けに行ってくれ。場所は書いてある通り。分かるか?」
「了解」
「そんなに急いでどこへ行きたいんだ?」
「べつに目的があるわけじゃないけど」
「なら、そんなに急かなくてもいいだろう。行く場所によっては帝国領も物騒だ。もっとこちらの地理を覚えて、慣習にも慣れてからの方がいい。すぐにどこか別の場所を見たいと言うなら、視察に一緒に連れていってやる」
エセルは冷静に諭したが、ロゼットはあまり真剣に聞いているふうではなかった。手紙を懐にしまうと、身軽に椅子から立ち上がる。
「ロゼット」
「聞いてるよ。聞いてるけどさ。どうでもいいじゃないか」
「何が」
「先を心配しすぎたって仕方ないっていってるの。どうにかなるよ」
「浅慮と無謀は寿命を縮めるだけだ」
「深慮と遠謀があったって死ぬときは死ぬ」
二人の意見はどこまでも一致しない。エセルがますます顔をしかめ、諭そうとしたが、ロゼットは小馬鹿にしたように肩をすくめた。
「あのさあ。あんまり先のことばっかり心配してると、ハゲるよ?」
「出かけるついでに、貴様はどこかに捨ててきたかわいげというものを拾ってこい」
エセルは額に青筋を浮かべ、さっさと行けと手を振った。
手紙の届け先は、町のとある商家だった。少し遠いが、暇な身にはいい散歩だ。のんびり往路を楽しみ、手紙を届け、復路ものんびりゆく。行きとはちがう道をえらび、遠回りした。
「余計なお世話だっていうんだよなー。この先のことまで心配してくれなくたっていいっていうのに」
ロゼットは口をとがらせながら、道端の石を蹴った。自分の身体を見下ろし、かるく溜息を吐く。
「ま……この年まで生きているだけ、奇跡だよね」
ロゼットは先ほどの石を、さらに蹴った。石は石畳をころがり、人だかりにまぎれこむ。見るでもなく、人だかりの中心が見えた。人相の悪い男が、壁際に男を追いつめて咆えかかっている。
「ごちゃごちゃいうんじゃねえ! オレの服を台無しにしやがって! 落とし前はキッチリつけてもらうぜ!」
「ひいいいいい! しみ抜き後に洗濯させてもらいますからっていってるじゃないですかあ」
壁際の男は情けなく叫ぶ。背の高い男だ。咆えかかっている男よりも頭一つ分高いが、猫背ぎみで、せっかくの長身が台無しだった。顔つきも、眉尻は垂れ、目が細く、情けない。
ロゼットは眉をひそめた。
「金五枚、弁償しろやコラア」
「私の身なりを見てくださいよ、そんなにあるわけないですよ」
「知り合いでもだれでも借りろやア!」
「知り合いっていわれても、今、旅先なので知人なんて――」
壁際の男は下がっている眉尻をさらに下げた。細い目で周囲を見回すが、途方に暮れた顔つきになる。
そんな中、ロゼットは脅す男の肩を叩いた。
「ねえ、おじさん。その辺にしといたら。警備兵が来たよ」
「あんだと、小僧。どこにいるってんだ」
「ここに」
ロゼットは男の鼻の下めがけて思い切り拳を叩きこんだ。脅していた男は、情けない悲鳴を上げて地面にへたりこむ。
「ええっと……ありがとうございます。大変助かりました」
「久しぶりだね、クレイオ。相変わらずヘタレてるね」
背の高い男は、目を瞬かせた。
「前とは姿も背格好も違うから、分からないかな」
「――まさか……ロゼット?」
返事の代わりに、ロゼットは口の端をあげた。クレイオと呼ばれた男は、糸ほどに細い目を毛糸ほどに見開く。
「なぜ大陸に? いえ、それより、どうしてまだ」
「色々あってね。呪いが解けた」
「解けた? どうやって」
「さあ。とにかく解けたんだよ」
クレイオは目を点にした。恐る恐る、ロゼットの前髪をかきあげる。
「本当に、なくなって」
額に忌まわしい印がないことを認め、クレイオは唾を呑んだ。
「今はどこで何を? 見たところ、暮らしぶりは悪くないようですが」
ロゼットの今の出で立ちは、絹のシャツとネクタイに、白蝶貝のボタンがついたベスト、そろいのパンツに革靴と、どこぞの貴族の子息のような服装だ。元は、昔エセルが使っていたものだ。サイズがちょうどよかったので借りている。
「どこか裕福なおうちの養子にでもなったんですか?」
「ちがうよ。これは借り物。今はあそこの主人のところに厄介になってる」
ロゼットはゆるやかな丘の上の、白い優美な館を指差した。クレイオが手を打って喜ぶ。
「ちょうどいい。これから、あそこに行く用事があったんです。連れて行ってくださいよ」
「え……連れて行くの?」
あからさまに嫌な顔をしたが、クレイオはまったく意に介さなかった。ロゼットの頭に手をおき、にこにこと笑いながらいう。
「君と私の仲でしょう。仲良く行きましょう」
クレイオは自分の荷物を積んだ馬を曳き、坂を上りはじめた。ロゼットは顔をしかめ、結局、何もいわずに細長い影を追った。
*****
館の庭園は、バラが盛りを迎えている。大小さまざま、色さまざま、種々雑多にバラが咲き乱れている。花は甘くかおり、葉は緑豊かに生い茂り、白い館をつつむように存在していた。
「さすが帝国屈指と謳われる庭。うつくしい。眼福です」
繚乱の庭をながめ、クレイオが夢見心地でつぶやいた。館はガラス窓がふんだんに使われ、明るく澄んだ光に満ちている。初夏の日差しを浴びながら、クレイオは身体の正面を元にもどした。
「もちろん、それ以上に伯爵様のお姿は眼福ですが」
「……」
言われた方――エセルは顔の前で両手を組み合わせたまま、応えあぐねた。慎ましやかに眉間にしわを寄せ、視線を右にずらす。
ロゼットはため息を吐くと、また庭園に見とれているクレイオの袖を引っ張った。いかにもやる気なさそうな、気だるげな動作だった。唇を重たそうに持ち上げ、紹介をはじめる。
「紹介するよ、伯爵。これは僕の友人の、クレイオ・バルフォア。自称のつく学者で、あちこち放浪してる。クレイオ、こっちは僕が厄介になってる館の主、エセル・マスカード様だ」
エセルの眉がわずかに上がった。物珍しそうに、部屋の中を縦断する人影を凝視する。その視線の意味を充分に察し、ロゼットはすかさず皮肉を吐いた。
「『こいつに友人だと? おいおい、知人が関の山だろう。どんな寛大なやつなんだ。なんだか胡散臭いな』。以上、伯爵の心中より」
「勝手な解説をするな」
エセルは客人の顔色をうかがった。しかしながら、行きすぎた配慮だった。クレイオは依然としてにこやかに笑っていた。
「お初お目にかかります、伯。うわさは当てにならないといいますが、本当ですね。うわさ以上に、おうつくしい。特に、その銀の髪は見事です」
エセルは憮然とした。ロゼットはまた口を開く。
「『容姿を褒められても嬉しくない。しかも、男に。それ以上褒めたら、貴様をホ○と断定し、殴ってやる』。以上、伯爵の本能より」
「わざわざ解説するな」
「へえ、図星なんだ」
ロゼットの若葉色の目が好戦的にかがやき、エセルの薄氷の目には吹雪が兆した。二人はにらみ合い、臨戦態勢に入る。
だが。
「ロゼット、お世話になっている方に対してその態度は失礼でしょう。やめなさい。そんなふうに育てた覚えはありませんよ」
「育てられた覚えもないよ」
ロゼットは澄まして反論したが、口をつぐんだ。エセルはますます意外そうにする。
「『このじゃじゃ馬を従わせるとはいったいどういう手を使ったんだ。思ったよりすごいやつなのか?』。以上、伯爵の理性より」
「ロゼット!」
クレイオがたしなめると、ロゼットは口を閉ざした。渋々と顔に書きつつも、争う気はないと、自分から目線をそらす。
「申し訳ありません、伯。この子ときたら、一に憎まれ口で、二に皮肉、三に反抗、四にひねくれ、五に攻撃なものですから」
「わかります。素直は十番目ぐらいでしょう」
「さすが伯。その通りです」
「……」
言いたい放題に評価されても、ロゼットは何も反撃しなかった。じっと沈黙を守る。エセルは空模様が急変しないか心配するように、窓の外を見やった。
「ロゼットがお世話になっているそうですね。ありがとうございます。しかし、失礼ですが、一体どういった経緯で?」
「島に攻め入ったとき、仲間にしたのが縁ですよ。今は客人として招いています」
「客、ですか。この子が」
「ええ。今のところは。本人が希望するなら、ここで働いてもらおうかと思っていますが。何か?」
「いえ、それなら結構です。男の子のかっこうなんてしているので、いったい何があったのかと」
「そのかっこうは本人の希望ですが」
「ですよね」
クレイオはほっと胸をなで下ろし、おそろしいことを口にした。
「私はまさか伯のご趣味かと」
パキ、と和やかな雰囲気に亀裂が入った。
「いや、世のお貴族の中には、男の子に女の子の服を着せて、美少女に仕立て上げ、周囲に侍らすなんていう変わった趣味の方もいらっしゃるものですから、ちらりとそのことが頭をかすめまして。
ほら、この子ってそちらの捕虜になっていてもおかしくない身でしょう? まさか、さっきの逆を強要されているのではと邪推してしまいまして。
ははは、すみません。やんごとない方々のすることって、時々、謎ですよねー」
クレイオはやんごとない身分の相手に、同意を求めた。そばで、ロゼットは頬を引きつらせる。恐る恐る、エセルの顔色をうかがった。
予想通りに、ブリザードが吹き荒れていた。
端麗な美貌が最上級の笑みを形作る。
「いいお天気ですね、クレイオ・バルフォア殿」
問答無用の発言無視。微笑に温かみはなく、温度は氷点下を切っている。
「……えー、あー、そうですね。いい天気です。はい」
クレイオはようやく己の失言に気づき、咳払いを一つした。気まずい雰囲気をなんとかしようと、話題を変える。
「ところで、ここに来させていただいた用件はですね、あの島――この子のいた島について、お話をお伺いしたかったからなんですけれども、よろしいでしょうか?」
「あの島についてなら、隣のご友人にお聞きすればよろしいかと思いますが」
「さっきこの子が申しましたように、ワタクシ、学者なんてものをやっておりまして。地方特有の文化や風習について調査、研究をしているんです。
で、研究の一環として、大陸の方々から見たあの島の在り様について意見をお伺いしてみたいと思いまして」
「時代に置き去りにされた前時代的な島でした。今後、思想や文化において、多分に開発を要する島ですね。以上です」
エセルは端的かつ冷淡に言い放った。手帳とペンを手に、クレイオがへらっと笑う。
「前時代的で、非常にユニークだったでしょう? なにせ魔――」
「一部の部下の間では、現実にはありえない非常識なことがあったという声もありましたが、私は信じておりません。
怪力? 心身を強壮するような妙な薬でもやっていたんでしょう。治癒の魔法? そんなもの、本人の思い込みです。病は気からといいますし。幻覚? 集団ヒステリーですね。最後の国に攻め入ったときは、兵も疲弊していましたから」
クレイオは笑った顔のまま、固まった。エセルはトドメとばかりに、十八番である軽蔑のまなざしを刺す。
「まさか魔法なんて、子供でも信じていないことを本気で信じていらっしゃるわけではありませんよね?」
「……」
クレイオは冷たい言動の吹雪にさらされ、凍った。
隣で、ロゼットは視線を斜め上にやりながら、頭をかいていた。魔法使い本人が魔法を否定している。この上なく白々しい光景だ。しかし、魔法が嫌いなエセルにしてみれば、当然のことだった。
「クレイオ、ムダだよ。この伯爵さまはそーゆーの大嫌いだし、信じてないから」
「あなたという非常識が目の前にいるのに!?」
クレイオは納得いかない様子だったが、エセルが急に壁に飾ってある剣を手入れしはじめたので、一瞬にして黙した。手帳も閉じる。そこまで空気の読めないオトナではなかった。
「ど、どうもお邪魔いたしました。さ、いきましょうか、ロゼット」
「どこに? 僕、ここのお客なんだけど。君と違って」
「ひひひひどいいいいいっ! それなりにあなたのこと心配してきたのにいいいい!」
「君に心配されたんじゃ、僕、いよいよ終わりだって泣きたくなるなあ」
「わかって……わかってましたけどっ! 相変わらずおじいさま以外には愛想も素直も皆無っ」
「親切にはしてやってるだろ。君が師匠の孫でなかったら、チンピラにボコられてもほっといてるよ」
「――ちょっと待て。孫?」
エセルはロゼットの一言を聞きとがめた。
「あれ? あ、そうか、あまりのやる気のなさに、重要なところを抜かしたね。そうだよ、クレイオ・バルフォアは僕の師匠の弟子にして」
「孫です」
クレイオはぺこりと頭を下げた。




