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いばらの冠  作者: サモト
薔薇の花冠
22/53

1.

 ステンドグラスを抜けて、陽光が惜しみなく流れ落ちていた。赤に青に白に黄色に紫に緑。広間の奥には、まばゆい光の紗ができあがっている。


 ロゼットは目を細め、紗の奥に目を凝らした。だが、そこに座るす者の姿を見ることは叶わない。ただ光だけが目に飛びこんできて、まぶしい。白い闇があった。


「どこへ行くの? いばら姫。僕に何もいわず」


 光の帳の奥から、女性の声がした。耳にやわらかく響く、上品な声だ。口調とちぐはぐで、どうにも奇妙だった。


 しかし、ロゼットは気にしない。初めてのことではなかったので、平然としていた。肩に槍を担ぎなおし、光の奥を見据える。


「ちっ、起きてきたか。寝てるときを狙ったのに」

「甘いよ。この島の神様である僕に気づかれず、島から出られると思ってるの?」

「巫女さんにだけ挨拶していこうと思っていたんだけど。君が憑りついていたなんて、最悪だ」


 ロゼットは思いっきり顔をしかめた。


「大陸に行くの?」

「不自由なく動けるようになったし、もうここに用はない。さよならだ」

「残念だな。君にはもうちょっとここに居て欲しかったのに」

「いいじゃないか。僕がいなくなったって、君には神官って言う忠実な僕が残るんだから」

「だからじゃないか。退屈すぎる。僕は犬は好きだけど、毎日毎日犬とばかり遊ぶのはちょっと」

「僕の知ったことじゃない」

「愛してるよ、いばら姫」

「あっそう」

「冷たいなあ」


 広間にくすくすと忍び笑いが湧いた。


「エセルによろしく」

「あいつのところに行くとはいってない」

「いいや。行くよ。君は絶対に。そういう運命だもの」


 ロゼットは不快そうに眉をしかめた。それに比例して、笑いは大きくなる。ロゼットはますます眉間に峻険な山を作った。


「金髪碧眼の美少女をよろしくね」

「はあ?」

「子供の話。僕のお嫁さんにするから。エセルにがんばってね、って伝えておいて」

「ものすごく嫌がられそうだね。……うん。よし。嫌がらせに伝えとこうかな」


 それってどうなの、と幼い神は呆れた。


「いばら姫もがんばってね。大変だと思うけど」

「何が? 大陸の暮らし?」

「色々。身体を大事にね。むちゃしちゃだめだよ? 短い命なんだから」


 気遣いに対し、ロゼットは露骨に嫌そうにした。さっさと踵を返す。


 とたん、背負っていた荷が重みを増した。ずしり、と荷袋のひもが肩に食い込む。


「……何した」

「エセルに贈り物。いつでも呼んでって言っといて」

「僕の荷物は」

「どうでもいいよね? 君の荷物なんて」


 神様はあっさり言い放った。


「ああ、いばら姫。生まれたときにいばらの冠を被せられた、かわいそうないばらの姫」

「何度も呼ぶな。だいたい、僕にはちゃんとした名前がある」

「ロゼット・ラヴァグルート、だっけ?」

「そうだよ。まだ何かあるの? さっさとしてくれるかな。時間がないんだ」

「時間がない。ああ、時間。時間なんてたいした問題じゃないよ、ロゼット」

「たいした問題だよ。予定の船に乗り遅れたらどうしてくれるんだ」

「そんなことはありえないよ」

「それも運命?」

「だって、君はその船に乗らないもの」


 は、と間の抜けた声を出した瞬間、ロゼットは身体がかるくなるのを感じた。足元に青い光が生まれる。身体はみるみる青い燐光に包まれて、さなぎのようになる。


「送ってあげるよ。大陸まで」

「ちょ――! まだ寄るところが」


 ロゼットは抗おうとしたが、抗い方も分からない。身体は指一本分ほど宙に浮いていて、どうにもならない。ムダに手足を泳がせただけだった。


「敬愛すべきお師匠様のお墓かな? そこにいったって無駄だよ。君を助けてくれるのは、神でも死人でもない」

「降ろせってば!」

「――よい旅を、いばら姫」


 青銀の光が、はじけた。


*****


 落ちる。

 落ちる。落ちる。落ちる。

 なす術もなく、ただ落ちる。


 青い空を見上げながら落ちていく。自由落下。着地の恐怖に下を見れば、薔薇の海。色とりどりの薔薇が咲きほこる初夏の庭。


「――あんのっ、クソ神!」


 バキバキと盛大に木をへし折り、ロゼットは最後に薔薇の茂みにつっこんだ。棘が服を裂き、肌を傷つける。着地の衝撃で詰まった息を吐き出し、まず一言。


「滅べっ!」


 髪についた木の葉をはらい、ロゼットは一息ついた。顔をしかめて痛みの波をやりすごし、ゆっくりと四肢を動かす。背中に肘、かかとがじんじんと痛んだが、木と薔薇の茂みとやわらかい土のおかげで、大怪我にはならずに済んでいた。


「もうちょっと考えろよ、あの疫病神。それとも嫌がらせか」


 ロゼットは槍を支えに身を起こした。


 目の前に、白い居館が待ちかまえていた。丸い尖塔をそなえた、優美な館だ。窓はすべてガラス張りで、燦然と陽光を跳ね返している。館の前の大きな噴水は、細かなしぶきに虹がかかり、絵画のような光景だ。


「……ここが」


 ロゼットは茂みから踏み出した。島のにぶくやわらかな陽光と違う、明るく澄んだ光線が降り注いでくる。空は青く澄み、風はからりと乾いていた。


 目で見るもの、肌で感じるもの、五感で感じるものがいつもとまったく異なる。島とはまったく別の場所だと、全身で知る。


 しかし、感動はほどなくして怒声に打ち砕かれた。


「小僧、そこで何をしている!」


 ロゼットは身体の向きを少しずらした。館を守る兵士が二人、いかめつらしい顔をしてやってくる。


「見ない顔だな。どこから入った」

「えーっと……上から?」


 ロゼットは頬を引きつらせながら答えた。

 当然のことながら、理解は得られなかった。


「名は? どこから来た?」

「怪しい者じゃない。ここの城主の知り合いだ。海の向こうから来たんだ」

「そのわりに、荷物がないな」

「そこにあるよ」


 ロゼットは苦々しげに、ベンチの上にちょこんとおかれている荷袋を指差した。ご丁寧にも、こちらは傷がつかないように薔薇のしげみには落ちていない。


「中を改めさせてもらうぞ」

「お好きにどうぞ」


 ロゼットは腕組みをして、検分が終わるのを泰然と待っていたが、はたと気がついた。


「……小僧、これが旅の荷物か?」

「……そうみたいだね」


 一緒になって荷物をのぞきこみ、ロゼットは頭を抱えた。食糧や服や旅に必要な小間物は、宝剣や銀杯など、高価そうな品に代わっている。


「ずいぶん、変わった荷物だな」

「人にはイロイロ事情があってね」


 ロゼットは、優しく親切で気前のいい神様の手土産に、涙が出そうになった。胸にあふれる万感の思いは言い表せない。片手にナイフを持って襲いかかる以外には。


「そのイロイロな事情というのを、じっくり聞かせてもらいたいが?」

「いえないんだよねえ。君のその髪が偽物だっていうことをいえないのと一緒で」


 ロゼットは冷ややかに、高圧的な態度で迫ってくる年配の兵士の頭部を見やった。せめてもの鬱憤晴らしだ。年のわりにふさふさとした髪の兵士は、ロゼットの一言に、額に青筋を浮かべた。


「貴様、盗賊だな?」

「質問を反語形でするなよ」


 ロゼットと兵の間に火花が散った。

 兵が叫ぶ。


「捕まえろ!」


 兵は得物を握りしめ、襲いかかってきた。ロゼットは穂にかけた覆いは取らず、槍を握りなおした。なんなく一つ目の攻撃をかわし、みぞおちを狙って、石突を突き出す。手のひらを返し、刃で二人目を叩く。


「あーあ、ホント、腕力もスピードも格段に落ちたなぁ」


 前が異常だったんだけどさ、とロゼットは一人ごちる。新たに駆けつけてきた二人は、ロゼットの独り言をただのたわごとと聞き流し、同時に槍を突き出してきた。


「――よっ、と!」


 ロゼットは両足をそろえて飛び、突き出された二本の槍の交叉点に着地した。相手がひるんでいる隙に、三人目の脳天を叩き、四人目のわき腹を打ち、地面に沈める。


 ロゼットは四人が起き上がってこないこと確かめると、ことさらゆっくり土ぼこりを払い、服をととのえた。


「うわ、また来た」


 異変に気づいた他の兵が、こちらに走ってやってくる。ロゼットは身をひるがえし、館に向かって走った。所狭しと植えられたバラが服をひっかき、肌を傷つける。


「どうしてこうなるかなあ――っと! ごめんごめん!」


 庭師とぶつかり、庭園の散歩道によろけ出る。ぎょっと目を見開く通りすがりの雑夫のそばをすり抜け、舗装された散歩道を走る。


 前より遅くなったものの、それでも足は早い。追っ手との距離は開く一方だ。これなら撒けそうだ――とタカをくくった瞬間、思いっきり人と衝突した。


「いった……ぁ!」


 まともに尻餅をついた。取り落とした槍をまず拾い、身を起こす。


「貴様、逃がさんぞ!」


 追っ手が勢いこんで迫ってくる。ロゼットはとっさに腰に差した短剣を抜き、ぶつかった相手に向けた。追っ手たちは目に見えてひるむ。


「は――伯!」

「旦那様!」


 兵士たちが真っ青になって叫んだ。


 ロゼットはようやく、まともに、ぶつかった相手の顔を見た。なつかしい銀の髪の下で、相変わらず冷淡そうな薄青い目がこちらを凝視していた。


 エセルはふん、と軽侮をこめて鼻を鳴らし、つぶやく。


「ご挨拶だな、ロゼット・ラヴァグルード」


 ロゼットは予期しなかった再会に瞠目した。けれども、一瞬のことだ。すぐにふてぶてしく笑い、お決まりのセリフを口にする。


「やあ、伯爵。ご機嫌いかが?」

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