2.
館は外観を裏切らず、中もたおやかだった。調度品や彫刻は装飾的で、随所に、遠い土地からとり寄せたらしい絨毯や陶磁器、発色あざやかなガラス細工などが飾られている。ロゼットはそれらをながめながら、エセルの後をついて歩いた。
「まったく、来るなら来ると事前に連絡しろ。そうしたら迎えの一人くらい寄越したのに」
「仕方ないだろ。親切な神様が魔法で送ってくれたりなんかするから、手紙より先についたんだよ。こんなことになるってだれが予想できるんだ」
「その点については考慮しよう。だが、来て一分もたたずにトラブルを起こすか? ふつう。挨拶代わりに人に刃物を向けて。口より手が出る性格は変わっていないようだな」
「君こそ厭味ったらしい性格は変わってないね。君が早く出てきてくれてよかったよ。警備兵を全員倒した後じゃ、さすがにここに居づらいもの。犠牲が少なく済んでよかった」
「帰れこのトラブルメーカー!」
エセルが腹に力をこめて怒鳴ると、ロゼットの後ろでどっと笑い声がわいた。
「やー、久々に聞いたわ、伯爵の怒鳴り声」
「ロッツ、元気そうで何よりだよ」
「嬉しそうにしちゃって」
キートとヤナル、エドロットが、怒る主人とは対照的に、楽しげに笑う。エセルは眉を逆立てた。
「嬉しそうに見えるか、これが」
「見える」
全員に力強く肯定され、エセルは憤懣やるかたなく黙る。応接室に入ると、座れ、とつっけんどんにロゼットに椅子をすすめた。これも身体をつつみこむようなやわらかい形をしている。
「思っていたより、小さくて平和的なおうちだね。あれだけ自分で軍隊もっていたから、もっと大きくてごつい城に住んでいるかと思っていたけど」
「前はそういう城に住んでいたが、今は人の手に渡ってる。軍備は縮小。領地も親戚縁者が管理だ」
「へえ。いやに短期間に色々と手放したんだね」
「そうだな」
エセルは落ち着き払って肯定した。なぜか、エドロットがやれやれと肩をすくめる。
「島に遠征している間に、親戚連中が工作して、城やら領地の管理権やらをぶんどっていったんだよ。伯爵は、当主という名はそのままに、ここに押し込められているってワケ」
「何だそれ。留守の間にしてやられたの?」
「そーゆーコト。だってのに、伯爵は落ち着き払って、まあ」
「島のことさえ片付けば、その辺りのことは別にどうでもいい。欲しければくれてやる。その方が悠々自適に暮らせるしな」
エセルは全く悔しがっておらず、むしろせいせいしたという様子だった。すまし顔で、茶を口に運ぶ。ヤナルがロゼットの治療をしているのを見て、ふっと笑った。
「お互い、まともにもどれて何よりだな」
ロゼットの身体には、バラのとげでできた傷がある。傷口は赤い血がにじみ、消えずに身体に残っている。
「どうだ。人なみの身体になった感想は」
「まだ慣れないな。身体は前のままだった方が使い勝手がよかったよ」
「使い勝手って、ロッツ、モノじゃないんだから」
ヤナルは細かな傷、一つ一つに薬をぬり、必要があれば布を巻いていく。丁寧な作業だった。こうしてまともに手当てが必要な身体になったことを、当人よりもヤナルの方が喜んでいるようだった。
「まとも、ねえ。まともになったのかなあ。神様は君に対してラブコール送ってるんだけど」
「知るか。俺はもうエヴァンジェリンと関係ない」
「伯爵、これ、神様から手土産だから」
ロゼットは荷袋を前へと押し出した。エセルが触りたくもなさそうにしたので、代わりにキートとエドロットが開け、ぴゅうと口笛を吹く。
「短剣だの銀杯だの杖だの香木だの、全部呪具のたぐいだな。ますますいらん。魔法なんてもう使えないからな」
「使えない?」
「島で魔力を使い果たしたらしい。まったくだ」
「嘘だあ。回復するもんじゃないの?」
「普通はそうだ。が、なぜかしない。そういうこともあるんだろう」
エセルは涼しい顔で疑問を流した。贈り物もさっさとエドロットに押し付け、かかわりあいたくないことを前面に押し出す。
「君が魔法が使える使えないは、僕にとってどうでもいいけどさ。その贈り物のせいで僕の荷物がどこかにいっちゃったのは、責任とってよ? おかげでお金も着替えも何にもないんだから」
「貴様にいつも何かたかられている気がするのは気のせいか?」
「頂戴とはいってない。貸してっていってるだけ。
服の一着くらい、あるだろ? キートたちの着ている警備兵の制服でもいい。そうだ、それでいいな。それ着て、今日から警備兵としては働かせてもらおうかな。路銀稼ぎたいんだよ」
「路銀? どこか旅にでも行くのか?」
「せっかくだから、大陸を回ってみようかなって。あちこちうろついてみたいんだ」
「一人でか? 物騒だぞ。島とは勝手がちがうし、今は普通の人間なんだろう。女子供なんていいカモだ」
「身の安全については、商隊に同行させてもらうとかして考えるよ。君に心配されるまでもない。いいでしょ?」
エセルは好きにしろ、と手をふった。ところが、キートとエドロットが難色を示す。
「制服の予備とか、ないの?」
「いや、それはあるけどよ」
「おまえが現れたと知るや否や、一部の連中が騒ぎ出してさ」
島に遠征した警備兵の間で、赤い悪魔が、ネズミの皮をかぶったクマが、凶夢の塊が来た――といった叫喚が湧き起ったらしい。
「島にいたとき、おまえがあいつらに、僕に近づくと呪いがかかるぞ、なんておどかすから。おまえが一緒に働くなんていったら、辞表出しかねないぞ」
「じゃ、他に何かある?」
「俺の診療所の手伝いでもする?」
「申し出はありがたいんだけどさ、ヤナル。そこだと逆に僕が不安だな。人間の骨って、一日あればくっつく? 血って半分ぐらい失っても平気だよね?」
「あ、うん、ごめん。俺も不安になってきた」
常識はずれな問いかけに、ヤナルはつっと目をそらした。キートとエドロットと困ったように視線を交わしあい、主人の方を向く。
「じゃあ、まあ、こうなったら」
「伯爵のおそばが一番ですよね」
「最終責任者は伯爵だもんな」
三人はぐい、と椅子ごとロゼットを主人の方へ押し出した。
「そろそろ巡回の時間なんで」
「俺も診療を再開しないと」
「俺の巡回の時間が遅れると、町の女の子たちが心配するし」
「一緒に連れて行けばいいだろう」
エセルは顔をしかめていたが、そんなことは部下たちの知ったことではない。
「ロッツ、また後でな」
「夜になったら一緒に呑みに行こうね」
「伯爵、毎日ヒマしてるから、遊んでやれよ」
「仕方ないなあ。君らに迷惑をかけるわけにはいかないもんね」
ロゼットは肩をすくめ、キートたちを気遣った。エセルをよそに、四人は和気藹々とする。
「おまえは気遣いの使いどころを知らないのか?」
「知ってるよ。君より知ってるってことを今から説明してあげるよ」
「知っているなら、説明よりも行動で示したらどうだ?」
「じゃ、失礼しマース」
にらみ合いをはじめた二人を置いて、キートたちは元気よく仕事へ戻っていった。




