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いばらの冠  作者: サモト
いばらの冠
14/53

13.

 エセルが襲撃された日から、エドロットたちは出兵の準備に追われ、忙しくなった。


 同行しようか、とロゼットは何度か言いかけたが、結局いわなかった。なぜか気が乗らなかったのだ。出兵前夜、準備を終えると、励ましの言葉だけを残してヤナルたちに背を向けた。


「本当に、僕らしくもない」


 憎い一族がいなくなったのだ。もっと喜んで日々を謳歌していてもおかしくないというのに、気分が沈んでいる。ここのところ、身体がだるいせいかもしれなかった。生活に支障が出るほどではないのだが、倦怠感が抜けない。


「あの杖に生命力でも吸われすぎたかな」


 ロゼットは一人ごち、足を止めた。分かれ道に差しかかった。まっすぐに行けば自室、左に曲がれば、白く大きく立派な扉に行くことができる。


 逡巡して、ロゼットは左に足を向けた。扉には閂がついていたが、錠に鍵はかかっていなかった。音を立てないように、そっと閂を外す。


 『王の間』は荒廃としていた。


 戦で片づける余裕がなかったのか、焼け焦げた絨毯も、つるも、すすで汚れた壁も、ロゼットが最後に見たままになっている。死体だけは取り除かれていたが、使う予定がなかったせいか、今となっても放っておかれているようだった。


 ロゼットはつたを踏み越えながら、中へと足を踏み入れていった。昼間は太陽に白く染め上げられる空間は、今は月光に青白く染め上げられていた。静謐として、神聖な空気に満ちている。空気は吸うことがためらわれるほど、澄んでいるように思えた。


 王座の十歩ほど手前で、立ち止まる。ステンドグラスから、やや陰をおびた色とりどりの光が降り注いできた。あの近衛兵が倒れた位置に間違いなかった。


 座りこんで床をなでると、手にほこりや煤がついた。ロゼットは黒くなった手を凝視していたが、やがてゆっくりと体を倒し、床にたゆたう光に身をひたした。


 床とほぼ水平になった目線には、肉や血の燃えかすがある。ロゼットは手が汚れるのも気にせずそれに触れ、目を閉じた。


「だれかいるのか?」


 誰何の声が響き、硬い靴音が近づいてきた。邪魔をされ、ロゼットは不機嫌そうに身を起こした。


「――なんだ、貴様か」

「こんばんは、マスカード伯。君の部下は大変なことになったね」

「ご心配どうも。あれらも行儀がよければ文句も出ないんだがな」


 エセルは腰に手をたててため息を吐いた。


「こんなところで何を?」

「ちょっと冒険。隠し通路のほかに、何があるのかなって」


 ロゼットは手を叩き合わせ、手についたほこりを払った。


「……そこで一緒に倒れていた男は、なんだったんだ?」

「僕の父親。勝手なものだよ。かわいそうな子供を置いて、好きだった女と一緒にさっさと逝きやがった」


 いって、ロゼットはエセルを見上げた。口をつぐんでいるエセルに、冗談だよと笑う。


「前にも言っただろ。僕の母親に付き添ってた男だ。元ラヴァグルート王の近衛兵で、僕を恨んでるやつ二十三号」

「そういうことを聞いたわけじゃない。おまえにとって、なんだったんだ?」


 ロゼットは返事に窮した。考えたことのない、いや、考えることを拒んだ事項だった。揺らぐ心を引き締め、冷たくははねつける。


「君には関係ないことだ。君はこの島に深く関わりたくない。だったら、何も見ず、何も聞こえないフリをするのが最良だ。そうだろ? エセル・マスカード伯」

「……そうだな。それが、一番だ」


 らしくもないことをしたと思ったのだろう、エセルは決まり悪そうに髪をかきあげた。話題を元にもどす。


「残党制圧だが、貴様もついて行け。命じれば、戦場の最前線でも行くといっていただろう。行ってもらうぞ」

「いいよ。ちゃんと約束を守ってくれるなら、だけど」

「妙なことをいうな。そういう契約だったはずだが」

「そうだね。そうだけど」


 ロゼットは重たそうに腰を持ち上げた。おっくうそうな動作だった。立ち上がり、顔にかかった横髪を、頭をふって払う。ステンドグラスの白い光がまぶしかった。


「そうだけど、君は、最後には僕も殺す気じゃないのか?」


 身をこわばらせた相手に、ロゼットは笑う。


「当たりか」

「――だったらどうする?」

「さあ。どうしようね」


 いたぶるような口調だが、それほど気迫はこもっていなかった。斜にかまえる様は、他人事のようだった。


「どうしようかな……もう『いばらの冠』を取ってもらおうかな。当然、命は保障してもらうけど」

「それはできない相談だな」


 ロゼットは眉間を険しくした。気色ばむが、エセルは腕を組んで微動だにしない。冷然と見下ろしてくる。


「あいにくと、こちらにもそうしなければいけない理由があるものでね」

「理由?」

「王家の人間を皆殺しにしたり、力を奪ったり、こっちも好きでやってるわけじゃない」

「なるほどね。でも、そんな理由に、僕が納得できるとでも?」

「できないと思ってるさ」

「よく分かってるじゃないか」


 ロゼットは槍を繰り出した。銀の光が空間を裂く。エセルの服が切れ、肌にうっすら血がにじんだ。王座へと逃げるように、今度は横へと槍を薙ぐ。


「素直に解け、エセル・エヴァンジェリン!」


 当てないように注意しつつ、半ば本気でロゼットは槍を繰り出す。銀色の髪が数本、宙に舞った。エセルはバランスを崩し、地面に片手をつく。ちっと舌打ちし、何事か唱えた。


「――くっそ!」


 地面に残っていたつるが、ロゼットの足首を捕らえた。叩き切るが、つるはしつこくまとわりついてくる。力任せに引きちぎっていると、場に不釣合いな明るい声が飛びこんできた。


「おーい、伯爵、出兵する兵の数って――何やってんだ!?」


 ばたばたと慌しい足音が近づいてくる。キートたちだ。ロゼットはつるを足から振り落としながら、くそっ、と悪態を吐いた。


 三人はエセルを背後に庇いながら、ロゼットと対峙した。が、ロゼットが槍で鋭く空を切ると、三人の足がすくんだ。無理無理、と何度も首を横にふり、背後の主人を振り返る。


「一体何したんだよ、伯爵!」

「あんまり大人気ないこといわないようにって、この間いったばっかりじゃないですか!」

「こういうタイプは余裕を持って接しろっていっただろ!」

「……三人とも、減給していいか?」

「俺らはまだ死にたくない!」


 護衛三人はすでに白旗を上げていた。


「三人とも、どいて。用があるのは伯爵だけだ。僕は今、すごく怒ってる。君らを怪我させない自信がない」

「……っていわれても」


 キートは泣きそうな顔になったが、剣の柄に手をかけた。エドロットも剣を抜く。ヤナルも短剣をかまえ、主人を後ろに追いやった。


「頼む。落ち着いてくれ。話し合おう」

「伯爵の暴言は、俺らがお詫びするから」

「非暴力で頼むぜ。この顔が傷ついたら、女の子が何人泣くか分からない」

「エセル・マスカード、君の部下はかわいそうだ。君のせいで故郷に帰れない」


 本気のロゼットに、キートたちは青くなった。じりじりと後退する。ロゼットは無慈悲に距離を詰め、壁際に追い詰めていった。


「――いい。三人とも、どけ」

「伯爵」

「城主がいながら城内で死人が出たなど、いい笑い種だ」


 エセルはヤナルたちを押しのけ、前に出た。抜き放たれた刀身が光る。細身の剣に、ロゼットは哂った。


「やる気? 死ぬよ、君」

「殺せるものなら殺してみろ。貴様が困るだけだ」


 エセルが一歩一歩、距離を詰めてくる。間合いに入られる直前、ロゼットの手がぴくりと反応した。だが、その手が動くことはなかった。


「どうした? かかって来い」


 挑発に、下がりかけていた足が踏み止まった。しかし、前に進むこともできない。檻に閉じこめられた獣同然だ。ロゼットの喉の奥から唸り声が漏れた。エセルはさらに挑発する。


「かかってこないなら、こっちから行くぞ」


 真正面で構えられた剣に、考えるよりも先に身体が動いた。ロゼットは右足で床を蹴り、刃を閃かせた。キートたちが悲鳴を上げた。


「――すばらしい腕前だ。褒めてやる」

「……っそ!」


 剣を弾き飛ばすほどの勢いがありながら、刃はエセルの首に当たる寸前でぴたりと止まっていた。ロゼットは奥歯を噛み締め、ゆるゆると槍を下ろした。


「……せよ。早く。殺せ」


 怒りに震える手で槍を握りしめたまま、ロゼットは搾り出すようにしていった。


「どういう目的か知らないけど、僕も用済みだろ。とっとと始末しろ!」


 叫ぶと、エセルは冷淡に一瞥してきた。右の薬指に指輪をはめ、ゆっくりと近づいてくる。ロゼットは床に膝をついた。急に、どっと疲れが出た。腕から力が抜け、槍が床に落ちた。


 あれほど荒れ狂っていた心が、嘘のように静かだった。足元に落ちる、色とりどりの光。月の光は好きだった。日の光のように刺すような力がなくていい。いつも隠れていた木陰を思い出す。


 ロゼットはまぶたを閉じた。

 頭にのせられる手の重みが心地よい。


「……何か、いうことはあるか」


 ロゼットはうっすら目を開け、初めて、静かな心で敵を見上げた。薄い青色の、酷薄そうな目がある。硬く凍てついた、見ているようで何も見ていない、虚ろな瞳が。


 ああ、と心の中に嘆きが落ちる。


 周りを見る余裕などなかったから、少しも気づかなかった。相手もまた同じなのだと、ようやく気がついた。生まれたときから望まない力を与えられ、振り回されつづけて。エセルが何も見ないようにしていたように、自分も何も見ないようにしていたから、互いに相手に気づく間もなかった。


「……同情はしない」


 意外な言葉に、エセルの手が浮いた。


「同情されるのは嫌いだから、するのも嫌いなんだ」


 ロゼットは手首をつかみ、エセルの手を自分の額に触れさせた。相手の手がびくりと震える。心を読まれるかもしれないと危惧したが、どうせもう最期だ。かまわなかった。


「早くして」


 小さな唇が切望するように促す。滝のように流れ落ちる光の中、青い燐光が生まれた。淡い光に安堵を覚え、ロゼットは全身の力を抜く。


「――いいといった覚えは、ないからな」


 はっとして、身を引こうとしたときには遅かった。エセルが早口に何事かつぶやく。強烈な睡魔が襲いかかってきた。


「な……んで」


 相手のそでを強く掴むが、無駄なことだった。指先から力が抜けていく。物の輪郭は失われ、視界はただ光に埋め尽くされていく。


「まだ苦しめる気か……!」

「違う」


 意識が遠のいていく。上体が前にかしぐ。だが、倒れることはなかった。相手に支えられているのだと知る。


「……お互い、先祖がろくでもないと苦労するな」


 哀れみでもなく同情でもない言葉が、やさしく耳朶を打った。

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