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いばらの冠  作者: サモト
いばらの冠
18/53

17.

 髪を逆立たせ、青い目の男は白い扉へと迫った。


 男は左手にメイスを、右手には赤い薔薇の紋章が描かれた盾を持っていた。部屋にいた白いローブを羽織った神官は、穏やかに問いかける。


「何事です、ラヴァグルート殿。神殿にそのような物騒なものを持って」

「暢気なことだ。分からないのか?」


 ラヴァグルートと呼ばれた男は、メイスで側にあった石像を叩いた。石像の頭部はいとも簡単に砕け、無残な姿をさらした。


「エヴァンジェリン――いや、神の威を借る魔物め。今日こそその首、神の御膳に捧げてやる」


 ラヴァグルートは銀の髪の神官に、一歩一歩近づいていった。神官についていた見習いの少年たちは、気迫に押されて退く。神官は右手を掲げ、呪を唱えた。


 見えない力に押され、ラヴァグルートは進行をはばまれる。だが、左足で大地を踏みしめ、満身の力をこめて右足を踏み出した。透明な壁が破れ、前につんのめる。神官が瞠目した。


「バカな――おまえたちに、そんな力があるわけが」

「神から授かったのさ」


 扉から、さらに二人、人が入ってきた。一人は女性で、栗色の髪をきれいにまとめ、貴婦人然として立っていた。もう一人は男で、やや鷲鼻の、いかにも神経質そうな顔つきで、身体つきは細かった。


「セレスティアルにアヌシュカまで……」


 神官は呆然とつぶいた。

 三王家の初代国王たちが、神官の前に立ちはだかった。


* * * * *


 手の上でもてあそぶと、白い結晶は澄んだ音を立てた。今日の戦で捕らえた指揮官から取り出した、『花片の首飾り』の一部だ。今日は三枚あった。


 ロゼットは指先でつまみ、三つの花びらを蝋燭にかざした。光の揺らめきが、血に残る記憶を誘う。新たな花びらに触れるたび、遠い昔の光景が脳裏に描きだされた。


「セレスティアルの女王って、昔は美人だったんだなあ」


 一人ごち、花びらを宙に放る。一枚取りそこね、湯をはったたらいに落ちた。たらいの底で花びらがゆらゆらと揺れる。


「おい。まだか」

「まだだよ」


 深めの大きなたらいにつかったロゼットは、両手で湯をすくい、顔を洗った。布をぬらし、ゆったりと身体から汗や血を洗い落とす。


「なぜ私の天幕で湯を使うんだ。川でも湖でもあるだろう、この近くには」

「どこも君のところの兵に占領されてるんだよ」

「人目を気にするほどの身体か?」


 麻布の仕切りの向こうで、エセルがせせら笑った。


 ロゼットは無言でたらいから腰を上げた。天幕の支柱と、地面に突き刺した槍。その間に布を紐で結わえただけの簡単な仕切りだ。立つと、簡易ベッドに座り、こちらに背を向けているエセルの姿が見えた。


 ロゼットは槍を引き抜き、仕切りをのけた。濡れた素足でわざと大きく足音を立てて、簡易ベッドに近づく。エセルの背がこわばった。


「伯爵」

「……なんだ」

「これ、ありがと」


 ベッドに片足をのせ、肩越しに白い輝石を差し出す。ぎし、と木の骨組みが鳴った。腕から雫が滴り落ち、エセルの肩にしみを作る。受け取り手から、石が転がり落ちた。


「き――早く服を着ろ!」

「そういえば、服、ないんだよね。替えの服もぼろぼろになっちゃったし」


 体温が伝わりそうなほど近くで、ロゼットはささやいた。口の端に笑いを浮かべながら、意地悪くいう。


「こっち向けよ。人目を気にするほどの身体じゃないんだろ?」

「おまえは……可愛げだけでなく、羞恥心も母親の腹の中に置いてきたのか!」

「思いやりとか良心とかをおいてきてる君にいわれたくないな。服、貸してくれる?」

「……好きにしろ」


 エセルは地図を握りつぶしながらいった。耳まで赤い。ロゼットはくつくつ喉を鳴らしながら離れ、エセルの荷物の中から適当な服をあさった。


「どうしようかな。身長違うから、下までは借りれなさそうだな」

「早く。なんでもいいから、さっさと何か着ろ」


 ロゼットは、腕組みをして苛々と待っているエセルを振り返った。季節は冬に向かっており、肌寒くなってきている。エセルは裾の長い、薄手の上着を羽織っていた。


「……その上着、よさそうだな」


 エセルは腕を叩いていた指を止めた。


「……おい。まさか」

「伯爵、脱げ。僕のために」

「おい、やめ――寄るな触るな近寄るな猛獣!」

「伯爵ー? 何やってんだ?」

「待て、入るな!」


 制止は間に合わなかった。天幕の入り口となっていた布がまくり上げられ、見張りに立っていたキートとエドロットが顔を出す。エセルはとっさに、ロゼットの身体を押し倒し、入り口から見えないよう自分の身体で覆い隠した。


「……お取り込み中?」


 上司が全裸らしい少女をベッドに押し倒しているという構図に、二人は不審そうな顔をした。動揺しているエセルは、質問の内容にかまわず、思いっきり肯定する。


「取り込み中だ。取り込み中だから、早く閉めろ」


 入り口が閉まると、エセルは上着を脱いでロゼットに押し付けた。時期を見計らって入ってきたキートたちが、さっそくエセルをからかう。


「どういう取り込み中なワケ? 伯爵」

「……知るか」


 ようやく自身の失言を悟り、エセルは額を押さえた。深く肩を落とす。目尻に涙でも光りそうな悲愴さがただよっていた。軒先を貸して母屋を取られるとはこのことだ。


「布一枚巻いてたから、見られても平気だったのに」


 のんびりと上着の釦を留めるロゼットに、エセルは眉間を狭くした。


「貴様、今日もここで寝る気か?」

「そのつもり。襲うなよ?」

「だれが襲うか!」


 エセルの怒鳴りに、キートとエドロットは腹を抱えて爆笑した。おまえサイコー、とロゼットの背を叩く。


「でも、冗談抜きで近づくなよ。何があっても、僕が寝てる間は絶対に寄るな。手加減できないから、うっかり君の首をはねちゃうかもしれない」

「冗談にもならない忠告をどうも」


 エセルは怪物の域に足を突っこんでいる子供をにらみつけたが、長さの余る袖をぶらぶらとゆらして無邪気に遊んでいるのを見ると、不満を飲みこむように渋々口を閉じた。


「偉い偉い、伯爵」

「大人にならないとな」

「……黙れ」


 エセルは両肩から部下たちの手を払い落とし、二人を追い出した。


「――一応、悪かったとは思ってるんだよ。この間、うるさかっただろ」


 ロゼットがたらいを片付けながら謝ったが、エセルはそ知らぬ顔だった。書簡を開き、ランプのねじを回す。灯芯が伸びて、火が大きくなった。


「雨が降る日は、嫌な夢ばかり見る。この島は緑が豊かだけど、その代わり、からっと晴れることが少ないんだから、困ったもんだよ」

「……大陸は雨が少ない」

「それは何よりだな」


 服を干すと、ロゼットは天幕の隅にうずくまった。槍を抱き、毛布にくるまる。まぶたの裏にランプのやわらかな光がちらついた。


「戦が終わったら大陸に行きたいといっていたが、大陸に行ったら、何をするんだ?」

「さあ……。そこまでは考えてなかったな。ともかく、この島から離れたくて仕方なかっただけだから」

「奇遇だな。私もこの島は大嫌いだ」

「エヴァンジェリンのくせに?」

「エヴァンジェリンのくせにだ」


 エセルは紙面から目ははなさず、不遜な態度で言った。ロゼットは笑って、静けさに身をゆだねるように身体の力を抜いた。今日も雨が降っている。物音は雨音に消し去られ、天幕の中は心地よい閑寂に包まれていた。


「――伯、おくつろぎのところ、失礼いたします」


 天幕の外から声がした。見張りの兵が申し訳なさそうに入ってきて、小声でささやく。うっすら目を開けると、エセルと目が合った。顔を伏せられる。


「絶対に顔を上げるな」


 エセルが中に招き入れたのは、ダスキーだった。ロゼットは頭から毛布をかぶり、ただ毛布をかぶせておいてあるだけの荷物を装った。


「雨続きで気が滅入りますね。何か御用でしょうか、メイソン殿」

「ラヴァグルートの者がこの隊にいるとか」


 エセルは慇懃に話題に入ったが、ダスキーは単刀直入に――やや強引に――要件に入った。


「どこでそんなお話を? 兵たちですか」

「この軍に取り込んだラヴァグルート兵のなかに、子供の形をしていながら、大人顔負けの怪力を持ち、羽根のように身のこなしの軽い兵がいると聞きました」

「たしかにいますが……ラヴァグルートの人間だとは断言できません。なにせこの島は妙なことの多い島です。ラヴァグルート一族の他にもいるのではないでしょうか、そういう人間は」


 エセルは慎重に答えた。


「この島はエヴァンジェリンが滅びて以来、奇跡も絶えて久しい。そういう並外れた身体を持った人間は、ラヴァグルート以外にはいないでしょう。どこにいますか、その兵は。今日は伯のおそばにいたとうかがっておりますが」


「さあ……。人の命令を聞かず、フラフラとどこかに行く悪癖がありましてね。今もどこにいるか分かりません。おもしろい兵だと雇い入れたのですが、失敗でした」


「見つけたら、私に知らせてください。お願いします」


「それはかまいませんが……私はラヴァグルート一族を皆殺しにしました。そんなところに、のこのことラヴァグルートの人間が雇われに来るとは思えないのですが」


「その兵の目の色は青いですか?」


「いいえ、緑色でした。そういえば、ラヴァグルート一族は全員、目が青色でしたね」


 当てが外れ、ダスキーがうなったのが分かった。ロゼットは詰めていた息をわずかに吐く。


「しかし、庶子であれば――」

「庶子もですか。今年生贄にするアヌシュカの一族はずいぶんと多くなりそうだ」


 エセルが苦笑すると、ダスキーは口を閉ざした。失礼した、と踵を返す。


「兵のことは、もう気が晴れましたか?」


「最後に一つだけ。捕らえたラヴァグルート一族の中に、額につるのようなアザのある王女――それも十六に満たない王女はいませんでしたか?」


「十六に満たない、ですか。何人かいましたが、額にアザがあったかどうかまでは……。それが何か?」


「もし、そういう子供を見つけたら、知らせてください。それもラヴァグルートの人間ですから」


「気をつけておきますよ」


 ダスキーの足音がなくなると、ロゼットは毛布から顔を出した。大きく呼吸して、肺にたっぷり新鮮な空気を吸い込む。


「ハイエナみたいな連中だな。おちおち寝られやしない」


 ロゼットの批評に応えるように、エセルは肩を落とした。ロゼットは立てた膝に顎をのせ、早まっていた鼓動を落ち着けた。


「……寝るよ。お休み、伯爵」

「ああ。そうしろ」


 エセルは気のない手つきで書簡を広げ、ぽつりといった。


「戦が終わったら、私のところに来るか?」

「ん……どういう風の吹き回し?」

「せっかく助けてやったのに、そのあと野垂れ死にされても目覚めが悪い。その気があるなら、仕事ぐらい世話してやる」

「いっとくけど、まともな職は無理だよ、僕」

「最初から貴様にまともは期待してない」

「それはありがたいな……」


 眠たいのか、なじられても、ロゼットの声はとげとげしさがなく甘かった。


「で、どうする?」

「そうだな……悪くないかな。考えとく」

「考えておけ」


 エセルはランプをいじり、強くした光を元にもどした。

 夜半にかけて、雨脚は強まっていった。


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