63話 観測開始:5年6日目 / 二日後
雨が降り注ぐ中、落雷の轟音が崖の上に響く。
バンダが白けた目で振り返ると、直剣を振り下ろしたジンの前で、黒く焦げた大木が煙を上げながら倒れていった。
「……ガキが、なに癇癪起こしてんだ」
バンダはため息を吐き、視線を足元に戻した。
シェリー、トトと並んで見つめるその先。
崖は巨大な獣に抉られたかのように陥没し、崖下の木々までもを消し飛ばして、遥か先までむき出しの地面が広がっている。
「……いったい、何と戦っていたのかしら」
「さあねえ。竜でも出たなら納得できないこともないけれど……」
トトはバンダの肩に担がれた、粗末な布でくるまれた荷物へを見つめた。
「あんな腕、見たこともないからね」
バンダは舌打ちすると、その荷物を腰のポーチへと近づける。
到底収まるとは思えない荷物が、吸い込まれるようにポーチの中へと消えていった。
「確か……ネストにゃあ、アダルマンのやつがいたよな?」
「そうね。彼なら、何か知ってるかも」
「んー……あまり、ゆっくりもしていられないね。なんにしても、明後日には村を出ないと」
トトが雨雲に覆われた空を見つめると、ゆっくりとジンが近づいてきた。
その体からは抑えきれない魔力が、黒い稲妻となって微かに弾けている。
怒りの色に燃え滾る瞳を見て、バンダが目を細めた。
「おい。いい加減にしろよ。鬱陶しい」
「ちょっと。言い方ってもんが、あるでしょうよ」
「あ? いいんだよ! てめえ、そんな顔で村に戻るつもりか? ああ?」
「それに関しては、バンダが正しい。ジン、少し落ち着け」
「……そうだね。悪かった」
ジンはふーっと長く息を吐くと、雨に濡れた顔を両手でもみほぐした。
そして顔を上げると、目の前の惨状を悲しみを帯びた瞳でじっと睨みつける。
「だけど……標を失ったね」
「これから、どうするの?」
「辺境伯からの依頼、謎の腕。……そして、エデンとアリシア」
トトが付け加えた二人の名に、皆の表情が暗くなる。
すると、ジンは降りやまない雨の空をじっと見上げた。
「……依頼は、必ず達成する」
「……まあな。そいつが終わっちまえば」
「ああ。俺たちも、ついにAランクだ」
「はいはい、ガキの頃の誓いでしょ」
「ディーンは、先に2つ叶えてしまったけどね」
ジンが寂しそうに笑うと、トトも「違いない」と静かに笑った。
「……それであのガキたち、結局どうすんだ?」
バンダが腕を組むと、シェリーも困ったように肩をすくめた。
「どうするもなにも……今は、シエルを信じるしかないでしょう」
「まあねえ。ジン、シエルに聞いたけど、アリシアは冒険者になりたいみたいだよ」
「ん? そうなのかい?」
「レイラのガキまで冒険者かよ。ウケる」
「まあ、ある意味納得というか……これも血筋なのかしら」
シェリーがそう言って首を傾げると、トトも苦笑いしながら頭をかいた。
「とりあえず、そろそろ戻ろう。群れもいなくなったみたいだし」
魔物の群れは、統率を失ったかのようにその場で殺し合っていた。逃げ去った魔物や、ジンたちに討伐された魔物も。
あっけない幕切れにトトが村へと歩き出そうとすると、ジンが止めた。
「待ってくれ。最後にまだ……やることが残っている」
その目は、崖下に積み上げられた死体の山に向いていた。
「……まあ、そうだな。ガキたちには、金はあった方がいいか」
「うっそお……。あれ全部、魔石取る気?」
シェリーが腰が引けたように後ずさると、ジンが笑いながらその腕を掴んだ。
*********
シエルは寝室の扉を静かに閉め、リビングへと顔を出す。
そこには椅子に腰かけたエバが、翌日の朝食の下ごしらえをしていた。
「……寝たかい?」
「ええ。エデンを抱きしめて、疲れきったように……」
「そうかい……」
もう、二日もずっと泣き続けている。
「……どうしたもんかのう」
その答えの出ない問いに、シエルも返す言葉が見つからず、黙って椅子に座る。
するとエバが、シエルの顔を見つめてきた。
「……なにか?」
「いや。お前さんたちは……いつまでここにおれるのかと、思っての」
「そう……ですね。仲間の帰りを待って、近いうちには、発たなくてはなりません」
「……そうか」
その短い会話で、言葉が途切れてしまう。
魔道具の灯りがエバの深い皺を照らす中、彼女はぽつりと口を開いた。
「……レイラとディーンには……家族は、おったのかね」
「ディーンにはいません。彼ら、は……捨て子だったと聞いてますから。……ですが、レイラには王都に家族がいます。聞かれてないのですか?」
「……儂にとっては、この村におるレイラという娘。ただそれだけで良かったからね。……それにしても、王都か……そうかい」
エバはその言葉を、1つ1つ吟味するように、何度も頷いた。
「レイラたちは、いずれこの村を出ていくつもりだった。それはきっと、お前さんたちとじゃな?」
「はい。その予定でした」
「あの子たちはまだあまりに幼い。大切に思ってくれる、家族が必要じゃ」
そう言いながら、エバの胸は締め付けられるように痛んだ。
「……レイラの家族は、信頼に足る者たちなのかね?」
「ええ。私が知る限り、レイラたちのことは、常に、気にかけておられます」
「……常に、か。……まあええじゃろ」
エバは意味ありげにそう呟くと、寝室へと振り返った。
「あの子たちは、行きたがるかねえ。亡くなったとはいえ……二人の墓はここにある」
「分かりません。ですが、悲しみから目を逸らさせることも、必要かもしれません」
「……逃げられんよ、本当の悲しみからは。時間がいつか忘れさせてくれるか。それとも目を逸らすふりをし続けるかじゃ。お前さんもね」
見透かされた声に、シエルは唇を噛みしめた。
その痛々しい表情に、エバは目元を優しく緩ませる。
「あの子たちのこと、よろしく頼む。儂にとっては、本当の孫のような子たちじゃ」
「……はい。もちろんです。……少し、席を、外します」
「ん? こんな夜更けに、どこに行くんじゃ?」
もう日は落ち、村の者たちが寝静まった時間だ。
シエルは玄関に向かいながら、ゆっくりと振り返った。
「先ほどお伝えしましたが……レイラの家族は、『常に』気にかけておられるのです」
「……そうかい。……儂はエデンの傍におる。話が済んだら、戻ってきとくれ」
エバの言葉を背に、シエルは雨の音が響く外へ出た。
髪を雨で濡らしながら、迷うことなく一軒の家の前にたどり着くと、その扉を静かにノックした。
扉がわずかに開かれ、隙間から覗いた茶色の瞳が、シエルの視線とぶつかった。
「……シエル様」
「すまない、遅くなった」
「いえ。どうぞ、お入りください」
シエルが家に上がると、薄暗いリビングで、一人の男が頭を下げた。
「お待ちしてました」
畏まった声に、シエルは小さく息を吐くと、空いていた席へ腰を下ろした。
「そう畏まるな。私はもうただの冒険者だ。様もいらん」
「……では、シエルさんと」
「ああ、それでいい」
濡れたブロンドの髪をかき上げると、乾いたタオルが差し出された。
「すまない。えっと……今はチェリ、だったか?」
「はい。そしてこちらは」
「トーマと名乗っております」
「ああ。ネストでその名は聞いた」
タオルで髪を拭いながら、シエルは目を細めた。
「……それにしても……やはり、違和感がひどいな。トウカ、ベイリー」
その言葉に、チェリが両手をそっと合わせた。
手のひらから魔力の光が溢れ出し、チェリとトーマの体を包んでいく。そして光が収まると、全く別の顔立ちをした男女が立っていた。
年は十代後半で変わらない。だがチェリの茶色かった髪は、仄かに青く見える濡れたような黒髪に。切りそろえられていた前髪も、今は美しく編み込まれ、後ろで1つに結われている。
トーマもまた同じ髪の色、そして長い前髪が片目を隠していた。
「これでいかがでしょう」
トウカの声に、シエルは二人も座るよう、テーブルを指で叩く。
そして隣に座ったトウカの、泣き腫らしたような顔を見つめた。
「トウカ。お前、大丈夫か」
「……大丈夫、では、ありませんね。それはシエルさんも同じでしょうが」
「エバ殿に、言われてしまった。『悲しみからは、逃げられん』と。……まったく、その通りだ」
シエルが諦めたように天井を見上げると、トウカは目を逸らしながら鼻をすすった。
「……それで、いったい何があった? この村で起きたこと、全て話せ」
「それが……なにも」
「シエルさん。村では本当に、何も起きていません。子供が襲われるという一件はありましたが、それだけです」
「ええ。ハンスさんとダンさんは、村に動揺を与えぬよう、いつも通りに振る舞っていました。皆さんも何も変わらない日常を過ごしています」
「……それでは、本当にただの群れだったのか?」
シエルが困惑の声を上げると、ベイリーは静かに首を振る。
「それも考えられません。ハンスさんの報告を信じるならば、ですが……群れにいた魔物では、レイラ様とディーンさん、お二人が揃って命を落とすような事態になるとは、あまりにも想像できません」
「ああ。特に、ディーンが腕だけで戻ってくる、などとはな」
ジン曰く、ディーンの他の体の部位は、どれだけ探しても見つからなかったらしい。
「……やっぱり、お二人の後を、隠れてつけていくべきだったのです」
「いや、それは無理だ。ディーンが相手では、すぐに気づかれて、追い返されていただろう」
「で、ですがっ!」
到底受け入れ難い結果に、トウカの声が大きくなる。
シエルは何も言わないベイリーをちらりと見ると、静かに口を開いた。
「お前たちの本来の仕事は、この村に出入りする者の監視だ。レイラが戦いで命を落とすことよりも、攫われる方が、可能性としてはずっと高かったからな。……群れの方は、ジンの帰りを待つしかないか」
そこまで話すと、シエルは体を前に出し、右手をテーブルに乗せた。
「それで、レイラがこの村にいるということ。嗅ぎつけられたような動きはあったか?」
シエルの問いに、ベイリーは首を振った。
「いえ。この村にいる方たちは、ほとんどがここの産まれです。出入りする商人も、身元は確認済み。エルネストと繋がりのある者はいましたが、他の貴族と繋がりのある者は、このような辺境の村までは、まず来ません」
「……そうか。……では、アリシアとエデンのことは、この村の者しか知らないのだな」
残された二人の子供。
その名が出た瞬間、トウカの黒い瞳が細められた。
「……シエルさん。アリシア様はそうですが……あの、エデンという女の子のことは、村の誰も知りませんでした」
「エバさんだけは、何か気付いていたかもしれません。ですが、私たち含め、皆きれいな小鳥としか、認識していませんでした」
「そうか……5年も、よく隠し通したものだな」
「レイラ様は……ほとんどの時間を、家で過ごされていましたから」
まったく外に出ないわけではなかったが、レイラの姿を見かけた者がいれば、それがしばらく村の話題になるほどだった。
「……あの子たちは、今どうされてますか?」
「二人とも消沈している。先ほど、エバ殿と今後についても、少しだけ話をしてな」
その言葉に、トウカとベイリーは真剣な表情で次の言葉を待った。
「二人を連れて、一度王都に戻るぞ」
「はい。それで、ご実家のことはあの子たちには……」
「いや。今は……避けた方がいい、と、思う。両親を亡くしたばかりなのに、家族の話はな」
「分かりました。私たちも、なるべく早く村を出ます」
「ああ。そうしてくれ。だが、一昨日の件、これは伏せねばならん」
レイラの亡骸が、皆の前に晒されたあの日。
アリシアの体から、エデンが人の姿を成していくのを、全員目撃してしまった。
「トウカ。エバ殿ならば、必ず味方になってくれるはずだ。村の者たちに、エデンのことは他言無用としてもらえるように、話をつけてくれ」
「はい。必ず」
「ベイリー。今回の件、急ぎ報告せねばならん。必要なことだけ済ませたら、お前は、先に向かえ」
「ええ。お任せください」
二人の返事に、シエルも頷いて返す。
「それで、シエルさんはどう動かれますか?」
「ああ。私たちは、ネストで依頼をこなさなければならん」
「え? ではその間、あの子たちはどうするので?」
ベイリーが疑問を口にすると、シエルは息を吐いた。
「クラリスに頼むことにしようと考えている。……そうだな。依頼は1月ほど、かかるだろうか」




