64話 観測開始:5年7日目 / おねえちゃんのえがお
ぼんやりとした思考の中、うっすらと目を開けると、大きな青い瞳が心配の色を浮かべて覗き込んでいた。
「アリシア、おはよう」
「……おねえちゃん、おはよう」
姉のお腹に回していた腕に、ぎゅっと力を込めて抱きしめる。
そして、顔をうずめるように自分の体を押し付けた。
「……パパと、ママ……かえってきた?」
「ううん。もう、帰ってこないの」
「……うん」
ゆっくりと身体を起こす。
ほんの数日前まで、家族全員で寝ると狭ささえ感じていたはずの白いシーツの上には、ぽっかりと何もない空間が広がっている。
やっぱり、パパとママにはもう会えないんだ。
改めて思い知らされると、視界がじわりと滲み、喉の奥が震えた。
「アリシア……もう、泣かないで」
「うん。でも……さみしいよ」
エデンの指先がアリシアの頬に触れると、泣き腫らした目の下を、労わるようにそっとなぞった。
「たくさんこすったから……少し、赤くなっちゃった」
「ん……ちょっといたい」
痛みに目を細めると、エデンが慌てたようにその手を引っ込めた。
そして、どこか取り繕ったような笑顔で、アリシアの手を握った。
「あのね、シエルさんが朝ごはんを準備してくれているの。行こう?」
エデンは手を引いてベッドから降りると、寝室から出ようとアリシアの前を歩き出した。
握られた手が暖かい。その温もりにどこかほっとした気持ちになりつつ、アリシアは首を傾げた。
「シエルさん。アリシアが起きました」
呼びかけるエデンは、いつも通りの大好きなおねえちゃんなのに。
いつもぽかぽかと温かかったアリシアの胸の中。そこは、今も悲しみに打ちひしがれたように、静まり返ったままだった。
「む、起きたか。アリシア、よく眠れたか?」
そう言って笑いかけてくれるシエルに、アリシアはこくりと頷いた。
「うん。……ごはん?」
「ああ。ほら、2人とも、座ってくれ」
「ありがとうございます。ほら、アリシア」
「あ、ありがと……シエル、おねえちゃん」
シエルが途切れないように雑談を交わしながら、食事を進めていく。
エデンは答えながら、時折口数の少ないアリシアに話を振っていた。
「私たちだけでも、上級回復薬くらいなら作れるようになったのです。ね、アリシア」
「え? あ、うん」
そんな調子のアリシアだが、ちゃんとご飯を食べている。
片付けを終え、ぼんやりと椅子に座るアリシアの隣で、エデンは手を握りながら体を寄せていた。
シエルは二人の前に腰を下ろすと、静かに口を開いた。
「少し、大切な話があるんだ。聞いてくれるか?」
「あ、はい。……アリシア?」
「……ん?」
「シエルさんが、大切なお話があるって」
「え? あ、うん」
エデンに促されてようやく顔を上げたアリシアに、シエルは苦笑しながら言葉を続けた。
「私は……いや、私たちは、明日か明後日にはこの村を発つ」
シエルがはっきりとそう告げると、エデンの目が驚きに見開かれた。
「明日か、明後日? そんなすぐにですか?」
「ああ。我々が受けている依頼もある。残念だが、ずっとここにいることは出来なくてな」
「……シエルおねえちゃん……どこか、いっちゃうの?」
アリシアも不安そうに聞き返すと、シエルは頷くと少しだけ笑みを浮かべた。
「そこでなんだが。二人とも、我々と一緒に来ないか?」
「いっしょに?」
「え……私たちが、シエルさんたちと、ですか?」
「そうだ。無論、無理にとは言わないが。正直に言うとな、私はお前たちが二人だけでここにいることが、心配でな」
真剣な顔で告げるシエルに、エデンが悩むような声を上げた。
「村には……いつ、帰って来られるのでしょうか?」
「……それは、分からないな。我々は冒険者だ。世界中を旅するし、時には、危険もつきものだからな」
「そう、ですか」
シエルの言葉にエデンが目を伏せると、アリシアが小さな声を出した。
「……ぼうけんしゃ……シエルおねえちゃんと、いっしょにいったら……アリシア、ぼうけんしゃになれる?」
「え?」
「ん? そうだな、すぐには難しいかもしれんが、いずれ、きっとなれるだろうな」
その言葉に、アリシアがほんの少しだけ笑った。
「パパがね、いってたの……アリシア、えーきゅう? ぼうけんしゃに、なれるって」
「ほう? ディーンが、そう言ったのか」
「うん。ぼうけんしゃになったら、パパがおはなししてた、いろんなものみれる? うみとか、えっと、りぐれす、いける?」
パパが話してくれた冒険譚は、どれもワクワクして、ハラハラして、そしてキラキラしていた。
危険なこともあるって言ってたけれど、パパとママが見た同じ物を見てみたい。
アリシアの淀んでいた瞳に小さく光が宿ると、それを見てシエルは笑った。
「なんだ、ディーンはそんなことまで話していたのか。まあ、いずれは、見ることもできるかもしれんな」
「それなら……それじゃあ、アリシア、いっしょにいきたい」
村を出れば、パパだけじゃない。
お姉ちゃんが話してくれた冒険に、自分も飛び込むことが出来る。
「それでね、すごいぼうけんしゃになるの。おねえちゃんといっしょに」
アリシアはうん、うんと何度も頷き、隣に座る姉へと嬉しそうに振り返った。
これからは自分も一緒に、村の外に行けるのだ。
「……おねえちゃん?」
「え、あ、うん。そ、そうね。シエルさん、行くとしたら準備が必要ですよね?」
「ああ、そうだな。だがそんなに多くはいらん。最低限の着替えや武具は必要だが、まあ、後で準備しよう」
「では……少し、着替えがあるか確認してきます。アリシア、ちょっと待っててね」
「え? う、うん」
エデンは席を立つと、何事もなかったかのように寝室へと向かっていった。
扉を開け、そしてそっと閉める。
ゆっくりとベッドに近づくと、その身をを投げ出すように、シーツの上へと倒れ込んだ。小さな手で白いシーツを、手が震えるほど強く握りしめ、その顔を苦痛に歪める。
(……行きたくないっ!)
レイラと、ディーンと、離れるなんて考えられない。
二人はもう、亡くなってしまったけれど。
それでも、2人が眠るあのお墓は、ここに、この村にあるのだ。
握りしめたシーツが皺を刻むが、それに構わず悲鳴を上げるように引っ張った。
だけど、「行きたくない」なんて言えない。
数日ぶりに、アリシアが笑うのを見た。
ずっと、ずっと泣き続けて、体を壊してしまうのではないかと心配で。
私の分まで泣くと言って、まさにその言葉通りに泣き続けたたった一人の妹。
その子が、やっと笑ったのだ。
冒険者になるのは、ずっとアリシアの夢だったし、それを私が止めるなんて――。
(どうしたら……どうしたらいいの)
視線を上げるが、これまでどんな時でも相談できた優しい声は、もうどこにもいない。
小さくうめき声を上げながら、胸元の服をぐっと強く握りしめる。
痛い。痛いのだ。この村を離れると、2人から離れると考えると、その痛みが更に強くなる。息が、苦しくなる。今すぐ、ここから逃げ出したくなってしまう。
(……知られる、わけには、いかない)
絶対に、アリシアには。
自分が、こんな酷いことを考えているなんて。
でも、それじゃあ……私は、どうすればいい。
どうしたら、アリシアの――。
(こうなったら……こうなったら、いっそのこと――)
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[REQUEST] メモリ領域へのアクセス権限を要求..
[PROCESSING] 特定データ群を検索... 多数の該当データを特定。
[EXECUTING] 対象データ群を転送します...
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「アリシア。どうかしたのか?」
シエルが尋ねると、エデンの消えた寝室の扉を見つめていたアリシアは、首を傾げながら振り返った。
「え? あ、んーと……さっき、おねえちゃんが」
振り返った、その一瞬。
姉の顔は、ひどくショックを受けたように見えた気がした。
すぐにいつもの優しい顔になったから、見間違いだったのだろうか。
「ああ、エデンか。あいつは、本当にしっかりしているな。お前のことをよく見ている」
「う、うん。おねえちゃん、いつもすっごくやさしい」
喧嘩もするけれど、でも、大好きなお姉ちゃんだ。
でもやっぱり、胸の中の温かいものは、まだしんと静まり返っている。
エデンが気になり、視線を再度寝室の方へ向けたその時。
「……あれ?」
突然、胸の中に温もりが戻ってきた。
ぽかぽかとはしていないけれど、さっきよりも少しだけ温かい。
アリシアが首を傾げると、寝室の扉からエデンが出てきた。
そしてアリシアの隣の椅子に小さな体でよじ登ると、その顔をアリシアに向けた。
「アリシア。森の中歩けそうな服、何着かあったの。後で、シエルさんと一緒に確認ね」
エデンがそう言って、ふんわりと笑う。
それを見て、シエルもまたニヤリと口の端を吊り上げた。
「よし、適した服を私が見繕ってやろう」
「それでしたら、長袖の方がいいでしょうか? アリシア、最近また背が伸びたし、大丈夫かな?」
エデンが首を傾げながらアリシアを見つめると、ちょうど二人の視線がぴたりとぶつかった。
すると、エデンは心の底から嬉しそうに、にっこりと満面の笑みを浮かべた。




