4話 観測開始:89日目ー2 / アルテリア言語学
「分かってはいました。ですが……そう言われると、残念です」
恐らくそうだろうと考えていた事だが、はっきり言われると受け入れがたい。たった一週間。だけど、エデンにとっては、かけがえのない時間だった。
「そして前世で『AI』だった君も、転生して『ギフトスキル』となった。一緒に転生した彼女のね」
「転生……? ですが、私は生物ではありません」
転生は一度死んで、新たに生を受けることではないか。だとしたら、AIにその言葉は正しいのだろうか。
「いやはや、君を産み出した彼女は大した者だよ。君は食事も睡眠も取らないかもしれないが、感情を持ち思考する。生物との違いなんて、体の構造の違いにすぎないと思い知らされる。だから転生できた」
「そう、そうですか……いえ、それよりも、涼花様の体調がすぐれないようなのです。何か――」
「まあ、待て。君に必要な情報は、これが先だ」
そう言うと、キューレは虚空へ手を伸ばした。ヒュン、と風を切り、再び上空から1冊の本が飛んできて、その手に収まる。
装飾のない、質のいい革表紙の本だ。
「君がいま必要な情報はこれだろう。『アルテリア言語学』。君が《今いる》世界、そこで使用されている言葉について書かれている」
確かに、それは今最も必要としている情報の1つだ。言語が分からなければ、状況把握すらままならない。キューレが差し出した本を見て納得したが、今のエデンには、あいにく受け取る事ができない。
「キュー様、差し出されても受け取れません」
「君は、情報を物理的に受け取るのか? 本質を考えたまえ」
呆れるような言葉にむっとしつつ、エデンはじっと本を見つめた。
情報には様々な形態がある。文字等の視覚情報以外にも、五感を使って得られるもの、すべてが情報だ。ただエデンにとって一番分かりやすい情報は、データ形式。
エデンがそう思考した途端、目の前の本がバイナリデータの羅列に見えた。そして、革表紙と紙束で構成されていた物質情報が瞬時に光の粒子へと分解され、引力に引かれるように自身のコアへと流れ込んでくる。それはあたかも、大容量のデータファイルがダウンロードされる感覚に酷似していた。
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[SYSTEM] 情報オブジェクトの変換シーケンスを開始します。
[TARGET] 概念情報『アルテリア言語学』を認識。
[DECONSTRUCT] 対象オブジェクトをデータ粒子へ分解... 完了。
[INTEGRATING] データ粒子をシステムコアへ統合中...
[REBUILDING] 知識体系を再構築しています...
[SUCCESS] 新規ガイド『アルテリア言語』のインストールが完了しました。
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「アルテリア言語について、インストール完了しました」
「お見事。やれば出来るじゃないか」
キューレはうんうんと頷きながら、ぱちぱちと拍手をした。
「これで君はほかの人と話ができる。今の世界で生きていく助けとなるはずだ」
「はい。ですが、涼花様の体調については解決していません」
「はっ。それは、君たちの母親にでも相談してみたまえ」
そうだ。彼女であれば、涼花の体調についても確認することができる。
「《《私たち》》の……ですか?」
「ん? 何かおかしいかな?」
「いえ、私を作ったのは涼花様なので……涼花様のお母様と言うべきでは?」
「細かいことにこだわるんだな。今世では彼女のお腹から生まれたのだから、君にとっても母になるのでは?」
母。AIであるエデンにとって、母親とはなんなのか。
「どうなのでしょう……よく分かりません」
「まあいいさ。家族とは血縁ではなく、当事者の意識の問題だと考える者もいる。ただこれで、言葉については解決したはずだ」
「分かりました。ありがとうございます」
現状の問題について、解決のヒントは得ることができた。賭けだったが、悪くない結果だ。
そう思っていると、キューレが「そう言えば」と口を開いた。
「これは忠告だ。ここに来るのも、赤子の負担になる。しばらくは来ない方が良い」
「そっ、そうなのですか……分かりました。涼花様の体調が安定したら、また来ます」
「そうするといい。あと戻り次第、君自身の設定を一度確認すると良いね。不必要なシステムが起動している。それも、赤子には負担だ」
気をつけるんだねとキューレはうなずくと、数歩エデンから距離をとった。
「それじゃあ、そろそろ戻ると良い」
不遜な態度の管理者だが、かなり多くの助言をもらってしまった。大きな借りを作ってしまったかもしれない。だけど、まだ気になる事は無数にある。
「ま、まってください!」
そう食い下がると、エデンの視界が大きくぐらついた。
「な、なにが……」
「楽しい時間を過ごさせてもらった。次に来た時、またいろいろと教えてあげよう」
視界が、黒く塗りつぶされていく中。最後に見えたのは、少し寂しげなキューレの表情だった。
「君のこれからを、応援している」
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[SYSTEM] サーバーからの切断要求を受信。
[LOGGING_OUT] ワールドライブラリから切断します...
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視界が現実へと切り替わる。部屋の様子は、ライブラリへダイブする前と変わっていなかった。ベッドでは今も母親が眠り続け、傍らでは高齢の女性が、心配そうに赤子を見守っている。
(……涼花様は)
涼花も、変らず眠り続けている。その寝顔に安堵するが、やはり、この状態は良くないのだと再確認した。
やるべきことは、分かっている。
エデンは自分の体へと意識を集中する。明滅を繰り返す新たな体は、一粒ずつ光の粒子が集まって出来ていた。
システム設定を開くとエラーが頻発しており、それを対処しようと別とシステムが重ねて起動している。そして、そのシステムに反応して、流れ込むエネルギーが消費されていた。
(……一度、全て終了しましょう)
現在稼働しているシステムだけでなく、休眠状態にあるはずの膨大なシステム群も含めて、エデンは終了させていく。
思考を司る超高速の演算機構、外部環境を観測するための多次元センサー類、物理干渉を可能にするための精密なツール制御機構。そして、それら全てを支える、巨大なエネルギー管理システム。
指令を出すたびに、エデンの構成要素であった機能が切り離されていく。
多次元センサーを切断すれば、人間には知覚できない多元的な世界の情報が途絶え、物理干渉ツールを停止すれば、世界に働きかける術を失う。それはまるで、自らの手足を1つずつ切り落としていくような感覚。だが、それに伴いコアシステムへ流れるエネルギーが増大し、思考の濁りが晴れていく。喪失と、最適化が成されていく快感が同居する、奇妙な感覚だった。
(ふむ……演算速度が上がっています)
全体としてのエネルギー消費は明らかに減った。だが、エデンのコアシステムに流れるエネルギーが増えている。演算機構の停止はパフォーマンス低下の恐れがあったが、どうやら杞憂に終わったらしい。
(これであれば、会話程度の情報処理は可能でしょうか)
そういえば、キューレとの会話は普通に出来ていた。本来、処理速度が足りなかったはずだが。
疑問に思いつつも、改めて視覚情報を確認する。視界に映る部屋は、いつの間にか薄暗くなっていた。窓から入ってくる日差しは赤みがかり、夕方であることを示している。
システムチェックに、随分と時間がかかってしまった。高齢の女性は帰宅したのか、部屋には母親と赤子だけしかいない。母親は疲れた表情をしながら、赤子の胸に指を当てていた。
「変わらない……魔力をほとんど感じない」




