49話 観測開始:4年134日目-2 / 賢老の杖の上から
「……いや、お前が託されたんだ。お前がやれ」
「そ、そんなぁ!?」
「ハンスさん、きっと大丈夫ですよ」
「う、そ、そうっすかね……」
「ええ。それに、コパくんに格好いいところを見せるチャンスじゃないですか」
広場で遊んでいる子供たちを見つめること数秒。ハンスは松明をぎゅっと握りしめると、覚悟を決めた足取りで広場の中央へと向かっていった。
その背中を見送り、座る場所を探そうと辺りを見回すと、にやにやと笑うエバが手招きをしていた。
「なんじゃ、てっきりお前さんが、泣きつかれて代わってやるかと思ったんじゃがな」
「……人が悪い婆さんだな。あれは、あいつの役目だろ」
「まあの。おお、アリシア。お腹減ったかい?」
「うん! いいにおいする!」
アリシアが楽し気にエバの隣に座ると、広場中央からハンスの張りのある声が響いた。
「みんなあ! それじゃあ、今年の感謝奏上、始めるっすよ!」
握られた松明に火が灯され、暗くなり始めた広場を明るく照らしている。ハンスが松明を高く掲げるその姿に、周りの男達から笑い声が上がった。
「なんだぁ!? 今年はハンスがやるのか!」
「祝詞ちゃんと言えるのかよ! 教えてやろうか!」
「おー、頑張れよ! 応援だけはしてやるからな!」
「もうちょっとこう、マシな言葉くれてもよくないっすか!?」
ハンスの悲鳴に近い叫びに、皆の顔に笑顔が伝わっていく。
その様子を眺めていたエバが、楽しそうに目を細めた。
「あやつはちいと情けないが……人望はあるの」
「ん? ああ、そうだな。良いやつだ」
ディーンが満足げに見つめる先で、ハンスが緊張した面持ちで櫓の前に立った。
それに伴い、騒がしかった広場が静まり返っていく。
「て、天上におわす知と慈愛の神セレーネ様。は、春の芽吹き、夏の陽光、秋の長雨を乗り越えーー」
緊張に震える、しかし、心のこもった声が響き渡る。
それに合わせるように、皆が黙祷を捧げ、目を閉じた。
「願わくばこの地に、再び巡る春の約束と、健やかなる命の芽吹きがあらんことを……っす」
最後に出てしまった語尾に、誰かが噴き出す声が聞こえた気がしたが、ハンスは顔を真っ赤にしながら松明を櫓へ投げ入れた。
敷き詰められた藁に火が点き、音を立てて燃え上がっていく。火の粉が夜空に舞い上がるのを見て、一斉に歓声が上がった。
「おおーっ! 今年も良い燃えっぷりだ!」
「いやー、なかなか良い祝詞だった! 特に最後の『っす』がな!」
「だが、ちいと短かったんじゃないか? 後でエバ婆に教えてもらえな!」
「よおし、食うぞ! ほらハンス! 何を落ち込んでやがる!」
ハンスの周りに男たちが集まり、彼の肩をバシバシと叩いた。女性陣も楽しげに料理を取り分け始める。
その活気に引かれるように、アリシアが立ち上がった。
「パパ! おなかすいた!」
「よし! そうだな! レイラ、ちょっと待ってろ。美味そうなのを、何かもらってくる」
「あら、お願いしていいの?」
レイラが嬉しそうに笑うと、ディーンも笑いながら持っていた木箱を置いた。
「それじゃあこれ、ここに置いておくからな。アリシア、人が多くてよく見えないだろ。肩車してやる」
「おー! やったあ!」
持ち上げられたアリシアが、急かすようにディーンの頭をぺしぺしと叩く。
二人が喧噪に飲まれていくと、レイラはエデンへと指を伸ばした。
「ふふ、エレちゃんは、私とお留守番ね」
「ぴっ!」
小鳥の黒い瞳が、興味深そうに周りをキョロキョロと見渡している。
その様子を見ていたエバが、「そういえば」と口を開いた。
「レイラ。お前さん、この祭りに参加するのは、今年が初めてだったのう」
「ええ。アリシアもまだ小さかったので。ディーンから、話は聞いていましたが」
そう言って見つめる先では、ディーンがアリシアに髪を引かれながら、あっちこっちへと楽しそうに動き回っている。
その光景に口元を緩めると、レイラは横に置いてあった木箱を手に取った。
「エバさん……実は、お渡ししたい物があるのです」
細長い、木製の箱。
エデンが肩から飛び立ち、箱を見上げるように二人の間の丸太の上に着地した。
「ん? なんじゃい、突然」
エバが不思議そうに受け取ると、皺の刻まれた手で蓋を開いた。
入っていたのは、滑らかな持ち手と艶のある黒に染められた、一本の美しい杖。
それを見て、エバの眉が困ったように下がる。
「……レイラ、こりゃあ――」
「エバさん。どうか、受け取って欲しいのです。いつから使い始めるかは、エバさんが決めてください。ですが……」
レイラの手がそっと伸び、箱を支えるエバの手に、優しく重ねられた。
「私はこれから先も、エバさんに健やかにいて欲しいのです」
その言葉に、エバは自分の手をじっと見つめた。
いつの間にか、ずいぶんと皺が増えてしまった。
老いを拒んでも、それは不条理に積み重なっていく。
エバが視線を上げると、村の皆が楽しそうに笑っているのが見えた。
「……綺麗な杖じゃな」
「はい。ディーンが丹精込めて作ってくれました」
「かはは、そうかい。……相変わらず仕事は、まめな奴じゃな」
箱から出した杖で、一度地面を突く。見た目とは裏腹に、信頼できる感触が手のひらから伝わってきた。
「……まあ、そうじゃな……これからは、もう少しだけ体には気をつけようかねえ」
「……ふふっ、ええ。是非、そうしてください」
杖の出来栄えを確認するように、小さく笑いながら表面を撫でているエバ。
ふと、その瞳がレイラを射抜いた。
「儂からも聞きたかったんじゃが……レイラ。お前さん達は、もうしばらくしたら、村を出ていくのかい?」
「……えっ?」
「ぴっ?」
「お前さんが何者かは聞きはせんが……アリシアがもう少し大きくなったら、旅に出るのも、無理ではないじゃろう」
村を出るのを確信しているような言葉に、レイラは頷いた。
「まだ、明確には決めていませんが……1年以内には」
「ぴっ!?」
「……そうかい……そうか……寂しくなるねえ」
エバはそう言うと、広場の中央で、ぱちぱちと音を立てて燃え続ける櫓を、じっと見つめた。
「……エバさんには、本当に感謝しています」
「いいのさ。儂にとっても、楽しい時間じゃった」
「いいえ。本当につらい時、貴女に助けていただきました」
そう言ってレイラはエバに体を寄せ、杖を握った手を掴んだ。
「心から、感謝しています。言葉にできません」
エバを見つめるその瞳は、涙が零れそうにどこかうるんでいた。
「……かっはっは。なら、儂も礼を言わねばならん」
「え?」
「可愛い孫だと思える子が1人増えたでな。幸せなことじゃ」
そう言って笑うエバに、つられてレイラもくすりと笑った。
二人の間で、エデンが驚いたように動きを止めていると、ディーンとアリシアが満面の笑みで戻って来た。
「すまん、待たせたな!」
「ママ! おいしそうなの、いっぱいあった!」
「あら、ありがとう」
「ほら、こっちは婆さんの分」
「おやあ、儂の分まで取ってきてくれたのかい」
ディーンがレイラとエバに皿を渡すと、満足そうに自分の分の皿を膝の上に置いて座った。そして、アリシアと二人、勢いよくご馳走を頬張り始める。エバとレイラも、穏やかな雑談を交わしながら、ゆっくりと食事を進めた。
やがて、食事も終わり、皆で櫓の火を眺めていると、その灯を、小さな影が遮った。
「あー! ディーン隊長! 剣の稽古つけてくれる約束だったのに!」
「……コパ、俺はお前の隊長じゃないぞ」
「えー! じゃあ俺も、見回り組に入れてよ! こんどみんなで、村の外行こうって話しててさ!」
「お、おい、コパ! 隊長のご家族との時間を邪魔するんじゃない!」
焦るように追いかけてきたハンスが、コパの肩を掴んで引っ張ろうとする。
その声を聞いたアリシアが、目を輝かせて振り返った。
「けんのけいこ!? パパ、けんするの!?」
「……まあ、いいか。レイラ、ちょっと行ってきていいか?」
「ふふ。行ってらっしゃい」
「よし、ハンス。ちょっと先に行ってろ。すぐ行くから」
「へ? あ、分かりました! ほら、コパ、行くっすよ!」
「お、やったあ! 隊長、待ってるから!」
引きずられるようにコパの姿が遠ざかるのを見送ると、ディーンはアリシアの前にしゃがんだ。
「アリシア。今日の稽古は、もう終わりだっただろ? この後はレイラと一緒にいろ。いいな?」
「えー!?」
「アリシア、ほら、ちょっとこっち来なさい」
「えー、でも、ママ」
納得できない、といった顔のアリシアを、レイラはひょいと膝の上に抱き上げる。
ディーンがハンスの後を追って去っていくと、アリシアがむーと頬を膨らませてしまう。
レイラとエバが困ったように笑っていると、今度はチェリの明るい声が飛んできた。
「レイラさん! 助けてくださいー!」
そう言って飛び込んできたチェリの後ろには、数人の「女子会」メンバーが、にやにやと笑いながら続いている。
「み、皆さんがいろいろと、根掘り葉掘り……!」
「あ、あら。そ、そうなの」
「あ、レイラさん、見ーつけた! ねえ、良かったら、レイラさんも一緒にお話しましょうよ!」
「そうねえ。チェリをからかうのも良いんだけど……やっぱりレイラさんの話も聞きたいし!」
「あ、アリシアちゃん、あっちに甘い果物あるんだけど、一緒に食べない?」
「え? たべる!」
「え、あ、らら、あ、エレちゃんが」
困ったような顔のレイラがエデンへと振り向くが、もはや流れに逆らうことはできず、アリシアと共に楽しげな女性たちの輪の中へと連れ去られていく。
その背中を、小鳥が困ったように首を傾げながら見送っていると、エバも首を振りながら取り残された小鳥に視線を向けた。
「エレや」
「ぴっ」
エデンは飛び立つと、エバが地面に立てた杖の頭にちょこんととまった。
その姿にエバは口元を緩めながら、再び広場の光景へと視線を向けた。
「お前さん、この景色をどう思う?」
村の人々が、本当に楽しそうに笑い合っている。
子供たちがディーンの周りで木剣を振り、男たちは酒を酌み交わし、女たちは尽きることのない話に花を咲かせている。
「なんとも……良い景色じゃな。そう思わんか?」
「ぴっ! ぴっ!」
小鳥の首がぶんぶんと、力強く何度も縦に振られた。
年寄りの独り言に付き合ってくれるありがたい存在に笑いながら、エバはふと、この小鳥も村を出るのかと気付いた。
「……お前さんもいずれ、レイラ達と一緒に行くんじゃな?」
その質問に、少しだけ考えるような素振りの後、再びその首は力強く縦に振られた。
エバは「そうか、そうか」と、寂しそうに、そしてどこか嬉しそうに目を細めた。
「……お主たちの未来が、良き物になることを、祈っとるよ」




