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いばらの冠  作者: サモト
いばらの冠
21/53

20.

 金も宝石も毛皮も絹も位も土地も小麦も、いらない。

 欲しいものは、昔から、たった一つ。


「……ゼット、ロゼット!」


 肩をゆさぶられ、ロゼットは朦朧とする意識を揺り起こした。かすむ視界で、場所が神殿の最奥に移っていることを認識する。空はまだうるさい。稲光が時々、部屋の中を照らし出した。


「まだ……してないの?」


 ロゼットはつぶやき、エセルの足元に目を向けた。道具をくるんでいた布から、杖と首飾りだけがのぞいていた。冠は見当たらない。ロゼットは額に手を当てた。


「何してるんだよ。早くしろって」


 冠を自分にもどしたのだと知り、ロゼットは怒りをこめていった。エセルは奥歯を噛む。


「分かれよ。どういうことか。僕の裸を見たんだから、どうしてか分かってるだろ?」

「なにを――」


 怒鳴りかけて、今の問題はそこじゃない、とエセルは冷静になる。


「冠の力は完璧じゃなかった。癒しきれない傷もあった。だから、傷痕が身体に残った。冠のおかげで何不自由なく動けていたから気づかなかっただけだ。冠を外したら、この身体は終わりだったんだよ」


 ロゼットは力なく手を床に垂らす。戦がはじまる前から、どこかで、ぼんやりと予想していたことだった。確信したのは、風邪でもないのに咳が出るようになってから。


「そんな顔するなよ、君らしくもない。憎たらしいやつが一人いなくなるんだ。もっと嬉しそうに笑えってば」

「バカかおまえは! 自分がどういう状況におかれているのか、ちゃんと分かってるのか」

「分かってるよ。地獄の三丁目が目の前ってことだろ」

「貴様は……」


 どこまでもふざけた調子のロゼットに、エセルは怒気を隠し切れなかった。しかし、ロゼットは調子を崩さない。エセルがさらに怒りを増大させると、ようやく困った顔になった。


「おまえを助けるのも、約束だ」


 真剣そのもののエセルに、ロゼットは返す言葉がなった。腕を持ち上げ、エセルの頬に手を伸ばす。


「伯爵。僕は死ぬことがこの世で一番ひどいことだなんて思ってない。ずっと一人ぼっちでいることこそが、僕には一番ひどいことなんだ」

「ロゼット……」

「だから、僕は今、とても幸せなんだよ」


 相手の言葉をさえぎって、ロゼットは明るい声でいった。エセルの背後に、あの明るく愉快な三人組の影を透かし見る。抱きしめられて、ロゼットも抱きしめ返した。死ぬな、という声は、声にならなくとも耳に届いたが、それは無理な話だった。


「奇跡を見せて、エセル・エヴァンジェリン。全部、終わらせて。どうか私を解放して」


 エセルの手が杖をつかんだ。そばにある首飾りも。

 美しい歌のような呪文が、そっと耳元でささやかれる。

 再び身体から力が抜けていくのを感じながら、ロゼットは目を閉じた。詠唱は子守唄のようで、耳に心地よい。


 呪文とともに白い光は強くなり、あらゆるところへ浸透していった。眩い強く純粋な、すべてを霞ませてしまほどの濃い白が、神殿だけでなく、島全体を覆っていく。


 眠りに落ちる一瞬に、エセルが最後の言葉が耳に届いた。エヴァンジェリンが使う魔術の言葉だが、島の民たちでも口にするまじないの言葉で、ロゼットにも意味が分かった。生まれた赤子に、家族に、恋人に、だれかの幸せを願うときに口にする言葉。エセルの腕に力がこもったのが感じられた。


 ――すべてのものに、祝福を。


 強い願いをこめた声が天にこだまする。

 光がはじけた。


* * * * *


 めずらしく晴れ渡った空には、弱々しいながら冬の太陽が照っていた。アヌシュカの城から見ると、城よりやや高いところにある真白い神殿は、太陽を頂に飾っているように見える。空気は凍てつくように冷たいが、風は穏やかで、春の訪れが近いことを知らせていた。


「一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなっちゃったなあ」


 キートは木箱を荷車におくと、地震で壊れた城を補修している工人たちを見やった。最近は天候も安定し、地震もなく、島は以前の穏やかさを取りもどしている。地震や地すべり、川の氾濫で被害を受けたところはたくさんあったが、どこも徐々に復興しはじめていた。


「おまえは調子、どうなわけ? 最近はよくベッドから起き上がってるけど、よくなったのかよ」

「まあまあだね。後一月は大人しくしてろっていわれてる」


 荷の確認をしていたロゼットは、白い息を吐きながら応えた。城の中からヤナルが出てきたのを見ると、おっと、と荷車から飛び降り、まだ積まれていない木箱に腰かける。


「ロッツ、じっとしているようにいったはずだろ?」

「ヤナルにいわれたとおり、荷物は運んでないよ。じっとしてるってば」

「寒いんだから、外に出たらダメだよ。カゼ引くよ」

「引かないって。僕、身体が丈夫なことにだけは定評があるんだから」

「あった、だろ?」


 ヤナルに反論しようとして、ロゼットは小さくくしゃみした。軍医殿の視線が痛い。ロゼットはキートの後ろに隠れた。


「キート、荷物は全部運び終わった?」

「終わったよ。もうすぐこの珍妙な島ともお別れかと思うと、ちと物足りない気持ちになるな」

「長かったようなな短かったような、変な気分だね」


 ヤナルとキートは荷が落ちないよう、幌と紐をかけた。することがないロゼットは、手に息を吐きかけて、指先を温めていた。すると、首にふわりとスカーフがかかった。


「どこに行ったかと思えば……貴様は本当に大人しくしていないやつだな」

「あれ。お帰り、伯爵。もうちょっと遅いかと思ってたよ」

「あんなところ、長居なんぞできるか」


 エセルは東に見える神殿をにらみつけた。大陸へ帰る前に、神殿へ礼を述べに出かけていたのだ。ずっと不機嫌だったのだろう、お供をしたエドロットは疲れた顔をしていた。


「巫女さんは元気だった?」

「ああ。春には生まれそうだとさ。見ていかないのかといわれたが、絶対ごめんだと断ってきた」

「神様見たくないわけ?」

「神なんぞクソ喰らえ」

「どっかで聞いたよ、そのセリフ」


 ロゼットは肩をすくめた。


「おまえこそ、見に行ってきたらどうだ。命の恩人の顔をおがみに」

「やだよ。いっちゃなんだけど、僕が助けてって頼んだわけじゃないもん。感謝なんてするもんか」


 神様に十数年苦しめられてきた身としては、顔など見たくもなかった。エセルは嘆息する。


「べつに君の好意が余計だったって思ってるわけじゃないからね? 君が、神様に僕を助けてくれるように願った。その気持ちはすごく嬉しい。でも、あの疫病神に助けられたって言う事実は腹立たしいんだよ」

「複雑だね」


 必死で弁明するロゼットに、ヤナルが苦笑した。


「気持ちは分かるけどさ、ロッツ。嘘でも神様に感謝しとけよ。伯爵、おまえを助けてもらったせいで、神様からすっごいお礼を要求されてんだから」

「エドロット」

「いっといた方がいいって。当事者なんだし」

「何? どうしたの?」


 エセルは余計なことを言うなと部下を制するが、ロゼットは知りたがった。エドロットに詰め寄る。


「あのクソ神、伯爵に何を要求してるわけ?」

「次の巫女さん。さっきたずねていったらさ、神様が巫女さんに降りてて、ちょっと話するハメになったんだよな。そしたら、次の巫女さんを用意して置くように命じられちゃって」

「次の巫女? ってことは、あの疫病神の花嫁にもなるわけだよね。まだ巫女さんのお腹にいるっていうのに、もうそんなもの望んでるの? ずいぶんませた赤ちゃんだな」

「しかも、だ。神様は伯爵様の娘さんが一番望ましいとのたまわってんだよ」


 エヴァンジェリンの血筋だし、伯爵の子供なら魔力もあるだろうし、美少女に生まれてくるだろうし。エドロットから話を聞くと、ロゼットは気の毒そうにエセルを見上げた。


「ご愁傷様。同情するよ。慰める言葉も見つからない。せめて、君の好みにぴったりなお嫁さんを探してきてあげるよ」

「いや、べつに協力は」

「そっか。君の顔なら、手伝いなんて必要ないよね」

「協力は……欲しいといえば欲しいんだが」


 エセルは歯切れが悪かった。エドロットはにやにやと、面白がる笑みを浮かべている。


「女苦手っていってたけど、ある程度好みくらいはあるんだろ? どんなのが好みなの? 男の子っぽいの? それとも大人しい系? かわいい系?」

「金髪緑眼の小生意気な猛獣系小動物だよな、伯爵」

「黙れ」


 外野の茶々にエセルは怒鳴った。ロゼットは何のことやらと小首を傾げる。環境がいいふうに変わったせいか赤みが抜けた髪が揺れ、金色に光った。エセルは複雑な表情で、咳払いを一つする。


「そういえば、おまえへの預かりものをしてきた」

「何?」

「神様からの贈り物だ」


 エセルの視線を受けてエドロットが差し出したのは、いばらの枝で編んだ冠だった。


「もっと気の利いた嫌がらせはないのか、厄病神め」


 ロゼットが憤ると、エセルが冠を手にして何事かつぶやいた。途端に、いばらの枝は芽をつけ葉をつけ、蕾をつけた。


 固く閉じていた蕾はあっという間に色づいて、可憐な花に変化した。棘だらけの枝は花に覆われて、もとの寒々しい姿は見る影もない。


「祝福を。ロゼット・ラヴァグルート」


 小さな金色の頭を、赤い薔薇の冠が彩る。エセルは細い両肩に手をおくと、少し身をかがめて、祈りとともに冠に口付けた。


 ロゼットは瞠目し、恐る恐る、冠に手を伸ばした。すべすべとした滑らかな感触がある。


「気楽に行こうぜ、気楽に」

「身体、大事しないと長生きできないよ」

「お楽しみはまだまだこれからだって」


 キートもヤナルもエドロットも、エセルと同じ願いをこめて、冠に唇を落とした。四人に囲まれたロゼットは、泣きそうになるのを堪えた。憎悪の炎に焼かれ、白い灰になるまで燃えた心が、再び温かみを帯びた気がした。すべてを焼き尽くすような激しい炎ではなく、暗闇に灯されたランプの火のように穏やかに。今なら、一族の身勝手さも、母親の弱さも、世界の理不尽さも、すべてではないが、少しだけ許せるような気がした。


「神様なんてクソ喰らえ」


 花の咲いたいばらの冠は、もう持ち主を傷つけることはない。


 薔薇の冠を戴いて、ロゼットは幸せそうに微笑した。

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