43話 観測開始:3年129日目-2 / 身体強化の練習だ!
いつもより心なしか静かな昼食を終え、一行は再び庭へと出ていた。
エデンとディーンが向かい合って立つ。その背後、家の壁際では、時折「どごぉん!」と何かが爆発するような音と、それに混じるアリシアの「きゃっきゃっ」という嬉しそうな声が聞こえてくる。ディーンは背後で繰り広げられているであろう光景にちらりと視線を送ると、顔を青くしながらぽつりと呟いた。
「……死ぬかと思った……」
「マ、ママ様はディーン様を殺したりしませんよ」
小さな体で、精一杯励ますように羽を広げるエデン。その健気な姿に、ディーンは「分かってはいる」と小さく笑った。
「しかし、ひどく怒らせちまったな……そうだな、後で肩でも揉むか」
「はい。ママ様なら、きっと許してくださいます」
こくこくと頷くエデンに勇気づけられ、ディーンは「よし!」と両の頬を叩いた。
「切り替えていくぞ! 『身体強化』の練習だ!」
ディーンはどかりと腰を下ろすと、すぅ、と息を吸い込み、体内の魔力を練り上げた。次の瞬間、彼の全身から白いオーラのような光が立ち上り、周囲の空気がビリビリと震える。
「さっきも軽く見せたが、これが『身体強化』だ。光っているのは、お前に分かりやすく見せるためだな。実戦じゃこんなに光らせたら、敵に『ここにいます』と教えているようなもんだ。使っている間は、身体能力が飛躍的に上がる」
その圧倒的な力の奔流を前に、エデンは期待に胸を膨らませ、こくこくと頷いた。
「はい。ご指導お願いします」
「おう。じゃあ、まずは魔力を体全体に行き渡らせることからだ。お前の魔力は十分にあるか?」
昼食後、アバターの再構築は済ませてある。その際、アリシアから十分な魔力供給も受けていた。準備は万端だ。
「はい。問題ありません」
「よし。そしたら、その魔力で肉体を『活性化』させるんだ。人によって感覚は違うみてえだが、一番分かりやすいのは、体内で魔力を『燃やす』ようなイメージを持つことだ」
ディーンはニカッと笑い、自らの胸を叩いてみせた。
「なるほど、魔力を燃やす……」
エデンの思考が高速で回転を始める。人間は活動時、グルコース等の栄養素を分解し、アデノシン三リン酸(ATP)を生成することでエネルギーを得ている。いわゆる『細胞呼吸』だ。ならば、この『身体強化』という現象は――
「……魔力を介した、擬似的な細胞呼吸促進のようなものでしょうか」
「ん? どうした?」
「あ、いえ」
魔力を栄養素として見立てるのは、エデンにとっても理解しやすい。素晴らしい示唆だ。ただ――
「……ディーン様」
ためらいがちに声をかけると、ディーンは「ん?」と身を乗り出してきた。
「どうした、イメージが掴みづらいか?」
それだけなら良かったのだが、もっと根本的な問題が――
「私には、活性化させるべき『肉体』が存在しないのですが、どうすればよろしいでしょうか?」
そう言って小鳥がこてんと首を傾げると、ディーンも全く同じ角度で、つられたように首を傾げた。
「……」
「……」
数秒の静寂の後。ディーンが「ええ!?」と絶叫に近い声を上げ、その太い指でエデンを指さした。
「そ、その体は!?」
「はい、この体は中に魔力が詰まっているだけで、袋みたいなものです」
表面には柔らかい羽毛が並び、触れれば本物の鳥と変わらない感触があるだろう。だがそれは精巧な擬態に過ぎず、薄皮一枚の中身は、ただ魔力が循環しているだけだ。体そのものが、魔力で描かれた一枚のポリゴンに過ぎない。
「……そ、そうなのか?」
「はい」
エデンが再びこくりと頷くと、ディーンはしばらく呆然とした後、「……まずい」と顔面蒼白で呟いた。
「え?」
「ルルの木を切っちまったこと、レイラには『すべてはエデンを鍛えるためだ』と言って、なんとか納得してもらったんだ! これで、練習すらできませんでした、なんてことになったら……!」
その言葉に、エデンも驚愕に身体を揺らしてしまう。
「な、なぜそのようなことをおっしゃったのですか!?」
「し、仕方ねえだろうが! とっさに他に思いつかなかったんだよ!」
ディーンは弁解するように両手を広げるが、とんでもない話だ。午前に見たレイラの顔が思考によみがえり、エデンはぶるりと身震いした。
「なあ、エデン! なあ! なんとかならんか?」
「なんとかならんか、と申されましても……肉体がないことには……」
「その体、魔力で出来てるんだろ!? 詳しくは知らねえが、肉体作っちまえばいいじゃねえか!?」
やけくそになったディーンが放った、無茶苦茶な言葉。だが、その一言が、エデンの思考回路に閃光を走らせた。
小鳥の動きが、ぴたりと止まる。
「おい、エデン? どうした?」
怪訝そうにディーンが顔を近づけると、うつむいていた小鳥の顔が、ゆっくりと上がった。
「それは……妙案、かもしれません」
ディーンが「は?」と間の抜けた声を上げるのを意に介さず、エデンの思考は超高速で回転を始める。研究所のデータベースに残された生体研究データ。エデンの意識を外部デバイスに定着させる『アバター・ボディ』。魔法の根幹を成すプログラム。そして、万能とも思える『魔力』という未知のエネルギー。確証はない。だが、理論上は――。
「もしかしたら……出来るかもしれません……」
エデンがぽつりとこぼした呟きに、ディーンは「え!?」と信じられないものを見るような目で身を乗り出した。
「エデン! ほ、本当に出来るのか!?」
「はい。厳密には、魔力をエネルギーに変換可能な、自己増殖する細胞組織の構築ですが……。分子細胞生物学、再生医療、バイオテクノロジー。それらの情報を応用し、魔力に新たなプログラムを書き込めば……」
逸る気持ちに思考が加速し、エデンは完全に自分の世界に没入していく。
小鳥の体が微動だにしなくなり、ただその存在だけが、膨大な情報を処理していることを示していた。
*********
「エデンちゃん? エデンちゃーん?」
「おねーちゃーん」
重なって聞こえる優しい声と、視界を優しく揺さぶられる感覚。はっと意識が浮上すると、心配そうなレイラと、不思議そうなアリシアの顔が、すぐ間近にあった。
「……ママ様? アリシア? どうかなさいました?」
首を傾げる小鳥を、レイラはそっと手のひらで包み込むように持ち上げた。
「どうかなさいました? じゃないわ。ずっと考えこんじゃって。もう夕方よ?」
その声に促されて周囲を見渡せば、空は赤く染まり、庭には長い影が落ちていた。
「申し訳ありません。まったく気づきませんでした」
「おねえちゃん、おうちであそぼ!」
アリシアが背伸びをして、レイラの手からエデンを受け取ろうとする。その愛らしい光景に、ディーンが大きな手でアリシアの頭を優しく撫でた。
「ははっ、エデンは集中すると周りが見えなくなるな。俺がいくら声をかけても、全然聞こえてなかったぞ」
その言葉に、ディーンをずっと無視してしまっていたことに気づき、エデンはしゅんと頭を下げた。
「はい。大変、申し訳ありませんでした」
「はは、気にするな」
ディーンは苦笑いすると、ふと真剣な表情になって尋ねた。
「それで……どうだ? いけそうか?」
その問いに、エデンは少し考えるそぶりをしてこくりと頷いた。
「はい。まだ結論は出ていませんが、恐らくは」
その言葉に、ディーンが「よしっ」とガッツポーズをしかけた時、レイラが不思議そうに会話に割り込んできた。
「あら、何の話かしら?」
「ふっふっふ。レイラ、それはまだ俺たちの秘密だ」
「ふーん……」
上機嫌なディーンに、レイラは探るように目を細めると、エデンにそっと顔を近づける。
「いいわ、エデンちゃんに聞くから」
「あぁっ! え、エデン!」
チラリとディーンを見ると、必死に口に指を当てて合図を送ってくる。もしかしたら、レイラに言ってしまったことをごまかしたいのだろうか?
エデンがどうしたものかと首を傾げていると、その下からアリシアが目を輝かせて尋ねた。
「おねえちゃん! なにやってたの?」
「アリシア……」
……申し訳ありません、ディーン様。
「うん。私は今――」
「お、おおぉ、エデン! ちょっと待て! それはまだ早い! な!?」




