6話 観測開始:89日目-4 / 無知なるAIと銀髪の少女
魔力を消費していたのは、紛れもなくエデン自身だ。その事実に、慌ててレイラを見つめると、彼女はどこか落ち着いた顔でアリシアの事を見つめていた。
「……お怒りにならないのですか?」
「どうして? あなたが悪いわけじゃないのでしょう?」
どうなのだろう。何か悪さをしたわけではないが、アリシアが体調不良で苦しんでいるのに、何もしていなかったとも言える。レイラは気にしてなさそうだが、アリシアの体調に、だいぶ気をもんでいたはずだ。
「……申し訳、ありませんでした」
「あ、いいのよ。でも……根本的な解決はしていないわね」
レイラの言葉に、エデンも「その通りです」と答えた。
システムを切ったことで、エデンの消費する魔力は大分減った。とはいえ、今も消費し続けている事に変わりはない。この後はゆるやかに回復していくか、それとも減り続けるか。ただ、解決したと言えるのは、アリシアの体調が良くなった時だ。
「アリシア様の魔力を、増やさなくてはいけません」
「そうなのよ。でも……どうしたらいいの?」
レイラの声が震えた。他人の魔力を増やすなんて。この1カ月散々考えた。だけど、何も見つかっていない。積み重なった無力感が、レイラの心を締め付けていく。最初は励ましてくれた人達も、最近は顔を見せなくなってしまった。皆分かっている。そんな方法は無い事を。
「レイラ様。私に魔力について教えてください。出来る事があるかもしれません」
「あなたが……?」
エデンの声に、レイラの視線が揺れた。確認するように、ゆっくりと言葉を続ける。
「エデンさん……あなたは、アリシアの事を心配してくれるの?」
「はい。やらなくてはいけません」
強く言い切ったその言葉は、腫物に触るような遠慮した言葉ではなくて。ただ当然であると、そう訴えていた。
たまらず、レイラは胸が詰まってしまう。何か言おうと口を開けても、言葉が出てこない。そんな数秒が過ぎ、エデンが疑問の声をあげた。
「……何故、お泣きになられるのです?」
「え?」
泣いてる? 頬を触ると、指先が濡れた。あぁ、私は泣いているのか。そう気づくと、途端に視界が歪みだした。
思わず手で拭うと、何か勘違いしたのであろう、エデンは慌てた声でレイラに語りかける。
「わ、私が、何か粗相をしたでしょうか?」
「え、あ、ち、違うのよ。これは違うの」
「で、では、やはりお体の具合が。お休みになられた方が」
違う。これは体調とかじゃない。そう否定したいが、エデンの慌てようについ頬が緩んでしまう。
「ふふっ。あなた、『ギフトスキル』だからかしら。面白い事を言うのね」
突然現れた、姿の見えぬ不思議な相手。あなたに泣かされたこの涙は、嫌な物じゃない。
「人はね、嬉しくて泣くこともあるのよ」
「嬉しくて?」
「えぇ」
そう言ってレイラは笑った。
笑い方なんて、しばらく忘れていたかもしれない。きっとひどい顔をしている。睡眠不足で肌はカサカサ。髪も以前のような艶はなく、ひどく絡んでいる。
「アリシアちゃんを、助けたいの。力を貸してくれる?」
「はい。了解いたしました。早速なのですが、私は魔力について詳しくありません。まず、その詳細について――」
善は急げとエデンは話を進めるが、その時、部屋の外で何かを叩くような音が響いた。
続けてドアの開く音が聞こえ、しわがれた声が部屋の外から呼びかけてくる。
「レイラさん! お邪魔するよ!」
この声は、よく来ている高齢の女性だ。エデンがそう確認していると、レイラが慌てた様子でエデンに声をかけた。
「エバさんだわ。エデンさん、エバさんが帰るまで喋らないで」
「え? 何故ですか?」
「説明してる時間がないわ。お願いだから、黙っていてね!」
レイラの真剣な表情にエデンが困惑していると、扉が開いてエバが入ってきた。
「レイラさん! 無事かい!?」
「え? あ、はい。無事……ですよ?」
エバのあまりの剣幕に、レイラがキョトンとした顔で返す。すると、エバは不思議な顔をして、部屋を見渡した。その視線の先には、足の折れたテーブルに散乱した布団、壁には無数の傷がついている。
すると、エバは手に持っていたバスケットを放り出し、慌ててレイラへ駆け寄ると、その肩に両手を置いた。
「レイラさん! しっかりするんだよ! まだ諦めちゃいけない!」
「……エバさん?」
「辛いかもしれんが、落ち着きんしゃい! 弱音ならこの婆にぶちまけちまいな!」
エバの肩を掴む手に力が入るが、レイラは変わらずぽかんと口を開けて彼女のことを見つめていた。すると、エバの口から「あら?」と抜けた声が漏れた。
「……レイラさん、あんた大丈夫なのかい?」
エバがそう言うと、レイラは小さく口元を緩めながら答えた。
「私は大丈夫です。諦めてもいません」
それを見て、今度はエバの口が開いてしまった。
「そ、それじゃあ、この部屋はどうしたんだい?」
「部屋? あっ、そ、それはですね」
レイラが部屋を見渡すと、その惨状に今気が付いたというように慌て始めた。もしかしたら、騒音が外に響いたのだろうか。部屋の有様は、まるで気が触れてしまったかのようだ。
レイラは「えと、えと」と呟くと、視線を逸らして口を開く。
「お、大きな虫が出まして! つい魔法でやってしまいました!」
「虫?」
「そ、そうなんです! それはもう、す、すっごく大きくてですね! び、ビックリしまして! 部屋中を逃げ回って!」
わたわたと話すレイラの頬は少し赤みが差し、いけない事をしてしまったのを隠す子供のようだった。だがエバは、何かに納得したように頷いた。
「そうかい、虫がねぇ。それは大変だったね」
「え、えぇ。そうなんです! あら、エバさん。そのバスケットは?」
「夜ご飯なんだけどね。食べられる、か、い……? ありゃ、こりゃあ……」
放り投げたせいで、パンの形が崩れてしまっている。ソースはこぼれ、野菜ははみ出していた。これじゃあ食欲は湧かないかもしれない。苦い顔をしつつ渡すと、レイラは嬉しそうに頬を緩めた。
「ありがとうございます。頑張って全部食べます」
「ほ? レイラさん、あんた随分元気になったじゃないか」
「あ、そうですね。きっと虫さんが元気を運んできたのかも」
そう言うレイラの頬は、また赤くなっている。その顔を見て、エバは「そうかい!」と腰に手を当てた。
「なんとも、親切な虫さんがいたもんだねぇ! がっはっは!」
エバの豪快な笑い声が、小さな部屋に響いた。
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「それじゃあ、無理はしないようにするんだよ」
綺麗に空となったバスケット。満足げにうなずきながら、エバはバスケットを抱えて部屋から出ていった。
もう、話してもいいのだろうか。エデンが躊躇していると、レイラがそっと扉に近づき、その場にしゃがみ込んだ。そして扉にぴたりと耳を押し当てて、じっと息を潜めている。
「……レイラ様。何を、されているのですか?」
「へっ!? あ、エバさんが帰ったか、一応確認をと思って」
「確かに確認は重要ですが……レイラ様は、案外……」
子供っぽい、のだろうか。その思考が伝わったのか、レイラは慌てて手を振りながら、少し顔を赤らめて近づいてきた。
「ち、違うのよ? ほら、これから内緒話をするわけでしょう? なんだか、少しだけワクワクしないかしら」
ね? と首を傾げるレイラ。これまでの、悲しみに打ちひしがれていた様子はもう感じられない。もちろん、まだ顔色は優れず、目の下には酷い隈が痛々しく刻まれている。だが、彼女を包む雰囲気は、前向きな光を帯び始めていた。
「それにしても、暗くなってきたわね。灯を点けましょう」
言われてみれば、日はとうに落ち、部屋の中は夕闇に沈んでいる。灯りは、どこにあるのだろうか。エデンが周囲を確認していると、レイラがかざした手のひらの上に、ぼんやりとした光の球が音もなく現れた。
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[ALERT] 未定義の物理現象を観測。
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まただ。エデンの中には存在しない、理解不能の現象。光球はレイラの手を離れると、ふわりと天井近くまで浮かび上がり、部屋全体を暖色の優しい光で照らし出した。
「この灯はいったい……何が起きたのですか?」
「あら? エデンさんは、魔法を知らないの?」
「魔法……これが、魔法……」
言葉としては知っている。科学では説明できない、自然法則や物理法則を超越した力。魔力があるのであれば、魔法があってもおかしくはない。だが実際に目の当たりにすると、その発生原理がまるで理解できない。エデンがじっとその灯を観測していると、レイラが「おかしいわね」と首を傾げた。
「毎日、夜は灯をつけていたのだけれど」
「それは……気づきませんでした」
限られた処理能力では、全ての観測を続ける事は不可能だった。そのため、常に優先順位が高いアリシアと、その母親であるレイラの生体情報に、処理能力の大半を割いていたのだ。他にも、見落とした重要な情報があったのかもしれない。
「ふふっ、『知性あるスキル』にも知らないことがあるのね」
レイラはベッドに腰を下ろすと、眠るアリシアを覗き込みながら、その口元を緩めた。
「今、なんとおっしゃいましたか? せれねす?」
「知らない? 知性を持つスキルの事を、そう呼ぶの。知性と寵愛の神、セレーネ様の祝福を受けた特別な『ギフトスキル』。『知性あるスキル』ってね」
私も、伝聞でしか知らないのだけれど。そう言って、レイラはアリシアの銀色の髪を優しく撫でていた。




