45話 観測開始:4年29日目-1 / Physical_Enhancement_ver.1.0
ふわりと体が持ち上がる浮遊感、そして踏み出されたディーンの足が地面を捉える衝撃が、お尻にズシンと心地よく響いた。
「パパ! もっかい! もっかいやって!」
「あう、とと」
「わっはっは! しっかり掴まってろよ!」
ディーンの逞しい両足に、アリシアとエデンが蝉のようにしがみついている。
エデンが掴まる右足がゆっくりとと持ち上げられ、落ちるまいと手に力が入った。服降ろされた足が再び地面を踏みしめ、心地よい衝撃が体を駆け抜けた。
「おおーっ!?」
何とも言えない浮遊感と着地のリズムにエデンが目を輝かせると、今度は反対の足が持ち上がり、アリシアの甲高い悲鳴が青空に響いた。
「きゃはーっ!」
「ははは、落ちるなよぉ!」
そこから少し離れた家の傍、ベンチに腰を下ろしてその光景を微笑ましく眺めていたレイラが、やがて「ディーン」と声をかけた。
「そろそろ、始めましょうか」
「お、そうだな。よし、お前達、一旦終わりだ」
「えー! やだ、もっとやって!」
ぴたりと足を止めたディーンに、アリシアが服を引っ張ってせがむ。
エデンは掴まっていた腕をそっとほどくと、アリシアの背中を引っ張った。
「アリシア、ほら。ママが始めるって」
「うー」
ぐいぐいと引くと、名残惜しそうな声を残して、アリシアは渋々ディーンから離れた。
「ほら、アリシアちゃんは、ママとあっちで魔法の練習をしましょう」
「あ、そうだった! まほーのれんしゅう!」
ぱっと表情を切り替えて笑うと、アリシアはレイラの手を引いて、庭の反対側へと駆けていってしまった。
二人を見送り、エデンはディーンと改めて向かい合った。
「よし。それじゃあ、俺たちも始めるか」
「はい。よろしくお願いします」
「あー……前に話してから、随分と経っちまったな。どれくらい覚えている?」
「以前お話ししてくださった内容は、一言一句記憶しています。問題ありません」
あまりにさらりと言ってのけたその内容に、ディーンの瞳が少しだけ見開かれる。
「……そうか。なら、早速やってみるか」
「はい! プログラムの準備も、既に完了しています!」
小さな体が、期待にうずうずと小刻みに動いている。ほとんど変わらない表情とは裏腹に、その青い瞳はきらきらと輝いていた。
ディーンは頷くと、腕を組んでどっしりと立った。
「それじゃあ、やってみろ」
「はい! いきます!」
新しいアバターを得て、魔力細胞と魔力消費、獲得エネルギーに関するデータ収集は完了している。
アリシアとレイラに抱きしめられて動けない夜の時間を使って、プログラムは構築済みだ。
体中の魔力がアバター・コアへと流れ込み、その輝きを増していく。はやる気持ちのままに、エデンはプログラムを実行した。
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[REQUEST] 新規プログラム『Physical_Enhancement_ver.1.0』の実行を要請。
[SYSTEM] 全魔力細胞に対し、循環魔力量の増量を命令...
[PARAMETER] 疑似細胞呼吸における、魔力分解効率の引き上げを実施。
[MONITORING] 筋繊維、神経伝達系の活動レベル:規定値超過を確認。
[STATUS] 身体強化モードへ移行完了しました。
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エデンの魔力が体内を目まぐるしく駆け巡り、魔力細胞の1つ1つが、貪るようにエネルギーを消費していく。
今まで感じていた体の重みがふっと消え、まるで羽になったかのように体が軽やかに感じられた。
「なんだ、あっけないな。一発で成功させやがって」
「……はい。体が、驚くほど軽いです」
試しに手を握ってみるが、体の動きそのものに違和感はない。
ただ、圧倒的に軽い。
「エデン、試しに、ゆっくりと走ってみろ」
「え? はい、やってみます」
言われた通り、右足を前に出し、左足で地面を蹴る。すると、予測した数倍の勢いで、体が前へと撃ち出された。
「おぉっ!?」
着地した右足が、その勢いを殺しきれない。前のめりになった体が庭の芝生へと倒れた。
エデンが予想外すぎる結果に目を瞬かせていると、ディーンの腕がエデンを持ち上げた。
「ははっ、驚いただろ。大丈夫か?」
「あ、はい……驚きました……ですが、痛くはありません」
芝生が肌を滑る感覚。服の上からでも、確かな衝撃を感じたはずなのに、痛みは全くない。
「便利なもんだろ。だが、少し体を動かす練習をしないとな」
「はい、力の認識に、ズレが生じています。修正しなくては」
両手をそっと前に出し、初めて立った時のように一歩、また一歩と歩き始める。
ジャンプ、でんぐり返しと、様々な動きで体の感覚を確かめ、ディーンと一緒にゆっくりとジョギングをする。
庭をぐるりと回る中で、向かい合って座るアリシアとレイラの姿が見えた。
「……アリシアも、頑張っているのでしょうか」
「ん? ああ、そうだな」
真剣な表情で何かを語りかけるレイラの顔が見え、普段の遊びとは違う、訓練の空気を感じる。
エデンが声を出さずにアリシアを応援する中、少しずつ角度が変わり、アリシアの顔が見えた。
「……アリシア、遊んでませんか?」
「ああ。そう、だな」
真剣な表情なのはレイラだけで、アリシアはいつもと変わらずニコニコと笑っている。
「……楽しく練習できているのなら、それが一番、なのでしょうか」
「確かにな。その方が、やる気も続くか」
庭を一周し終え、その場で膝を上げ下げしていると、ディーンが手を差し出した。
「持ってみろ」
握られているのは、四歳の誕生日に贈られたあの木剣。
両手で持ち手を握ると、ディーンが手を離した瞬間、重みで剣先が少しだけ下がった。
力を入れ直し剣先を正面に持ち上げると、ディーンが心配そうに目を細めた。
「どうだ? 重いか?」
「はい。少し重いですが……持つことは、できます」
「そうか……よし、それじゃあ、一度、軽く振ってみてくれ」
ディーンの言葉に、エデンは手の中の木剣をじっと見つめた。
そして数秒、その腕がゆっくりと引かれ、木剣が横薙ぎに振るわれた。
「……ディーン様」
「ああ、すまん、エデン。俺が悪かった」
腕だけで振るわれた、ぶれぶれの剣筋。持ち手と引き手が逆になっており、体が窮屈そうに縮こまっている。
自分でも上手く振れなかったのが分かった。しょんぼりと俯くエデンの手を、ディーンが掴んだ。
「ちゃんと教えてやるから、安心しろ」
「はい」
「いいか。横に振る時は、振りたい方の腕は、柄の下の方を握るんだ。普段は利き手で刀身に近い方を……エデン。お前、どっちが利き腕だ?」
「私に、利き腕はありません。どちらも、同様に使う事が出来ます」
「ほう、そりゃいいな」
剣の構え、足の位置、簡単な横薙ぎの動きを、流れに沿って丁寧に教えてもらう。
形だけだが様になった構えを取ると、ディーンは満足げに頷き、数歩距離を取った。
「それじゃあ……」
改めて見る、小さな体。本人は至って真剣な表情なのに、どうしても子供の剣術ごっこにしか見えない。
ディーンは、吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。
「……いや、なんでもない。一度、振ってみろ」
「はい!」
手の中の木剣を、強く握りしめる。教わった流れに沿って、左足を前に踏み出した。それに合わせて腰を鋭く捻り、右下から斜めに振り抜いた木剣が、ぶん、と空気を切る音を立てた。
「あら、ら?」
振り抜いた木剣の重さに体が引かれ、バランスを崩した拍子に尻もちをついてしまった。
うまくできなかった結果にエデンが唇をとがらせると、ディーンは苦笑しながらしゃがみ込んだ。
「まだ少し、この剣は重すぎたか」
「……申し訳、ありません。力が足りませんでした」
「何謝ってるんだ。初めてにしちゃ上出来だ」
ディーンが手を引いてエデンを立たせると、彼女の手から木剣を受け取った。
「もう少し軽く削っておいてやる。続きは、それからだな」
「はい。ありがとうございます」
あっという間に終わってしまった剣の稽古を残念に感じながらも、新しくできるようになったこともある。
確かな成果に頷くと、横からアリシアが飛び込んできた。
「おねえちゃん、けんやってる! アリシアもやりたい!」
アリシアがディーンの服を掴み、木剣に向かって背伸びする。
それを追ってきたレイラが、困った顔でため息を吐いた。
「途中から、全然魔法に集中できていなくて……ディーン、アリシアのことお願いしていい?」
「ああ。もちろんだが……そうだな、アリシアも身体強化の練習してみるか?」
「ディーン様、アリシアの分のプログラムも、既に準備できております。ですので、既に身体強化は可能なはずです」
その成果を伝えると、ディーンは驚きの表情を浮かべた。
「そうか、アリシアの魔法も、エデンの『プログラム』……ってやつだったか?」
「はい。ですので、おそらくは」
「おー! やってみる! おねえちゃん、みてて!」
話を聞いていたアリシアが、嬉しそうにディーンから離れる。そして、「むんっ!」と両手を天に突き上げた。
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[REQUEST] マスター権限により、プログラム『Physical_Enhancement_ver.Alicia』の実行要請を確認。
[INTERFACE] マスター権限『アリシア』との同期を開始。制御権限を一部譲渡します。
[STANDBY] ユーザーからのイメージ・トリガーを待機中...
[MONITORING] アリシアの筋繊維、神経伝達系に魔力活性化を確認。
[STATUS] アリシアの身体強化モードへの移行を、正常に完了しました。
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プログラムが起動し、アリシアがぴょんぴょんとその場でジャンプする。
「おー! なんか、すごい! からだが、かるーい!」
「あ、おい、アリシア!?」
「あらあら」
「アリシアっ!?」
突然走り出したアリシアが、四歳児とは思えない脚力で庭を駆け抜けると、止める間もなく木の幹を蹴り上げ、そのまま重力を無視するかのように駆け上がっていく。
そして一番高い枝に片手で軽々とぶら下がると、「おねえちゃーん!」とこちらに手を振ってみせた。
「……ディーン様、私、動くのにあれだけ苦労したのですが……」
「ま、まあ……エデンはほら、体を動かし始めたばかりだからな。ははは……」
ディーンの苦し紛れのフォローに、エデンはがっくりと肩を落とす。
「ディーン、それじゃあ私達、あっちで魔法の練習してるから」
「ああ、そうだったな……おーい、アリシア! 1人で降りられるか?」
レイラに手を引かれ、アリシアとは反対の方へ歩き出す。背後から、「うおおおっ!? アリシア、そこから飛び降りるなーっ!」というディーンの、悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。その声に思わず振り返ろうとすると、レイラが「エデンちゃん」と、静かに呼びかけた。
「この前、言ってたわよね? 『氷竜の脈動』のスキルを持っているって」
「はい、その通りです。この体を使っている時だけですが」
「そう……でも、十分ね」
握られていた手が、そっと離される。レイラとエデンの間に、数メートルの距離ができた。
「私のギフトスキルもね、『氷竜の脈動』なの。とても強力なスキルで、それが原因でトラブルになったこともある」
「トラブル……ですか?」
「ええ。ただ、私の場合はギフトスキルだから。エデンちゃんのスキルと、同じ物かは分からない。だけど……」
そこで数秒、レイラが迷うように視線を逸らした。そして、もう一度目が合うと、その瞳は真っ直ぐにエデンを見つめてきた。
「強くなりなさい。アリシアを守りたいと願うのであれば。そして、何より、あなた自身を守るために」
「は、はい」
「魔法の基礎は既に出来てる。だから私とは、魔法を使った戦闘、それができることを目指して訓練を行うわよ」
戦闘。その言葉に、エデンの体に、武者震いにも似た緊張が走った。
そうだ、戦うための力を求めて、一年以上もの時間を積み重ねてきたのだ。
レイラの手が、そっと宙を舞う。青白い光と共に、無数の水球が、音もなく空間に出現した。
その圧倒的な量と密度にエデンが息を呑むと、全ての水球が、二人の間を縦横無尽に、高速で飛び交い始めた。
「時間がかかってもいいわ。まずは、この水球の全てを、魔法で撃ち抜くことから始めましょう」




