42話 観測開始:3年129日目-1 / パパのかっこいいところを、見せてやるぞぉっ!
翌朝。夜遅くに帰宅したディーンも加わり、久しぶりに家族全員が揃った食卓は、いつもより少し賑やかだった。
「ん? アリシア、怪我したのか?」
「うん! きのう!」
「アリシア、どうして嬉しそうなの?」
「そうよ。ママ、本当にびっくりしたんだから」
レイラが呆れたように言う。
「小さい傷だったし、回復薬使ったから傷跡も残らなかったけど……エバさんが凄い心配してくれて」
「エバーバ、すごいびっくりしてた!」
きゃっきゃと笑うアリシアとは対照的に、テーブルの上のエデンは、ズーンと効果音がつきそうなほど頭を垂れていた。
「……申し訳ありません、私が一緒にいながら……」
その健気な様子に、ディーンとレイラは苦笑しながら顔を見合わせる。
「エデン、謝ることじゃない。お前はいつも、アリシアのことを良く見てくれている」
「そうよ。ただ、アリシアも大きくなって……別の意味で目が離せなくなってきたわね」
「家の中を歩き回ることが増えました。怪我はしなくとも、突然走って転んでしまうことも……」
アリシアが成長するにつれて、活発さも増していく。いつもレイラが見ているわけにもいかない。
「まあ、元気なのは良いことだ。大怪我はもちろん困るが、多少の擦り傷くらいは子供なら当たり前だろう」
「ええ。顔の高さに角があるような家具も置いていないし、大丈夫だとは思うのだけれど……」
「んー、子供だけで庭に出すのはまだ早かった、ということか? いや、俺もエデンがいれば大丈夫だと思うがな」
ディーンが信頼の眼差しを向ける。エデンも胸を張って「お任せください」と言いたいところだが、多少頑丈になったとはいえ、いざという時にアリシアを守れるほどの強度は、この体にはない。
「……せめて、この体がもう少し頑丈であれば……危ない時に、アリシアを受け止められると思うのですが……」
「まあ、確かにな……んあー、そうだな……」
ディーンは腕を組み、何かを深く考え始めた。やがて、何かを思いついたように、ぱっと目を開く。
「……試しに、やってみる価値はあるか」
その真剣な眼差しを、エデンは不思議そうに受け止めた。
「ディーン様、何をですか?」
「ああ……よし、エデン。飯を食ったら庭に出るぞ」
ディーンはそう宣言すると、パンを大きく一口齧った。
「練習してみるか。『身体強化』を」
*********
慌ただしくも温かい朝食を終え、一家は朝の光が満ちる庭へと出ていた。
空気はひんやりと澄み渡り、草木の匂いが心地よい。レイラは愛おしげにアリシアを抱きかかえ、そのアリシアは宝物のようにエデンを胸に抱いている。三人の穏やかな視線の先――そこには、朝日を背景に皮鎧を全身に纏い、仁王立ちで腕を組むディーンの姿があった。
「ディーン、あなた、どうしてそんな恰好しているの?」
レイラが呆れたように眉を下げると、ディーンは「ふっ」と笑みを浮かべた。
「レイラ、俺はな、この日を待っていたんだ」
芝居がかった口調で言うと、組んでいた腕を解き、右の拳をぐっと握りしめて天高く突き上げる。
「今日こそ! パパのかっこいいところを、お前たちに見せてやるぞぉっ!」
「おー! パパ、がんばって!」
目をきらきらさせるアリシアに、ディーンはニカッと白い歯を見せ、ビシッと親指を立てた。
「任せとけ、アリシア! 後でパパに、かっこいいと言ってくれ!」
「うん! パパ、かっこいい!」
「はっはっは! そうだろう、そうだろう! だが褒めるのは、まだ早いぞぉ!」
天にも昇る勢いで上機嫌に笑う夫に、レイラは「はあ」と深いため息を吐いた。
「ディーン、気合を入れるのはいいけど、危ないことはしないでね」
「ディーン様、アリシアがいるからと言っても、無茶は……」
「うっ、レイラはともかく、エデンまで……」
冷静な二人に釘を刺され、ディーンがしょんぼりと肩を落とす。その様子に、レイラはくすりと笑いながら身を翻した。
「それじゃあ、私とアリシアはあっちで魔法の練習をしましょうか。エデンちゃん、頑張ってね」
「おねえちゃん、がんばって!」
「はい。ママ様、アリシア」
エデンはアリシアの手の中からふわりと飛び立つと、ディーンの足元に着地した。下から見上げる巨体は、まるで壁のようだ。見上げるのを諦め、パタパタと羽ばたいてディーンの視線と同じ高さまで上昇する。
「ディーン様、よろしくお願いします」
その堅苦しい挨拶に、ディーンは苦笑しながらも、すぐに気を引き締めた。
「よし、それじゃあ始めるか。エデン、『身体強化』について、何か知ってることはあるか?」
「……はい。恐らくですが、ディーン様は戦闘時に、信じられない身体能力を発揮されます。そのことでしょうか?」
以前見た、ディーンの戦い。空気を断ち切る剣戟、魔物を弾き飛ばした蹴り。そのどれもが、常人の動きを遥かに超越していた。エデンの的確な答えに、ディーンは満足げに頷く。
「そうだ。『身体強化』を使うことで、身体能力を飛躍的に上昇させることが出来る。ただそれだけじゃなくてな。体が受ける衝撃を減らしたりと、色々な恩恵がある。これを使えるようになれば、お前のその体も、今よりずっと頑丈になるはずだ。……たぶんな」
最後に付け加えられた自信なさげな言葉にも、エデンは期待を込めて「はい」と頷いた。何しろ、自分の体は人間のそれとは全く違うのだ。エデンの不安を振り払うように、ディーンは「よし!」と両手を叩いて気合を入れる。
「言葉だけだと分かりづらいだろう。今から俺が実践して見せる。いいか、よーく見ておけよ」
ディーンは背中の大剣を、ずしりと重い音を立てて引き抜く。近くに立つ、一本の太い木の前に立つと、深く腰を落として大剣を構えた。長年染みついたその型は微動だにせず、鍛え抜かれた肉体が飾りではないことを雄弁に物語る。
ちらりと視線を向ければ、純白の小鳥が真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
(そうだ。俺は今日、エデンに良いところを見せ、そして『パパ』と呼ばれてみせる……!)
心の声が、つい口から洩れた。
「よし……頑張れ、俺」
大剣を握る両手に、さらに力がこもる。盛り上がった筋肉が、その瞬間を待ちわびて震えていた。精神を統一し、体の隅々まで意識を行き渡らせる。そして、カッと目を見開いた。
「いくぞぉっ!」
「あの、ディーン様――」
踏み出した一歩が地面を強く叩き、その反動を推進力に変える。ディーンは大剣を振りかぶり――
「――その木なのですが」
「おらあああっ!」
ブオン、と空気を切り裂く音と共に、漆黒の大剣が木に食い込む。鈍く光る刃は幹の半ばで動きを止めたが、その威力は凄まじい。ディーンはふんと鼻を鳴らし、力任せに大剣を引き抜くと、再び構え直した。
「いいか、エデン! 今のは、ただの力で切りつけただけだ。そして次が、『身体強化』を使った一撃だ!」
ディーンの体内で、魔力が奔流となって駆け巡り、燃えるように力へと変換されていく。ずしりと重かったはずの大剣が、まるで羽のように軽く感じられた。足先から指の先まで、力が漲る。その圧倒的な圧力が、彼の存在そのものをより一層凄まじいものへと変えていた。
しっくりと馴染む構えに、最高の調子を確信しながら、ディーンは叫んだ。
「ディーン様、そちらの木は――」
「アリシア! パパのこと、ちゃんと見てるかーっ!?」
その大声に、少し離れた場所で魔法の練習をしていた二人が、ぱっと振り返った。
「パパー!」
「っ!? ディーン!? 待っ――」
「っいくぞぉぉぉっ! うおおらあああぁぁっ!」
再度踏み出した一歩は、ズドン、と音を立てて地面を陥没させる。腰の回転、腕のしなり、全ての力が一点に収束し、振り抜かれた大剣は、空気ごと木を両断した。一瞬の静寂。その後、ずれるようにして木の幹が真っ二つに分かれ、数メートルも吹き飛びながら、大きな音を立てて地面に倒れた。
ディーンは振り抜いた大剣を、ずん、と地面に突き立て、「ふぅっ」と満足げな息を吐いた。
「どうだ、エデン。なかなかのもんだろう」
「はい……これが『身体強化』なのですね……凄まじい破壊力です」
小鳥が滑らかな切断面に降り立ち、興味深そうにその表面を観察している。会心の結果に口元が緩むのを抑えながら、ディーンがうんうんと頷いていると、エデンがふと顔を上げて、不思議そうに首を傾げた。
「ですが、よろしかったのですか?」
「ん? なんだ、どうかしたか?」
「いえ……」
エデンは一度言いよどんだ後、意を決したように、そして淡々と事実を告げた。
「この木は、ママ様が大切に育てていた『ルル』の木だったかと。確か、ルルの実はママ様の大好物で、次の春に初めて実をつけるのを、楽しみにされていたはずです」
「は……?」
告げられた言葉の意味を、ディーンの脳が理解することを拒絶する。震える指先が、信じられない、というように己の唇に触れた。
「……ルルの、木? レイラが……育てていた?」
「はい。ご存知だったか――」
その時、エデンの言葉がぴたりと止まり、その視線がディーンの肩越し、遥か後方で凍りついた。
どく、どく、と自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。全身から、嫌な汗が噴き出していく。そしてその肩に、何かが、そっと置かれた。華奢な女性の手に似た、何か。
「なあ……エデン。……俺の後ろに……今、何が、見える……?」
しどろもどろな声に、エデンはさっと視線を逸らした。
「な、何も……見えません」
「……何故……目を、逸らす……?」
「いえ……その、ちょっと、エラーが……」
「……ディーン?」
耳元でささやかれた声は、今までに聞いた事がないほど低く、温度というものが一切感じられない声だった。
喉が、ごくりと鳴る。長年の冒険者として培われた感が、生命の危機を告げる警報を、脳内でけたたましく鳴り響かせている。
そんな張りつめた空気の中、アリシアが花の咲くような笑顔で、ディーンの足に抱き着いた。
「パパー! パパ! すごーい! かっこいいー!」
ミシリッ!
「ふぐぉ!?」
ディーンの肩から、骨が軋むような、静かだが明確な音が鳴り響いた。その音に、エデンはびくりと体を震わせる。
次の瞬間、エデンは目にも留まらぬ速さで飛び立ち、アリシアの肩に着地した。
「あ、アリシア! ディーン様とマ、ママ様はお話があるみたい。わ、私とお部屋で遊ぼう! あ、新しい魔法、見せてあげる!」
「ほんと!? やったあ! ママ、アリシアおねえちゃんとおへやいってる!」
アリシアは無邪気に手を振ると、エデンを肩に乗せたまま、家の中へと駆けていく。
「ま、待ってくれ! エデン!」
その遠ざかっていく小さな背中に、必死に手を伸ばしながらディーンは叫んだ。
「エデーーーーーーーンッ!!」




