47話 観測開始:4年52日目 / お手伝い
力いっぱい振り回されたすり棒がすり鉢の縁に当たり、その衝撃で陶器がぐらりと傾いた。
「あははーっ!」
「あ、アリシア! 待って! 待ってったらあ!」
身体強化を使いながら、楽しそうに腕を振り回すアリシア。無邪気な暴威に揺れるすり鉢が、エデンの柔らかな頬に押し付けられる。エデンも身体強化を発動させ、すり鉢が動かないよう必死に抱きしめた。
それからしばらく、アリシアが「ふいーっ」と手を止めると、その隙を逃さずエデンは腕に飛びついた。
「代わって! 私がそっちやる!」
「えー、やだ! こっちがいい!」
二つの手が、一本のすり棒を掴み上下に揺れる。
「だったら、もっとゆっくりやって!」
「ばーってやったほうがはやいもん!」
くっつくほどに顔を近づけて、エデンとアリシアが言い争う。
「二人とも? 喧嘩するなら、お部屋から追い出すわよ」
レイラの声に、二人の手がぱっとすり棒から離れた。
すり棒が音を立てて作業台に落ち、それをエデンの手がそっと拾い上げアリシアに差し出す。
「は、はい。私、すり鉢押さえてるから」
「え、ううん。いい。アリシア、こんどはこっち、やる」
「いいの?」
「うん。アリシア、しっかりもってる!」
二人がどこかぎこちなく作業を再開するのを見て、レイラはそっと首を傾げた。
(もしかして、私……怖いのかしら?)
いや、子供達とお話する時は、いつも笑顔を心がけている。もちろん、時にはしっかりと怒ることもあるけれど、それ以上に愛情を持って接しているつもりだ。
ちらりと二人を見ると、先ほどの喧嘩はどこへやら、笑い声を上げながら作業をしていた。
やがてエデンの手が止まり、納得の表情を浮かべた。
「うん。細かくなった」
「ママー、おわったよー!」
「あら、とても綺麗にできたわね」
エデンの性格の表れだろうか。とにかく丁寧に、ムラなく仕上げられている。
「はい。アリシアがしっかりと押さえてくれたので、作業しやすかったです」
「えっへん!」
椅子の上で、アリシアがこれみよがしに胸を張る。
レイラは粉末を小皿に移し替えると、準備していた器具を二人の前に並べた。
「それじゃあ、今日はお薬を作るのもやってみましょうか」
レイラが告げると、二人は待ってましたとばかりに目を輝かせて頷いた。
また騒ぎ始めそうなアリシアを手で制し、レイラはぴっと人差し指を立てる。
「でもね。ここからは火を使うから、絶対にふざけちゃ駄目よ? お約束できるかしら?」
「アリシア。ふざけちゃ、駄目だって」
「え、なんでアリシアにだけ!? おねえちゃんもでしょ!?」
「私は、いつだって真剣だもん」
「アリシアもそうだもん!」
むーっとした顔で、お互いを見つめ合う二人。
「はいはい、二人ともね。それじゃあ始めるわよ」
「そうでした」
「うん。……ママ、なにしたらいいの?」
「まず、お水を正確に汲むことから始めましょう。いい? この瓶に、赤い印が付いているでしょう? ここまでお水を入れると、ちょうど回復薬一本分のお水の量になるの」
「その水量は、正確な決まりはあるのでしょうか?」
「ちょうど150mlになるわ。他にも気になることがあったら、どんどん聞いてね」
「分かりました」
「……みり、りっとる?」
アリシアにとって、初めて聞く数え方。
普段使わない言葉にハテナマークを浮かべていると、エデンがその肩を優しく叩いた。
「アリシア。mlは、お水の数え方なの」
「おみず、アリシアかぞえられるよ? いっぱい、とか、にはい、って」
それは、確かに水の数え方なのだが……。
エデンが困ったようにレイラを見つめると、彼女は水を汲むための杓を手に取った。
「そうね。そのあたりも、これから少しずつ、一緒にお勉強していきましょうか」
*********
すっかり夜の帳が下りたことを確認し、ディーンは静かに家の扉をくぐった。
きっと子供たちはもう眠っているだろう。
リビングに顔を出すと、レイラが一人、悩ましげな表情で椅子に座っていた。
「……ただいま」
その声にレイラは顔を上げ、「あ、おかえりなさい」と、どこか慌てたように立ち上がった。
「すぐにご飯の準備をするから、少し待っていてちょうだい」
「ああ、いや……すまんな。ありがとう」
ディーンは椅子に腰を下ろすが、先ほどの表情が気になり、追うようにキッチンを覗き込んだ。
レイラが切り分けられた野菜を皿に乗せている。
声をかけようとした時、レイラが視線を上げないまま口を開いた。
「ディーン? 待っている間、寝室へ行ってあげてくれるかしら」
「あ、ああ。分かった。……ん? あいつら、まだ起きてるのか?」
「ええ。見せたい物があるって。ずっと、あなたを待っているから」
「……そうか。分かった」
レイラのことは後で聞くことにして寝室へと向かうと、扉の向こうから、ひそひそと楽しそうな話し声が聞こえてくる。
そっと扉を開けて中を覗くと、アリシアとエデンが体を寄せ合い、ベッドの上で並んで横になっていた。
「ねえ、アリシアたち、おくすりやさんになれるかな?」
「んー……今は無理だと思うけど……。それに回復薬が作れるだけだと、お店はできないんじゃ?」
「えー、そうなの?」
「アリシア、冒険者になりたいんじゃなかった?」
「あー、そうだった!」
「パパだぞー!」
「ぎゃーっ!?」
後ろからアリシアを抱き上げると、驚いたアリシアが悲鳴を上げる。
隣で見ていたエデンは、落ち着いた様子で体を起こした。
「ディーン様。おかえりなさい」
「ただいま。二人とも、なんか楽しそうだったな。どうした?」
アリシアをそっとベッドに下ろすと、彼女は「これ!」と片手をディーンに差し出した。
「お? なんだ、どうしたんだ? この回復薬」
ぱっと見、品質はあまり良くない。いつもレイラから支給されている、エバと共同開発したという特製の物とは、輝きが明らかに違う。
「ディーン様。それは、私達が作ったのです」
「うん! パパにあげる!」
その言葉に、ディーンがぴしりと固まった。
手の中を見つめ続けるディーンに、アリシアとエデンが顔を見合わせる。
「だめだったかな?」
「確かに、初めて作ったから、出来はあまりよくないかも……」
次の瞬間。
ディーンが両手を広げると、ものすごい勢いで二人まとめて抱き上げた。
「うおおおおっ! お前たちっ! この回復薬、本当にパパがもらってもいいのか!?」
顔をほころばせるディーンに、アリシアは彼の頬をぺたぺたと触った。
「えへへー。パパ、あげる!」
「はい。もしお仕事で怪我をされた時、是非使ってください」
「そうか! いや、最高に嬉しいぞ!」
娘たちからの、初めてのプレゼント。
ディーンが二人を抱いたままその場でぐるぐると回り始めると、あまりの勢いにエデンの頭がカクカクと揺れる。
必死にしがみついていると、開け放たれたままだったドアから、レイラが笑いながら顔を覗かせた。
「ディーン、ご飯できたわよ」
「ん、おお、そうだった」
「ふふ。素敵なプレゼントだった?」
レイラが尋ねると、ディーンはアリシアとエデンを下ろし、再び回復薬の小瓶を手に取った。
「勿論だ。これ以上の贈り物はない。本当に、ありがとうな」
そう言ってニカッと笑ったディーンに、アリシアがエデンの腕を掴みながら、「えへへ」と照れくさそうに笑った。
「この薬は、一生俺の宝物だ。大切にとっておく」
「「え?」」
「あ、そうだ、飯が冷めちまうな」
「二人とも、早く寝るのよ」
レイラがそう言って、扉を静かに閉めてしまった。
「……ねえ、おねえちゃん。パパ、おくすりつかわないの? なんで?」
「さあ……。時間が経ちすぎると使えなくなるって、ママは言ってたけど……」
*********
口に放り込んだ肉をゆっくりと噛みしめる。
テーブルの向こうでは、レイラが今も悩ましげな表情で肘をついていた。
「……レイラ。何か、悩み事か?」
「え? あ、ええ」
レイラが顔を上げるが、その視線が悩みを象徴するように左右に揺れている。
「ねえ……私って、怖いかしら?」
「は? ……なんだ、子供たちのことで悩んでいたんじゃないのか?」
「まあ、そうとも言うのかしら」
レイラは困ったように、頬に指を当てた。
「あの子達、私が叱ると、すぐ言うこと聞いてくれるの」
「それは……いいことじゃないか」
「そうなんだけど……。ほら、もっとこう……子供なんだから、駄々をこねたり、我儘言ったり……そういうものじゃないかしら?」
「あー……。それは、エデンの影響だろう。あいつは、元々物分かりが良すぎるくらいだからな」
だいたい無茶なことをするのはアリシアで、エデンがそれを必死に宥めてる。
元々理性的で落ち着いていたが、むしろアリシアの影響を受けて幼くなったように見える。
「前から、お前が怒りそうになると、あいつは焦ってアリシアを止めてたからな」
「そうね。凄く仲が良いし、とても助けられてるわね」
アリシアが怪我をしそうな時、悪戯が過ぎる時、いつも傍らで、小さな体であたふたしながら、なんとか止めようと頑張っている姉の姿。
レイラはテーブルに肘をついて、ディーンを見つめ返した。
「それで……ねえ、ディーン。私ってやっぱり怖いかしら?」
「へ?」
「ほら、まだ聞いてないもの。どう?」
普段の穏やかな彼女に、怖いなんて言葉は当てはまらない。
だが、本気で怒らせてしまった時の彼女は……正直に言って、かなり怖い。
しかし、それを今この場で伝えるのが、果たして正解なのだろうか。かといって、ここで「怖くない」と即答するのも、取り繕ったようで、それが逆に――。
ごくり、と喉を鳴らし、ディーンは意を決して口を開いた。
「……からかうのはよせ。俺が怒らせた時は、悪かったと思っている」
「ふーん」
何かを含んだように頷くレイラ。その瞳が、満足そうに笑っている。
ディーンは話題を変えるように、回復薬の小瓶を手に取った。
「あいつら、もうこんなものまで作れるようになったんだな」
「ええ。エバさんが、アリシアでもできるようにって、準備を手伝ってくださって」
「そうか……相変わらず、元気な婆さんだ」
ディーンがそう言って苦笑すると、レイラの顔が曇った。
「それが……エバさん、足元がふらつくことが増えたの」
「あ? そうなのか?」
「痛み止めを飲むことも増えたし」
膝をさすっているのをよく見るようになった。
「できたら、杖を使って欲しいんだけど」
「……無いなら作るぞ?」
「それが、まだ使いたくないって。いかにも年寄りだと思われるのが、嫌なんですって」
「そうなのか……いや、しかしなあ」
ディーンが顎に手を当てて悩んでいると、寝室からアリシアが飛び出してきた。その後ろには、止めようとして逆に引きずられているエデンの姿が。
「パパー! ねるまえのおはなししてー!」
「アリシア! ディーン様はお疲れなの! ママも早く寝なさいと言ってたのに!」
「……分かった。でも、ちょっとだけ待ってろ。今、大事な話中でな」
ディーンはアリシアとエデンを抱き上げると、太ももの上に乗せてやる。
すると、エデンが興味深そうに口を開いた。
「何のお話ですか?」
「ああ。エバの婆さんのことなんだがな。最近、少し足の調子が悪いらしくて」
「エバーバ?」
「それでね、杖を使って欲しいんだけど、どうしようかなって」
困ったように笑うレイラに、エデンは首を傾げた。
「お渡ししては、いけないのですか?」
「あー、婆さんがな……使いたがっていないんだ」
「ほー?」
アリシアが、理解しているのか怪しい相槌を打つ中、エデンは、さらに不思議そうに首を傾げる。
「ですが、ママとディーン様が心配されるのであれば、お渡ししてもいいのでは? いざ、本当に必要になった時、手元に無いとエバ様が困ってしまいます」
「……そう、ね。確かに、そうかもしれないわ」
「以前、ママがおっしゃっていました。自分がどうしたいか、そして、相手のことを本当に大切に思っているのであれば、きっと大丈夫だって」
その言葉に、レイラとディーンは、驚いたように瞬きをした。
次の瞬間、ディーンの大きな手がエデンの頭を撫で回した。
「あうっ!?」
「あっはっは! そうだな! お前の言う通りだ」
「ふふ。そうね……悩む前にまずは準備だけして、後は渡すときにどうするか考えましょうか」
レイラは立ち上がると、エデンをそっと抱き上げた。
そして楽しそうに笑いながら、エデンの唇をぷにぷにと指でつまんだ。
「さっきまで悩んでたのが嘘みたいね。エデンちゃん、ありがとうね」




