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57話 観測開始:5年3日目-2 / 叡知の鍵

「いいえ。私は、エデンと申します。宜しくお願いします」


「え、あ、ああ……そうか、君が、エデンか」


「ママから、シエル様へのお手紙をお預かりしています。どうぞ」


 差し出された手紙をシエルが見つめていると、横からアリシアの手が伸びてきた。


「おねえちゃん! アリシアも、それみたい!」


「駄目! ママから、見ないようにって、言われてるでしょ!?」


 エデンが叫びながら、手紙をアリシアから遠ざけるように持ち上げる。

 

「だって、きになるもん!」


「駄目っ! 駄目ー! シエル様、早く、お受け取りください!」


「あ、ああ」

 

 必死な様子のエデンに、シエルは手紙を受け取った。


「あー」


「もう!」


(……この少女は、一体?)

 

 疑問を抱きつつ手紙を開くと、そこには見覚えのある文字が並んでいる。

 そして目の前の少女について、核心的な一文が書かれていた。


「……『知性あるスキル(セレネス)』?」


 思わず視線を上げると、エデンと名乗る少女が、アリシアの腕を掴みながら見つめ返してきた。


「エデン。お前は、『知性あるスキル(セレネス)』なのか?」


「『知性あるスキル(セレネス)』がどのような存在を指すのか、私は判断できませんが……私がアリシアのギフトスキルであることは、確かです」


「うん! アリシアの、おねえちゃん!」


「そうか……いや、驚いた」


 シエルは手紙を最後まで読み終えると、丁寧に折り畳み腰のポーチにしまった。


「大体の状況は理解できた。手紙では、知らせて来なかったわけだ……」


 呟くようにそう言うと、彼女は気を取り直したように快活な笑みを浮かべた。


「ところで、2人のことを教えてくれないか。さっきお姉ちゃんと言っていたが、エデンが姉なのか?」


「うん!」


「はい。私がお姉ちゃんです」


 そう言って胸を張るエデンは、椅子の上でアリシアの腕に抱きしめられている。

 本人たちはそう主張しているのだが――。


「エデンの方が、背は小さいのだな」


「はぅっ!?」


 新しい体を得てから一年。

 魔力量の増加に伴い背も着実に伸びてきたが、その成長速度は人並みだった。

 エデンが伸びた分だけ、アリシアもまた健やかに伸びている。


「い、いずれ、私の方が……大きくなります」


「えー。おねえちゃん、アリシアよりおっきくなれるの?」


「わ、私の方が、大きくなるわ! お姉ちゃんだもん!」


「いいじゃん! ちっちゃくて、かわいい!」


「ほわっ!?」


 アリシアがからかうように笑うと、エデンの柔らかな頬をむにっとつまんだ。

 ふにふにとその感触を楽しんでいると、「ほのぉっ!」とエデンも手を伸ばした。


「にゃにをしゅるの!」


「あはは、おねえひゃんのほっへ、やあらかーい」


「ないいっへるか、わはらない!」


 目の前で騒ぎ始めた姉妹から、シエルはそっと顔を逸らした。


「……か、可愛いな! ……持ち帰ってもいいだろうか?」


 ちらりと視線を戻せば、エデンがアリシアよりも小さな体で、懸命にその腕を伸ばしている。

 その愛らしさに、シエルは頭を振ると、咳払いをして椅子に座り直した。


「二人とも、仲が良いのだな。そうだ、私のことも話しておかなければな。レイラとディーンから聞いているかもしれんが、今は冒険者をしている」


 アリシアがエデンの頬から手を離し、シエルの元へと駆け寄ってきた。


「ぼうけんしゃ! シエルおねえちゃん、ぼうけんしゃなの!?」


「ああ。これでも、なかなかやるぞ?」


「おー! シエルおねえちゃん、けん! けんおしえて!」


「ちょっと、アリシア。それは、迷惑なんじゃ」


「ん? お前たち、剣を扱えるようになりたいのか?」


「うん! パパが、おしえてくれる!」


「はい。まだ未熟かと思いますが……」


「ほお……」


 そういえば、誕生日に送った剣も二本あった。

 シエルは楽しそうに笑うと、椅子から立ち上がった。


「どれ、少しお前たちの腕前を見てやろう」


「やった! おねえちゃん、やったよ!」


「アリシア。言っておくけど、木剣だからね。シエル様、木剣は裏庭にしまってあります」


 アリシアが歓声を上げて裏口から飛び出していくのを、エデンと並んで歩きながら、シエルは「そうだ」と口を開いた。


「エデン。様付けはいらん。お前も、レイラの娘なのだろう?」


「そう、ですか……では、これからはシエルさんと、お呼びしても?」

 

「んー……。もっと気楽に呼んでくれて構わんのだが……まあ、いいだろう」


 

 *********



 湿った音を立てて、ディーンは大剣を地面に突き刺した。

 そして同じく肩で息をするレイラと背中を合わせ、土の上に座り込んだ。


「……あー……くそ、疲れた。少し休むぞ」


「ええ……もう、無理……疲れたわ」


 ディーンは、止まらない汗を手の甲で拭いながら、壊れかけの留め具を外した。

 防具は無残に歪み、無数の凹みが散見されもはやただの重りにしかならない。

 防具の下からは、痛々しい紫色の痣となった肌が現れた。


「いてて……」


 流石に無傷で済むとは思っていなかったが、傷口から一筋の血が腕を流れ落ちた。

 ポーチから回復薬を取り出すが、効能の証であるはずの魔力の輝きに少し影が差している。


「……しまったな。替え時だったか」


 中身を飲み干すが、傷は塞がることなく裂傷は残ったままだ。すると背後から、レイラが回復薬の入った小瓶を差し出してきた。


「珍しいわね。そんなポカするなんて」


「……まあ、少し焦っていたか」


 小瓶を一息に呷ると、両腕の深い傷だけでなく、全身を苛んでいた打撲の痛みが引いていく。


「あいつらが作ったんだったな……良い出来だ」


「実はそれ、ただの回復薬じゃないのよ。上級回復薬なの。エバさんが特別にって、レシピを教えてくださって」


「……は? おいおい……あの婆さん、何者だ?」


「さあ? でも、それはお互い様ね。それで、群れの様子はどう?」


「ああ。成果はあったな」

 

 先ほどまで移動を続けていた無数の駒が、ぴたりと足を止めていた。

 多少の奇襲では無視するように移動を続けていたが、流石にこれ以上の損害はまずいと判断したか。


「本当に止まったの?」

 

「ああ。が、500も倒せてはいないからな……このまま、動かずにいてくれるといいんだが」


「しばらくしたら、また移動を始めるかしら」


「かもな。どっちにしても、それなりに時間は稼げた」


 このまま奴らが動かなければ、夜までに村に到達するのは不可能なはずだ。

 後は、ジンたちが間に合えば――。


「ここは、場所が近すぎるな。次へ行くぞ」


 体に活を入れて立ち上がると、レイラが杖に体重をかけて、よろよろと立ち上がった。


「なんだ、疲れたか?」


「……疲れたわよ」


「ははっ、そうだな。よし、それじゃあ――いや、待て」


 突然、ディーンの表情が切り替わる。

 何か、違和感があった。

 『箱庭』を確認した時、確かに――。


「……あいつは、どこに消えた?」


 再度、『箱庭』の戦況図を確認するも、やはり消えている。ずっと群れの中心を移動していた、未知の反応が。


「あいつって?」


「ああ。正体の分からなかった――」


「おや? もしかして、わたくしをお探しでしたか?」


 突然、からかうような男の声が、すぐ耳元でささやかれた。

 咄嗟にレイラの体を引き寄せ、振り向きざまに大剣を振るう。

 だが、すぐ傍にあったはずの気配は消え、数メートル離れた場所に一人の男が立っている。


「突然、何をなさるのです? せっかくわたくしの方から参上したというのに」


 森にはあまりに不似合いな、豪奢なタキシード。そして人間とは思えぬほど、陶器のように青白い肌。


「……お前、何者だ?」


「ああ。これは失敬。わたくし、ジェイと申します。以後、お見知りおきを」

 

 そう言って、男はうやうやしく、しかしどこか嘲るように頭を下げる。

 得体の知れない相手に、ディーンが警戒レベルを引き上げると、レイラが小声で囁いた。


「ディーン。たぶん、だけど……彼、魔族よ」


「なに?」


「おや? 貴女、魔族をご存知で? こんな田舎に、そのような知識を持つ方がいらっしゃるとは」


「……その魔族が、俺たちに何の用だ?」


「そうでした。いえね、このわたくしがせっかく集めた魔物たちが、あなた方に、ずいぶんと数を減らされているようでしたので」


 ジェイは事も無げにそう言うと、肩をすくめながらにこりと笑った。


「それで、どうでしょう? このままお帰りくだされば、特別に、見逃して差し上げますが」


「……は?」


 予想外の提案に、ディーンの口から疑問の声が漏れた。

 目の前に危機の元凶がいるというのに、帰れるわけがない。


「魔族がなぜ、魔物を引き連れて村を襲う。何が狙いだ?」


「狙い、ですか。ふむ、いえね、別にわたくし一人でも良かったのですが……それだと、服が汚れてしまうでしょう?」


 その信じがたい言葉に、ディーンとレイラは理解不能なものを見るように、ジェイを見つめる。

 すると、彼は白いハンカチを取り出して、自分の肩を払った。


「いけません、いけません。やはり外は嫌ですね。すぐに埃がついてしまう」


「……お前、何を考えている?」


「ん? ああ、申し訳ありません。いえね、わたくしはただ、魔物たちに村を襲わせて、それを特等席でのんびりと見物したい。それだけですよ」


 そう言うと、ジェイはうっとりと、頬に手を当てた。


「虫けらどもが魔物に蹂躙され、甚振られ、絶望の悲鳴を上げて死んでいく……。ああ、なんという甘美な響き! それを眺めることこそ、わたくしの愉悦! せっかくの機会なのですから、最高の席で楽しまなくては!」


 次第に声が大きくなり、最後は両手を天に掲げながら、恍惚として叫んだ。


「……お前の気まぐれで、村を滅ぼすのか!」

 

「いいえ? それはあくまで、余興です。ああ、そうでした。あなた方に、1つお聞きしたいことがあったのですが」


「聞きたいこと、だと?」

 

「我らが宿敵、女神セレーネが失った至宝、『叡知の鍵』。この地方の子供がそれを持っているやもしれぬと、そのような情報があるのです。何かご存知ではありませんか?」


 その言葉に、ディーンとレイラがちらりと視線を交わした。


「……そんなもの、聞いたこともない」


「ええ。この先にあるのは、ただの小さな村があるだけよ」


「このまま帰るのなら、見逃してやる」


「はあ……仕方ありませんね。村だけ、さっさと滅ぼして、わたくしも、ネストの街へ向かうとしますか」


 ディーンの言葉を無視し、ジェイが興味を失ったように背を向けたその時。

 ディーンがその背中へ一瞬で迫りながら、大剣を振り下ろす。


「シッ!」


 黒い一閃が、魔族の首元へと吸い込まれるように迫る――。

 殺ったと確信した、その剣先が空を切った。

 当たるその寸前まで、視界は奴を捉えていたはず。

 信じがたい結果にディーンが目を見開くと、横からため息交じりの声が聞こえた。


「これだから、品性のない虫は嫌いなのです」


 呆れたように、白い手袋をぱん、と払って付け直すジェイ。

 ディーンは飛ぶように後退すると、レイラの傍らで再び大剣を構え直した。


「レイラ、見てたか?」


「ええ。一瞬で移動していた。でも魔法じゃない。何らかのスキルよ」


 厄介な相手だと、ディーンは短く息を吐いた。

 レイラに視線を送ると、十を超える鋭利な氷の槍が、彼女の周囲に音もなく生成されていった。


「これなら、どうかしら!」


 掛け声と共に、氷槍がジェイを囲い込む檻となるように、四方八方から放たれた。

 だが何の前触れもなく魔族の姿は掻き消え、氷槍は地面へと虚しく突き刺さった。


「くっ、どこへ行った!?」


 ディーンが急ぎ辺りを見渡すと、左後方でジェイがのんびりと立っていた。


「やれやれ。仕方ありませんね。まずはこのうるさい害虫の駆除から、始めなくては」


 そう言って、まるで準備運動でもするかのように、手首をくきりと鳴らす。


「あれは、移動じゃないな」


「ええ、たぶん……だけど」


「奴の位置は、俺が『見る』。お前はそれに合わせろ。気をつけろよ」


 ディーンの思考に広がるミニチュアの崖の上、自身とレイラの駒、そして魔族の駒が確かに置かれていた。

 息を吐き、呼吸を整える。

 すると何の前触れもなく、魔族の駒がふっと盤上から消えた。


(目で追っていたら、間に合わん!)


 奴の反応は――。


「っ! 後ろだ!」

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