60話 観測開始:5年3日目-5 / この素晴らしき日は
子供たちが必死に森を駆ける中、ミナが剥き出しになった木の根につまずき、土の上へと倒れ込んだ。
「ミナ! 立てるか!」
「う、うん」
コパに手を引かれ、立ち上がると再び走り出す。
その後ろを走りながら、コパは背後を振り返った。
茂みが揺れ、血走った目の黒い狼が飛び出してくる。
「くそっ!」
視線を動かすと、後ろだけじゃない。まるで逃げ場をなくすかのように、両側の茂みの向こうにも狼の姿が見え隠れしている。
コパは腰のベルトに挟んだ木剣を、ぐっと強く握りしめた。
「みんな、先に行け!」
そう叫ぶと、先を行くミナが驚いたように振り返った。
「え、なに言ってるの!?」
「追いつかれる! いいから、行くんだ!」
すぐ背後に、灰狼の荒い息遣いと、地を蹴る足音が迫っている。
コパは震える手で、木剣を両手で握りしめた。
「親父を、呼んできてくれ!」
振り返りざまに、ありったけの力で木剣を振り抜いた。
突然の反撃に、走っていた灰狼は止まることができず、鈍い音を響かせながら体勢を崩すと、勢いのままに近くの木へと激突した。
予想外にうまくいった一撃に、コパがほっと息をつく間もなく、その灰狼が起き上がった。
喉の奥で低く唸り声を上げ、コパを威嚇する。剥き出しの殺意を前に、コパの体が緊張に震えた。
息が荒くなり、木剣を握る手が汗で滑る。
ごくりと唾を飲み込むと、恐怖を振り払うように雄叫びを上げ、灰狼へと斬りかかった。
まさにその時、死角となっていた横から、別の灰狼がコパめがけて猛然と飛びかかった。
「グルアアアァッ!」
「……えぐっ!?」
強烈な体当たりに、コパの体は勢いよく地面へと放り出される。
全身を走る鈍い痛みが、自分が攻撃を受けたのだと、冷徹に訴えてきた。
顔を上げれば、さらに数を増やした灰狼が、自分を取り囲むようにして唸り声を上げていた。
(た、立たないと……!)
両手で体を起こそうとした時、握りしめていたはずの木剣がないことに気づいた。
慌てて辺りを見渡すが、見当たらない。
その隙を見逃さず、一体の灰狼が牙をむき出しにして飛びかかってきた。
「ガアアアッ!」
「う、うわああああっ!」
コパは思わず目を瞑り、両手で顔を覆った。
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必死に翼を動かしながら、木々の間を最短距離で飛翔する。
三秒ごとに発動する『マジックソナー』が、残されたコパの危機を知らせてくる。
最後の枝を避け、視界が開けた瞬間。まさにコパへと飛びかかろうと、灰狼が地面を蹴ったその鼻面へと――。
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[REQUEST] スキル『アバターチェンジ』の実行を要請。
[PARAMETER] 変更後素体属性:『魔力細胞』
[PARAMETER] 対象アバター:『Favorite_avatar』
[SYSTEM] 上記パラメータに基づき、アバター変更シークエンスを開始します...
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魔力の粒子が光の渦となり、人の形を形成する。
その細い腕が、手に握られていた木剣を高く振り上げた。
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[REQUEST] プログラム『Physical_Enhancement_ver.1.0』の実行を要請。
[SYSTEM] 全魔力細胞に対し、循環魔力量の増量を命令...
[PARAMETER] 疑似細胞呼吸における、魔力分解効率の引き上げを実施。
[MONITORING] 筋繊維、神経伝達系の活動レベル:規定値超過を確認。
[STATUS] 身体強化モードへ移行完了しました。
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エデンの『身体強化』を乗せた、渾身の一撃。
振り下ろされた木剣が灰狼の頭蓋を撃ち抜き、その体を地面へと叩きつけた。
「ッグギャアッ!?」
「……へ?」
確かな手応え。
だが、木剣の一撃では死には至らなかったらしい。ふらりと立ち上がった灰狼の頭へ、エデンはその小さな手をかざす。
収束した魔力が青白い光を放つ中、幾度となく最適化を重ねた、攻撃の魔法プログラムが起動する。
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[REQUEST] 攻撃魔法プログラム『Icicle_Lance』の実行を要請。
[PROCESSING] 現象再現のため、氷結及び、弾道物理演算アルゴリズムを構築中...
[LOADING] 基礎パラメータをロード...
[EXECUTING] 全パラメータを適用し、魔力変換及び、相転移プロセスを開始。
[COMMAND] Icicle_Lance.exe --EXECUTE
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眼前から放たれた氷の槍。灰狼は思考する間もなく、その魔法に頭部を貫かれた。
脳漿と鮮血が霧のように飛び散り、エデンの服を鮮やかな赤に染める。
それにわずかに眉を顰めると、エデンは残る魔物たちから目を逸らさず、背後のコパへと叫んだ。
「行きなさい! 早く、村へ逃げるのです!」
「へ?……え、あ、アリシア!?」
エデンは次の魔法を発動させる。
空を掴むように手を上げ、二本の新たな氷の槍を生成する。
ピキピキという空気が凍てつく音を聞き、灰狼たちが唸り声を上げながらエデンへと走り出した。
「行きなさい!」
回転を加えた槍が、空気を切り裂きながら二頭の狼へと向かう。
一匹は、驚愕の表情を浮かべたまま、槍に貫かれて後方へと吹き飛んだ。
だがもう一匹は咄嗟に身を低くし、耳を抉られながらエデンへと飛びかかった。
「くっ……!」
咄嗟に木剣で受け止めるが、その刃に牙が食い込み、体重差で地面へと押し倒されてしまう。
涎を撒き散らしながら、木剣を奪い取ろうと牙を食い込ませてくる。振られる木剣を離すまいと腕に力を込めるが、子供の力では、到底叶いそうにない。
「う、アリシア!」
「少年、邪魔だ。早く村へ帰れ」
「え?」
コパが振り返れば、そこには追いついたシエルが立っていた。
シエルはコパの肩を掴み、村の方向へとぐいと押しやった。
「ここは私に任せろ。いいから、早く行くんだ」
「う、うん……!」
有無を言わせぬ言葉に、コパは背を向けて一目散に走り去っていく。
その背中が森の奥へと消えていくのを確認し、シエルはエデンへと語り掛けた。
「何をしている?」
「えっ!?……み、見て……わ、分かりません、か」
エデンが必死に木剣を離すまいとしているのを見て、シエルは呆れたように目を細めた。
「早く倒せ。出来るだろう?」
「……ああ、もうっ!」
エデンの背中から、魔力が大地へと流れ出す。
次の瞬間、エデンの両側の地面から二本の氷の槍が生え、灰狼の体に穴を穿った。魔物は短い悲鳴を上げると、口から血の泡を吐き出し動かなくなる。
重い灰狼の死体を放り投げるように横にどかすと、エデンは残念そうな顔で立ち上がった。
顔は灰狼の血と肉片を浴び、服もべったりと汚れてしまっている。
無言で立ち尽くしていると、苦笑したシエルがエデンの横に並んだ。
「ひどい姿だな」
「うぅ……」
「まあ、良くやった。が、汚れるのを気にしているのか?」
そう言って笑うシエルの視線の先、後続と思われる灰狼の群れが次々と姿を現した。そして奥には、他よりも大きな個体が、この小さな群れのリーダーとでもいうかのように後方から様子を窺っていた。
シエルは口元に笑みを浮かべ、一歩前に出る。
「せっかくだ。お前の母の親友の力、1つ見せてやろう」
白い剣の柄へと手を伸ばすと、呼応するかのように、灰狼が一斉に森を駆け出した。先ほどとは比べものにならない数。それでもシエルは動揺することなく、ただ静かに微笑んでいる。
剣がゆっくりと鞘から抜かれ、刀身が眩い輝きを放った。無数の光の破片が宙へと飛び散り、エデンの前方を星空のように明るく照らし出す。
そして、囁くような静かな声で、シエルは呟いた。
「――我が剣に、曇りなし。『鏡乱一閃』」
横に、一閃。
振り抜かれた剣から、光の刃が放たれた。それは先頭の灰狼を切り裂くと、その先の光の破片に反射し角度を変える。
そして一瞬の間に、乱れ飛ぶ無数の光の斬撃が全ての灰狼を音もなく貫き、その命を刈り取っていた。
「……すごい」
エデンが呆然と声を漏らすと、シエルは剣を鞘に収めながら振り返った。
「それより、その恰好をどうにかしないといかんな」
「あ……」
エデンは改めて自分の姿を確認する。
赤くなってしまった服と、鼻腔を刺激する酷い匂いに顔をしかめる。
魔法で作り出した水に、頭と手を突っ込んだ。
汚れの落ちた手で髪をかき上げるが、拭くものがない。そう思いぷるぷると顔を振ると、シエルが笑いながらハンカチで顔を優しく拭いてくれた。
「それにしても、エデンは強いな。驚いたよ」
最初は遠目からしか見えなかったが、魔法の発動速度、その威力。
どれも子供のものとは到底思えない。
そう率直に伝えると、エデンはこてんと首を傾げた。
「……分かりません。私は、ママほど魔法は上手ではありませんし、剣も、パパにはとても敵いません」
「ははっ。レイラとディーンを基準にしたら、みんな魔法も剣も、下手くそになってしまうな」
「そうなのですか?」
「まあな。……なあ、エデン。1つ、聞きたいのだが。お前は、汚れるのが嫌なのか? さっきはなぜ、仕留めるのを躊躇った」
少しだけ咎めるような響きを持つ言葉に、エデンはついっと目を逸らした。
「……お洋服を汚してしまったら……ママに、怒られてしまうかと、思いまして」
か細くなったその声に、シエルはたまらず、声を上げて笑ってしまった。
そしてエデンの頭に手を置くと、ぐりぐりと少しだけ乱暴に撫で回した。
「怒られるものか。子供たちを助けたのだ。きっと褒めてくれる。ディーンもな」
「……本当ですか!?」
「もちろんだ。なあに、もし怒られることになったら、この私も、一緒に怒られてやろう」
シエルが腕を組んでそう請け負うと、エデンは懸命にコクコクと頷いた。
(……まあ、レイラは怒ると、怖いからな……かなり)
心の中でそっと呟くと、シエルはその場に広がる惨状に視線を移す。
「……さて。片付けは、バンダに任せるか」
エデンを村へ連れ帰るのが、最優先だ。
シエルは、心の中でそう言い訳をすると、エデンと共に村へと向かって歩き出した。
「あの……私、魔物と戦うのは初めてだったのですが、上手く出来ていたでしょうか?」
「そうなのか? ふむ、そうだな……良い魔法だったな。最初の奇襲も、良い一撃だった」
シエルの言葉にエデンが顔を輝かせると、「しかし」とシエルは続けた。
「躊躇しては駄目だ。お前自分を、危険にさらすからな」
「そう、そうですよね……はい。反省します」
エデンが素直にそう言って頷くと、ふと、その口元が緩み小さな笑みをこぼした。
「なんだ、楽しそうだな」
「はい。アリシアは、村の外のお話が大好きなのです。帰ったら、お話しないと」
そう言って目を輝かせて笑うと、エデンは両手で、嬉しそうに頬を触った。
「アリシアに喜んでもらえて。ママとパパにも、褒めてもらえて……今日は、とっても、とっても良い日です」




