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いばらの冠  作者: サモト
いばらの冠
15/53

14.

 翌日ロゼットが目を覚ますと、荷馬車の中だった。縄で縛られた状態で、転がされている。幌のあいだから行きかう兵が見えた。城門も見える。制圧部隊が出発するところらしかった。


「起きたか」

「……エセル・エヴァンジェリン」


 憎い相手の姿に、ロゼットは思わず唾を吐いた。


「行ってもらうぞ。三人と一緒に、残党制圧に」

「どういうつもりだ! 殺すならさっさと殺せ!」


 叫ぶと、エセルは頭に手をのせてきた。身体がこわばりかけたが、理性で押さえつけ、相手をにらみつけた。


「威勢がいいわりに、身体が震えているな」


 エセルは嘲笑したが、すぐに笑みは消えた。


「――おまえが一族を憎んでいたように、俺はこの島が憎かった」


 エセルはおもむろに口を開いた。


「幼いころから、子守唄代わりに、島のため島のためといわれて育てられてきた。このときのためだけに、人を操り、人を陥れ、人を殺し、この地位を築いてきた」

「……」

「ここのところ、島に異様に災害が多いのはもう分かっているだろう。このまま放っておくと、島は沈む。沈ませないために、三王家の命と、その力が必要だったんだ」

「そのために、わざわざ君はこの島に?」

「俺にしてみれば、海を隔てたこんな遠い島のことなんて、どうでもよかった。だが、俺が逃げてもエヴァンジェリンの名は追ってくる。貴様が毎夜悪夢を見たように、俺は毎夜、島民もろとも島が沈む夢を見させられた」


 歯を噛み締める音が聞こえた。


「三王家なんぞ、さっさと滅びてしまえ。俺はこの役目からさっさと解放されたかった」


 エセルの親指が、いばらの形をしたアザを強くなぞる。アザがちりちりと熱を帯びたように痛んだ。


「反故にするつもりで取引にのったのは、八つ当たりか。本当に酷いやつだな」

「脅して契約を成立させたのはどちらだ?」


 二人は互いに互いを視線で責めたて、やがて目をそらしあった。エセルが縄を解く。


「最後まで協力しろ。そしたら、命を保障する」

「……今度は信用していいんだろうな」

「もし破ったら、俺を好きにするといい」

「分かった」


 うなずき、ロゼットは大きく伸びをした。凝り固まっていた筋肉をほぐし、荷馬車から飛び降りる。すぐにヤナルが槍を差し出してきた。師の形見である槍を。


「武運を。ロゼット・ラヴァグルート」

「そんなもの、だれに祈る気だよ、伯爵」


 ロゼットは槍をつかみ、皮肉を浮かべて振り返った。エセルはそうだったな、と苦笑する。


「では、もし死んだら骨ぐらいは拾ってやる」

「奇遇だね。僕も拾ってあげようと思ってるよ」


 二人は互いに互いを冷笑し、いった。


「犬の餌に」


 二人の声は寸分たりともずれずに重なった。同属嫌悪をありありと浮かべ、顔をそむけ合う。和解はしたが、許容してはいない。


「……もうあまり、時間がない。早く終わらせて来い」

「分かったよ。詳しい話、帰ってきたら聞かせてくれるよね」

「ああ。すべて、教えてやる」

「約束だ」


 ロゼットは槍を握り、前を向いた。

 曇天の下、出征を継げる笛が長く高く響き渡った。


*****


 平野と丘陵のつづく南部、東部とちがい、島の西部は山がつらなる。湖が諸所に見られ、同じ島の中でも趣が異なっている場所だった。


 景色だけでなく、住む人々も少々異なっていた。セレスティアルの土地ではあったが、三王家による支配を拒んでおり、三王家の領地とは一線を画しているのだ。


「残党はたぶん、西の奥までは入ってないと思う。せいぜい、山の麓かな。西部の人たちが部外者を嫌うから」


 ロゼットは島の地図を広げ、西部の山岳地帯を指差した。


「ここは昔、北にある神殿と同じくらい大きな神殿があったんだ。エヴァンジェリンを崇拝してた人たちが、たくさん住んでた。三王家がこの島を支配するようになってから、その人たちは山の奥に引っ込んで、外部とは断絶。行っても、水かけられて追い出されるのがオチだね」

「そりゃ助かるね。山の中まで追って行くのは手間だ」


 キートは腕組みしながら、地図をのぞきこんだ。カードゲームの結果、負けたキートが隊長になった。裏地が緋色のりっぱな外套を、窮屈そうに身につけている。


「残党って、何人ぐらいなの?」

「最初は五十人くらいって予想していたんだけど、実際に戦ってみたらその倍いたって話。前に派遣された制圧部隊、壊滅状態まで追い込まれたってよ」

「戦略は?」

「エドロットが立ててるところ。――お、ウワサをすれば」


 エドロットが遠眼鏡でかるく肩を叩きながら、天幕に入ってきた。わきに地図を挟んでいる。偵察から帰ってきたところらしい。


「どうだった?」

「すげえ。マジありえねぇ」

「そんなに攻めにくそうだった? それとも、敵が多かった?」

「あれはちょっと手ごわいぜ。久々に苦労しそうな予感」

「そっか……気を引き締めていかないとな」


 額に苦悩を浮かべるエドロットに、ヤナルは神妙な顔つきになった。ロゼットとキートも唸ったが、


「こんなさびれた村に、あんな立派な屋敷があって、超艶麗な人妻に会えるって夢みたいだよな……」


 すぐにエドロットの頭を、地図や丸めた羊皮紙ではたいた。


「エードーロッートー?」

「嘘嘘、ほんのジョーク。ちょっとしたジョーク。ちゃんと偵察してきたし、聞き込みもしてきたってば」

「成果はあったの?」

「あったよ。どうも敵さん、北に向かってるっぽい」

「北に? アヌシュカと合流する気かな」

「たぶんな。昨日、この分かれ道まで戻ってきて、北上していったってさ。追えば追いつけると思うぜ」


 そこまでいって、エドロットは柳眉をひそめた。


「――で、やっぱり変なんだよな。敵の数ってそんなに多くなかったらしいんだよ。多く見積もっても、やっぱり五十。騎馬とか戦車も数えるくらい。前の制圧隊を壊滅できるほどの戦力じゃない」

「敵の指揮官がよっぽど優秀だったとか?」


 納得できる理由ではなかったのだろう、エドロットは難しい顔をして髪をかきあげた。


「どうする? 敵がアヌシュカの傘下に入る気なら、この人数で追っていくのは危険だけど」

「かといって、このまま手ぶらで帰ったら、面目ねえよな」

「やっぱそうだよな。せめてもうちょっと敵の情報を手に入れてからだな。――じゃ、さっそくまた」

「あ、じゃあ俺も」


 エドロットとキートがいそいそと出かけていこうとした瞬間、敵襲を知らせる角笛が鳴った。ロゼットはすぐに武器を取った。キートたち三人も、さっきのふざけた態度はどこへやら、それぞれ得物を片手に天幕を出る。


「敵です、隊長! 林に敵が潜伏したらしくて!」


 慌てふためきながら走ってきた兵が、村の近くにある杉林を指差した。キートたちの天幕を中心として野営していた兵たちも、武器を片手に林へと駆けていく。


「ヤナル、大丈夫? 顔硬いよ」

「人間相手は苦手なんだ。大丈夫、とはいえないけど……死なない程度にがんばるよ」

「どんな理由があるにせよ、戦場で武器を取った人は、本能で生きることを選んでる。人を排除して、自分が生き残るって意思を選んでる。だから遠慮なんてするな。君だって生きたいんだろ?」

「うん……そうだね。そうだな」

「いざとなったら、僕の後ろに隠れなよ。守ってあげるから」

「ど、どうもありがとう」


 年下の、しかも女の子にいわれ、ヤナルは苦笑いした。早くも汗ばんでいる手で弓を握る。


「それにしても……敵ってどこだ? 林の中、暗くてここからじゃよく見えねえけど」

「足音も少ねえな」

「いや、いるよ。あそこ」


 ヤナルは弓をつがえ、林の中に矢尻を向けた。キートは目を凝らし、いた、と声を上げたが、エドロットとロゼットだけはなおも眉をひそめた。


「ちょっと待った、ヤナル。撃つな。敵なんて見えねぇって」

「木の影にいるだろ?」

「あんなところにいるなら、あそこにいる兵が気づくはずだろ」

「なんか変だよ。みんな、木とか枝とかに斬りつけてない?」


 ロゼットは冷静に指摘したが、ヤナルとキートは首を横にふり、林の中の、何もないところを指差すばかりだった。


「ほら、いるだろ。あそこ」

「何で見えないんだよ、エド」

「なんでって――って、あ、あれか? ロッツ、おまえも見えるか? あれなら」


 エドロットが指し示した先には、たしかに人がいた。だが、それが敵か味方かは、暗くて判別がつかない。剣戟と兵たちの叫び声に、心が焦る。安易に肯定したくなったが、ロゼットはなおも首をふった。


 何かおかしかった。何かが。


「……そっか。分かった。幻術だ」

「は?」

「アヌシュカの幻術だよ。敵なんて、本当はいないんだよ。木の影とか枝が、敵に見えてるだけだ。先にやられた兵も、自滅させられたんだ。ありもしない幻の敵を見せられて」


 ロゼットは松明を片手に、林へと進み出た。近づいていくにつれ、戦いの様相が明らかになる。予想したとおり、かなりマヌケな図だった。味方同士で刃を交え、木の幹に切りつけ、石をふんずけて雄叫びを上げている。


「やっぱり……。三人とも、分かった?」


 襲い掛かってきた兵を、片手でいなしながら、ロゼットは背後を振り返った。三人は手放せない、という様子で武器を握っていた。


「ダメ?」

「ダメ。すっぽり幻覚にはまってる」

 

 雑木林に絶叫がこだました。兵のものだ。何が見えているのか、ひどい脅えようで、無茶苦茶に剣を振り回している。


「死ぬもんか! こんなところで死んでたまるかぁっ!」


 化け物めえ、と兵は大木に切りつけた。どうやら、人間ではないものまでも見えはじめているらしい。おかあちゃん許してえっ、だの、もう浮気なんてしないからっ、といった叫喚も混じっていた。


「……好奇心で聞くけど、三人は何が見えてるの?」

「聞くな! 男にはプライドってもんがあるんだ!」

「プライドってものがあるなら幻覚なんて吹っ飛ばしてよ!」


 怒鳴られ、三人は申し訳なさそうに肩をすぼめた。


「目をつぶっても見える?」

「見える」


 ロゼットは歯噛みした。とりあえず、術者を探すしかないようだ。その前に、この三人を安全な場所に連れて行かなければならない。味方に襲われて自滅などという事態は、バカげすぎていて、笑えもしない。


「――待て! お前は親父を殺したあの灰色熊だな! 仇を討ってくれる!」

「だれが熊だっ!」


 三人を連れて後退しつつ、ロゼットは襲いかかってきた兵士を蹴り飛ばした。かなりの巨漢だったが、兵士は放物線を描いて吹き飛ばされる。すると、それを目にした別の兵士が叫んだ。


「邪悪なドラゴンめ! このケリンス・ワードナー様がお前を退治して――」

「だれが邪悪なドラゴンだっ!」


 問答無用で殴り飛ばす。


「魔王め! 神妙に神の裁きを受けるがいい!」

「その前に人誅下してやるよっ!」


 今度は容赦なく股間を蹴り上げる。


「まったく、このか弱い子供をなんだと思ってるんだよ、みんなして」


 兵士は並外れた脚力でオトコの急所を蹴られ、悶絶した。キートたち三人は、この猛獣系小動物の怪力と容赦のなさに震えあがった。幻覚よりも恐ろしいかった。


「ほら、もっとシャキシャキ歩いてよ。肝っ玉が小さいな」

「ヒドイっ、俺らオトコのコなのにっ」

「アタイらのことなんてヘソの垢ほども愛してないのねっ」


 キートとエドロットは恐怖に訳の分からないことをわめいた。ロゼットは襟首をつかんで、野営地の外へと引っ立てていく。


「そうだ。ねえ、キートたち。気絶した方がいっそ幸せかもね」

「親切そうな顔しながら物騒なことをいうなっ!」


 すでに手刀を構えているロゼットに、二人は戦慄した。


「痛くないよ。一瞬で終わるから」

「嫌だっ! 絶対に嫌だっ!」

「そう? いい案だと思ったんだけどな」


 残念そうに手を下ろすロゼットに、エドロットとキートは手と手を取り合って震えた。青ざめて東を向き、喉も裂けよと叫ぶ。


「助けて伯爵っ! 今度から仕事中に寝ないし、遊ばないし、おやつも食べないし、書類もきれいに書くし、女の子と遊ぶのも三日に一回にするし、人妻との火遊びたぶんきっと控えるからっ!」


「はみ出てて気になる小隊長の鼻毛を抜いたり、パワハラ大隊長のカツラを釣ったり、加齢臭の気になる旅団長に香水ぶっかけたり、第三師団長が屁をこいても騒がずに鼻つまんで耐えるから、助けてええぇぇぇーっ!」


「……君ら、本当にどうして雇われてんの?」


 三人のうち一人の命を選ばなければいけない事態になったら、ヤナルを選ぼう、とロゼットは妥当すぎる案を採択した。


「アヌシュカの王子を捕まえられれば早いのに」


 とち狂って襲い掛かってくる兵士に、ロゼットは臨戦態勢を取った。殺すことはできない。手加減しなければいけないのが面倒だ。


 そう思っていると、パン、と何かがはじける音がした。キートたちはびっくりしてあたりを見回し、あ、と口をあけた。


「どうしたんだよ」

「……幻が」

「消えた」


 三人はもう一度、確認するように周囲に視線をめぐらせ、うなずいた。本当に消えたようだった。兵士たちも夢から醒めた表情で、きょとんとして、自分が握っている武器を見下ろしている。


 一体どうして、と怪しんでいると、暗闇から、独特の織り文様が入った服を着た人物が出てきた。ロゼットだけでなく、キートたちも得物を手にした。


「帝国の方々か」

「そうだといったら?」

「私は敵ではない。武器を下ろして欲しい」


 鼻の下にひげを蓄えた男は、くぐもった声でいった。猿轡をかまされている男を突き出してくる。羽織っているマントには、手触りのよさそうな毛皮がついていた。


「アヌシュカの王子だ。残党と結託していたらしい」


 林のあちこちから、男と同じような服装をした男たちが出てきた。本当に何人かは敵がいたのだろう。男たちのそばに見知らぬ兵が倒れていた。


「あなた方は?」

「私たちは西の山に住む者」


 もじゃもじゃとしたひげの下で、口が動く。


「三王家とは因縁がある。そちらに協力したい」


 男たちは武器を強く握った。

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