1.
金も宝石も毛皮も絹も位も土地も小麦もいるものか。
王座の前に片膝をつきながら、ロゼット・ラヴァグルートは望むものを心の中に思い描いていた。
「――聞こえたか? ロゼット。もし、おまえが、マスカード伯の首を取ってこれたら、おまえの望むものをなんでもくれてやる。城の一室をくれてやってもいいし、宝石でもいい、服でもくれてやろう」
ラヴァグルート王は毛皮を敷いた玉座に、深々と座り直した。黄金の杯になみなみと注がれた酒を、喉を鳴らして飲みこむ。
「おまえがひそかに武術の腕を磨いていたことは、将軍から聞き及んでおる。褒めて遣わすぞ。その腕、存分に敵に振るってくるがよい」
ラヴァグルート王の言葉に、広間に笑いが湧いた。失笑だ。大臣や将軍だけでなく、わざわざ集まってきていた王子や王女たちも、口元を押さえて、忍び笑いを漏らす。
王にひざまずく三番目の王女は、筋肉はついてはいるが、貧相な容貌だった。十四歳にしては発育が悪く、背が低い。背中を丸めて頭を垂れている姿は、痩せた子猫を思わせた。胸当てや籠手がなければ、とても戦う兵には見えない。
「立派な槍もあるようだし、腕を試してくるといい」
王のからかいに、広間の人々がさらに笑いをこらえた。
王女の手元にある槍の穂は、幅が広く三角形をしていた。両刃で、突くことも斬ることもできる。根元には左右対称の突起がついており、敵の武器を押さえられるようになっていた。
変わっているのは、柄が木製でなく金属製という点だ。相当な重さがある。扱えるものか、と嘲ったささやきが交わされた。
ロゼットは無言で槍を取った。柄は使いこまれて垢光りしていたが、だれもそのことに気を留めなかった。
「その命、たしかに承りました、王。行ってまいります」
「勇ましいことだ。そなたの母も喜んでおるぞ」
王は隣に侍らせた女を抱き寄せた。女のアクアマリンのような青い瞳がゆれる。
「ロビュスタ、おまえの娘は孝行なことだ。見ろ、あの勇ましい姿。わしも鼻が高い」
「王……あの子は」
ロビュスタは、王の手から逃れようと身をよじった。ラヴァグルート王はかまわず、強引に細い腰を抱いた。
少しはなれたところで、王妃がそれを憎々しげに睨んでいる。王妃が本来立つ場所は、側室のロビュスタに取られていた。指先が白くなるほど強く、王妃は幼い王女の肩を掴んでいた。
「母上、ご心配なく。わたくしもラヴァグルートの人間」
ロゼットは立ち上がり、槍を振るった。穂先が鋭く空を切る。半瞬してから、近くにいた人間の髪が舞い上がった。
「常人離れした身体ですから」
槍の石突が、床を突く。見た目を裏切らない重々しい音がした。軽やかな扱いに、人々は瞠目する。細い身体からは考えられない怪力――これがラヴァグルート王家の特異な点であり、王家としてあがめられる所以だった。
「それに、わたくしが死ぬことなど有り得ません」
「そなたには神の祝福があるからなあ」
王はロゼットを手招きした。
「相変わらず、母親に似ず醜いな」
「そうですね」
「父親に似たか?」
王の青い瞳に、ロゼットの緑の瞳が映った。王の一族は全員青い瞳でありながら、ロゼットだけは眼が緑色だ。王の子ではないのだ。ロビュスタがうつむく。
「ロビュスタに似ていれば、まだかわいがってやったものを」
ラヴァグルート王は、ロゼットの前髪を乱暴にかきあげた。隠れていた額のアザがあらわになる。棘のある、つる状のアザだ。ぐるりと頭を一巻きしている。ちょうど、冠のように。
「『いばらの冠』――ラヴァグルート一族の力の源。これがある限り、ラヴァグルート一族は、常人とは違う、すぐれた身体を持ちつづけられる」
「その代わり、かぶせられている私は、必ず十六歳で死にますけれど」
ロゼットが冷ややかに反駁したが、王は歯牙にもかけなかった。愉快そうに、口元をゆがめる。
「必ず十六歳で死ぬ――だが、それは裏を返せば十六歳までは何があっても死なないということだ。たとえ弓に射抜かれようと、槍に貫かれようと、剣に斬られようと、死なぬ。そなたは、死ぬまで傷とも病とも無縁。羨ましいことだ」
王は少しも羨望のこもらない声で言い、手をはなした。ロゼットは前髪をたんねんに元にもどす。王子たちがくすくすと笑い、いきなり、ナイフを投じた。ロゼットの頬が、うっすら切れる。しかし、ロゼットは驚きもしなかった。茶飯のことだったからだ。
「では、行ってまいります」
「ロゼット……」
「お目にかかるのは一年ぶりでしたね。ごきげんよう、お母様」
ロゼットは他人行儀に一礼した。顔を上げたとき、頬の傷は無くなっていた。『いばらの冠』の力だ。
ロゼットは扉を閉める前に、もう一度優雅に礼をした。上げた顔には、さまざまな視線が投げかけられた。
王は、不義の子供に対して怒りの視線を。
王妃は、王の寵愛を一身に受ける女の子供に対して憎悪の視線を。
王子たちは、どんな傷を受けようとも死なない人間に対に対して、残酷な好奇の視線を。
王女たちは、頬に古傷すらある、醜い少女に対して嘲りの視線を。
廷臣たちは、みずぼらしく、だれからも敬意を払われない王女に対して軽侮の視線を、投げかける。
ロゼットは真正面から、それらを受け止めた。
金も宝石も毛皮も絹も位も土地も小麦もいるものか。
ロゼット・ラヴァグルートが望むものはただ一つ。
「――おまえら全員の首、もらい受けるよ」
* * * * *
鈍色の海に、何艘もの船が浮かんでいた。高いマストにはためく旗は、炎と獅子の紋章。海の向こうの大陸で栄える帝国、エレガダの旗だ。何台も砲台を備え、ラヴァグルートでは目にしたこともないほど巨大な船だった。
「性能も桁違いだろうけど――よく無事にここまでこられたな」
ロゼットは大木の上から海をながめ、つぶやいた。潮流の関係で、大陸から島へ渡るのは困難が伴う。この島が外敵からの侵略を受けず、安穏と暮らしてこられたのはそのおかげだ。
だが、帝国の船団はほぼ無傷でこの島へたどり着いている。運のよさに喝采を送りたくなった。
右に、ラヴァグルート城。
左に、敵であるマスカード伯の手に落ちた砦。
ロゼットは海から視線を移し、遠眼鏡で砦をのぞいた。塀の上で、敵兵たちが大砲を撃つ準備をしていた。狙いは、向かいの丘のラヴァグルート兵だ。ここまでは届くまい、とラヴァグルート兵はタカをくくって動かない。だが、黒い砲弾に五歩先の地面をえぐられると、あわてて馬首を返した。
「僕がわざわざ情報垂れ流さなくても、あいつら死にそうだなあ」
敵兵の笑い声を聞きながら、ロゼットはあーあと肩をすくめた。敵兵から奪った剣を抜き、振り下ろす。枝が落ち、鋭利な断面ができた。次に自国の剣をふるってみる。すると、枝は切れたというより、叩き折られた形になった。
大陸は、島よりはるかに文明が進んでいた。
「ラヴァグルート裏切って、敵側について、あいつら全滅させてやろうと思ってたけど、どうも僕の入る隙間は無いな」
すっくと立ち上がると、驚いて鳥が一羽飛び立った。天に向かって伸びる枝、葉と葉の間から広い空がのぞける。
ロゼットは空に向かって腕を伸ばした。自らの手で滅ぼせないのは惜しかったが、なんにせよ、あの憎いラヴァグルート一族が滅びるかと思うと、心が晴れ晴れとした。ざまあみろだ。
高い枝からためらいなく飛び降り、ロゼットは行く先を定めた。親族の住まうラヴァグルート城に背を向け、森の中を走り出す。
「――ヤナル、射ろ!」
出し抜けに、森の静寂が破られた。とっさに身を伏せる。頭上をかすめて、矢が幹に刺さった。
「嘘だろ、なんでこんなところに」
黒髪の男が一人、こちらに向かって短弓を構えていた。あまり戦い慣れていないのか、次の矢をつがえてから、狙いを定めかねている。ロゼットは敵に向かって走った。
「うわっ!」
まさか反撃にくるとは思わなかったらしく、男はうろたえた。逃げようとするが、遅い。ロゼットは槍を強く握った。
「おっと、待った!」
別の方向から、錘のついた縄が飛んできた。腕に絡みつく。縄の片端は、金髪の男が掴んでいた。今は厳しい顔つきをしているが、普通にしていれば、女性に好かれそうな甘い顔立ちだった。
「大人しくしろ」
「そっちが大人しくしなよ」
ロゼットは左腕を引いた。大の男が縄ごと投げ飛ばされる。金髪の男は、背中から木の幹に叩きつけられた。
「エドロット!」
「おっと、やめなよ。君じゃ僕の相手にならないよ。慣れてないでしょ?」
黒髪の青年は短剣に手を伸ばしかけたが、図星を指されたのだろう、ひるんだ。しかし、退く気はなさそうだった。
ロゼットは仕方なく槍を握り直し――幹に突き刺した。それを台に、木の上に跳躍。枝の上にいたオレンジ頭の男が、あわてて枝から飛び降りる。
「げっ! なんで分かったんだよ!」
「キート、伏せろ!」
黒髪の男が矢を放った。だが、ロゼットは矢を素手でつかみ、放る。キートと呼ばれたオレンジ頭の男は、嘘だろ、と泣きそうになった。
なぜこんなところに、待ち伏せされるようにして兵がいるのか。ロゼットは地面に降りると槍を抜き、オレンジ頭の男と、黒髪の男と、起き上がってきた金髪の男をねめつけた。
「僕は敵じゃない。殺されたくなきゃ、退いて」
「いやあ、普通の敵じゃないとは聞いてたけど、まさかここまでとはね……。どうするよ、エドロット」
「さーね。伯爵ー、どうすりゃいいー?」
エドロットと呼ばれた金髪男が、ロゼットの左手に眼を向けた。つられて、左に顔を動かす。
「――なんてね!」
オレンジ頭の男が土をつかみ、放った。不意を突かれて、ロゼットはまともに浴びる。槍を振るうが、敵が見えていないせいで全く当たらなかった。
腹に打撃を食らう。槍を取り上げられて、後ろ手に腕をつかまれる。
「くっそ、なんなんだ、君ら。どうして僕を狙ってきた?」
「俺らのご主人様が、おまえに用があるんだってよ」
「主人?」
尋ね返すと、人のけはいが一つ増えた。男たち三人が道を開ける。涙でかすむ視界に、銀髪の青年が現れた。
「――ロゼット・ラヴァグルートだな?」
「おまえ、だれだ」
髪をつかまれ、無理矢理顔をあげさせられる。美しい青年だった。鋭角的な線をえがく顎に、固く引き結ばれた唇。うすい青色の目が合わさると、透き通った冬の空気を連想させた。
「間違いないな」
額のアザをなぞられ、ロゼットは眉間にしわを寄せた。妙な確認の仕方だった。
「しっかり押さえててくれ。男三人ぐらい、余裕で跳ね飛ばすからな」
「あいよ、エセルちゃん」
「殺すぞ」
オレンジ頭の返事に、銀髪の男がかなり本気でいった。
ロゼットは驚いた。敵の指揮官の名は、エセル・マスカード。男だろうに女名前だったので、よく覚えていた。この男たちが伯爵と呼んでいたことからして、まず間違いなくマスカード伯本人だろう。
「何をする気?」
エセルは銀色の指輪を取り出し、左の薬指にはめた。青い薔薇の模様が象嵌された指輪だ。見覚えのある意匠に、ロゼットは眉根を寄せる。
「エヴァンジェリン……?」
ロゼットの頭に伸ばされた左手が、止まった。
「よく分かったな」
「分かるさ。ご先祖様が滅ぼした王家の紋章だもの。君はエヴァンジェリンの末裔だったのか」
「用があるのは『いばらの冠』だけだ。大人しくしていろ」
「取ってくれるの、これ? 取れるの?」
ロゼットはエセルを見上げた。答えはない。頭に左手をのせられる。
「はは……神様、感謝するよ。今日はじめて、感謝だ。この呪いを解いてくれるなんてね」
エセルが見下ろしてくるが、ロゼットは笑いを止められなかった。嬉しくて仕方が無かった。
「マスカード伯、感謝するよ。どうかあの城が血と炎に染まりますように。どうかあの一族にありとあらゆる災難が降りかかりますように。どうか地獄の底で永遠に苦しみますように――」
全身全霊を込めて、少女は呪いの言葉を吐いた。緑色の眼は子供のものとは思えない、凄絶な憎悪に彩られている。あまりの気迫に、捕獲に協力した男たちの力がゆるんだ。
「……ずいぶんと、憎んでいるらしいな」
「そりゃあそうさ。さんざんな目に遭わされてきたからね。この冠のせいで、死ぬこともできない。斬られても刺されても殴られても、だ。生きることが地獄だったよ、この十四年」
ロゼットはうつむいて、くつくつと笑った。まるで道化の芝居でも見たかのように、愉快そうに笑う。歓喜に肩を震わせ、指を戦慄かせて。
が、ふと、笑いを止めた。上げた顔に、先ほどのような狂気は無くなっていた。緑の眼は、恐ろしいほど静かで冷たい光を宿していた。
「――ねえ、マスカード伯」
「なんだ」
「僕と取引しないか?」
「取引?」
ロゼットはゆっくりと口の端を持ち上げた。
「呪いを解くのを、待ってくれないかな。できれば、僕はこの手であいつらを殺したいんだ。もちろん、僕の命の保証もつけてね」
「私に取引するメリットが? 貴様の呪いを解けば、ラヴァグルート一族は力を失う。戦が楽になる」
「もし願いを叶えてくれるなら、ラヴァグルートを倒した後も、君に協力するよ。君の身を守ってあげる。
この島には、ラヴァグルート以外にもう二つ王家がある。どんな傷も癒してしまう力を持った王家、セレスティアル。幻で人をまどわす王家、アヌシュカ。どれも厄介な国だ。
僕は強いよ? 呪いを解くのをギリギリにすれば、一年間は、不死身の一流戦士が君のものだ」
「あいにく、部下は足りてる」
「理由が無いなら、作ってあげるよ」
男たちがあっと思った時には遅かった。気迫に飲まれて拘束がゆるんでいたせいで、捕虜は自由を取りもどしていた。ロゼットの上から弾き飛ばされる。
「どう? 呑む気になった?」
籠手に隠されていた小さなナイフが、エセルの首を狙っていた。だが、それでもエセルは余裕のある態度を崩さない。落ち着き払って、指でナイフの刃を挟み、横にどける。
「望んだ場所に行ってもらえるんだろうな? たとえ、戦場の最前線でも」
「かまわないよ。行ってやろうじゃないか。応じる?」
「……応じよう」
ロゼットは籠手にナイフをしまい、エセルは指輪を外した。部下たちは不安そうにしているが、エセルはかまわず立ち上がる。ロゼットも立ち上がった。
「思わぬ拾い物に感謝する。よろしく、ロゼット・ラヴァグルート」
エセルは手を差し出してきた。故意か無意識か――おそらくは前者だろうが――利き手ではない方の手を。承諾はしたが、信頼はしていないようだった。
だが、ロゼットはかまわなかった。相手が味方だろうが敵だろうが、そんなことは瑣末な問題だ。要は、自分の目的さえ果たせればいいのだから。
「こちらこそ、寛大な心に感謝するよ。よろしく、エセル・マスカード伯」
ロゼットは差し出された手を握った。相手と同じく、顔に笑みを貼り付けて。