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いばらの冠  作者: サモト
いばらの冠
20/53

19.

 なぜこんなことを。


 悪天で白壁のかげる部屋の中、男が叫んだ。ラヴァグルートだ。セレスティアルもアヌシュカも、そろって新しい巫女をなじっていた。部屋の窓を激しく雨が打ち、外は雷鳴がとどろいている。


 彼らの足元には、淡く金に光る水が散っていた。神殿の最奥、神と巫女のみに許された場所。神の威を借る敵を倒し、四人は神の御前にやってきた。だが、そこにあったのは、見るも無残になった尊い姿だった。


「魔物め! 民を殺し、税を搾り取り、巫女を殺すだけでは飽き足らず……」

「神まで手にかけていたのね!」

「どこまで思いあがった、エヴァンジェリン!」


 巫女は泣いていた。三人から責められているが、彼女自身も事態を把握していない。激しい叱責に混乱し、金に染まる床を呆然と見ていた。


 彼女はしばらく放心していた。

 だが、やがて、ふと、三人の方をむいた。驚きに瞳孔が開いている。新たな何かに気づき、狼狽しているようだった。じり、と退いて、三人からはなれる。三人は巫女の様子に気づき、譴責をとめた。


「神がこのような状態ならば……あなた方はいったいどうやって力を得たのですか?」


 巫女の問いは、素朴で、もっとも愚かな問いだった。

 三人は表情を凍らせた。


「数日前……先代様の巫女の棺が盗まれたと聞きました」


 巫女は両の手を握りしめ、三人の方を向いたまま、一歩、退いた。三人の目に暗い光が生まれていた。巫女はさらに一歩退く。


 ラヴァグルートが、神の血で染まった床を見下ろして言った。


「邪魔になったからと、神を傷つけるエヴァンジェリンよりはマシさ」

「神への供物を横取りして、魔法をもてあそぶ外道を倒すためには、外道の力が必要だったのよ」

「先代の巫女の身体は、我々に思った通りの力を与えてくれたよ」


 巫女は愕然とした。激しく首を振り、身をひるがえして駆け出す。その背を、ラヴァグルートが追う。ヴェールの裾をつかまれ、巫女が悲鳴を上げた。


 その瞬間、床に散っていた金の血が燃え上がった。赤黒い焔が三人を包む。実際には何も燃えていないが、三人はもがき、胸をかきむしった。巫女は驚きながら視線を左向けた。


 大きな身体が上下に動いた。巨体が動くと、ぼたぼたと床に新たに血溜まりができた。荒い呼吸に同調するように、外に吹き荒れる風と雨は速度を変えた。


 それはうめいた。地の底にまで響くような、低く恐ろしい唸り声だった。島で神と呼ばれるものは、最後の力をふりしぼり、いった。


 ――呪われろ


* * * * *


 鉄鎖が硬い床に触れると、耳ざわりな音を立てた。鉄枷をはめられた両腕をおろし、ロゼットは手の中にある『花片の首飾り』を見つめた。白い薔薇の首飾りは完成した。昔話はそこで完結した。


「ロゼット・ラヴァグルート。何か言い残すことはあるか」


 神殿の牢獄の中、ロゼットは鉄格子の向こうの司祭を見上げた。司祭の背後には武装した神官が控えていた。警戒のあらわな体勢だ。鉄の檻に閉じこめ、鉄の枷をつけてもなお、彼らは自分よりも一回り年下の王女を恐れていた。捕らえるために払った犠牲の大きさを思えば、当然の反応といえた。


「……これを、マスカード伯に」

「これは?」

「巫女の心臓だよ」


 司祭はロゼットの言葉に怪訝そうにしながら、こわごわ手を伸ばし、白い薔薇の首飾りを手に取った。


「他には」

「とくに」

「懺悔を聞こう」

「神様の救いなんていらない」


 ロゼットは口の端を持ち上げて、口だけで笑んだ。彼らが科した枷に、手を触れる。


「人を裁くのが人なら、人を救うのも人だ」


 捕らえられてなお失われない瞳の強さに、神官たちは恐ろしげな目を向け、踵を返した。儀式は明日だった。ロゼット・ラヴァグルートの命も、アヌシュカの王族たちの命も、三王家の命は残らず神に捧げらる。


「不公平だよなあ。エヴァンジェリンも神様を裏切ったのに、三王家だけ罰せられるなんて」

「エヴァンジェリンには、島を救うという役目が残っていたからな」


 独り言に応えがあって、ロゼットはうつむけていた顔を上げた。暗がりに銀の光がある。銀の髪の魔法使いが牢の前に立っていた。


「やあ伯爵、ご機嫌いかが?」

「まだ軽口を叩く余裕があるか」


 エセルは『結実の指輪』の嵌った手で、牢の錠前に触れた。鍵が自然と開き、扉が開く。エセルは白い宝石のついた杖と、薔薇の首飾りを手にしていた。


「冠、取りにきたの?」

「それがないと、島が救えない」


 エセルはしゃがみ、道具を床に置いた。いばらの刻印が刻まれた額に、指輪の嵌った手をあてる。ロゼットは目を閉じた。


 指輪の青い燐光がまぶたの裏にまで浸透する。光が強くなるのに比例して、ロゼットはそれまで体を満たしていた何かの力が抜け落ちていくのを感じた。青銀の光が牢を満たし、光の収束したあとには、奇跡がロゼットの頭上に具現した。


「これが『いばらの冠』……?」


 ロゼットは、無数の棘が生えた銀の冠を両手にのせた。自分の中に巣食っていた病が、目の前に現れたような感覚だった。じっくりとながめ、複雑な顔をする。


「変だな。お別れとなると、こんなのでも寂しく感じる」


 棘だらけの冠にかるく口付け、エセルに手渡した。冠に、杖に、首飾りに、指輪。道具はすべてそろった。ロゼットは四つの道具を見やり、小首を傾げる。


「結局、これらはなんだったの? 首飾りが見せてくれた記憶の中にも出てこなかった」

「神が最後の力をふりしぼって残した道具さ。建国話に出てくる不思議な薔薇は、神に仕える巫女の暗喩。三王家の王たちは、巫女の身体を喰らって力を手に入れた。本来であれば、その血肉は彼らの身体に溶け込み、永遠に取りもどせない力だったが、神はどうしてもそれを取りだなければなかった」


 エセルは道具を一緒くたにし、布でくるんだ。


「神は、巫女の四肢は『いばらの冠』として、巫女の腹にいた神との赤子は『摘蕾の杖』として、巫女の心臓は『花片の首飾り』として取り出せるよう、魔法をかけた。それと同時に呪いもかけた。それが、おまえが負わせられた、十六で死ぬという呪いの訳だ」


 短い呪文とともに、枷が外れる。ロゼットは自由になった手足に不思議そうにした。


「『結実の指輪』は残った巫女の骨や肉から作られた。いつの日か、三王家の身体から取り出された巫女の身体を統合し、巫女を生き返らせるために」

「生き返らせて、それでどうするの?」

「巫女の腹には、神との赤子がいた。その赤子は次の島の神だ。赤ん坊がいれば、島は沈まずに済む」


 激しい雨音の合間に、場違いな明るい赤子の笑い声が聞こえた気がした。ロゼットは視線を床に落とす。杖についている白い宝玉の中で、小さな影が動いた気がした。


 その隣では、ランタンの光を受けて、首飾りがきらめいている。炎の加減で色の濃淡を変える様は、復活のときを待ちかねて、心臓が拍動しているようだった。


「立て。行くぞ。すべてを終わらせよう」


 エセルは立ち上がり、手を差し出した。年相応の、細く小さな少女の手が重ねられる。むき出しの手足は傷だらけで無残だったが、それでもロゼットは毅然と立ち上がった。牢の外で二人を待っていたキートたちが、出てきたロゼットを親しみをこめて小突いた。


 地下牢を出る階段を上っていくと、二人の牢番は入り口でぐっすりと眠りこけていた。神殿の構造を熟知しているのか、エセルの歩みに迷いはない。激しい雨音が足音をかき消してくれた。ロゼットたちはエセルに先導されて、神殿の奥へ奥へと進んでいった。


「――っと」


 地面が揺れた。今まであった地震と比べ一際激しい揺れで、廊下に飾られていた絵が落ち、彫像が倒れた。地震が収まると、エセルは走れ、と先を急がせた。地震のせいで神殿内がにわかに騒がしくなった。十数歩後ろの見えないところで、人が行き来している足音がし、鼓動が早くなる。


「おい、おまえたち――」


 誰何しかけた神官は、次の瞬間、身を折り曲げた。キートの膝が腹に食い込み、エドロットに身体を羽交い絞めにされ、ヤナルに猿轡をかまされた。


「大人数で行動すると目立つから、二人ともお先にドーゾ」

「俺らは援護しつつ脱出しますね」

「あとで、アヌシュカの城でな」


 三人は見事な連係プレーで空き部屋に神官を押しこみ、二人に手をふった。ロゼットは弾む呼吸を一旦落ち着け、三人に向かって叫んだ。


「三人とも!」

「あん?」

「ありがと」


 三人はきょとんと呆けた。それから、ぷっと笑った。


「こんくらいで礼いうなって」

「困ったときはお互い様だよ」

「後できっちり返してくれれば問題ナシ」


 三者三様に返し、三人はかろやかに身をひるがえした。その背を見送る暇もなく、ロゼットたちはふたたび奥に向かって走った。やがて、赤い薔薇が描かれた大きな扉の前まで来る。大きな閂と錠前がかけらた扉だった。


「この奥は何が、本神殿?」

「そうだ。昔は巫女と神がそこに住んでいた」


 扉には錠がかけられていたが、エセルが外した。ロゼットが花びらで見た光景の通り、赤い薔薇の扉の次は、黄色い薔薇の扉があった。三つ目は白い薔薇の扉。最後の青い薔薇の扉の前に来ると、その先にもう神はいないと知っていたが、ロゼットは先祖たちと同じように深く息をした。


「ねえ、伯爵は奇跡って信じてる?」


 青い薔薇の扉に手をあてたエセルは、呪を唱えかけた口を止めた。唐突なロゼットの質問に、やや怪訝そうにする。


「それは、私を大陸の人間だと知っていての発言か」

「僕は、期待はしてないけど、信じてるよ」

「なぜ?」

「師匠と会ったのが一番の理由かな」

「世の中に奇跡はない。あるのは必然だけだ」

「じゃ、君とも必然だったわけ?」

「必然にも手違いはあるだろう」


 屁理屈に、ロゼットはくっと笑った。弾んだ呼吸がなかなか収まらない。合間に小さな咳がまじる。ロゼットはもう一度深呼吸して息をととのえてから、エセルのうすい青色い目を見つめた。


「色々ありがとう、伯爵。君に逢えて、よかった」

「そのセリフを言うのは、少し早いだろう。呪いは解けたがいいが、島が沈んだ、では、意味がないんだから」

「今、どうしても言っておきたかったんだ」

「おまえは手も早ければ、気も早いな」

「一言余計だよ。君が気長すぎるんだよ」


 ロゼットは笑って、咳き込んだ。扉に手をつく。顔が苦しげにゆがむ。身体を扉にももたれかけさせ、荒く呼吸を繰り返す。エセルが眉をひそめた瞬間、ロゼットは身体を二つに折った。そのまま地面に座り込む。


「身体に傷が残るんだ。身体の中だって、やっぱりボロボロだよな」

「……ロゼット?」


 ロゼットは手足に残る傷跡を指をなぞった。口元を押さえ、苦しげに咳をする。エセルは事態を把握できず、怪訝そうにした。


「とうとう時間か。さよならだな、伯爵」


 白い手の間から、ぼた、と血が垂れた。



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