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いばらの冠  作者: サモト
いばらの冠
11/53

10.

 腕につるが絡みつく。


 力任せに引きちぎり、ロゼットはドレスのスカートをまくった。どんなときでも武器の携帯するのが淑女のたしなみ。太ももにベルトで縛り付けていたナイフを抜き、二本目の触手を切り払う。


 休む暇なく、三本目、四本目。

 間に合わず、五本目は引きちぎる。


 女王の身体はつるにおおわれ、人の形を失いつつあった。無数のつるが部屋の中をのた打ち回っている。敵味方の区別はあるらしく、側近たちは襲われていなかった。我先にと出口を目指している。


「ロビュスタ様!」


 ウィリアムは主人へと伸びる触手を切り払おうとした。だが、数が多すぎる。助けようとした方も足を絡めとられ、身動きが取れなくなった。


「ウィリアム!」

「王女、私のことはいい! ロビュスタ様を!」


 ロビュスタは四肢も胴も巻きつかれ、宙に浮いていた。しかし、ロゼットは無視して、ウィリアムにまとわりつく敵を切った。


「脱出するよ! この部屋に閉じ込められる前に!」

「しかし、ロビュスタ様が!」

「あんな女、ほっとけばいい!」


 ロゼットは出口を振り返った。最後の一人が脱出するところだった。間もなく扉が閉められるだろう。


「早く!」

「先に行ってくれ!」

「馬鹿! 助けても共倒れだ!」

「ならば、私もここで死ぬ」

「ふざけるな! 死ぬ意味がどこにある! 自分の身体を一番大事にしてないのは君の方だろ!」


 錠の落ちる音がした。王の間には、あわれな生贄だけが閉じこめられた。

 だが、ロゼットはまだ諦める気はなかった。ここは二階だが、窓の下には背の低い木が生えていた。飛び降りても、生気を吸い尽くされて死ぬよりはましなケガで済みそうだった。


「ウィリアム、こっち!」


 窓ガラスを割り、再度脱出を叫ぶ。だが、呼んだ相手は剣を振るう手を止めない。ロゼットは唇をかみ締めた。これ以上とどまることは危険だ。窓枠に足をかける。


「……ロゼット…」


 かすかな呟きに、ロゼットは振り返った。ウィリアムの奮闘のおかげで、一時的にだが、ロビュスタは触手から解放されていた。

 しかし、顔は土気色になり、息は荒い。触手は再生し、ロビュスタを狙っている。どう見ても助かりそうになかった。


「さようなら、お母様」


 ロゼットは毅然としていい放った。


「――ええ、さようなら、ロゼット。私のわがままにつきあってくれて、ありがとう」


 ほほえむ母親に、ロゼットはわずかに瞠目した。何もいわず、背を向ける。


「王女! ロゼット王女!」

「僕はロッツだ。そんな名前じゃない」


 冷たく言い放ち、ロゼットは残酷に笑んだ。


「ウィリアム、君のことだ、そこまで気が回ってないと思うから、教えてあげるよ。

 君の敬愛するラヴァグルート王を殺したのは、僕だ。王妃も、王子も、王女も、皆殺した。呪いを解いてもらうっていうのも理由の一つだったけど、あいつらを殺すために、僕はマスカード伯と組んだよ。裏切り者は、すぐそばにいた。気づかなくて残念だったね」


 元ラヴァグルートの近衛兵の顔から、血の気が引いた。絶句し、立ち尽くしている。


「王女……」

「何? 僕のことが憎い?」

「あなたの望みはなんだ。一族を滅ぼして、母親も殺して、そのあといったい、どうする」


 ロビュスタの身体を抱きかかえ、ウィリアムは窓へと歩み寄ってきた。つるがウィリアムの足に絡みつき、邪魔をする。


「どうするって? 自由になるんだ。自由に。その女のせいで、この十四年、僕がどんな思いで過ごしてきたことか!」

「だから、見殺しにするのか? そんなことをして、なんになる。憎めば憎むほど、怒れば怒るほど、あなたの自由はなくなるだけだ。

 ロビュスタ様は、本当に悔いている。心の底から貴女とやり直したいと望んでいる。許して欲しい。頼む、どうかあと少しだけ耐えてくれ。きっと、耐えたことを喜べる日がくるから」


 つるに足を取られ、ウィリアムはバランスを崩した。膝をつき、懇願するようにロゼットを見上げる。


 ロゼットは、手のひらに爪が食い込むほど拳をにぎった。この期に及んでまだ暢気なセリフをいうウィリアムに、激昂した。血を吐くような思いで、叫ぶ。


「じゃあ、教えてやるよ! その女の首を持って帰らなければ、マスカード伯は僕の首をはねる。呪いも解けない。それでもまだ、君は僕に許せというの!?」


 ロゼットはナイフを握った右手を突き出した。身体中の血が沸騰して熱かった。心の中で感情が暴れ狂って、我を失いそうだった。


 けれども、灰色がかった青い目を見据えると、かすかに右手がふるえた。とても悲しげで、とても優しい眼差し。一族を憎む自分をいさめるときの、師の目にそっくりだった。


 ロゼットは首をふって、ちらつく面影を追い払った。鈍りそうになる決心を奮い立たせ、なおも叫ぶ。


「時間なんてない! 時間なんて、とっくに使い切った後なんだよ! もう何もかも、遅いんだ!」

「王……女」


 ウィリアムは呆然とつぶやいた。ロゼットはナイフを握ったまま、右の手のひらで涙をぬぐった。目際にのこる水滴が、光を増幅する。場景が白くぼやけた。ステンドグラスから差し込む光が視界の端をちらついて、妙に苛立つ。


 ロゼットは、王座に向かって腹の底から叫んだ。


「神さまなんてクソ喰らえ!」


 いつの間にか後ろに回りこんでいたつるが、ロゼットの胴に巻きついた。あわてて切り払おうとするが、右手の自由も奪われる。割れた窓はつたにおおわれ、逃げられないように塞がれていた。


「逃しはしない……おまえほど生命力にあふれた存在を……」


 緑色の塊が、女王だったものが、つぶやいた。床の上を引きずられる。ウィリアムがロゼットの手をつかんだが、一緒に引っ張られただけだった。


「ロゼッ――」


 視界が緑のつるに呑まれていく。掴み返そうとしても、手から力が抜けていく。右の手から、ナイフが落ちた。ナイフはつるに跳ね飛ばされ、壁の端まで飛ばされた。


「……手、離せ。僕は死なない。だから、君はこのまま逃げろ。ロビュスタ連れてさ。もう好きにしろよ」


 手がはなれた。ロゼットはすべてを諦めたが、ウィリアムは最後の力をふり絞った。ロゼットと太いつるの間に、刃を割り入れる。なんとか身体を引き出そうとしたが、叶わないと知ると、自分の身を割り入れた。


「なんとか……出られない……か?」


 ロゼットは四肢に力をこめてみたが、動けなかった。つるはロゼットの無限の生命力を吸って育ち、蕾をつけ、黄色い薔薇を次々に咲かせていった。一方で、太さと強度を増し、大事な餌を逃さないよう籠を作りはじめる。二人は緑色の檻に閉じ込められた。


「……ごめん……君の事だけは助けたかったのに……」

「王女……」

「君……ロビュスタのこと好きだったろ? 死ぬときぐらい……一緒にさせてやりたいのにな……」


 ロゼットはつるの上に腕を投げ出した。胸から激情の残りかすを吐き出すように、ゆっくりと息を吐く。


 陽の光がステンドグラスを抜け、緑の籠の合間を抜け、二人に色とりどりの光を投げかけていた。檻の中は滝つぼのように光がたゆたっている。最期の情景としては申し分ないかもな、とロゼットはぼんやりと考えた。


「……最後まで……何もできなくてすまない……」


 ウィリアムは呪いが解けると知ったときのように、細く、小さな身体を抱きしめた。


 ひどく疲れていたが、心は凪いだように静かだった。ロゼットはまぶたを閉じた。このまま終わっても、悔いることはない気がした。


「ロゼット……」


 血の気を失った少女の頬に、一滴、温かい雫が落ちた。


 夢を見る。回想のような夢を。セレスティアルで過ごした日々を。


 幻の中にだけあるような真っ白な城。

 はじめて見た母親の笑い顔。

 生まじめで融通の利かない、実の父親の困り顔。

 二人の楽しげな話し声。


 べつに楽しいともなんとも感じなかった。


 薄れる意識の中で、ロゼットは思う。

 なのに、どうしてこんなに思い出すのだろうと。


* * * * *


 もう二度と起きられないことを覚悟していた。

 だが、やはりそう簡単に死ぬ身体ではないらしい。焼け焦げた匂いを知覚して、ロゼットは泥のような意識の中から、自我を掘り起こした。


「――ゼット……ロゼット・ラヴァグルート」


 頬を叩かれる。だれだ、とうっすら目を開け、顔をしかめる。天国から地獄。寝起きに最悪な顔があった。


「やあ……マスカード伯……ご機嫌いかが?」

「まだ減らず口が叩けるか」


 銀髪の青年は呆れていた。ロゼットは首だけ動かして、周囲を見渡した。黄色かったはずの薔薇は青く変わり、つるは焼けて動かなくなっていた。絨毯やタペストリーも焼け焦げ、黒い煙が視界を阻んでいる。


「女王は……」


 エセルが白い玉のついた杖をかるく掲げた。玉は乳白色で、うっすら何か小さな影が見えたが、なんなのかは判然としなかった。これが女王の成れの果て――『摘蕾の杖』なのだろう。


「君が……?」

「そのために、わざわざ単身忍びこんできたんだ。貴様が生命力を吸われたせいで、近づくのに苦労した」


 エセルの左手には銀色の指輪が光っていた。エヴァンジェリンの紋章が入った指輪だ。ロゼットの知らないうちに、エセルは魔法を行使して女王を退治したらしかった。


 ロゼットは脇に目をやった。どんな炎で焼かれたのか、下半身はまるごと消え、床に残ったすすだけが、人のいた名残を示していた。それより上はつるに固く巻かれて見えなかったが、はみ出た腕は体液を吸われ、からからに乾いていた。


「死んでいる。どういう関係か知らないが、諦めろ」


 割った窓の方には、表面の黒く焼け焦げた、つるの塊があった。まりのような塊はぴくりとも動かない。ロビュスタも死んでいるようだった。


「動けるか? 少しは回復してやったが」

「動けるに決まってる」


 膝を立て、腕と足に力をこめる。ぎこちない動きだったが、立ち上がることはできた。

 扉の外がざわついている。中の異変に気づいたのだろう、早くこの場から去らなければ厄介なことになりそうだった。


「よく入り込めたね」

「城の主が、城に自由に出入りできなくてどうする」


 愚問といわんばかりの口調だった。エセルは立ち上がり、白い薄布を拾い上げた。布には緑色の顔料で、ロゼットには読めない文字が書かれていた。この城のあちこちで見受けられる文字と同じものだった。


「その布をかぶると、姿を消せるの?」

「効果はもう切れたがな」

「姿は消せても、けはいは消せてなかったよね」

「野人を相手に考えて作ってないものでな」

「自分の力不足を素直に認めたら?」


 先ほどまで死にかけだったはずだが、ロゼットはもう調子を取りもどしていた。エセルは頬を引きつらせると、ロゼットに一欠けらの配慮も見せず、さっさと王座へ向かって歩いていった。


 王座の後ろにかがみこみ、背もたれを指でなでる。多分に装飾を施して、文字が彫られていた。エセルが文字を読むと、王座の後ろの柱と柱の間に空間ができた。


「完全にエヴァンジェリン仕様だな」

「行くぞ」


 エセルは隠し通路へと足を踏み入れた。ロゼットも後につづいたが、最後にもう一度、王の間を振り返った。


「あの男、知り合いか?」

「ラヴァグルートの近衛兵。僕の母親に最後までつき添ってた人だよ」

「それだけか」

「それだけだ」


 ロゼットはそれだけ、と胸の中で繰り返した。


「気になるなら、また僕の記憶を“見て”みる?」

「結構。貴様の記憶なんぞ見たら発狂しそうだ」

「魔法って便利だね。人の心の中までのぞき放題なんだから」

「あれは――違う」

「違うってなんだよ。口で勝てないからって、実力行使。大人気ないな」

「違う。見るつもりもないのに、見えただけだ。最初におまえを捕まえたとき、槍に触れたら、残っていた思念が流れてきた」


 よくあることなのだろう、エセルはため息をついた。


「さすがにいいすぎたと思っている。悪かった」

「……」


 ロゼットは前を行くエセルを、意外そうに見つめた。


「まあ、蹴ったことは少しも後悔していないが」

「僕は叩いたこと、後悔してるのに。どうして叩くんじゃなくて、殴らなかったんだろうって」

「貴様は本当に可愛げがないな」

「失礼だな。あったよ」

「過去形か」

「永久にね」


 ロゼットは棘をしこんで笑った。背後への未練を断ち切り、暗い通路の中をひたすら前に進んでいく。疲労で身体が重かったが、立ち止まるわけには行かなかった。


「……さよなら」


 つぶやきとともに、小さく咳がでた。

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