53話 観測開始:5年1日目-3 / 子供みたい
あまりに当然のように言い放つと、レイラはその手に持っていた手紙のうち二通をトーマに差し出した。
「トーマくん。この手紙をよろしくね。こっちはギルドにお願い」
「え? あ、いや……」
「れ、レイラさん! 何言ってるんすか! 危険すぎるっすよ!」
驚いてレイラを止めようとするハンスに、残った二通のうち1つを押し付けるように差し出した。
「ハンスさん。こちらは、エバさんに渡してください。アリシアのことを、お願いしたくて」
「え、あの、え?」
その様子にディーンがため息をついた。茫然と手紙を受け取ったトーマに、「トーマ」と呼びかける。
「早く行け。その手紙が届くのが遅れれば、助けも、それだけ遅れることになる」
「あ、はい。で、ですが……れ、レイラさん、駄目ですよ。家にいてください」
「ふふ、私は大丈夫だから。トーマくんこそ、気をつけてね」
そう言って眉を下げるレイラに、トーマは、納得できないといった様子で前に出た。
「いえ、いけません。隊長。隊長からも、レイラさんに家にいるようにと言ってください」
「……トーマ?」
普段あまり自己主張をしないトーマの様子に、ハンスが不思議そうに首を傾げる。
ディーンも違和感を感じつつ、早く行けと手を振った。
「トーマ、お前は、自分のやるべきことをやれ。時間がないんだ」
「っ……! わ、分かりました。行ってきます」
顔を歪めながら、トーマが家を飛び出していく。その背中を見送り、レイラは困ったように頬に手を当てた。
「……心配させちゃったかしら」
「そりゃ、当然だろう。ハンス、お前もやる事は分かったな」
「え? そ、そりゃ、分かったっすけど、でも……」
そう言って、チラリとレイラを見るハンスに、ディーンはもう一度、深いため息をついた。
「いいから、お前も早く行け。婆さんのとこに寄ってな」
「あ、へ、へいっ!」
「ハンスさん、よろしくお願いしますね」
レイラに背中を押され、ハンスもまた家から出て行った。
扉が閉まる音がやけに大きく響くと、ディーンは正面からレイラを見つめた。
「レイラ、お前はここに残れ」
「千体以上の群れなんでしょう? ディーンだけじゃ無理よ。私もいないと」
「駄目だ、お前は連れていけない」
ディーンが立ち上がり、上から見下ろすようにレイラを睨みつける。すると、ディーンの顔を見上げたレイラが、小さく微笑んだ。
「ううん。私が必要なはず。それに、殲滅するわけじゃないんでしょう?」
そのディーンと同じ結論に、思わず言葉に詰まり頭を掻いた。
レイラの言う通り、千体以上の魔物を殲滅することなど不可能だ。
ちょっかいを出し、撹乱し、少しでも村に到達するのを遅らせる。ジンたちが応援に駆けつけるまで、時間を稼ぐ。それが唯一残された道だ。
(悔しいが、俺だけでは無理だ……)
そう、分かっている。分かっているのだが、それでも、簡単に頷けない。
「お前に何かあったら困る。まだあいつらには、お前が必要だ」
「ううん。あの子たちには、私達が必要なのよ。だから、一緒に帰ってくるの」
そう言って笑うレイラに、ディーンの口から諦めのため息が漏れた。
そのため息が同意の合図だと悟ったのか、レイラはディーンの手を取った。
「あと、行く前に。私達の可愛い娘を見て行かないと。そのまま行っちゃうつもりだったでしょう?」
「……はぁ。行っておくが、今回は――」
「『戦闘中、俺の言うことは絶対だ!』、でしょう? 分かってるから」
「……まあ、いいか」
ディーンは諦めた表情で、レイラに手を引かれながら寝室の扉をくぐった。
*********
アリシアの手が、やり場のない不満を表すかのようにベッドを弱弱しく叩いた。
その傍らで座り込んだ小鳥の姿のエデンが、宥めるようにアリシアの頬にそっと体を寄せた。
「アリシア。気持ちは分かるけど、仕方がないじゃない」
「うー、だってえ」
突然終わってしまった、誕生日のお祝い。寝室に行くように言ったディーンの表情は、以前森の中で見た厳しい仕事の顔だった。
「ママも、あっちいっちゃった……」
アリシアが恨めしそうに、リビングへと続く閉ざされた扉を睨みつける。
「……早く、終わらないかな」
レイラが出て行って、まだそれほど時間は経っていない。
突然の来客と共にやってきた不穏な空気が、エデンを落ち着かない気持ちにさせていた。
体を揺らしながらチラチラと扉を見つめるエデンを見て、アリシアはにんまりと笑うとベッドから足を降ろした。
「アリシア? どうしたの?」
「えへへー。おねえちゃん、しーっ」
口元に人差し指を当てると、アリシアはさささっと、音を立てずに扉へと向かっていく。
「だ、駄目! また覗き見しようとしてる!」
「だって、みちゃだめって、いわれてないもん! おねえちゃんも、いっしょにみる?」
「え? わ、私は……」
そういえば、以前もこんなことがあった。
扉の向こうで、一体何が話されているのか。
エデンの足が無意識に前へ出そうになるが、ぶんぶんと首を振った。
「私は、見ないから! 怒られたくないもん!」
「ふーん」
ベッドの上でシーツを踏みつけるエデンに、アリシアがニヤっと笑った。
「じゃあ、アリシアだけみーちゃお!」
「あ、駄目だって――」
アリシアが一歩踏み出すと、扉が開いた。それを見たアリシアが、バッと振り返り、ベッドに飛び込むようにして潜り込んだ。
「セーフ! おねえちゃん、セーフだよね!?」
「え? ママ、どうでしょうか?」
「……それを言ってしまったら、アウトなんじゃないかしら?」
入って来たレイラが、どこか困ったように笑いながら、ベッドの上の小さな膨らみを見つめている。
「なんだ、今度は何しようとしたんだ?」
入って来たディーンに、エデンはアバターを変更しながらぷいと首を振った。
「いいえ。私は何もしてません。アリシ――」
「おねえちゃん、ストーップ!」
正直に報告しようとしたエデンの口を、アリシアがふとんから飛び出して、両手で塞いだ。
ベッドの上でもみ合う二人の悲鳴を、レイラの落ち着いた声が制した。
「2人とも、お話があるの。だから座ってちょうだい」
「え? おはなし?」
「分かりました……ママ、どこかに行かれるのですか?」
ディーンは仕事用の防具を身に着け、レイラは群青色のローブを羽織っている。
不思議そうにベッドの上に座り直す子供たちに、レイラがしゃがみ込んで視線を合わせた。
「急なんだけどね。私とディーン、これから少しだけお出かけすることになったの」
「えー!? いつかえってくるの?」
「うーん、そうね。3日か、4日後くらいかしら。明日の朝、エバさんが来てくれるから。それまで、ちゃんと良い子にしてるのよ」
「……もう夜なのに、今から行かれるのですか?」
窓の外を見れば既に日は落ちており、辺りは暗くなっている。
「ああ。ちょっと急ぎの用でな。なに、なるべく急いで戻ってくる」
「……そう、ですか」
エデンが残念そうに眉を下げると、レイラはその小さな体を、アリシアごとぎゅっと抱きしめた。
「お誕生日だったのに、ごめんね……出来るだけ早く、帰ってくるから」
「……はい、わかりました」
「ママー。アリシア、パパとママがかえってきたら、あのけん、つかいたい!」
「お、いいな! そうしたら、仕事も休みにして、一緒にやるか!」
「ディーン様、お休みされて大丈夫なのですか?」
「ふふ、それなら、ディーンがお仕事に行ってる間に、ママとやりましょうか」
「お、おい」
ディーンが焦ったように苦笑いすると、レイラも笑いながら腕に力を込めた。
「んー、2人と数日も会えないと思うと、寂しいわ。いい? 夜更かしは、したら駄目だからね」
「はーい!」
「分かりました」
レイラは腕を解くと、一通の手紙を取り出した。それをエデンに、そっと差し出す。
「エデンちゃん。たぶん、明後日に私の友人がここを訪ねてくるわ。シエルという名前なんだけれど、その時、私達はまだ戻れていないと思うから。もし彼女が来たら、このお手紙を渡してもらえるかしら?」
「えっ!? 私が、渡すのですか?」
「うん。私が一番信頼してる人だから大丈夫。あなたのことは伝えてあるから、来たらお願いね」
「……はい、分かりました。お渡しします」
「うん、よろしくね。とっても、大切なお手紙なの」
「ママ―、なにかいてあるの?」
「ふふ、それは内緒。アリシアちゃん、見ちゃ駄目よ」
エデンの手に手紙が置かれても、レイラはまだじっとエデンの顔を見続けていた。
「……ママ、どうかなさいましたか?」
「……ねえ、エデンちゃん」
「はい」
なんだろうとエデンが首を傾げると、レイラがふわりと笑った。
「もう、敬語はやめにしましょうか」
「え?」
「私たちはもう、家族なのだから」
その言葉に、エデンは大きく目を見開いた。ディーンに目を向けると、彼も優しく笑いながら頷いている。
「はい。あ、いえ……うん」
「お、そうだ。エデン! それなら俺のことも、これからはパパと呼んでくれ!」
「え? ……パパ?」
「お、おおおおっ! おい、聞いたかレイラ! とうとうエデンが、俺のことをパパって呼んだぞ!」
「はいはい」
拳を振り上げるディーンにレイラは笑うと、名残を惜しむようにアリシアとエデンを抱き寄せた。
「それじゃあ、行ってくるわね。……二人とも、愛してるわ」
囁くようにそう言うと、レイラはエデンとアリシアの頬に、触れるだけの優しいキスを落とした。
その触れられた頬を、エデンはそっと自分の手で触れた。するとアリシアがエデンの顔を見て、「あー!」と笑った。
「おねえちゃん、すっごく、うれしそう!」
「え?」
「いままでで、いちばん、ニコニコしてる!」
アリシアがそう言ってエデンに顔を近づけると、エデンは照れくさそうに、さっと顔をそむけた。
「わ、私だって、笑うことはあるもん」
「えー。でも、そんなにわらわないよ。アリシア、みてるもん」
「そ、そう、かな?」
楽しそうに話す娘たちに、ディーンも二人の頭を撫でると、笑いながら扉に向かった。
「それじゃあ、行ってくる! 俺たちが帰ってくるまで、剣には触るなよ! 特にアリシア、ちゃんと我慢しろ!」
「二人とも、仲良くするのよ」
「はーい! いってらっしゃい!……おねえちゃん?」
扉を閉めようとするレイラの姿が見えなくなる、その寸前。
エデンはベッドから飛び降りると、一目散に扉へと向かった。
閉められたばかりのドアノブに、背伸びをして必死に掴まる。「んっ」と声を漏らしながらこじ開けると、玄関へと向かう背中に向かって叫んだ。
「ママ! パパ!」
「え?」
「ん? エデン?」
驚いて振り返る二人が、エデンを見つめている。
その視線を受けて、つい、俯いてしまう。たった数日、会えないだけなのに。こんなことを言うなんて、まるで――。
「……あ、あの……は、早く……帰って、きて」
本当に、子供みたいだ。
服の裾をぎゅっと握りしめて絞り出した、小さな、小さな声。
それを聞いたレイラとディーンは顔を見合わせると、この上なく優しく笑った。
「ええ。早く帰ってくるから」
「ああ。アリシアと待ってろ」
「……うん」
エデンが頷くと、追いかけてきていたアリシアが、「いってらっしゃーい!」と大きく手を振った。
レイラとディーンの姿が視界から消え、玄関が閉まる音がする。
行ってしまった。どうしようもない寂しさを感じていると、すぐ後ろにいるアリシアが、ニヤニヤと笑いながらエデンを見つめていた。
「……どうしたの?」
エデンが不思議そうに尋ねると、アリシアは視線を落として、自分の服をぎゅっと掴んだ。そして小さな声で、一言。
「は、はやく……かえって、きて」
「なっ!?」
自分の真似をされ、エデンの顔が、かあっと赤くなる。
アリシアは顔を上げると、笑いながら寝室へと駆けていった。
「おねえちゃん、さみしんぼー!」
「あ、待ちなさい、アリシア!」
「ママー! パパー! はーやく、かえってきてー!」
「もう、真似しないで!」
アリシアを追い寝室に戻ると、開けっ放しになっていた扉を、エデンはそっと閉めた。




