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55話 観測開始:5年2日目-2 / 黒鉄の英撃

「あのさあ……いい加減、さっさと行きなさいよ」

 

 草を踏みしめる音、獣の唸り声、そして立ち込める土埃。その騒々しい魔物の群れの中に、場違いな声が響いた。


「何を苛ついているのです? 貴女を誘った覚えは、わたしにはありませんが」


「だって、暇だったんだもん」


 そう言って横になる女に、ゆっくりと歩を進める男が、不機嫌そうに眉をひそめた。


「アビィ、なんというはしたない恰好をしているのです」


 視線の先、アビィと呼ばれた女は、真っ赤な日傘の影の中で、ベッドに寝転がるかのように宙に浮かんでいた。

 闇を思わせる長い黒髪に、肌は人間とは思えぬほど青白い。黒いストッキングを履いた足が、真っ赤なゴシック調のドレスから気怠げに覗いている。真っ赤なルージュが引かれた唇と、切れ長の赤い瞳が、見る者に冷淡な印象を与えていた。


「なによ! ジェイだって、意味わかんないことにこだわってる癖に! この、凝り性! 偏屈! お前の服汚してやろうか!」


「お、おい! 止めないか!」


 アビィが繰り出した蹴りを、ジェイと呼ばれた男が体を引いて避けた。

 気取ったような白のタキシードに身を包み、アビィと同じく赤い瞳と青白い肌をしている。

 森を歩くには不適切な服装で、彼らは群れの中を進んでいく。


「ついて来て損した。ちっぽけな村なんて、どうだっていいじゃない」


「……仕方あるまい、そういう命令なのだから」


「あははぁっ! あんたって、馬鹿だからね。だからこんな、本当かどうか分からないことの確認なんかに駆り出されてんのよ! うっわー、かわいそー!」


「っ、煩い! それは、お前も同じだろう!? 本命は、聖女が保護している子供なのだから!」


 ジェイが肩を掴もうと手を伸ばすが、するりとアビィの体が高く浮かび上がった。


「あんたと一緒にしないでよ! 私はね、ちゃんとやることやってるんだから!」


 そう叫ぶと、アビィは周囲を移動する魔物たちを一瞥する。


「さっさと、ネストに行きなさいよ。ぐずぐずしてると、私があの令嬢いただいちゃうからね」


「いや。魔物どもを走らせでもしたら、この美しい服が埃で汚れてしまうだろう?」

 

「……バーカ! ボケナス! とっとと死んじまえ、この、勘違い野郎!」


「おい! 口が悪いぞ!」


「うるさい! 私帰る! 馬鹿が移る!」


 アビィがそう吐き捨てると、日傘から黒い靄がぶわりと湧き出した。

 靄が彼女の姿を完全に覆い隠し、そして晴れると、そこにアビィの姿はどこにもなかった。


「やっと、うるさいのがいなくなった」


 残されたジェイはため息を吐くと、気を取り直したように歩みを再開する。

 

(どうせ、何をしようと無駄でしょう。本命は既に分かっているのだし。ですが――)


 偶然得られたという情報も、誰も本気で信じていない。

 だがそれでも、この先にいる人間を殺すのは――。


「くははっ、急ぐだなんて、もったいない! ご馳走というものは、のんびり食べてこそ贅沢というものではないだろうか!」


 ジェイが一人笑っていると、その耳に、悲鳴のような声が微かに聞こえた。


 

 *********



「……どういうことかしら?」


 森が途切れ平野となった崖の下を、おびただしい数の魔物が群れとなって移動している。

 本来ならば殺し合うはずの種族が、ただ黙々と横並びになって歩いていた。


「分からん。が、まいったな。間違いなく村に向かってる」


 どこかで方角を変えるのか判断がつかないが、ここまで向きを変える気配はない。

 ディーンは大剣を強く握り直し、崖の縁へと足をかけた。


「レイラ、一発でかいのを頼む。俺は突撃して何体か切り倒すが、すぐに引く。援護頼むぞ」


「ええ。分かったわ」


 レイラが手に持った杖へ魔力を流そうとした。

 その時、ディーンが困惑したような声を漏らした。


「……なんだ?」


「どうしたの?」


「いや……正体の分からなかった奴の反応が、1つ消えた」


 つい先ほどまで、確かに2つあった得体の知れない反応。その内の1つが、忽然と消失した。


「……仲間割れでもして、死んだのか?」


 ディーンは残る1つの反応がある方角を睨むが、その先は再び森が始まっている。


「ここからだと、見えんか」


「仕方ないわ。出来ることをしましょう」

 

 今度こそ、レイラが杖に魔力を流していく。

 先端の宝石が強く輝き始めたのを見て、ディーンは崖から飛び降りた。

 真横を巨大な滝のような水流が流れ落ち、真下にいたゴブリンやオークを叩きつけ、止まらない水圧は魔物たちを次々と飲み込んでいった。

 ディーンの足が崖を強く蹴ると、彼の体は弾丸のように勢いを増し、混乱する群れの中へと飛び込んでいった。


「うおおおぉっ!」

 

 不幸にも着地地点にいたゴブリンの頭を、容赦なく踏み潰す。

 それと同時に、すぐ傍にいたオークの豚面を上段からの一撃で叩き割り、肉塊を飛び散らしたゴブリンの死体を足場に前へと跳躍した。

 オークの体を貫いたまま大剣を横薙ぎに振り抜けば、その剣圧だけで数体の魔物が紙切れのように吹き飛ばされる。

 同時に上空から、氷の槍が周囲に降り注ぎ、新たな悲鳴と鮮血を撒き散らした。

 その成果に満足しつつも、見渡す限りの魔物の数に、ディーンは即座に踵を返した。


「ぎぎゃあっ!!?」


「バハァッ!」


 急に進行方向を変えたディーンに、魔物たちが驚きと威嚇の声を上げる。

 だがディーンの体がぶれるように加速し、オークの懐へと瞬時に踏み込んだ。


「邪魔だ」


 身体強化を乗せた一閃がオークの腹へ叩き込まれ、吹き飛んだ巨体が後方の魔物を巻き込んでなぎ倒していく。

 運よく逃れたゴブリンの顎を蹴りあげ、開けた隙間から森へと駆け込んだ。

 背後から無数の怒声が上がるが、頭上から振る氷槍の雨に悲鳴へと変わった。

 その後は振り返ることなく走り続け、追手がないことを確認すると、剣を地面に突き刺した。

 

「……ふう」


 何体、やれただろうか。『箱庭の戦場』を展開していると、茂みを揺らす音と共に、レイラが姿を現した。


「ディーン。無事?」


「ああ、問題ない。……が、妙だな。あいつら、もう移動を再開してるぞ」


 奇襲によって足を止めたのに、群れは何事もなかったかのようにゆっくりと歩みを進めている。


「え、私たちを追ってきていないの?」


「……ああ。残念ながらな」


 追ってきてくれれば足止めになったかもしれないが、後を追ってくる魔物はいない。


「……仕方ない、移動するぞ」


「ええ。次の手は?」


 突き刺した大剣を力任せに引き抜くと、木々の隙間から夕陽が差し込んでいるのが見える。


「こっちを無視するのなら……ありがたく、また奇襲させてもらうさ」

 


 *********



 ガヤガヤと陽気な談笑が飛び交う、ネストにある宿屋の食堂。

 振り下ろされたジョッキが、威勢のいい音を立ててテーブルに置かれた。


「くあーっ! クソうめえ!」


「あー、もう、煩いわね。静かに食べなさいよ」


「バンダ、そいつただのジュースだろう? なんで酒みたいに飲むのさ」


 20代後半と思われる男女が、1つのテーブルを囲んで食事に手をつけている。

 バンダと呼ばれた一際小柄な男が、手に持ったフォークを、目の前の肉塊にぐさりと突き刺した。

 茶色い短髪を黒のバンダナで逆立て、顎には短く髭が生えている。吊り上がった目が機嫌の悪さを表すように更に吊り上がった。


「いいだろうが! 羽を伸ばせるのも、もうすぐ終わりなんだからよ!」


 そう言って肉に齧り付くのを、隣に座った長髪の女性が呆れたように目を細めた。

 仄かに緑に見える黒髪を横に流し、指には魔石のついた指輪をいくつもはめている。凹凸の激しい体にローブの胸元が大きく膨れ上がり、その切れ目からは組んでいる生足がチラリと覗いていた。

 

「ディーンが帰ってきたら、そんな風には威張れなくなっちゃうものね」


「はい、シェリー、正解! ディーンには頭上がらないしね!」


「うるせえよトト! 別に、頭が上がらねえなんてことねえよ!」


 からかうように指を立てる優男を、バンダはジロりと睨んだ。

 トトと呼ばれた男は、三人の中では頭1つ背が高い。

 揺れたアッシュの前髪の隙間から、こめかみから左の耳にかけて大きな傷跡が見える。バンダの視線に笑うと、両耳に着けた黒い小さなイヤリングが微かに揺れた。

 必死なバンダの様子に、シェリーが指を折りながら数え始める。

 

「ディーンとジンでしょ。シエル。それに、レイラにも。……何よ、あんたの頭いつ上がるの?」


「あー! うるせえ、うるせえ! それにディーンとは、タイマンなら俺が勝つ!」


「はいはい。生まれた時からどでかいハンデもらってて、しかも条件付きなら、あんたが勝つでしょうよ」


「お互いが見えている状態で、正々堂々と、なら、僕だって勝てるさ」


「ぐぐぐ……」


 バンダがと悔しそうに呻き声を上げると、空いた椅子に、一人の男が静かに腰を下ろした。


「皆、何の話をしてるんだい?」


「あー、ジン。バンダがね、ディーンに勝てるってのたまってるから、現実を教えてあげてたのよ」

 

「ははっ、バンダは相変わらず、面白いことを言うね」


 カラカラと笑うと、さらりとした黒髪が揺れる。

 黒い瞳に、黒いロングコード。整った顔つきに175㎝ほどの背丈。その体は細身でありながら、よく鍛え上げられているのが分かる。テーブルに立てかけられた剣もまた、柄から鞘まで、黒一色に染められていた。

 席に着いたジンに、バンダが不満そうにその顔を睨みつけた。


「なんだよ、別にいいだろ! どうせもうすぐ合流すんだからよ」


「ああ、そうだね。いやあ、楽しみだなあ。レイラに会うのも、ずいぶん久しぶりだ」

 

「あー、レイラにまた会えるのねー。くふふ、どうしようかしら」


 とろけるような表情で頬を赤らめるシェリーに、トトとバンダが嫌そうな顔で体を逸らした。

 

「うわっ。シェリー、その顔止めてくれる? 食欲がなくなる」


「テメ―よお、レイラもうガキだっていんだぞ!? 脳みそ腐ってんじゃねえの!?」


「何よお! ……ちょっと体がうずいてきたわね。悪いけど、ちょっと出かけてくるわね。今から、街で――」


「今からじゃない」

 

 ガタガタと席を立とうとしたシェリーの頭を、後ろから白い手袋をつけた手がコツンと叩いた。

 頭をさすりながらシェリーが振り返ると、ブロンドの髪を後ろで1つにまとめた女性が立っていた。

 二十代前半、身長はジンより少し低い。切れ長の黄色い瞳が琥珀のように輝いている。服の上から、白い部分鎧を着けており、その腰には美しい長剣が携えられていた。

 整った顔立ちも相まって、物語に出てくる騎士のような雰囲気を纏っている。

 

「なによ、シエルー。いいじゃない、ちょっといい男を探してくるだけ! ……まあ、いい女でもいいんだけど」


 シェリーは豊満な胸を押し上げ、挑発するようにシエルを見上げると、彼女は興味なさそうに顔をそむけた。

 

「知らん。それより、少しまずいことになった」


 シエルは一通の手紙を、ぽかんと見つめていたジンに差し出した。その表面には、綺麗な文字で「黒鉄の英撃」と書かれている。


「ディーンたちから? ……まいったなあ。やっぱり5歳の女の子に、剣のプレゼントはまずかったんじゃないかな。止めるように伝えたのに」


「違う。トリト村の近くに、魔物の群れが出たらしい」


「……なに?」


 その報告に、テーブルの上の動きが止まった。

 ジンは手紙を開き、素早く目を通していく。


「……千体を超える、魔物の群れ?」


「は? おいおい、マジかよ」


 バンダが思わず身を乗り出すと、その肩をシェリーが掴んだ。


「はい、お喋りはここまで。行くわよ。支度しないと」


「いやー、思ったよりも、早く再会することになりそうだね」


「お、おい! もっと詳しく、説明を!」


 トトも笑いながら席を立つと、バンダを引きずるシェリーと共に食堂から出て行ってしまった。


「よし。俺たちは先に行こうか」


「ん? いいのか? 待たなくて」


「んー、まあね。ディーンが手紙を寄越したってことは、応援を待ってるってことだろうしね。たぶん、二人で足止めでもしてるんじゃないかな。……ところで、シエルも読んでみなよ」


 どこか楽しそうに笑うジンから手紙を受け取ると、シエルの視線が文面の途中でぴたりと止まった。


「……エデン?」


「そう。前会った時、子供はアリシアだけだったはずなのに」


「これまで来た手紙にも、そんな名前は……ま、ま、まさか! 2人目!?」


 驚いたように動きを止めてしまったシエルに、ジンは笑いながら、その肩を叩いた。


「ディーンに頼まれた剣も、二本だったし。まあ、行けば分かるか」

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