5話 観測開始:89日目-3 / 音量調整は慎重に
消えるような、小さな囁き。かすれるような声が、エデンのデバイス無き体へと、音声入力として流れ込んだ。
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[AUDIO] 音声入力を検知。
[ANALYZING] 音素データを抽出...
[MATCHING] ガイド『アルテリア言語』のデータベースと照合開始...
[PROCESSING] 統語構造を構築... 意味論的接続を確立...
[SUCCESS] 音声データの意味解析に成功しました。
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(理解できます。これなら会話も問題ないはずです)
確実に前進していることに安堵するが、何と声をかければいいのだろう。そもそも、母親はエデンの事を認知していないのだ。
エデンが悩んでいると、母親は指を離し、赤子の頬を撫でた。
「アリシアちゃん……私、どうしたら……」
(……アリシア? ……それが、涼花様のお名前でしょうか。でしたら、私はアリシア様とお呼びすべきでしょうか)
やはり、言語が分かると得られる情報がまるで違う。そう実感していると、突然視覚情報に、水滴が映った。
見れば、母親の目から涙が溢れている。頬を静かに流れるそれは、ぽたり、ぽたりとエデンの視覚情報を濡らしていた。だが母親はそれを拭うこともせず、ただ静かにアリシアを見つめている。もしかしたら、そんな気力すら無いのかもしれない。
あまりに痛ましい姿に、エデンはたまらず声をかけた。
「……あの……アリシア、様の……お母様? 聞こえますか?」
エデンはおずおずと語り掛けたが、母親は反応せずに、アリシアを見続けている。
音声出力がされていない? それとも、音量が小さすぎて、聞き取れなかったのだろうか。体の違いによる差異もある。音量を倍にして、もう一声。
「アリシア様の! お母様!」
「っきゃあ!? な、なに!?」
母親は肩をびくっと大きく震わせ、心臓が跳ね上がったかのように飛び起きた。そして、「誰っ!? どこにいるの!?」と、鋭い視線で部屋中を見回す。
「お母様! 私は! エデンと申します!」
「ど、どこにいるの!? 姿を見せなさい!」
叫びながら部屋を睨む顔には、明らかに剣吞な雰囲気が張り付いている。
(なぜか、警戒させてしまいました!?)
思わぬ状況にエデンが困惑していると、母親は素早く手を前に突き出した。
彼女の周囲の空気が震え、無から有を生み出すように水滴が凝縮していく。それは瞬く間に拳大の水球となり、内側から青白い光を放った。
「ミスト・サーチ!」
声と共に水球がはじけ、濃霧となって部屋の隅々までを舐めるように広がっていく。
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[ALERT] 未定義の物理現象を観測。
[ERROR] 観測データと既知の物理法則との間に致命的な矛盾を検出。
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(な、何が起きているのですか!?)
信じられない光景にエデンの思考が停止する。その困惑を打ち破るように、母親の叫びが、部屋に響いた。
「いない!? 狙いは何!?」
彼女の警戒心が具現化したかのように、今度は指先ほどの水球が五つ出現し、凄まじい勢いで部屋中を乱れ飛ぶ。テーブルの足を砕き、壁を抉り、部屋を荒らしていく。
彼女はアリシアに覆いかぶさるように身を丸め、我が子を守る獣のように叫んだ。
「アリシアには、指一本触らせないわよ!」
(なぜ、敵対するような形に!?)
音にならない叫びを上げながら、エデンは慌てて呼びかけた。
「お母様! 敵対する意思はありません!」
「うるさいわね! もう少し、小さな声で話せないの!?」
(……うるさい?)
その言葉に、エデンは慌てて出力を下げる。もしかして、警戒された原因は……。
「あの……うるさくして、申し訳ありません……敵対するつもりでは……」
「え?」
エデンの謝罪を聞いた母親の動きが、ぴたりと止まった。部屋を荒らしていた水球は勢いを失い、きらきらと光る粒子になって消えていく。
彼女は驚きの表情で、腕の中のアリシアの顔を、穴が開くほど見つめた。
「あなたの声……アリシアから聞こえるわ」
「はい。私はアリシア様の中にいます。エデンと申します」
「アリシアの、中に……?」
母親が眉を寄せながら、恐る恐る顔を近づけてくる。確かに突然中にいると言われても、理解しがたいだろう。確かキューレは、こう言っていた。
「私はアリシア様の……『ギフトスキル』? らしいのですが」
『ギフトスキル』について、正確には理解していない。それでも、ギフトと呼ばれるくらいだ。悪くない物だと思いたい。
エデンが緊張しながら母親の反応を待つと、彼女は数秒固まった後、「はぁ~」と全身の力が抜けたような長い息を吐いて、その場にへたり込んだ。
「よ、良かった。得体の知れない何かが来たのかと思った……」
「ご、誤解させてしまい、申し訳ありません」
「いきなり大きな声がして……本当に驚いた」
「い、一応、その前にもお声をかけたのですが……お気づきに、なられなかったので……」
エデンがそう伝えると、母親はきょとんとした表情をした後、苦笑いをしながら頬をポリポリとかいた。
「そう、ごめんなさい。たぶん、ぼーっとしてたの。最近頭が、上手く回らなくて……」
その様子を見て、無理もないとエデンは感じた。近くで見て気付いたが、明らかに顔色が悪い。今も無理をしているように見える。
「体調がすぐれないとお見受けします。お休みになられては……」
「ううん。そうはいかないの。アリシアちゃんの様子を、見ないといけないもの」
彼女はそう言って膝立ちすると、アリシアの顔を覗き込んだ。
「今ので、起きないなんて……」
母親の言葉通り、アリシアは寝たままだ。かなりの音がしていたはずなのに、小さく呼吸しながら、眠り続けている。
「はい。状況は芳しくありません」
エデンの言葉に、母親は「そうね」とうなずいた。
「あなた、エデン……さん? で、良かったかしら。私はレイラよ。よろしくね」
そう言って微笑もうとするが、不安な気持ちが顔に出ているのか、上手く笑えていなかった。
「レイラ様ですね。改めて、アリシア様の『ギフトスキル』、エデンと申します。宜しくお願いします」
「えぇ。エデンさんは……そっか、『ギフトスキル』……」
レイラは何かを考えるように呟くと、はっとした顔でエデンに問いかけた。
「もしかして、アリシアちゃんの魔力が回復しなかったのは……」
「……魔力? 先ほどもおっしゃっていました。魔力とは、何なのでしょうか?」
「え? あ、魔力はね、私たちが魔法やスキルを発動する時に使う物なの。普段は、このあたりにあるのだけれど」
そう言ってレイラが指さしたのは、正にアリシアの中にいるエデンがいる場所、胸元だった。と、いうことであれば――。
「私の中に、未知のエネルギーが流れてきています。それが、魔力なのでしょうか?」
「そう……そう、よね。そっか……だから」
レイラの手から力が抜ける。張り詰めていた糸が切れたように、その場にへたり込んだ。
「れ、レイラ様!? どうされたのです?」
エデンが慌てて呼びかけると、レイラは震える手で口元を抑えた。
「良かった……魔力不適応症じゃ、なかったのね……」
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