66話 観測開始:5年9日目-1 / 旅立ち
まだ薄暗い部屋の中、アリシアの赤い瞳が、左上をじっと見つめている。
エデンの指が髪留めを留めると、アリシアの指が仕上がりを確かめるように、お揃いの髪飾りをそっと触った。
「どう? アリシア、ぼうけんしゃみたい?」
「ん? ……うん、冒険者みたい」
エデンは頷くと、アリシアの剣帯が緩んでいないか、きゅっと引っ張って確認した。
アリシアの背中には、黒い片刃の剣が静かに収まっている。腰に付けた小さなポーチには、残されていた回復薬が三本収められている。
エデンの腰にも同じポーチが着けられ、ベルトに差し込むように、白く輝く剣が携えられていた。
「うん、ちゃんと固定されてる。緩くなったら、ちゃんと言ってね」
「わかった!」
アリシアは元気よく返事をすると、寝室の扉が開いてシエルが入って来た。
「どうだ、二人とも。準備は出来たか?」
「はい。問題ありません」
「ねえ、シエルおねえちゃん、どう? アリシアたち、ぼうけんしゃみたい?」
アリシアは背中の剣をシエルに見せるように、得意げにくるりと体を揺らす。
二人の体とその身に余る武具はひどく不釣り合いに見えるが、シエルの表情がふっと和らぎ、アリシアの頭を撫でた。
「なんだ、もう冒険者になったつもりでいるのか?」
「えへへー」
「もう、出発の時間でしょうか」
「ああ。二人とも、行くぞ」
「うん!」
「はい」
シエルに続いてリビングへ出ると、テーブルの横を通り過ぎ玄関へと向かう。
前を行くシエルとエデンの背中を追いながら、ふと、アリシアは足を止め振り返った。
きつく閉められた木窓からわずかに外の明かりが入り、リビングを裂くように一筋の線となっている。
いつも果実が盛られていたカゴは片付けられ、皆を見守るように置かれていた飾り棚の木彫りの小鳥も、いなくなってしまった。
あまりの静けさにアリシアが顔をくしゃりと歪めると、その手をエデンがそっと握った。
「アリシア、大丈夫?」
「……うん」
小さな声で返事をしながらも、アリシアはリビングから、視線を逸らすことができない。
「もう少し、ここにいる?」
「……ううん。もう……パパとママ、かえってこないから」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、アリシアは手をぎゅうっと握り返した。
「でも、おねえちゃんがいっしょだから。だいじょうぶ」
「そう? じゃあ、いこっか」
「うん!」
アリシアはもう一度だけ、誰もいないリビングを振り返った。そしてもう振り返らずに、エデンに続いて外へと出た。
家の前には、ジンたちが勢揃いして二人を待っていた。
トトがエデンたちに気づくと、「やあ」と手を振った。
「おはよう。 夜は、ちゃんと眠れたかい?」
「うん!」
「私は睡眠を必要としませんが、アリシアはしっかり眠れていました」
「へぇ。エデンは寝ないのか」
トトが感心したように顎に手を当てると、その肩越しにバンダがしかめっ面を覗かせた。
「なんだお前ら。剣なんて持って、重くねえのか?」
その視線がアリシアに向けられると、アリシアは背中の剣を見せつけながら体を揺らした。
「おもくない! アリシアね、あれ、あのー」
言葉が上手く出ずに、ちらっとエデンを見る。
「身体強化ね」
「そう! それ、つかってる! だからへいき!」
「はーっ! ガキのくせに、やるじゃねえか」
「あら、凄いじゃない。でも魔力量には気をつけてね?」
シェリーがとんがり帽子を被ると、ジンが区切りをつけるように口を開いた。
「それじゃあ、俺とシエルはこの子たちと一緒にネストを目指す。皆は、先に辺境伯と合流してくれ」
「仕方ねえな」
バンダが目を細めると、シエルが手に持っていたカバンを、彼へ差し出した。
「バンダ。すまんが、こいつを持って行ってくれ。それと『朝露の森』に、2人の部屋の確保も頼む」
「んあ? なんだよ、てめえで持って行きゃあいいだろ?」
「そう言うな。我々は、森の中を通るんでな」
「あ、アリシアたちの」
アリシアが小さな声で呟いくと、バンダは仕方ねえなと言わんばかりの態度でカバンを受け取った。
そしてエデンたちを見下ろし、歯をむき出しにしてにやりと笑った。
「じゃあ、俺らは先に行くからよ。ガキども、またネストで会おうぜ」
「え、皆さま、一緒には行かないのですか?」
「ああ。依頼に間に合わなくなる」
「もー、私も、もっと一緒にいたかったわ。2人とも、しばらく会えないけど、今度遊びましょうね!」
「うん! またねー!」
シェリーが悪戯っぽくウィンクをすると、手を振りながらトト、バンダと共に、急ぐようにその場を去ってしまった。
彼らの背中を見送り、ジンがゆっくりと歩き出す。
アリシアはもう一度だけ、静まり返った我が家を振り返った。そして何も言わずに前を歩き出したエデンに、並ぶようにしてその小さな一歩を踏み出した。
まだ人影のない早朝の村の中、アリシアは少しだけ肌寒い空気を感じながら、隣を歩くエデンに小さな声で囁いた。
「おねえちゃん、だれもいないね」
「まだ朝早いから。皆さん、まだ寝てるんだと思う」
エデンが辺りを見渡すも、まだ人の起きている気配もない。あと一時間もすれば、この村にもいつもの営みが始まるのだろう。
「えへへ」
「ん? 楽しそうね。どうしたの?」
「おそと、おねえちゃんといっしょにあるいてる」
アリシアはエデンの手を握ると、嬉しそうにぶんぶんと大きく振り始めた。
*********
エバはテーブルの上に用意していた一冊の本へと、皺の刻まれた手を伸ばした。
何枚もの羊皮紙に糸を通した、あまり綺麗とは言えない出来栄えに、つい眉を寄せて小さく唸ってしまう。
本当はレイラに渡そうと用意していた物だったが、まあ、あの心優しき小鳥にであれば、渡しても良いだろう。
本をそっと懐にしまうと、エバはゆっくりと家を出た。家の前に置かれていたベンチに腰を降ろし、はぁと息を吐く。
「……寂しく、なるねえ」
ぽつりと呟くと、エバの耳に微かに複数の足音が聞こえた。
来たかと心の中で息を吐くと、こちらに気付いたシエルが、驚いたような顔で駆け寄ってきた。
「……エバ殿。待っておられなくても、挨拶に伺うつもりでしたが」
「いんや、どうにも目が覚めてしまってね。……おはようさん、アリシア、エデン」
「エバーバ! おはよ!」
「エバ様、おはようございます」
エデンが律儀に頭を下げるのに口元を緩めながら、エバはゆっくりと二人に近づき、その装いをまじまじと見つめた。
「なんじゃい、剣なんて持って。こりゃ、魔物も怖くて逃げ出しちまうね」
「ほんと!?」
「かっはっは。ああ、本当だとも。ほら、もっと近くにおいで」
エバが地面に膝をつくと、近づいてきたアリシアとエデンの小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「二人とも……元気にやるんだよ」
その名残惜しさを滲ませた声に、アリシアも小さな声で「うん」と頷いた。
「ここは、いつまでも、お前たちの故郷じゃ。いつでも、好きな時に帰ってくればええ」
「エバーバ……」
「はい。ありがとうございます」
実際には、王都まで行ってしまえばあまりに遠く、もう二度と帰ってくることなど叶わないかもしれない。
エバは二人の頭を優しく撫でると、懐から用意していた本を取り出した。
「こいつを、持っていきなさい」
そう言って、エデンへと差し出された本。それを受け取りながら、エデンは首を傾げた。
「あの、この本は?」
「中には、儂の知る、調薬のレシピが書いてある。……まあ、師から弟子への、贈り物といったところかねぇ」
エバがうっすらと笑うと、それを聞いたジンとシエルが、驚きのあまり息を呑んだ。
「えっ、調薬の?」
「エバ殿、それはあまりに、貴重な物では?」
「なあに。どうせ、他に渡してやりたい相手もおらんのでな」
カラカラと笑うエバに、エデンは本をそっと開いた。
そこには手書きの絵と少し癖のある文字で、薬草の種類、量等が細かな注釈と共に記されている。
エデンが視線を上げると、エバが真剣な顔でこちらを見つめていた。
「持っておいき。いつか、お前さんの助けになるかもしれん」
孫娘に渡すには、あまりに無骨が過ぎる贈り物かもしれない。
だけど、一番役に立つものを贈りたかった。だが、旅をするにはずっと持つには邪魔だろう。
エバがちらっとシエルを見ると、シエルは頷いてエデンの手から本を受け取った。
「私が、お預かりしておきます。エデン、ネストに着いたら渡そう」
「分かりました。……エバ様、大切にします」
「エバーバ! ありがとう!」
アリシアが嬉しそうにエバに抱きつくと、エバはどこか寂しそうに、アリシアをしばらく抱きしめた。
老いたこの身にとっては、もう会えることもないかもしれない。
最後にもう一度頭をゆっくりと撫で、そして笑った。
「さて……それじゃあ、そろそろ行きなさい。まだ、寄るところもあるじゃろうし」
「そうだな。最後に……二人にも、挨拶していかなくては」
*********
丘の上から村を見下ろすように立てられた、黒い大剣と、白い杖。
その墓前で、アリシアは首を傾げた。
「なんて、いえばいいの?」
「んー……何を言えばいいのでしょう?」
「何でもいいんだ。今、思ってることをそのまま伝えるといい」
「そうだな。アリシア、お前は、冒険者になるんだろう?」
シエルがそう言うと、アリシアははっとして墓の前に立った。
そして、背中の剣をぐっと握る。
すると、剣を固定していた金具がひとりでに外れ、その小さな体で剣を正面に掲げた。
「パパ! ママ! アリシア、きっと、えーきゅうぼうけんしゃになるから!」
その声と共に剣をぐっと持ち上げると、ちょうど顔を見せた朝日が、黒い刀身に反射してキラリと光った。
「いってきます!」
満足そうにアリシアは頷くと、剣を背中に収めて戻ってくる。
「いってきた!」
「ああ。きっと、ディーンも応援しているよ」
「ほら、エデン。お前も行ってこい」
「あ、はい」
エデンがゆっくりと前に出て、墓の前で静かに腰をかがめた。
彼女の背中を照らす朝日に、シエルは振り返って目を細める。
「日が出たな。昼頃には川に着きたいのだが」
「まあ、多少遅れても問題ないさ。依頼も、バンダ達ならなんとかするよ」
ジンとシエルの会話を聞きながら、アリシアの目線の先で、エデンの口が小さく動いた。
「レイラ様、ディーン様。アリシア様は、必ずお守り致します」
その声が微かにアリシアの耳に届くと、アリシアは不思議そうに首を傾げた。
そしてエデンはさっと立ち上がった。
「ん……もういいのか?」
「はい。問題ありません」
「そうか。じゃあ、俺たちも少しだけ」
そう言って、ジンとシエルも墓へと近づいていく。
その背中をエデンが見つめていると、アリシアが横から顔を覗き込んできた。
「……おねえちゃん、だいじょうぶ?」
「ん? 私は、大丈夫よ。アリシアも、はい。寂しくないように」
エデンが差し出した手を、アリシアはぱっと握りしめた。
たぶん、たぶん、気のせいだ。それか、最近大変だったから、間違えちゃったのか。
アリシアがじーっと繋がれた手を見つめていると、シエルとジンが戻って来た。
「待たせたな。今度こそ、出発するぞ」
「2人とも、転ばないように気をつけるんだよ」
「はい。分かりました。アリシア、疲れたらちゃんと言ってね?」
そう言って微笑むエデンの顔は、いつも通りの優しい顔だ。
エデンに手を引かれ丘を下りながら、アリシアはブンブンと首を振った。




