69話 観測開始:5年9日目-4 / もちもちとして……素晴らしいな!
「魔物を倒した後は、あまり悠長にしてられない。血の匂いに惹かれて、他の魔物が寄ってくるかもしれないからね」
ジンは説明しながら、小ぶりなナイフを取り出すと、死体へ屈み込んだ。
「手早く済ませるけど、見れそうなら見ていてくれ。魔物が持つ魔石は、ギルドが買い取ってくれる。だからそれを回収するんだけど、人型の魔物は心臓の位置にある」
切り開かれた胸元から溢れ出す血を見て、アリシアは思わず目を逸らした。
ジンはその傷口に躊躇なく手を差し込むと、鈍く光る小さな石を引きずり出す。
「そして魔物には、それぞれ討伐証明となる部位がある。ゴブリンの場合は右耳だ。これもギルドに提出することで、冒険者としての実績として認められる」
アリシアは鼻を押さえながら眺めていると、その様子に気づいたエデンが心配そうに傍へと寄ってきた。
「アリシア、大丈夫?」
「う、うん……うさぎさんのほうが、しんどかった」
「ちょっと離れましょう。血の匂いもするし」
「そうだな。二人とも頑張った。まだ少し時間はあるから、あそこの岩にでも座って、休んでいるといい」
シエルの指差した岩に、アリシアはエデンと並んで腰をおろした。
「ふう……ちょっと、きゅうけい……」
「お水飲む?」
「うん、すこしだけ……」
まだ血と獣の臭いが、鼻腔の奥に残っている。
冷たい水を飲むと、吐き気が少しだけ引いた気がした。
「初めて魔物を見たんだ。だから、多少気分が悪くなっても気にする必要はない。それより、さっきのゴブリンを見てどう思った?」
ゴブリンを?
アリシアの脳裏に、ゴブリンの顔つきが蘇る。
裂けたような大きな口、血走った目、そして、口の端から……。
「よ、よだれがね、おくちから、だらーって」
「とても不快になる見た目をしていました」
「そ、そうか。いや、そういうことではなくてだな……。二人とも、ゴブリンを見て、勝てそうだと思うか?」
そう聞かれ、アリシアは先ほどのゴブリンの動きを思い出す。
自分より少しだけ背は高いが、パパとの訓練を思い返すと……。
「はい。問題なく勝てます」
「う、うん。たぶん……」
「ははっ。エデンは肝が据わっているな。私も二人なら、間違いなく勝てると思っている。だから次は二人にも戦ってもらうぞ」
「はい」
「う、うん!」
シエルの言葉を聞いて、アリシアの体にぎゅっと力が入った。
たぶん、大丈夫。お姉ちゃんも勝てるって。でもきっと、剣で切ったら――。
不安そうな顔のアリシアを、エデンが励ますように笑った。
「アリシア。ゴブリン程度なら、私達でも勝てるわ」
「そ、そうだよね」
「大丈夫。いざとなったら、私が守るから」
「おねえちゃんが?」
「うん」
「そっか……。うーん……」
アリシアが悩んだような声を上げると、そのタイミングで処理を終えたジンが戻ってきた。
「いやー、お待たせ。準備できたよ。二人ともどうだったかな? 戦えそう?」
「うむ、大丈夫だ。何も問題はない」
「……どうしてシエルが答えるんだい?」
「む、いや、つい気持ちが先走ってしまってな。二人とも、いけそうか?」
「はい、大丈夫です」
「う、うん! 大丈夫!」
「それじゃ、進みながらゴブリンを探そうか。よし、出発しよう」
水筒をエデンに渡し、アリシアはぴょんと岩から飛び降りた。
「そうだ。こういう時に、探知系スキルを持つ仲間がいると、何かと助かるよ。だから二人も冒険者になったら、そういうスキルを持った仲間を、探してみてもいいかもしれない」
「探知系スキル……ですか?」
「あれ? おねえちゃん、それって」
「ん? そういえばエデン、お前確か……」
エデンはそういえばと、思い出したように口を開いた。
「私、探知系スキル、持っています」
*********
岩陰に身を隠しながら、ジンが少しだけ頭を出した。
「おー、本当にいたね」
「はい。いるのは確認済みです」
「いや、これは凄いことだぞ」
「おねえちゃん、すごいの?」
ジンの視線の先では、五体のゴブリンが甲高い声を上げながら言い争っている。
「そうだね。500メートルも先まで分かるなら十分有用だよ。現に今、こうして魔物に気づかれず、ここまで近づけているしね」
「それに魔物の種類も分かっていたな。まるで……いや、それよりどうする?」
「……よし。まず俺が三体倒すから、その後エデンとアリシアが戦おうか。二人とも、準備は出来てるかい?」
ジンに小声で確認され、アリシアは慌てて剣へと手を伸ばした。
留め具が外れ、重みが手に伝わってくる。
「はい。いつでも行けます」
「う、あ、アリシアも」
バクバクと跳ねる心臓の音を感じながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
肩を小さく縮こませていると、エデンがアリシアの手を握った。
「アリシア。まず私が前に出て一体倒すから。だから、その後に続いて」
「え? ……ううん、アリシアもいっしょにいく」
そう口にすると、不思議と胸のバクバクは収まっていく。
「本当に、大丈夫? 無理してない?」
「うん!」
「よし、二人の側には私もいる。危ないと思ったら入るから、リラックスしていくんだぞ」
「さて、それじゃあ行こうか。俺は倒したら横に反れるから、構わず一体ずつ倒すんだ。……よし、今だ」
ジンが隠れていた岩陰から飛び出し、矢のようにゴブリンへと向かっていく。
シエルに背中を押され、アリシアたちも抜いた剣を手にその後を追う。
ジンはあっという間に距離を詰めると、一番手前で背中を向けていた一体の首を、一閃のもとに立ち切った。
「ギャ――!?」
突然飛んでいった仲間の首。
流石にゴブリンたちも異変に気付くが、黒い残像が走ったかと思うと、更に二体のゴブリンが血飛沫を上げて宙を舞う。
そしてジンが横に飛び退くと、アリシアたちと残された二体のゴブリンの間には、何もなくなった。
「ギギ? ゲギャギャッ」
子供と見て嘲笑っているのだろうか、ゴブリンの口元が歪み、二人を節くれの指で指差してくる。
「私は右を」
「アリシアは、こっち!」
正面にいるゴブリンを目掛け、アリシアは身体強化を強く発動させ、一息に駆け抜けた。
「ギギャ!?」
懐へと深く踏み込み、上段に構えた黒剣を脳天目掛けありったけの力で振り下ろす。
ただ無防備に晒されているそこへ、何度も練習した、パパにも褒められた渾身の一撃。
「やあああああっ!」
剣は狙い違わず、ゴブリンの頭上から深くその刃をめり込ませた。
頭蓋を砕き、そのまま胸元までを真っ二つに切り裂く。一瞬向こう側の緑が見え、その断面からおびただしい量の血が噴き出した。
そして手から伝わる、生々しい肉と骨を断ち切る感触。
「っうわわぁっ!?」
思わず全身が総毛立ち、アリシアは剣から手を離して仰け反った。
支えを失ったゴブリンの体が倒れ、その場に内臓が飛び散る。
「うっ……う、うげぇっ!」
今も手のひらに残る感触と、地面に広がっていく赤黒い血液。そして強烈に襲い掛かってきた悪臭に、アリシアは胃の中のものを吐き出してしまった。
目元に涙を浮かべながら横を見ると、エデンが倒したゴブリンもすぐそばに転がっていた。
「……アリシア? どうしたの?」
「お、お姉ちゃあん!」
なぜだろう。ちゃんと、魔物を倒したのに。どうしてか、涙がどんどん溢れてきた。
たまらずエデンに駆け寄って抱き着くと、エデンはどうしたらいいか分からないといった様子で、ただ立ち尽くしていた。
*********
「どうだ、アリシア。少し落ち着いたか?」
「……うん」
シエルの手がアリシアの背中を撫でる。
視線の先では、エデンがジンから魔石と討伐部位の回収について、真剣な表情でレクチャーを受けている。
「……おねえちゃん、すごい……」
「なんだ、落ち込んでいるのか?」
「……うん」
あろうことか、パパからもらった大事な剣を、怖くなって放り出してしまった。
「私もな。初めて魔物と対峙した時は、手が震えた」
「……え?」
「剣を振り下ろすことが出来なくてな。結局、父上に倒してもらった」
「……ほんとう?」
「ああ。本当だとも。恥ずかしくて誰にも言ったことはないからな。秘密にしておいてくれ」
「……うん!」
シエルが悪戯っぽく口の前に人差し指を立てたのを見て、アリシアも同じように指を立てる。
それから移動を再開すると、ジンが少し心配そうに尋ねてきた。
「どうだったかな? 初めて魔物を倒してみて、感想は?」
「……つぎは、なかないように、がんばる!」
「アリシア。ゴブリンくらいなら問題ないわ。大丈夫」
「おお、二人とも頼もしいな! それにしても、さっきは私の出番が無かったな」
シエルに頭を撫でられながら、アリシアはちらりとエデンを見た。
いつもだったら、もっと大慌てで心配してくれるのに。
「ははっ、二人なら大丈夫だね。一応注意しておくけれど、ゴブリンと言えども、洞窟の中や群れでいる時には気をつけるんだよ」
「洞窟や、群れですか?」
「そう。あいつら子供並みの力しかないけど、数が百を超えることもある。考えてごらん、もし百体のゴブリンに、囲まれたとしたら?」
「ぜ、ぜったい、やだ!」
「分かりました。油断はしないようにします」
「うん、それがいいよ」
その時、突然エデンが立ち止まった。
そして進行方向からずれた方角をじっと見つめた。
「灰狼がいました。数は三体です」
「お、いたか。距離は分かるかい?」
「あちらですね。距離は、およそ五百メートル」
「ん、結構進路からズレてるね。どうするか……」
ジンが顎に手をあてて考え込む。倒すとなると、わざわざ遠回りをしなければならない。
「シエルおねえちゃん、たおさないの?」
「それが難しいところでな。発見した魔物を全部倒していたら、進むのが遅れるだろう?」
「無視して進むのでは、いけないのですか?」
「駄目ではない。だが灰狼も群れる魔物だからな。数が増えると人を襲う。倒せるのなら、倒しておいた方が良い」
「じゃあ、たおさないと!」
アリシアがそう声を上げるが、この先にいる全ての魔物を相手にするわけにもいかない。
ジンが悩んでいると、エデンが魔物のいる方角を眺めながら首を傾げた。
「では、ここから倒してはどうでしょう?」
「ん? エデン、何を言っているんだい?」
「おねえちゃん、どうやって?」
「ほう。面白いことを言うな」
「少しだけ、時間をください」
唐突にエデンの顔が無表情になり、少しだけ頭が下がった。わずかに瞼が落ち、青い瞳だけが内側から発光するように爛々と輝いている。
その様子を見た途端、アリシアの目がぱっと輝いた。
久しぶりに来た!
「お、おい、エデン? どうした?」
「あれ、エデーン。大丈夫かい? どこか、具合でも悪い?」
シエルとジンが、動かなくなってしまったエデンに慌てている。
けれど、これは違うのだ。
「シエルおねえちゃん! おねえちゃんね、いま、ぷろぐらむしてるの!」
「ん? なんだ、そのぷろぐらむというのは?」
「……俺も、聞いたことがないね」
ふっふっふ。シエルお姉ちゃんも、ジンお兄ちゃんも、知らないみたい。
もちろん、アリシアも知らない。
「わかんない! でも、すこしっていってたから……たぶん、すぐもどる!」
「そ、そうか。しかし、立ったまま固まってしまっているぞ? 寝かせた方がいいのか?」
「急に止まると、驚くね。これも、『知性あるスキル』の特性みたいなものなのかな?」
真剣な顔をする二人を置いて、アリシアは動きを止めてしまったエデンの元に駆け寄った。
そしてエデンの頬を、むにっと指でつまんだ。
指先に伝わる、もっちりとした極上の感触。
それが、たまらなく、気持ち良い。
思わず笑顔になりながら、ふにふに、ふにふにと指を動かし続ける。
「お、おい。何をしているのだ?」
「えへへー。おねえちゃんのほっぺ、きもちいい」
「アリシア。それは、大丈夫なのかい?」
ジンが心配そうに聞いてくる。
でも大丈夫。お姉ちゃんは気付かない。
「いまなら、ほっぺ、さわりほうだい!」
「……何?」
アリシアが嬉しそうに笑うと、シエルの眉がぴくりと動いた。
彼女が手袋を外すと、アリシアと代わってエデンの頬を優しく摘まむ。
すると、彼女の黄色い瞳がカッと見開かれた。
「こ、これは……! 柔らかいな!」
「いつもはね、いやだっていうから……いまだけ!」
「ふむ……なるほど、これは癖になるな。もちもちとして……素晴らしいな!」
「シエルおねえちゃん! アリシアも! アリシアも、もっとさわりたい!」
「ふ、二人とも……い、いいのかなぁ……」




