31話 観測開始:3年18日目-3 / 夜間迷彩
降り注ぐ雨粒を弾きながら、小鳥の姿をしたエデンが舞い上がった。雨幕の向こう、村全体が小さく見える高度まで達すると、森へと続く泥道を進むディーンの背中が、かろうじて視界に捉えられた。
翼を大きく広げ、滑空に移る。一度ディーンに追いつこうと考え、その背中を一直線に追う。しかし、全速で羽ばたいているにもかかわらず、豆粒ほどの大きさの背中は一向に近づいてこない。むしろ、僅かずつ遠ざかっている気さえした。
(全然……追いつけません!?)
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[ALERT] 観測対象『ディーン』に、定義外の加速を検知。
[ANALYZING] 移動速度を解析... 瞬間最大値 15.2m/s (時速54.7km) を記録。
[ERROR] データベース『人類』の理論値と、観測データとの間に致命的な矛盾が発生。
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鬱蒼と茂る木々が、ディーンの姿を何度も視界から奪っていく。それでもエデンは、闇間に明滅するその影だけを頼りに必死で羽ばたき続けた。
そうしてどれだけ飛び続けただろうか。必死に羽を動かし続けると、不意にディーンが動きを止めた。すると肩越しに睨み上げた視線が、遥か上空にいるエデンを正確に捉え、貫いた。
(――!?)
隠れていたわけではないが、突然の事にエデンの思考に驚愕が走った。エデンはディーンの遥か上空を飛んでおり、その距離は数十メートルは離れている。だがその視線はエデンから外れることなく、今もなおじっと見つめ続けている。
一度大きく羽ばたく。雨に打たれながら螺旋を描き、まるで一枚の羽が舞い落ちるように、ディーンの眼前にふわりと降り立った。
そうしてディーンと向かい合うと、家とはまるで違うディーンの表情に、エデンは「う……」と近寄りがたさを感じてしまう。
その様子に、ディーンは張り詰めていた気をわずかに緩め、深く息を吐く。地を這うような低い声が、雨音に混じって響いた。
「エデン、なんでついて来た?」
明確に咎める意図を込められた言葉に、エデンはつい視線を逸らした。
「あ、あの……ま、魔物というものを、一度、見ておきたくて」
「はあ、まったく……」
ディーンは大きな手でがしがしと顔を覆うと、「ほら」と無造作に手を差し出した。その掌にエデンがちょこんと乗ると、ディーンはぐいと顔を寄せる。
「遊びじゃない。楽しいことじゃないんだ」
「そ、それは、理解しています」
懸命に言い募るが、ディーンの厳しい眼差しは揺るがない。
「いいか、まだ……」
子供なんだから。そう続けようとしたディーンだったが、ふと目の前の小鳥に「年齢」という概念はあるのだろうか、という疑問がよぎり言葉に詰まった。彼の沈黙を不思議に思ったのか、エデンはこてんと首を傾げると、その仕草がやはり子供らしく見え、ディーンは内心の戸惑いを振り払った。
「いや、いいか。お前はまだ子供なんだから、危険なことに首を突っ込む必要はない」
「はい……」
あまりに素直に受け入れる姿に、ディーンは笑いそうになるのを堪え、威厳を保とうと顔を引き締めた。
「血を見るぞ。もっとひどい、おぞましい光景もだ」
「それは……問題ありません。視覚情報はあくまで情報として、客観的に処理することが可能です」
「ん、そうなのか?」
「はい」
そう言ってコクコクと頷く姿は、下手に強がっているわけではないように見えた。
これがただの子供の強がりなら、拳骨を落として無理やりにでも帰らせるところだが、目の前の小鳥はそうではない。しっかり物事を考えられるし、その上でついて来ようと決めたのだろう。
「……まあ、ここまできちまったんだ。少しだけ、見てくか?」
「……よろしいのですか?」
「条件がある」
ぱっと顔を上げた小鳥に、ディーンは言い聞かせるように声を一段と低くした。
「俺の言うことには必ず従え。決して勝手なことはするな」
「はい。承知いたしました」
「お前はただ見てるだけだ。確認したら、すぐに帰れ……レイラが心配しているかもしれん」
その名前に、エデンの思考に自分を探すレイラの姿が浮かぶ。家にいないことを知ったら、彼女はどのような表情をするだろう。
「う……そ、そうでした。確認が済み次第、即座に帰還します」
「……そうしろ」
ディーンは頷くと、エデンに視線を落とした。雨に濡れた純白の羽毛は、夜の森ではあまりにも目立つ。
「あとその姿は目立ちすぎる。もっと目立たない姿になれないか?」
「はい。それでは」
エデンはそう頷くと、アバターに内臓されたコマンドを実行した。
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[EXECUTING] スキル『光学迷彩』を起動。
[PARAMETER] 変更対象:アバター・サーフェイス・シェーダー
[APPLYING] 『夜間迷彩』を適用...
[COMPLETE] 色彩変更が完了。
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エデンの体を淡い光の粒子が包み込む。次の瞬間、インクを水に垂らしたように黒が滲み、瞬く間に純白を飲み込んでいった。光が収まる頃には、闇そのものを切り取って作ったかのような、濡羽色の小鳥がディーンを見上げていた。
「はは、便利なもんだな。まあ、いいだろう」
ディーンは思わず笑みをこぼしたが、すぐに表情を引き締め、真剣な眼差しに戻る。
「いいか、俺の背後10メートルを維持しろ。地面には下りず、木の枝以上の高さに常にいるようにしろ」
「了解しました」
「あとここからは喋るなよ。1キロほど先にゴブリンがいる。一気に駆け抜けるぞ」
「……はい!」
ディーンが腕を振り上げると同時に飛び立ち、再び疾走を始めた彼の背中を追う。
流れるように消えていく木々を飛び越え、しばらく飛び続けると先を行くディーンが背中の大剣に手をかけた。
そうして抜刀した先、ディーンの肩越しに見える開けた場所に、4体の子供らしき人影が見える。
勢いに乗ったディーンが力強く地面を蹴り、その巨体が飛び上がるように空中へ飛び出す。その勢いのまま、上段に構えた大剣をその人影に振り下ろした。
ゴゥッ、と空気を引き裂く轟音。叩きつけられた大剣が肉を潰し、骨を砕き、血肉を飛び散らせた。




