15.
幻が解けてみれば、村もなかった。村すら幻だったらしい。略奪され、廃墟となった家々があった。一軒だけ古びた大きな屋敷が残っており、老女が住んでいたが、その事実はエドロットは深く傷つけた。
「おばあちゃん、君と話してて三十歳くらい若返ったって」
「……そりゃよかった」
天幕の隅で、エドロットはうずくまった。キートとヤナルが肩を叩いて励まし、昨夜窮地を救ってくれた男たちの前に、一緒に立たせる。ロゼットだけは天幕の隅に立ち位置を決めた。
一番手前にいるのが、先ほど、アヌシュカの王子を捕らえていた男だった。鼻の下に、灰色の縮れたヒゲをはやした男だ。野太い身体つきで、あかぎれた手に斧を下げている。歩くとどしどしと音が鳴り、垢抜けない動作だった。
「昨夜は大変助かりました。どうもありがとうございます。ええと……」
「ダスキーです。ダスキー・メイソン」
「ダスキーさんね。俺はキート。右がヤナルで、左がエドロット。総指揮官マスカード伯の直属配下です」
キートが利き手を差し出すと、ダスキーは斧を部下に預け、両手で手を握った。ヤナルとエドロットにも丁寧に挨拶を述べる。
「神の導きに感謝を。我らの主を滅ぼした不敬なる輩を、この手で裁けるときがようやく来た」
無骨な手で手を握られ、エドロットは頬を引きつらせた。はなされると、見えない位置で手を念入りにぬぐう。
「我らの主……ということは、貴方がたは、エヴァンジェリンに仕えていた方々ですか?」
「だいたいの事情はご存知で?」
ヤナルがうなずくと、ダスキーは話をうなずいた。
「そうです。我々はその昔、この島を治めていたエヴァンジェリンという一族に仕えていました。我らの主は神の代弁者であり、御使いでもあられた。しかし、よこしまな野望を抱いた三王家に滅ぼされてしまったのです」
天幕にならぶ男たちはむっつりと黙っていたが、閉ざした口内には憤懣がこもっているようだった。
「アヌシュカだけでなく、ラヴァグルートとセレスティアルとも戦われたのであれば、ご存知でしょう。やつらの異常な力を」
「ええ。……大変な力でした」
「三王家はあれを神から授かった力といっていますが、嘘です。きっと魔物から授かりでもしたのでしょう。やつらは悪魔です」
熱く訴えてくるダスキーに、ヤナルたちは同意しかねた。ヤナルたちにとっては、神も悪魔も一緒だった。どっちも得体が知れないという点で同じなのだから。
「それで、ダスキー殿たちは協力してくださる、と。ありがたいですね。不案内な土地ですから、地元の人間が味方になってもらえると助かります」
「ありがとうございます。我々と手を組んでくださるのであれば、北の神殿の者にも協力を頼みましょう」
「北にも味方が?」
「はい。西と北に、我らの主が作った大きな神殿があるのです。主人がいなくなったあと、三王家の支配に反対する者たちは、西と北に別れて暮らしておりました」
「となると、アヌシュカを挟撃できるわけですね」
「我々はエヴァンジェリンに仕えておりましたので、怪しい術を防ぐ方法を多少心得ております。お教えいたしましょう」
ヤナルたちは顔を見合わせた。思わぬところで、頼れる協力者ができた。肩の力が少し抜ける。
「私たちの主人も喜ぶことでしょう。ぜひ、お願いいたします」
「ありがとうございます。ただ、一つだけこちらからお願いがあるのですが」
「なんでしょう」
「三王家を……いえ、あと一国だけですから、アヌシュカだけで結構です。捕らえたら、王族を私たちに引き渡して欲しいのです」
太い眉の下で、うす曇の空のような、青灰色の目が憎悪をたたえてかがやいた。あまりの気迫にキートがたじろぐと、ダスキーははっと我に返って姿勢を正した。
「いけませんか?」
「いいえ、かまいません。しかし、なぜ?」
「生贄にするのです。ここのところ、この島は災害つづきですから、三王家を神に捧げて、怒りを静めていただかなければ」
そういう風習がとうに無くなった国に育った三人は、あ、ああ、生贄ね、と曖昧にうなずいた。天幕の隅で防具の手入れをしているロゼットを、遠慮がちに横目にする。
「お話は分かりましたが、私たちの一存では決められません。一緒にセレスティアルまでお出で下さい。我々の主人がそこにおりますので」
「かしこまりました。ご一緒しましょう」
ダスキーたちは嬉々として諾意を示した。
「……ヤバイな」
細々とした話し合いを終え、男たちが去っていくと、キートが頭をかいた。ヤナルとエドロットも腕組みをする。胸当てを身に着けながら、ロゼットはのんびりと問うた。
「何が?」
「何がって、おまえな。分かってんだろ。あいつらに正体ばれたら、やべえぞ。絶っ対、怪力が知られるようなことするなよ」
「先にロッツだけセレスティアルに帰ってもらおうよ。いつ戦いになるか分からないし、戦いになったとき、手加減するのは難しいって」
「俺もヤナルに賛成。伯爵になんとかの冠っていうの、取ってもらえよ。そしたら普通の人間に戻るんだろ?」
ロゼットは目をしばたかせた。
「なんか不都合でもあんの?」
「ううん、ないよ。そうじゃなくて……三人とも、僕のこと心配してるの?」
今度は三人が瞬きする番だった。
「してるのって……ロッツ、大丈夫か。自分の身が危ないってこと分かってるか?」
「分かってるよ。分かってる。だけど、まさかキートたちに心配されるとは思ってなかったから」
最後の方は尻すぼみになった。落ち着かなさげに、ロゼットは槍を何度も握りなおす。
「いっとくけど、俺ら、伯爵ほど冷血じゃないから。仲間の安否を気遣うぐらいの心は持ち合わせてるから」
「そっか。ありがと。でも、アヌシュカを倒すのが約束だからね。僕はこのままいくよ。あいつに借り作るのはやだし」
「いいじゃん、借りくらい。人は使われて頼われてナンボだって」
かたくななロゼットにキートとエドロットは呆れた。
「ロッツ、身の安全を一番に考えた方がいいよ。それに、残党の中に君のことを知ってる人がいたら、やりにくいだろ?」
「そんなの、とっくに覚悟の上だよ、ヤナル。僕は国中を敵に回す覚悟で、ラヴァグルート王たちに復讐したんだから。恨むなら結構。僕は自由になりたい。そのためならなんでもするさ」
ヤナルは表情を曇らせた。同情と哀れみを向けられている気がして、ロゼットの心がささくれ立った。
「残念ながらね、僕は復讐したことを少しも後悔してないんだ。たとえ、そのために殺されることになっても」
ロゼットは敬愛する師の形見に、ためらいがちに触れた。はっきりと口に出していうことはなかったが、師も反対していた。兄弟姉妹にいじめられるたびに、彼らを許してやりなさいと諭された。
だが、だれよりも尊敬していた師の言葉ですら、心にくすぶる憎悪の炎を止めることはできなかった。どうして彼らを許さなければならないのかが、理解できなかった。どうすればその怒りを消せるのかも、分からなかった。
「あいつらが死んだ晩、僕はどれほど喜んだことか。このまま死んでもいい、地獄に落ちたっていいと思ったよ。あんなによく眠れた夜はなかった」
「ロッツ……」
「だから哀れみや同情はやめて。侮辱だ」
「違う。そうじゃないんだ。ロッツ、君は自由になりたい。だから自分の一族を滅ぼした。でも、復讐したがために、君は恨まれる。結局、復讐が自由の足かせになっているような気がして仕方ないんだ」
ロゼットの中で、ヤナルの目が、ふと、ウィリアムのそれと重なった。母親を抱きながら、なぜ、と問いかけてきたときの。
「復讐するなんて偉そうなこと、俺にはいえない。見るつもりはなかったんだけど……ごめん、ロッツの身体の傷、見たよ」
「……そう」
「まさかあんなに酷いとは思わなかった。恨むなって方が無理だ」
ヤナルだけでなく、キートたちも知っているらしかった。落ち着かなさげに目線をさ迷わせる。着替えや身体を清めるとき、人目につかないよう気をつけてはいたが、何日も行動を共にしていては見えることもあるだろう。
「あんなに……あんなに憎んでいるのに、どうしてロッツにはラヴァグルートの名前がついて回るんだろうね」
「仕方ないよ。生まれは選べないんだから。だから僕は自分で自分を変えることにしたんだ。弱いなら強くなる。敵がいるならなぎ倒す。名前がついて回ってくるなら、逃げるだけだ」
ロゼットは槍を一振りした。天幕に迷いこんできた蜂が、真っ二つに分かれた。
「足にも自信あるよ、僕」
不敵に笑って、石突で地面を叩く。ヤナルが苦笑した。
「ロッツは、全部終わったら、どうするの?」
「分からない。島を出ようとは思ってるけど」
「大陸に来るなら、いつでも俺の家に来ていいからね。なにか困ったことがあったら、協力するよ」
「俺の家にも来いよ。うちのじいちゃん、強いやつが好きだから、きっとロッツのこと気に入ると思うし。大陸にはもっと色んな遊びがあるから、教えてやるよ」
「そうそう。色んな遊びがあるかんな。大人の遊びってもんを教えてやんよ」
「エド、ロッツは女の子だってば」
ヤナルの指摘に、エドロットはそうだったと肩をすくめた。
「もう一踏ん張りだ。一緒にがんばろうぜ。伯爵と喧嘩したときは、いえよ。味方するから」
「俺も。手伝うわ」
「二人とも……。ロッツのこと、敵に回したくないだけだろ」
「だって怖いもーん」
キートとエドロットは声をそろえていい、ロゼットの背を叩いた。
「さて、今日はもう寝ようぜ。英気を養って、明日に備えないと。ボヤボヤしてる暇ねえや。味方もできたことだし、さっさと残党倒さないと怒られる」
「それに、早いとこセレスティアルに戻らないと、アヌシュカ進軍に置いてかれるな」
「間に合わなかったら、減給されそうだ」
それぞれ天幕の中の毛布を取り、さっそく包まりはじめる。ロゼットも三人にならって、寝る準備をはじめる。
「……時間、か」
ぎゅっと、服をつかむ。
「まだやり直すだけの時間は、あるよね」
小さく咳をしたあと、ロゼットは毛布をかぶって目を閉じた。