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56話 観測開始:5年3日目-1 / 足止め

 闇に染まっていた森が、東の空からじわりと白み始めた。

 朝の訪れが近いこと、そして確実に村へと近づいている現実に、ディーンの声に焦りが混じった。


「このままだと……今日の夕方には、村だな」


 数度にわたる二人の奇襲を受けてなお、魔物の群れはゆっくりと前進を続けている。

 百体以上はその数を減らしたはずだが、まだ千を超える巨大な群れだ。

 芳しくない戦果に、ディーンが呻くような声を出すと、隣を歩くレイラも、険しい顔で空を仰いだ。


「トーマくん、今、どのあたりかしら……」


「どうだろうな……あいつは、肝心な時にはやる男だ……そろそろ、ネストの近くに着いていればいいが」


「それなら皆が着くのは……早くても今夜になるわね」


 ディーンは頷くと、目の前の茂みをゆっくりとかき分けた。

 その隙間から、おびただしい数の魔物の群れが、川の流れのように通り過ぎていくのが見える。


「……多少、無茶するしかないか」


「ディーン?」

 

「この先に、両側が切り立った崖になっている隘路がある。そこに誘い込むぞ」


「でも、どうやって?」


「奴らが無視できないくらい、暴れるしかない。ここを逃したら、優位に戦える地形はほとんど残されていない」


 もう村まで、それほど距離はないのだ。

 ディーンは振り返ると、木々の奥を指さした。


「隘路はあっちにある。いいか。俺が合図をだしたら、この森を真っすぐに突っ切るぞ」


「ええ。分かったわ」


 レイラがこくりと頷きながら、その背中に無数の氷の槍を生成していく。ピキ、ピキキ、と空気が凍る音が流れる中、ディーンはもう一度レイラの方へと顔を向けた。


「俺から離れるな」


「もちろん。あなたこそ、気をつけてね」


 一メートルほどの大きさにまで成長した氷槍が、群れの中へと音もなく放たれた。

 複数の断末魔と赤い華が咲き乱れ中、ディーンが勢いよく茂みを飛び出すと、呆気にとられたゴブリンの頭を大剣で容赦なく叩き潰した。


「おおっ!」


 勢いを止めずに前へ踏み込み、風切り音を上げる大剣が、魔物の血と肉を大地の上にぶちまけていく。


 そうして群れを切り進んでいくと、奇襲に気づいた魔物たちが一斉に動き始めた。

 二人目掛けて駆け寄ってくる前衛。そして灰狼やオークが、二人を囲い込むように背後へと回り込んでいく。


 ディーンの後ろを追走していたレイラは、それを見て、ローブの右手の裾をさっとたくし上げた。

 白い腕に魔力が絡みつくと、透きとおった氷がその腕を覆い尽くしていく。

 氷は逆立った鋭い鱗を形成し、指先からは長大な爪が伸びる。

 その巨大な竜の腕を、レイラが振り向きざまに薙ぎ払った。

 無数の氷の鱗が弾丸となって射出され、魔物をたやすく打ち抜いて風穴を開けた。さらに追い打ちとばかりに、その腕を天に振り上げ――。


「食らいなさい!」


 大地に叩きつける。

 竜の手は無数の破片となり、前方へ地面を青白い光の筋が走った。

 一瞬の静寂の後、地面から氷の槍が勢いよく突き出し、次々と魔物の体を貫いていく。


「レイラ。あまり、派手に飛ばしすぎるなよ。魔力が尽きるぞ」


「まあ、最初くらいは。これで後方は、しばらく安全よ」


「それは助かる。……よし、突っ込むぞ」


 棍棒を振り上げようとしているゴブリンに肉薄すると、その後ろで威嚇していた個体ごと斜めに両断した。

 レイラも遅れまいと、新たに生成した氷槍を叩きつけながら走り続ける。

 そうして足元の地面が、ぬかるむほどの血で汚れた頃、ディーンの目が止まった。


「……なんだ? 釣れたか?」


 先にいる魔物の反応が、大きく、そして急速に動き始めた。

 大きく弧を描くように移動を始めている。このままだと――。


「レイラッ! 引くぞ!」


「分かったわ!」


 レイラが即座に応じ、足止めの大技を発動させる。

 手のひらへと魔力を集束させふっと息を吐くと、彼女の吐息が氷の嵐となって吹き荒れた。風に飲まれた魔物たちが、足元から次々と凍りついていく。

 ディーンとレイラは同時に踵を返し、レイラを先頭に森の中へと飛び込んだ。


「追ってきてるの!?」


「ああ! 回り込んだ奴らが、森に入り込んでる! 急げ!」

 

 ディーンの思考の中では、ミニチュアの駒が凄まじい勢いで動き続けていた。

 後方からの追手、そして側面から回り込むように、森の中を移動する灰狼の集団。


「レイラ! 10時の方向へ撃て! 灰狼が20体、来てるぞ!」


「距離は!?」


「200メートル! まっすぐ向かってきてる!」


 レイラの視線の先、茂みが大きく揺れ、黒い影が飛ぶように移動するのが見えた。

 思いのほか近い距離にレイラは足を止め、杖を両手で掲げる。


「森ごと、吹き飛ばすわ!」


 レイラの腰から、氷の巨大な尾を生成していく。

 しなやかに持ち上げられた尾が、レイラの杖に合わせて前方を薙ぎ払った。

 衝撃波が木々をなぎ倒し、あらゆるものを凍てつかせながら駆け抜けていく。

 見晴らしの良くなった前方に、動く魔物の姿は見えなくなった。


 「っ! 足を止めるな!」

 

 ――1体だけ、反応が残っている。


「えっ?」


「ガアアアアァァッ!」

 

 すぐ傍らの茂みから、低く姿勢を保った巨大な灰狼が飛び出した。

 ディーンが咄嗟にレイラを突き飛ばすと、灰狼は狙いをディーンへと変え、鋭い牙がディーンの右足に深く突き刺さった。

 通常の個体の数倍はあろうかという巨体。身体強化の上からにもかかわらず、鮮血がどくどくと流れ出す。


「っ! この、クソがぁっ!」


 左足を強く踏み込み、灰狼ごと右足を蹴り上げ木に叩きつける。

 頭に響いた衝撃で、一瞬だけ牙が緩む。

 その隙を逃さず、ディーンの右拳が頭蓋を大地へと叩きつけた。


「ディーン!」


「いいから、行け! あと少しだ!」


 止まっている暇はない。

 足を引きずりながらも走り続け、迎撃地点と定めていた隘路へと駆け込んだ。

 幅三メートルほどのこの地形ならば、回り込まれる心配はない。


「この先から崖上に登れる! 行け!」

 

 すぐ背後に、複数の魔物の反応が迫っている。

 ディーンは迎撃の体勢を取ろうとしたが、レイラがポーチの中を覗き込み足を止めている。


「レイラ!? 何してる!」


「分かってる! これを!」


 叫ぶように返された声と共に、取り出した小瓶がディーンへと放り投げられた。


「使って!」


「……助かる!」


 瓶の先を岩に叩きつけ、血で赤く染まった右足へと液体を振りかけた。

 淡い光が傷口を包み込むと、跡さえ残さず綺麗に塞がっていた。


「帰ったら、あの子たちにお礼ね」


「……あいつらが作ったのか。ま、帰ったらな。行け!」


 ディーンが振り返った先に、魔物たちの姿が見えた。

 先頭にはゴブリンが並んでいるが、その姿は成人男性に匹敵する筋骨隆々とした体躯。

 奥からも、さらに巨大な影と怒声が聞こえてくる。


「ボブに……ハイオークも来てるな」


 ディーンは大剣を握り直し、ぐっと腰を下ろした。ボブゴブリンがタイミングを計るように、じりじりと三体横並びで隘路を進んでくる。


(問題ない……が、多少苦労しそうだな)


 やがて距離が詰まり、ボブゴブリンが腕を振り上げて飛び込んできた。


「ガアアアアァァッ!」


「おおぉらあああっ!」


 迎え撃つ大剣が、飛びかかってきた一体を真っ二つにし、その勢いのまま残り二体を崖へと叩きつける。

 だが伸ばされた腕が、ディーンの腕を浅く切り裂いた。

 その傷にディーンは眉をひそめながら、次々と隘路へと侵入してくる、新たな魔物を睨みつけた。

 レイラが崖の上から援護に戻ってくるまで、およそ五分。


(……まあ、それまで堪えればいいだけだ)


 

 *********



 リビングの棚が閉まるのを、アリシアはぼんやりと見つめていた。


(ねえ、おねえちゃん)

 

(なあに?)


(なんで、かくれてるの?)


 アリシアの視線の先では、エバが「エレ、おらんねえ」と不思議そうにリビングを見渡している。


(うーん……だって……)


 アリシアの中。

 久しぶりにアバターを介さないエデンの視界に、エバが食卓に用意した一枚の小皿が映っている。

 そこには小さな植物の種が、ぱらぱらと乗せられていた。


(私、種は食べたくない)


(でも、エバーバ、ずっとさがしてるよ?)


(だから隠れてるの)


 レイラがいないというだけで、自分の食事事情はかくも大ピンチに陥るものか。


(ママのお料理が恋しい)


(んー。そうだねー)


 視界の中では、エバがついに捜索場所をキッチンへと移し、シンクの上の棚を覗き込み始めた。


(私は、そんなところには隠れないのに!)


(あれ? でもきのう、あそこにかくれてたよね?)


(……かくれんぼは、別!)


 アリシアが昼食のパンを食べ終えた時。

 コンコンと玄関の扉を叩く、控えめな音が響いた。

 エバは小鳥の捜索を一旦諦め、玄関へ行き扉を開ける。するとそこには、いつか見た懐かしい顔が立っていた。


「おやあ、確かお前さんたちは……」


「む、お久しぶりです。エバ殿」


「こんにちは。もしかして、俺たちのこと覚えられてます?」


 そう挨拶をしてくる、黒と白の対照的な男女。


「覚えとるとも。久しいのう、確か……シエルとジン、じゃったか。二人とも、元気そうでなによりじゃな」


「はい。エバ殿も、ご健勝そうで何よりです」


「わしゃもう、あちこちガタが来とるよ。まあ、入るかい?」


「いえ、俺はすぐに村を出るので。今のところ村に異変は? 魔物が来たりは」


「いいや。今のところは、何も。見回り組の連中からも、何も聞いとらんね」


「ふむ……まだ、近くには来てないのだろうか。まあ村の守りは、後から来るバンダたちに任せればいいだろう」


「それもそうだね。じゃあ、俺はもう行きますんで」


 ジンは軽く頭を下げると、物凄い勢いで走り去ってしまった。

 エバはその速さに関心して見送ると、思い出したようにシエルを家の中へと招き入れた。


「おお、すまんね」

 

「ああ、申し訳ない。お邪魔します」


「なあに、儂も家主でないでな」


 笑いながらリビングへ戻ると、ぽかんとした表情でアリシアがこちらを見つめていた。


「……おねえちゃん、だあれ?」


「『お姉ちゃん』、か……。うむ、悪くない響きだ」


 シエルは嬉しそうに微笑みながら、アリシアの前の椅子に腰を下ろした。


「私はシエルという。以前も会っているが……まあ、覚えてはいないか」


「おー。ママの、おともだち?」


「そうだ。アリシアは……ずいぶんと大きくなったな」


「それじゃあ、儂は一旦、自分の家に戻るとしようかね。シエルさん、アリシアをお願いしても?」


「もちろんです。レイラからも、頼まれていますので」


 エバは頷くと、手を振ってリビングから出ていった。

 残されたシエルの視線が、部屋をきょろきょろと見渡す。

 三年前に立ち寄った時から細かな調度は変わってはいるが、まだ赤ん坊だったアリシアが大きくなったのが一番の変化だろうか。

 だがレイラの手紙にあった、もう1つのあるはずの変化が見当たらない。


「……アリシア。お前に妹か弟は、いないのか? エデンという名の――」


「おねえちゃん?」


「おね……?」


 シエルが怪訝な顔をすると、アリシアの胸元が柔らかな光りを放った。

 魔力の粒子が湧き出るように溢れ出し、やがて人の形を成していく。

 そしてアリシアより少しだけ小さな女の子が、ぱっちりと、その大きな瞳を開いた。

 陽光を吸い込んだかのような、艶やかな銀髪。そして青い瞳。まるでーー。


「……レイラ?」

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