61話 観測開始:5年4日目-1 / 帰宅
アリシアがつま先立ちになり、小さな体を伸ばして外の景色を覗き込んだ。
「……いなーい」
「……そう」
早ければ今日、レイラとディーンが帰ってくる。
初めて経験した二人の長い不在。
待ち遠しさからか、アリシアは朝からずっとこの調子である。
「アリシア。まだ午後にもなってないし、もう少し落ち着いたら?」
「んー。でも、もうおひるになるよ?」
アリシアは枠から手を離すと、エデンに振り返った。
「ねえ、おねえちゃん」
「ん? ママたちなら、まだ戻ってきてないわよ」
つい先ほど、『マジックソナー』で確認した結果を伝えると、アリシアはきょとんとした顔でエデンを見つめてきた。
「……おねえちゃん、また、ソナーしたの?」
「……」
その見透かされた問いに、エデンは口元をとがらせながらそっと視線を逸らした。
するとキッチンの方から、シエルの呼ぶ声が聞こえた。
「二人とも、昼食ができたぞ。運ぶのを手伝ってくれるか?」
「あ、はい。分かりました!」
「ねえ、おねえちゃん。なんかい、ソナーしたの?」
ニヤニヤとからかうように聞いてくるアリシアから、逃げるようにキッチンへ駆け込む。
エプロンを着け、すっかり普段着に身を包んだシエルから、温かいお皿を受け取った。
「シエルさん。ありがとうございます」
「なあに。あまり料理には慣れておらんから、口に合うといいが」
「シエルおねえちゃん! アリシアも!」
シエルが来てくれたおかげで、再びありつけるようになったちゃんとした食事。
エデンがそのありがたさを噛み締めていると、ふとアリシアが目の前のシチューをじっと見つめていた。
「……アリシアも、ごはん、つくれたほうがいいのかな?」
「どうしたの? いきなり」
「ぼうけんしゃになったら、じぶんで、つくらないとだめ?」
「なんだ? アリシアは、冒険者になりたいのか?」
「うん! おねえちゃんと、いっしょに!」
「ほう……そうなのか?」
シエルに尋ねられ、エデンは頷いた。
するとシエルは腕を組み、少しだけ真剣な顔で悩み始めた。
「冒険者といっても、色々いるからな。肉を焼くことしか出来ない者もいるし……」
「必須ではない、ということでしょうか?」
「まあ、出来るに越したことはない、というだけだ。何日も、野営しなくてはならない時もある。その時に、そこらの野草を齧るなんてのは嫌だろう?」
「やえいって?」
「お外で寝ること……かな」
「おー。おそとで、おとまり!」
憧れの眼差しに、実際の野営の過酷さを思うと、シエルは思わず苦笑してしまう。
「アリシア。冒険者は危険だぞ? 楽しいことばかりでは、決してないからな」
「うん! だから、パパとけんがんばる!」
アリシアがそう言って笑うと、突然玄関を、ドン、ドン! と激しく叩く音が響いた。
「なんだ、バンダか? いつもいつも、騒々しい……もしかしたら、レイラとディーンが帰ってきたのかもな」
シエルがやれやれといった顔で席を立つと、アリシアも音を立てて立ち上がった。
「かえってきた!」
そう言ってエデンの手を掴むと、玄関へと引っ張ろうとする。
「おねえちゃん、いこ!」
「ん……念のため、私はアリシアの中にいるから」
「えー!?」
「だって、他の人もいるかもしれないじゃない」
エデンが光の粒子となってアリシアの中へと戻ると、アリシアは不満そうにエデンへと語り掛けた。
(とりさんは? おねえちゃんがいっしょのほうが、パパとママよろこぶよ?)
(……だって他の人がいたら、私喋れないし……大丈夫そうなら、出るから)
(むー)
(ほら、シエルさん待ってるから)
玄関の前では、シエルがノブに手をかけて待っている。
アリシアは笑顔になると、シエルへと駆け寄っていった。
「――おい! まだ呼ぶなと、言っているだろう!」
ドアの外から、そんな、切羽詰まった声が聞こえた気がした。
ガチャリという音と共に扉が開かれ、シエルと並んでアリシアが外へ顔を出す。
すると、扉のすぐ傍にいたハンスが、やってしまったというような顔で固まっていた。
「ん? そなたは、確か……」
「あ、いえ、その……っすね」
シエルが言葉に詰まる彼に首を傾げると、短い前庭の向こうに、仲間たちが立っているのが見えた。
それだけではない。まるで村に住む者全員が集まったかのように、大勢の人がそこにいる。
その異様な雰囲気に、シエルはすっと目を細め、玄関を出て歩き出した。その後ろをついて来たアリシアがその場を見渡し、そして、疑問を口にした。
「……パパとママは? まだ、かえってきてないの?」
そう言って首を傾げたアリシアを、そこにいた誰もが息を呑み、ただ悲痛な顔で見つめていた。
重苦しい空気の理由が分からず、アリシアはもう一度首を傾げる。
(……え、おねえちゃん、なんだろう?)
(うん。皆さん、どうして集まってるのかな?)
「君は……アリシア、だね」
シエルとは対照的な、黒いマントに身を包んだ男。
アリシアをじっと見つめる彼を見て、シエルの口元が微かに安堵に緩んだ。
「なんだ、ジン。帰っていたのか」
その声に、ジンと呼ばれた男はシエルと視線を合わせることなく、ただ一言、消え入りそうな声で言った。
「……すまない」
「……え?」
たったそれだけの言葉に、アリシアはぽかんと口を開けた。
なぜ謝られたのか、分からない。
すると突然シエルの手が伸び、ジンの胸倉を殴るように掴むと、その顔をぐいっと引き寄せた。
「……おい、ジン。貴様、何を言っている? レイラは……ディーンは、今、どこにいるのだ」
シエルの微かに震えた、咎めるような声。
その言葉に、その場にいた人々の視線が、1つの場所へと集まった。家の前に、粗末な布でくるまれた何かが、横たわるように置かれている。
それを見たシエルの目が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれた。
「あれ、なあに?」
アリシアの問いに、誰も答えない。
嫌な静寂が、その場を支配していく。
(……おねえちゃん?)
(分からないわ。なんだろう?)
疑問に思いながらも、アリシアの足がその荷物へとゆっくりと近づいていく。
その時人垣の中から、エバが杖を突きながら現れた。
「……アリシア。一度、お家に入ろうかねえ」
「あ、エバーバ。でも、これ、なあに?」
「いいから、ほら。おいでね」
そう言ってどこか苦しそうに微笑むと、エバはアリシアの手を取って、家の方へと引き返そうとする。
(おねえちゃん、あれ、なあに?)
(そうね……ちょっと、確認を……)
エデンが『マジックソナー』を起動し、そして映ってしまった。
布にくるまれた、人の体。
それは、見間違うことのない、待ち焦がれた――。
「ママ?」
アリシアの中から、エデンの声がぽつりと呟かれた。
「えっ!? ママ!?」
「なっ!?」
確信を突いたその声に、エバが驚愕に目を見開く。
足を止めたアリシアがその荷物を見つめると、エバは焦ったようにその手を強く引っ張った。
「アリシア、ほら、お家に入るんじゃ!」
「いやだ!」
アリシアはエバの手を振り払うと、その荷物へと一目散に駆け寄っていく。
「アリシアっ! 戻ってくるんじゃ!」
その声に、ジンもはっとした表情で、シエルの手を掴んだ。
「ま、まずい! シエル、放してくれ!」
「ああ、まさか……嘘だと言ってくれ、ジン……」
放心したように立ち尽くすシエルの視線の先で、アリシアの小さな手が、無造作に置かれた布の端を、掴み――。
「アリシアっ!」
エバの悲痛な制止を振り払うように、その布をばさりと、力任せに引っ張った。
「「え?」」
そこに横たわっていたのは、静かに、まるで眠っているかのように目を閉じた、レイラの姿だった。
剥ぎ取られた布が、ぱさりと地面に落ちる音すら、張り詰めた空気の中に溶けて消えてしまう。
レイラの体はおびただしい血で赤黒く染まり、美しい銀髪も血で固まっている。血の気の失せた肌は、まるで凍っているかのように青白かった。
小さな木の家の前を静寂が支配する中。
エデンの思考に、荒い呼吸の音がやけに大きく聞こえた。
「……ママ、……起きて……」
視界に映った、小さな手。
それがレイラの肩に置かれ、その体をゆっくりと揺さぶり始める。
ああ、これは、私の手だ。
どこか遠い世界の出来事のようにそう認識しながらも、レイラの体はぴくりとも動かない。
指先からは生命の温かさを失った、レイラの体の冷たさだけが伝わってくる。
突然光と共に現れた少女に、周りの人々が、ざわりと息を呑む中。
その青い瞳の少女は、ただ、レイラの体を揺らし続けていた。
「ママ……もう、お昼ごはんも、終わったから……起きて……」
「ママ、どうして、おきないの?」
レイラを挟んだその反対側で、アリシアが同じように、その体を揺すっている。
「ママ? ママ、おきて? アリシアたち、ずっとまってたの」
そう言うと、アリシアは手に込める力を強め、その体を大きく揺さぶり始める。
それでも動かない母にアリシアの表情は歪み、赤く光る瞳に涙が溜まっていく。
「ママ、おきてよ! おはようして!」
アリシアが子供の力で思いっきり揺さぶると、レイラの頭ががくりと力なく揺れた。
たまらずシエルが駆け寄ると、アリシアを抱きしめレイラから引き離そうとする。
「アリシア、落ち着け」
「いやだぁっ! ママ! ママァっ!」
引き剥がされまいと、アリシアはレイラに必死に抱きつくが、シエルの腕が腰に回され、軽々と抱きかかえられてしまった。
シエルの腕の中で、アリシアは手足をばたつかせて暴れ、母に触れようとその手を伸ばしている。
その喧騒が耳に入っていないかのように、エデンはただ同じ言葉を繰り返していた。
「ママ……起きて……」
「っはなしてよぉ! ママっ!」
「ぐっ!?」
「おわっ!?」
身体強化を発動したアリシアの足が、シエルの体を容赦なく蹴り飛ばし、その体を後ろによろめかせた。
傍にいたバンダにぶつかり、彼が抱えていたもう1つの布の塊を落としてしまう。
布に包まれたその塊は、落ちた拍子にごろりと転がり、中からそれが現れた。
「え? ……あ、あ、ああああああっ!」
アリシアが甲高い悲鳴を上げ、エデンに駆け寄る思いっきり抱き着いた。
「お、おねえちゃん! パパが、パパがぁっ!」
「……パパ?」
そういえば、ディーンの姿がどこにも見えない。疑問に思い視線を動かすと、それが、目に入った。
地面に転がった、一本の太い腕。
無数の深い傷が刻まれたその腕は、あまりにも見慣れた――。
「あ、ああ……そんな……パパ……」
「っ、何をしているんだ、バンダ」
それを見たジンが、その腕を拾い上げると再び布にそっとくるんだ。
茫然とするエデンと、その体を震えながら抱きしめて、動かないアリシア。
誰もがかけるべき言葉を見つけられずにいる中、ハンスがふらりとエバの傍らに歩み寄った。
「あの、エバ婆……このまま、というわけにも、いかないっすよね……?」
「ん?あ、ああ……そう……じゃな。……二人の墓を……つくらんと……」
(お墓? お墓って……ママを、埋めるの?)
その言葉に、エデンの思考が激しく明滅した。
歩み寄ってくるハンスの足音を、ギラリと睨みつけた。
「嫌です!」
「うわっ!?」
エデンから青白い光が迸り、近寄ろうとしたハンスの足元から、分厚い氷の壁が突き出した。
「嫌! 嫌だ、絶対に!」




